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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【50年後は微妙──実体験か歴史かの違い】

2003.3.1 

中村桂子館長
 2月8日の土曜日に「実験室見学ツアー」をいたしました。雨が降るかもしれないと言われていたのですが幸い予報ははずれてホッとしました。催物をする時に雨が降ると、なんだか申し訳ない気持になるものです。お天気はどうすることもできないのですから、私たちの責任ではないと思えばそうも思えますが、雨の降る日に計画してしまったのはやはりこちらの責任のように思えて。
 ツアーの時には、吉川常勤顧問、岡田特別顧問(前館長)と交代で20分ほどお話をするのがきまりになっているのですが、実はこの話が難しいのです。本格的レクチャーでもない、懇談でもない。どうしようかと悩むものですからなかなかきまらないというのが常です。つまり、できるだけ興味深い話をしたいという気持になる。通りいっぺんのこと、これまでにも話したことのあることは止めようという気持になるのです。その結果、その時、これ大切だなと思ったことを話すことになるものですからいつも後悔します。今大切と思っているところへたどりつくまでの経緯は話せないので、多分わかってもらえなかったろうなという気持になるからです。今回もそうでした。そこでツアーの話を少していねいに(と言ってもあまり長くは書けないので、また中途半端になるかもしれませんが、なるべくそうならないように)書いてみようと思います。
 今年2003年は生物学にとってちょっと特別の年です。イギリスの科学雑誌「Nature」の1953年4月2日号に特別の論文がのりました。「DNAは二重らせん構造をしている。らせんの階段の部分はA, T, G, Cという四つの塩基でできているが、それは常にAとT、GとCが対になっている。」というDNA二重らせん構造発見の報告です。実はこの論文の最も大事な部分は次の文です。
「It has not escaped out attention that the specific paring we have postulated immediately suggests a possible copying mechanism for the genetic material. 」
これは、科学の歴史で節目を作った言葉の一つと言われています。最初が It has not escaped out attention that ・・・とちょっとオズオズだけれど、そうだと思うよという気持が出る表現になっているのがとても興味深いところです。そして、このA-T, G-Cのペアでできた構造を見れば、これが遺伝子に不可欠である複製がどのように行われるかが自ずとわかるようになっていることを述べています。単に一つの物質の構造の発見というに止まらない大きな発見になったのは、まさにここにあるわけです。この論文の著者の一人J. D. Watsonはこの時25才、Francis Crickは日本風に言えばちょうど一まわり上の37才でした。因みに二人共タツ年です。関係ないか。
 50年たった2003年4月には、ヒトゲノム解読完了宣言がなされます。人間が持っているDNAのATGC約30億個の並び方がすべて解読されるなどとは50年前には想像もできなかったことでした。その成果は、アメリカ大統領、イギリスと日本の首相など6か国の首脳が登場して完了宣言のセレモニーをやるのではないかというのですから社会との関係も大きく変わったものです。50年というのは、私にしてみれば実感ですが、おそらく多くの人──とくに若い人にとっては遠い昔でしょう。100年なら誰にとっても歴史だけれど、50年はある人にとっては具体的事実、ある人にとっては実感のない話になるわけで、この間の変化の意味を共有するのは難しいなあと思います。これがつまり、世代間のギャップというものになるのでしょう。そこで若い世代にわかってもらえないとつい最近の・・・とか言うことになる。ここではそんなことを言うつもりはありませんが、実感の違いは感じます。ここまでは前段、ここからが本論なのですが、申し訳ありません。時間切れ。次にまわさせて下さい。扱いたいことは社会との関係の変化としてDNA、遺伝子という言葉がこの50年間に(というより最近になって急に)社会にかなり入りこんできたことのプラスとマイナスです。次回に。

【中村桂子】


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