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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【考えること、想像することが足りないのでは】

2011.6.1 

中村桂子館長
 「遊ぶ」について語るお約束でしたが、原発事故が頭の上に覆い被さっていて憂うつなので、まずその整理をさせて下さい。
 科学技術立国という言葉で何でも片つけられ、科学技術政策の妥当性や実効性などがていねいに検討されることなく動いていることに疑問を抱いてきましたが、事故という緊急の場でその問題点がそのまま出てしまったように思います。たとえ原因が想定外であったとしても、起きた事柄には適確な現状把握と判断、最高の対処をし、被害を抑えることが求められます。それには、柔軟な判断のできる人、全体がスムーズに動く体制、高度の技術が必要で、日常から考え抜き、想像をはたらかせる習慣がついていなければなりません。今回の事故への対応を見ると、それがまったくできておらず、これでは科学技術立国とは言えません。欧米からデータとそれに基づく科学的思考がなされた情報が出されているので、その差がとても気になります。ここで、原子力発電と東電を悪者にするだけで、本質を見ないまま終わったら、また同じことがくり返されるでしょう。ここから何も学ばなかったことになります。もっと考え、議論する日常が必要です。
 サイエンス・コミュニケーションという言葉も同じです。最近盛んに使われますが、実際は科学技術立国を支える予算獲得のための広報です。まず科学・科学技術に携わっている人が、科学の本質を考え、狭い専門知識でないリテラシーを身につけることが必要なのに、それは脇に置き、市民へのリテラシーと言って外へ向けての発信が強調されました。今回の事故で、当事者の中であらゆるレベルのコミュニケーションがとれていない状況が見えてきました。外にいる者に何も知らされなかったのはもちろん、内部でも必要な時に必要なことが伝わっていなかったように思います。個別の知識でなく、全体を見る能力が本当のリテラシーであり、それがあって初めて判断や対話ができるわけです。最近は、原子力発電は危険だ、自然エネルギーがすばらしいという声が大きくなっています。その動きは大事ですが、また全体を考えず走ることになりそうで気になります。科学技術の進め方が、人間を大切にせず、歪んだ成果主義であったことを見直し、どんな社会にするかを明確にすることが必要です。
 固い話になりましたが、これがすまなければ落ち着かないものですから。

 【中村桂子】


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