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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【宮沢賢治と吉本隆明】

2012年11月1日

中村桂子

このところまた宮沢賢治を読んでいます。と言っても生命誌のこれからを考えるためなので、自然から科学の方向へ向いている作品を読むことになってしまい、宗教という恐らく賢治を考える時にはとても重要なところは通り過ぎているので、ちゃんと読んでいることにはならないのですが。

そんなことで宮沢賢治という文字にちょっと敏感になっていたら吉本隆明の遺作!として「宮沢賢治の世界」が出ました。吉本隆明という名前は一応、ばななさんのお父様としてだけでなく存じあげています。先日亡くなった時は大勢の方が追悼文で、大きな影響を受けたと書いていましたので、オピニオンリーダーでいらしたことを実感します。でも白状するなら関心を持たずにきました。でも、宮沢賢治となると、ちょっと読んでみたくなりました。

“「自分もこの人とおなじような人になれるんじゃないか」ということがぼくの青春時代の夢でもありました。・・・けれど、宮沢賢治って人は、とんでもない人で、なんといいますか格違いで、こんな人にぼくもなれるとおもったこと自体がお話にならない、馬鹿げた青春のいたずらだっておもっています。”

すごい思い入れですね。賢治が「ほんとうの考えとうその考え」についてとことん考えているという指摘が面白いと思いました。ほんとうとうそを分けるには、そのための装置を開発するか、ものすごく勉強して自分自身が区別用の装置になるかの二つしかなく、これはどちらもできません。そういう問題を一生を棒に振ってまで追い詰めたのが賢治だと言うのです。ぼくらは、ときどき休んだり遊んだりして、おもい出してはまたそこにいってというような追いつめ方でいいかげんなのに、賢治は追いつめ続けたというのです。でも、彼の追いつめ方ではダメで、われわれがそれをやって行かなければいけないと書いてあります。でも、どんなやり方ならできるのかは書いてありません。書かないまま亡くなってしまったのですから私たちに渡されたことになりますね。賢治には“ほんとう”という言葉がほんとうによく出てきます。それを見て“ほんとう”って何かと考えるとよくわからなくなります。でも“ほんとう”を追うことはしたいと思います。もちろん私の場合、吉本隆明以上に、休んだり遊んだりしながらのいいかげんな追い方ですけれど。

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