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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【神話的時間と生命誌】

2004.4.1 

中村桂子館長
 4月になり、また桜が咲きました。ふしぎなもので、花の咲いていない時は、そこにその樹があることなど忘れてしまっているのに。そうだ、ここには桜があったんだと思わせる一本の樹から、長く続く並木まで。
 毎年のことですが、この季節は皆が少し上を見ながら歩いています。こうして一年という時間が流れたことを改めて思うのがこの時期です。
 生命誌では、いつも二つの時間が流れています。一つは日常の時間。今回も他にまとめなければならない仕事があって、遅れてしまったこの原稿の〆切を迫られて、慌てて書いている。こんな時間の積み重ねです。もう一つは、38億年という生命の歴史の中での時間。この二つを重ねるところで考えるといろいろなものが見えてくるのです。
 鶴見俊輔さんが「神話的時間」というテーマで話していらっしゃることがこれと重なるような気がして、少し考えてみたいと思っています。鶴見さんは、神話が書かれた時代に流れていた時間は、現代とは違っているだろうとおっしゃっています。そして、それと同じ時間が小さな子どもの中でも流れているので、そのような子どもを育てている時の親も充分注意すれば、その時間を共有できるというのです。ところが、親は子供の時間の方へ入って行かずに、子どもを、早く早くという大人の日常に連れ込んでしまいがちになるわけです。親が子どもの時間の方に入れば、そのことによって大人であっても神話的時間を生きることができて、それによって神話の時代のこと−恐らく生きることにとって本質的なことがわかるはずだ。鶴見さんの指摘です。現代社会では父親より母親の方がそういう形で子どもの時間の中に入っていくチャンスが大きいこともあり、−具体的には、一緒に絵本を読んだりするなど−神話的時間を持てるとも。
 生命誌は科学による理解を基本にしているために、難しいと思われがちですが、子どもが絵本の世界に入りこむ時の気持と同じ時間感覚となれば、難しいものではないはずです(もしかしたら大人にとってはこの方が難しいのかもしれませんが)。
 新しい神話の時代が来そうな気がするというのが生命誌を始めた時の気持でしたが、「神話的時間」について考えることが一つのテーマとして見えてきました。皆さまの体験がおありでしたらお知らせ下さい。
 
 
 【中村桂子】


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