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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【私がいる時世界がよりよきものであるように】

2005.9.1 

中村桂子館長
 戦後60年ということで今年は新聞やテレビで大平洋戦争について語る方が多かったように思います。敗戦の時、私は満年齢で9歳。まだ戦争の意味がわかる年齢ではありませんでした。でも集団疎開先でひもじい思いをし、友だちとアイスクリームの話をしながら舌をもぞもぞ動かして、もうあのおいしさには出会えないのかしらと思った体験は、忘れられないものとして身にしみついています。戦地での体験、被爆者体験などに比べたら話すのもはばかられるようなことですが、これが生命誌の原点かもしれないと思っています。
 「いのち」を中心に置いて考えるというのが生命誌の基本ですが、この時の「いのち」は形而上学的な難しいものではありませんし、ただ生きていればよいというものでもありません。納得のいく生活をするということ。いのちを中心におくという考えに反するのは「不条理に生命を奪われること」で、その最たるものが戦争です。ただ、戦争を避けるにはどうするかと真正面から向き合うのは難しい。日常の中で“いのち”に眼を向けていることが戦争に向わないために大事なことなのだと思います。それは“いのち”を奪うというような激しい話ではなく、たとえば、毎日の食事をきちんと食べることを大切にするということです。そこからひもじさをなくしたいという小さな願いが生れ、「相手の立場になって考える」態度が身につき、無用の争いを避けるという考え方につながる。こんなつながりを望んでいます。戦争と平和という大きなテーマを二項で対立させ、平和を唱えていれば戦争は避けられるというものではありません。人間の脳は二項対立で考えるのが得意だけれど、世界はそのようにできていないのです。近年科学もそれに気づき、複雑さにそのまま向き合うようになりました。また多元論も出ています。さまざまがある。ただここで、さまざまのそれぞれを個別に認めるという相対的な考えをもちこむと“何でもあり”になってしまいます。そうではなく、さまざまがお互いに関わり合っているのが複雑系の特徴です。自然界はこのネットワークをみごとに作っていますが、人間の社会の場合、自ずとできるものではないようです。自分の立場を主張し、“何でもあり”にするのではなく、常に“他の立場に立って考えてみる”という考え方を入れないと、ネットワークにならないのではないか。幸い、生命誌を考えていると、この思考が自然に身につきます。生命誌の場合、“他の立場”の“他”は人間に限らず、時にはバクテリアだったりムシだったり樹木だったりするのですが。
 このようなものの見方を表現したドイツの自然哲学者クラウス・マイヤー=アービッヒの言葉に出会いましたので紹介します。
「世界が、人間がいない時より人間とともにあるときにこそ真により美しく、またより善きものであるような仕方で、われわれは世界のうちに善きものをもたらすことができないであろうか。またわれわれが、われわれにだけ役に立つのではない善きものを世界のうちにもたらすであろうときに、むしろわれわれは、生の喜こびをもたないであろうか」

 
 
 【中村桂子】


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