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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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スミレも時には

2016年1月15日

私が知りたいのは「生きているってどういうこと」です。なんとも単純な問いですが、世界中の本を読み尽くしても答はないだろうと思う問いでもあります。ですから考えるしかありません。そんなことして何の役に立つの?と聞かれたら答えはないのですが、考えるしかないと思っています。

数学者の岡潔が、「私は数学なんかして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうとスミレのあずかり知らないことだと答えてきた」と書いています。もっともその後に「近ごろのこのくにのありさまがひどく心配になって、とうてい話しかけずにはいられなくなった」として「人生」について語っているのです(「春宵十話」)。世界的数学者と並べるのはおこがましいのですが、同じ気持です。我がままかもしれないけれど、基本は自分が大事と思うことを進める。でも生活者としてせずにはいられないこともあるというわけです。

ところで「春宵十話」が出されたのは1963年です。「このくにのありさま」は、いわゆる「60年安保」の国会前の学生デモで死者を出すなど、騒然としていた時です。ただ私は、1959年の卒業、この時は大学院生になったばかりで、自分の気持としても、周囲の雰囲気も、学問への集中が最も大事だったことを思い出します。学部学生だったら、いくらノンポリと言えども何かせずにはいられなかったと思うのですが。研究とはそういうものとされていた時代です。現在は、社会との関わりが重要という考え方になってきましたが、それは役に立つかという接点だけです。研究者のありようとして好ましいものではありません。

「春宵十話」から半世紀以上たっていますが、基本は同じです。現在の「このくにのありさま」にきちんと眼を向けながら、スミレであろうと思うのです。

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