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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【ちょっとの次はいい加減】

2005.12.1 

中村桂子館長
 最近、身のまわりの技術がディジタル化されています。科学の行き着く先がディジタル思考になり、それが科学技術を通して社会の思考方法にまでなってしまうのはどんなものでしょう。生きものも機械とみなすことができます。分子という小さな単位ではあるけれど、たくさんの部品で組み立てられている機械です。ただこの機械、私たちが日常見ているさまざまな動きは複雑です。歩く、食べるなど機械的動きも、泣いたり笑ったりと感情が動く時に体の中で起きている分子たちの動きも複雑で、まだほんの一部しか解明されていません。ところで、ゲノム解析が進むにつれて、この複雑さを支えている部品の数はそれほど多くないことがわかってきました。つまり、部品を増やして複雑にするというよりは、限られた部品をうまく使いまわして、機械ではとても対抗できないような複雑さを実現しているわけです。生体にとって最も重要なはたらきものであるタンパク質を作る遺伝子の数は、人間で23,000個ほどというのが今出されている数字です。生物という機械、基本の基本まで行くと、タンパク質、RNA、DNA、糖など一つ一つの部品がはっきりするのですが、それらのはたらきを微妙に調節して使っているものですから表に出ている表現型はアナログになります。黒か白かではなく、グレーっぽいところが多いのです。こういう生きものである人間の暮らしも割り切れないことがたくさん。善か悪かと分けて悪は絶対にいけないことだとして、全てを善にできれば嬉しいのですが、なかなかそうはいきません。子どもの頃のつまみ食いに始まり、悪いことをしなかった人なんていないでしょう。でもかなり白っぽいグレーのところでなんとか止めているのが普通の人なのではないでしょうか。これもダメとされて真白のところにいるように抑えこまれたら、たまらなくなって真黒にまで飛躍してしまうかもしれません。グレーを認めると実はどこまでグレーならよいのかという面倒な問題が出ます。できるだけ白い方がよいにきまっていますが、時により事柄によって違うこともあります。その判断を“良識”と名付けるのだと思います。
 黒か白かと決める立場から見ると“いい加減”に見えるかもしれませんが、生きものが生きものらしくうまくやっているなと思うところは、グレーをあまり黒くせずにうまく生かしているところであることも確かなのです。先回は、ちょっと気をつけるという気持が必要ということで“ちょっと”に眼を向けましたが、今回の“いい加減”もそれと通じることです。コンピューター活用はよいけれど、私たちの思考まで0か1かにはせず、38億年もかけて組み立ててきた生きもののシステムを基本にしたいものです。最近の犯罪を見ていると、もしかしたら、0か1かしか考えられないために、ちょっとグレーになった自分を抑えきれなくなっているのではないかと気になる例が少なくありません。子どもたちが少しグレーっぽい時は、大人が“ちょっとおかしい”と気づくことも含めて・・・改めて生きものらしさについて考えました。

 
 
 【中村桂子】


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