1. トップ
  2. 語り合う
  3. 【権力は好きではないなあとつくづく思います】

中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

バックナンバー

【権力は好きではないなあとつくづく思います】

2009.8.15 

中村桂子館長
 夏休みです。と言っても研究館を始めてからは毎週新幹線に乗っているものですから、この時くらいは家にいるというパターンになっており、いつもの休日と同じ、原稿書きと草取りや片づけで過しています。
 選挙です。「政権交代」という文字が躍っていますので、ちょっと気になって辞書を引いてみました。深く考えずに使ってきたものですから。「権力:他人をおさえつけ支配する力。支配者が被支配者に加える強制力」とあります。えっ、支配者と被支配者? びっくりです。そこで「政権」つまり「政治権力」を見ると「社会集団内で特に政治的機能を担い、その意志決定に他者を制裁を伴って従わせることができる、排他的な正統性を認められた権力。普通、政治的な権威、暴力装置、決定と伝達の機関をもつ。その最も組織化されたものは国家権力である」となっています。初めて調べましたが、こちらも恐ろしげです。
 民主主義なのですから、政治家と私たちの関係が支配者と被支配者の関係にあるはずはありません。この国に暮らす人が皆生き生きと毎日を送れるようにしたいという気持ちを託し、そのためにはたらいて下さいと一票を投じているつもりです。言葉に過ぎないと言ってしまえばそうですが、権力という語はよくないなと思います。英語は “political power” 。もちろん英語でも、ここには権力の意味があるとしても、字面は「力」です。
 最近は研究の世界でも権力(それはしばしばお金の力でもあります)志向を感じることがあり、もっと「平らな社会」だといいのにと思います。選択と集中と言いますけれど、問題は何を選択するかです。今大事なのは、「生きている」という感覚を持てる社会を作ることであり、そのために大事な技術やシステムは何かということを考える必要があります。決して限られた技術を突出させることではありません。「みごとな平ら」を作るにはどうしたらよいか。これはとても難しい課題です。「平ら」というとすぐに否定されますが、「みごとな平ら」への挑戦は大事だと思います。
 政権について考えているうちに、研究を考えることになりましたが、いずれにしても「権力」という言葉の持つイメージとは異なる力で動く社会にしたいなと思います。実はそれが「生きる力」であって、下から立ち上がっていくものだと思います。バクテリアから始まり、すべての生きものの持つ力です。人間も一人一人が生きものとしての生きる力を発揮したら「みごとな平ら」になるはず・・・そんな風に思っています。とにかくこの夏は苦手な政治のことを考え、少しでもよい社会になるように努める夏です。それにしては、蒸し暑くて頭がはたらきにくいですけれど。

 【中村桂子】


※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。

中村桂子の「ちょっと一言」最新号へ