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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【生命を基本に・・・生命誌の原点を確認しました】

2011.2.15 

中村桂子館長
 いくつになっても新しい出会いはありがたいものです。昨年、「地球システム・倫理学会」という難しい会合に呼ばれ生命誌の話をしたところ、強い関心を持たれ、BRHを訪ねて下さった服部英二さん。今年度からその学会の会長さんです。長い間ユネスコでお仕事をなさり、パリ生活が身についたすてきな紳士です。服部さんが、京大での修士論文で取り上げられたガブリエル・マルセルの著書「存在と所有(Etre et Avoir)」について話して下さいました。私があること(to be)と持つこと(to have)の関係は反比例するというのです。今私たちは、科学革命から産業革命へと展開した社会で生きているわけですが、それはデカルトやベーコンが生み出した「人は自然の主であり所有者である」という自然認識を基本にしています。つまり、それまでは自分があることそのものが大切だったのに、持つことが大事になり、たくさん持っている人がすばらしいということになったのです。その結果人間は、進歩という名のもとに、本来仲間である地球上の生きものたちに勝手なことをしてきました。服部さんはさらに、アーノルド・トインビーが「人類は母なる大地を殺すのであろうか?もし、仮に母なる大地の子である人類が母を殺すなら、それ以後生き残ることはないであろう」と言っているとおっしゃいました。それがどのような文脈の中で語られたのか読んでみなければなりませんが、トインビーは1975年に亡くなっていますから、それ以前に語られたことは確かです。1971年に江上不二夫先生が生命科学を始められた時も、これと同じ認識があったことを思い出します。半世紀前すでに「所有」に偏ったために起きている問題点は指摘されていたのです。でもその後「所有」は物からお金へと移り、欲望は抑制されるどころか加速されています。デカルト、ベーコンを生んだヨーロッパの中で見直しが起きていることが重要です。本来自然の主という意識は少なかったはずの日本が土地に高値をつけて自分の首を締めていることなど考え直さなければいけないでしょう。ここから抜け出し、「生命を基本に考える」社会に向けて協力しましょうというところで意見が一致。これからもたくさんのことを教えていただけそうで楽しみです。

 【中村桂子】


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