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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【「教育」(ただしカッコつき)は禁句でないことに】

2001.5.1 

 これまで「教育」には抵抗してきました。この文字を見ると四角い殺風景な教室とか薄っぺらで面白いところが全部抜けてしまっている教科書などを思い出し、おしきせの感じがしてしかたなかったからです。躍動感とか、目の輝きとか、とんでもないはみ出しとか‥‥そういうものが皆んな押さえつけられているイメージです。
 ですから、研究館での仕事の時にも「普及・啓蒙・教育」は止めようねと皆に言っていきました。「生きているとはどういうことか」を知りたい、それにはDNA(ゲノム)を基本にした科学的理解は面白い切り口だと思って進めている「生命誌」なので、できるだけ多くの人とこの世界を共有したいという気持ちは人一倍あるつもりです。共有するにはどうしたらよいか。もちろん「表現し」「伝える」必要があります。
 これを今のところ英語ではScience communication and productionと言っており、研究館でこの活動を主として行うグループは日本語でもサイエンス・コミュニケーション&プロダクションセクター(略してSICP)と呼んでいます。日本語でも‥‥とカタカナを並べるのはおかしいのですが、「科学の伝達および表現」では何ともかっこうがつかないので仕方なくそうなっているわけです。
 実は、こういう活動をすると、すぐに普及とか啓蒙とか教育とか言われてしまうのですが前に述べたように、それは研究館では禁句にしてきたのです。
 ところで‥‥普及、啓蒙は相変わらず抵抗しますが、「教育」については、最初に書いたような押しつけイメージから抜け出した「教育」を考えなければいけないなあと思い始めています。
 理由は二つあります。一つは、私たちの世代が作ってきた社会が、このまま伸びて行けば素晴らしいものになるという自信を持って次の世代へ渡せるようなものでないという反省です。自信がもてないどころか、ますます危うくなっているので、次の世代に基本をきちんと考える人がいないと大変だという危機感が強くなってきました。もう一つは、恐らく年齢でしょう。「私」のことよりも「次の世代」のことの方が大事になってきたわけです。
 急に何かができるわけではありませんがカッコつきの「教育」は、少なくとも私の中での禁句からはずそうかなと思っています。

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