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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【風と桶屋 — 予算と多様性】

2010.2.1 

中村桂子館長
 ちょっと苦笑いです。予算(仕分け)の話をしていた時は、何人もの方が考え方を聞かせて下さったのに、多様性になった途端に反応が急低下してしまいました。私としては、というか生命誌研究館としては、この二つは連動していることなのですが、外から見れば風と桶屋、風が吹いたら桶屋が儲かるのはなぜかについての説明がなければわからないのは当然と気づきました。
 生命科学は、あらゆる生きものが細胞でできていること、その中で起きている生命現象の基本はすべての生きもので共通であることを出発点としています。共通性は、物事を考え、そして整理する時にとても有効です。ところで、今、ゲノム研究を中心に共通性を踏まえながら改めて多様性に向き合うことができるようになりました。共通でありながら多様、多様でありながら共通。この特徴をいつも心にとめながら“何を知れば生きものという独特の存在の本質を知ることができるのだろうか”と考えることが大事になってきたわけです。「最先端生命科学研究」とはこれをさすのではないでしょうか。実はこの一年間、例の「細胞の分子生物学・第5版」と「遺伝子の分子生物学・第6版」の翻訳をしました(この作業は電車の中だけと決めているので、これが始まるとボンヤリ外の景色を眺めながら電車に乗るということがなくなります)。そこでつくづく感じたのが、分子のレベルでどんどん細かいことがわかり、ヒトとハエとバクテリアでは、ここは同じでここは違うという場面が山ほど出てきていることです。物理・化学の理屈に合っているものでなければ成立しないという点では機械ですが、ではなぜここはこうで、こちらはこうなのかというのはわからない。この辺を考えない限り、細かいデータに溺れそうです。しかも本質としてわかることは以前と変わらないという状態が続きそうです。このような状態では、メカニズムを基本にし、機械としての発想に基づく技術を生むことはできないでしょう。まるごとの細胞や個体を活用した技術は生れても、それは、これまでの工学で考えてきた技術とは違います。
 こう見てくるとどうしても、まず「最先端生命科学」に眼を向け、それを踏まえて「最先端生命科学技術」を考えなければならず、それなしにこの名目で大きな予算を動かすのは違うのではないかという疑問が出てきます。もちろんすべてがわかってからしか技術が生れないということではありません。しかし、基本に最先端科学を置いたうえで、今生命科学技術があるとすればそれは何かと考えなければ、成果はあがらないでしょう。費用対効果という言葉をあえて使うなら、これがとても小さいだろうと思うのです。
 多様性という言葉は、COP10との関係で言われていること以上に本質的なこととして、生命科学研究の中で考えなければならないと思います。



 【中村桂子】


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