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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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人間の条件(緊急企画)

2015年5月1日

このホームページで紹介してきた進化研究は、最新の面白い論文を取り上げて紹介するジャーナルクラブのスタイルは取っていない。進化研究にとって重要な課題を取り上げ、それに関係する最新の論文を紹介することを原則としている。ただ特定の問題について突然多くの論文が発表されるということがよくある。特に今年の3月人間とサルの脳構造の違いを決めるゲノムやエピゲノムに関する論文が続いた。(JL Boyd et al, Current Biology 25:772,2015, SK Reilly et al, Science347:1155, 2015, M Florio et al, Science 347, 1465, 2015)ダーウィンの時代から、進化といえば「私たちの先祖はサルか?」という問いと重ね合わせて議論されてきたことを考えると、緊急企画としてこの方向の研究を紹介しておくのも重要ではないかと考え、もっとも面白いとおもった一つの論文を紹介することにした。

ヒトゲノムの全遺伝子配列決が発表されてから5年後、チンパンジーゲノムが解読された。その後ゴリラ、ボノボ、オランウータンと全ての類人猿のゲノムの解読が終わった。これらゲノム研究の最大の目的は、人間とサルの違いを生み出す遺伝子の差、すなわち人間の条件を特定することだ。チンパンジー・ゲノム解読の記者会見ではヒトとの差が「1.5%しかない」と、違いが少ないことが強調されていた。アカゲザルとヒトが6.5%違っているのと比べると確かに差がないと言えるのだが、研究する側から見れば、「1.5%も差がある」というのが正直な気持ちだろう。おそらくこの差は雲をつかむほど大きいはずだ。では研究者たちは、この大きな違いの中から重要な人間の条件をどのように見つけようとしているのだろう。

ヒトとチンパンジーは500万年から1千万年前に分離したと考えられており、この差をゲノムレベルでさらに縮めるためにはチンパンジーとヒトの中間に存在する種のゲノム情報が必要だ。幸いここでも紹介したように(第15−17話)、ドイツマックスプランク研究所Pääboさんたちにより、50万年前に私たちの先祖と分離したネアンデルタール人や、デニソーバ人の全ゲノム配列が解読された。さらに古い原人についても、全ゲノムレベルの解析は難しいにしても、特定の遺伝子の配列であれば今後利用できるのではないだろうか。いずれにせよ、ネアンデルタール、デニソーバ人の全ゲノム解読のおかげで、類人猿vsヒト科、ネアンデルタールvsヒトといった比較を行い、人間特異的遺伝子をより精度高く特定することが可能になった。なかでも、ヒトの進化で起こりやすい遺伝子重複をへて新しく獲得されたヒト特異的遺伝子を中心にゲノムレベルで人間の条件についてのリスト作りが進んでいる。

もちろんゲノムの比較からヒト特異的遺伝子のリストを作成できても、実際その遺伝子がヒト進化の条件かどうか決めるのは難しい。このためには、それぞれの遺伝子の発現や機能について調べることが必要だが、材料の手に入りやすいゲノム研究と異なり、一番の難関は調べたい人間の臓器や組織を手に入れることだ。幸いヒトの脳については利用可能なデータベースが急速に整備されている。例えばビル・ゲーツとともにMicrosoftを創始したポール・アレンが設立したアレン研究所のデータベースには、ヒト、類人猿、マウスの脳各領域の遺伝子発現や結合性についてのデータが集められ公開されている(http://www.brain-map.org/)。また国によって大きな差はあるが、胎児を含む様々なステージの脳組織を研究に利用するための仕組みが整備されつつある。これらの努力の結果、今や特定の分子がヒトの脳のいつどこで発現しているか調べることができるようになった。

人間の条件を決めるための最後のハードルが、リストされてきた遺伝子の機能解析と、進化への寄与の特定だろう。人間特異的遺伝子が見つかった場合、機能を調べるために現在取り得る方法は、その遺伝子の発現量を変化させた細胞を用いた解析や、その遺伝子をマウス個体で発現させた時何が起こるかの解析が中心になっている。ただ、現在CRISPR-Cas9システムを用いた遺伝子編集技術が急速に進展している。この技術を用いると、今まで困難だったサルや類人猿の遺伝子編集が可能になった。これまでリストされたヒト特異的遺伝子を導入したサルや類人猿が誕生するのは時間の問題だろう。

他にも細胞レベルと個体レベルの差を埋める方法として、iPSも利用可能だ。特に脳機能の異常をきたす突然変異がリストされたヒト特異的遺伝子の中に見つかるなら、その患者さんからiPSを作成し、個体レベルの異常と細胞レベルの異常を相関させることが可能になるだろう。こう見てくると、20世紀と比べて多くのツールが揃ってきた。このおかげで人間の条件のような大問題にもなんとか迫れるのではという前向きの気持ちが広がっているように感じる。(図1は、人間の条件解明に向けてどのような研究が行われているのかを図示した。)


図1 サルからヒトの進化の研究。説明は本文。

そんな時、3月27日発行のScience誌にドレスデンのマックスプランク研究所から図1で示した研究を代表するような、ヒトの脳特異的遺伝子ARHGAP11Bについての論文が報告された。この研究のプロトコルを図2に示す。

図2 M Florio et al, Science 347, 1465, 2015論文のプロトコル。詳しくは本文参照。

まず発生過程の胎児から大脳新皮質各層に存在している細胞を別々に取り出し、それぞれの細胞が発現している遺伝子を調べる。この研究では、radial glia細胞に着目して、この細胞に特異的に発現する遺伝子をヒトとマウスで比べている。この細胞に注目したのは、この多能性の幹細胞の分裂回数が新皮質の細胞の数を決めているからで、この細胞特異的に発現する分子の中にヒトにしか見つからない分子があれば、ヒトへの進化過程で起こった新皮質の拡大に関わる遺伝子である可能性がある。この仮説に基づいて遺伝子を絞り込んで、radial glia特異的な発現が見られ、ヒトに存在するがマウスには存在しない遺伝子の中から、類人猿にも存在しない遺伝子を探していくと、ネアンデルタール人、デニソーバ人にも存在するヒト科特異的遺伝子ARHGAP11Bが発見された。

サルからヒトへの過程で起こったこの遺伝子の進化を調べると、ヒトとチンパンジーの分離後、1023アミノ酸をコードするARHGAP11A遺伝子のN末端250アミノ酸に相当する部分がまず重複し、これに47アミノ酸が付け加わったARHGAP11Bができたことがわかる。この分子の機能解析はまだ終わっていないが、ARHGAP11Aが持つGTPase活性化(GAP)機能は失っており、逆に正常GAPタンパクと結合してその機能を抑制する活性もないことが確認されている。即ち、完全に新たな機能を持った分子が誕生したと考えられる。

次に発現を調べてみると、ARHGAP11AもARHGAP11Bも期待通り発達中のradial gliaで強く発現が見られ、radial glia細胞の活性を調節している可能性が高い。

最後に機能解析だが、この研究ではARHGAP11Aは発現しているがARHGAP11B遺伝子を持たないマウス脳にこの分子を強制発現させ、細胞レベル、組織レベルで変化を調べている。期待通りと言っていいだろう、この遺伝子を新たに発現させると、脳室下部領域に存在する神経前駆細胞が選択的に増えている。今度は、脳をスライスして個々の細胞にARHGAP11Bを注入して経過を追うと、この分子が発現すると脳の基底部の上皮細胞から離れやすくなり、その結果分化細胞が減り、未熟細胞が増える。これが皮質の細胞数が増えるメカニズムのようだ。そして驚いたことに、もともとシワが存在しないマウス脳にシワが現れる。驚きの結果だ。

ではARHGAP11Bは人間の条件だろうか。もちろん、ARHGAP11Bの正確な機能がわからない限り、なぜのっぺりとしたマウス脳がこの分子を発現すると、シワができ、細胞数が上昇するかを完全に説明することは難しい。この遺伝子が人間の条件であることを示すためには、この分子の機能が欠損したヒトの突然変異が見つかることが重要だろう。一方、CRISPR技術を使って、この遺伝子を持つ類人猿も作られるだろう。この順遺伝学と逆遺伝学が出会う時、私たちはようやく人間の条件の尻尾をつかむことができるかもしれない。

最後にこの論文に関連して次の2点を付け加えておこう。ARHGAP11BはGAP活性を失った分子だが、他にも同じファミリーに属するGAP分子が人特異的遺伝子として報告されていることだ(Ce´cile Charrier et al, Cell 149:923, 2012)。しかもヒト特異的遺伝子が祖先GAP遺伝子のN末半分がヒトだけで重複して出来ている点もよく似ている。このSRGAPB,SRGAPCは、祖先遺伝子の機能阻害分子とて働き、神経軸索から突出する棘突起の生成に関わることがこの論文で明らかにされた。このように、GAP分子をコードする遺伝子の重複はヒトの進化で何回も起こっているようで面白い。GAPは細胞の動きや形を調節していることから、その変化は脳構造の変化に直結できる。今後の研究に目が離せない分子だ。

もう一点は、たんぱく質に翻訳されない遺伝子調節領域にこそ、人間の条件が表現されていると考える、転写調節領域やエピジェネティック制御についてヒトと猿の差を明らかにする研究が進んでいることだ。最近この方向の研究がCurrent Biologyに発表された。(JL Boyd et al, Current Biology 25:772,2015,)この研究では、FZD8と呼ばれる脳細胞の増殖に関わる遺伝子の上流に存在するヒトに存在してチンパンジーにはない領域を特定し、マウスにこの人特異的領域で調節されるFDZ8遺伝子を導入すると、皮質の幹細胞の増殖が上昇することを示している。結果は、先に紹介した論文に似ている。とすると、脳細胞を増やすだけでも様々な戦略が使われているようだ。

今日紹介したように、「種の起源」が発表された時から重要課題だったサルから人間への進化についての研究は、ゲノム解読により大きく進展することができた。不十分とはいえ特定の人特異的遺伝子の発現と機能について調べる方法が揃ってきた。これからが最もエキサイティングな分野になるように思う。

[ 西川 伸一 ]

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