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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【言葉を考えています】

2014年1月15日

中村桂子

多言語活動で知られている榊原陽さんの書かれたものを読んで考えさせられたことがあります。榊原さんは、ヒトという生物が言葉をもつようになった基本を問うています。数千もの異なる言語があるけれどそこには共通性があるはずである、ではそれはどんな法則か、私たちはどのようにして言語を習得するのかなどと考えているうちにあることに気づきました。「赤ちゃんはみな言葉が話せるようになる」、しかも「営々努力しているようには見えない」ということです。言われてみればあたりまえ、でも何でもあたりまえが大事とは生命誌を考えているうちに思うようになりました。

大人の話す言葉の海の中にいるうちに話せるようになる赤ちゃんに習い、大人も言葉の海の中にいればよいのではないか、そう考えて英語のテープを流す活動を始めたのです。けれどもあまりうまく行きません。そこで、そこにスペイン語を加えたところ、英語が口から出てくるようになったとのことです。ここで、日本語と英語だけの二言語環境は、お前はどちらの人間かと問われる言語空間ではないかと分析します。二つの言語が共存でなく対立しているらしいのです。ところが、多言語になるとすべてが言葉としてあるようになるようだ、そこで多言語活動になるわけです。

ここから私たちのことになります。今グローバル社会と言われ、日本でも会社や研究所で英語を使うところが増えています。とくに研究の場合、論文は英語で書きますし、会議や学会も英語が多くなっています。そこで日常も英語がよいかとなると・・・多言語ならよいのだけれど二つの言語だと対立するということですから、少なくともここでは英語思考になるのでしょう。自然・生命を基本に考えて行こうとしているうちに、やまとことばが大事だと思うようになった「生命誌」は、普遍性を持ちながらも、日本を生かしているところに特徴があります(先回の日本人であることとつながります)。世界中の誰にもわかる普遍性を持つことは重要ですが、発想には日本の自然や文化が大事だと思っています。研究者社会が短期間での競争だけになっているのは今後の発展にとってよいとは思えない中、職場を英語にすることが進んでいるという流れにはちょっと一呼吸置きたい気持です。多言語とは程遠い日本ですから、英語発想になって、新自由主義こそすばらしいとならないようにしなければなりません。言葉と自然や文化との関わりについては、季刊生命誌の20周年記念号で山口仲美さんと話し合いました。2月末にはWebに出ると思いますのでお読みになって下さい。

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