1. トップ
  2. 語り合う
  3. 【皆んな、生きものを機械のように見ていませんか】

中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

バックナンバー

【皆んな、生きものを機械のように見ていませんか】

2007.2.15 

中村桂子館長
 柳沢厚労相の発言が問題になっています。新聞記事によると「15〜50歳の女性の数はきまっている。産む機械、装置の数はきまっているから、後は一人頭で頑張ってもらうしかない」とおっしゃったとか。言いも言ったりという感じで呆れますが、この考え方ってこの方一人でしょうか。いつも“生きている”というところから考えている立場から見ると、今の社会は人間を含めて生きものを機械として見ているとしか思えません。しかも、その見方はこの数年急速に進んでいます。すべてを効率や金銭で評価し、なんでもよいから競争しろと言うようになりました。皆が生き生き暮らせる社会でありたいと思いながら暮らしている者にとってはなんとも生きにくい社会なのです。これはここでも何度も書いてきたことですが、生きものは“時間を紡ぐもの”です。
 実は昨年、遠山敦子元文科大臣の提案で始められた「こころを育む総合フォーラム」に参加しました。学者、企業人、ジャーナリストなどなど多彩な方のお話を伺いながら、皆さんの発言の中に手塩にかける、関わりを大切にする、場を開いていくなどという言葉が度々出てくるのに気づきました。これは、どれも時間を紡ぐ生きものにとってとても大事なことであり、機械と違うところです。そもそも少子化対策なるものが数を問題にし、なんとか自分達の思い通りの数に合わせようとしており、生きやすい社会を作って、そこに生まれてくる赤ちゃんを歓迎しようという発想ではないのです。この考え方がすでに機械的。柳沢厚労相をよしとする気はありませんが、この方一人を責める問題ではなく、今の社会の考え方そのものを見直すことが必要だと思うのです。医療、教育、食べ物(農業)、環境。この4つが生きものとして生きるを支えるものであり、これがうまくはたらいていない社会は決して生きやすいものにはなりません。どんなにお金があっても。人間を機械と見てよいのですかという疑問が生じたのを好機とみて、皆で生きものを機械のように見る社会を抜け出せたらよいなと思っています。でも、国会での議論を聞いているとあまり期待はできませんけれど。


 【中村桂子】


※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。

中村桂子の「ちょっと一言」最新号へ