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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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言語の起源 I

2017年6月1日

今回から言語の起源と進化について見ていこうと思っている。おそらくこのコーナーを読んでいただいている読者の多くの方は、「え!言語の起源」と驚かれるのではと思う。

「進化研究を覗く」というタイトルを見て生物進化について知りたいとこのコーナーを訪れていただいている読者のほとんどは、純粋生物学分野の人たちのはずだ。ところが神経系の進化についての話が終わった頃から、「意識、自己」と、話が進化研究から脱線を始め、フロイトの話まで進んでしまった。もうたくさんと密かに思いながら、ここまで付き合ってきていただいたのではと本当に感謝している。それでも、私の専門とは全く異なる言語まで進まないことには「進化研究を覗く」は完成しないと思っている。というのも、言語もまた38億年生命進化の結果だからだ。

一見進化とは無関係な話がなぜ延々続くことになったのか振り返ってみると、進化を「環境によるゲノム情報の選択」ではなく、「環境による統合された生物情報の選択」として捉えるために、生物個体に集合している情報を一つ一つ検討し始めたことに始まっている(図1)。


図1:人間には様々な情報がかたまって存在している。説明文中

進化を環境と生物情報全体の相互作用として捉えることの重要性は、動物進化を考えるとよくわかる。例えば神経記憶という情報がゲノム情報に加わると、環境が大きく変化して個体の適応性が低下しても、生存にかなった場所を見つけて生き延びることができる。すなわち、ゲノムに直接選択圧力がかかるのを、他の情報で防ぐことができる。隕石の衝突のようなビッグインパクトを除けば、この戦略は種の多様化に大きく貢献している。従って、閉じられた試験管内の大腸菌の進化で見られるルールを、自由に動くことが可能な動物に当てはめることはできない。

こう考えて、ゲノム、エピゲノム、神経回路などを、生物個体に集合している情報という観点からひとつひとつ検討してきた。地球上に存在する全ての生物情報媒体が集まっているのは図1に示したように人間だけだが、ゲノム、エピゲノム、神経回路は生物進化の異なる時期に現れ、その最後に人間だけに言語が発生している。そして、その都度生物多様性は急速に増大している。おさらいの意味で、もう一度これらの情報としての特徴を説明しよう(図1)。

生命誕生前の地球は完全に物理学の法則だけに支配され、情報として認められる因果性は存在しなかった。そこに生命誕生と並行して地球上最初の情報、すなわち塩基配列をコードとして用いたゲノム情報が誕生する。最初は機能を持つ高分子として現れたRNA(or DNA)が、たまたま4種類の塩基でできていたため、記号性を持つことになり、最終的に生命の情報媒体へと発展することになる。またこのおかげで複製が可能になり、情報の指示による化学反応の制御が可能になった。おそらく、ゲノム情報誕生が先で、そのあと現在のような生物が誕生したと思われるが、ゲノム情報は「非物理的因果性」として物理化学的因果性と合わさって、それ以前にはなかった生物という新しい因果システムが地球上に誕生し、生命の進化が始まった。

最初生物にはゲノムしか情報媒体は存在せず、当然進化は、核酸が本来持つ傾向からうまれる多様性を、環境が選択するという単純な図式の下で進む。組み替えによるゲノム情報の直接交換も行われることはあるが、原則として同じ情報が同時に個体間で共有されることはなく、環境にフィットした個体が選ばれ、子孫を残すことで進化が進む。

個体間で外界に関する解釈を共有できないというゲノム情報の難点は、クロマチン構造の調節を介して遺伝子のon/offを調節する機構、エピジェネティックス機構が誕生することで解決される(例えば温度の違いによりクロマチン構造は書き換えられる)。この機構は最初、情報が複雑化し大きくなったDNAをコンパクトにまとめるために発達したと考えられる。その後このクロマチン構造に関わる分子を遺伝子on/offを指令する情報として利用し、細胞分裂を繰り返してもそれを維持できるエピジェネティック機構が誕生すると、環境の状態を特定のクロマチン情報に転換して記憶し、異なる細胞同士で外界の刺激について同じ解釈を共有し対応することが可能になった。

具体的には、例えば環境により同じクロマチン構造の変化が異なる個体に誘導されることで、環境変化に合わせて遺伝子発現を変えることが可能になり、ゲノムの違いに影響されずに、個体を様々な環境で維持することができるようになった。この様々な環境に個体として適応できる能力により、さらに生物の多様化が可能になる。こうして生まれた同じクロマチン構造を共有するという特徴は、ゲノムは変化しないまま細胞が分化することを可能にし、生殖細胞と体細胞が区別される多細胞体制が可能になり、生命がさらに多様化する原動力になった。

しかし完全な情報という観点から見るとエピゲノムにはいくつかの問題がある。例えば、クロマチン構造による環境の解釈は、個体間・細胞間で共有できても、原則として子孫には伝わらない。すなわち、環境への対応は、個体が生きている時一回きりになる。また、ヒストンなどの分子の化学的変化に基づく反応は早くない。そしてなによりも、この情報はゲノムの存在が必須で、副次的な情報でしかない。

このエピゲノムが持つ情報としての独立性の欠陥を解決したのが、次に誕生した新しい情報媒体、神経ネットワークだ。もちろん個々の神経細胞自体には情報媒体としての機能はない。原始的な神経に見られる様に、感覚器がそのままシグナルを運動器に伝える様な構造では、外界の記憶が発生したとしても、それは全て神経細胞自体のクロマチン構造の変化が直接反映されたものだ。しかし、いったん神経細胞同士が結合してネットワークを形成すると、細胞自体の変化を超える、回路の構造が媒体となる情報が発生する。すなわちネットワーク結合のパターンと、ネットワークを構成する個々の神経細胞の特性の変化が統合された、DNAからは完全に独立した情報媒体が成立する。

この結果、外界の変化に迅速に反応するとともに、外界の変化を記憶したり、その変化に応じて行動を起こすことが可能になった。また、神経細胞興奮という同じ原理の上に形成される回路自体を複雑化することができるため、感覚、運動、記憶などのそれぞれの回路を複雑に連結することで、厖大な外界からの刺激の中から一部のみを選択するための基準、すなわち身体とは独立した神経回路の自己を形成し、また内外からの刺激を取り込んで、この神経回路の自己を常にアップデートすることが可能になり、さらにこの自己を基準として厖大な外界の刺激の中から重要なシグナルだけを選んで神経ネットワークの自己を書き換える過程、すなわち意識を生み出すことに成功した。

この神経ネットワークの機能について、道で知り合いに出会って、挨拶を交わすという行動を例に考えてみよう。人と出会うと、視覚、聴覚、あるいは嗅覚から特定の刺激を受けることになる。刺激自体は物理量の変化だが、全て神経ネットワークに転換した上で処理されるため、まず感覚神経の興奮へと転換され、神経ネットワークに入ってくる。刺激が神経回路上に表象される過程で、物理化学的刺激は完全にシンボル化された情報になる。この内外の刺激により誘導された興奮は、すでに形成されているその時点の神経ネットワーク(=神経ネットワークの自己)を基準に選ばれ、この選択フィルターをパスした興奮だけが、その個体の既存の神経ネットワークと相互作用を始める。フィルタリングされる段階で、視覚、聴覚、嗅覚などの入り口の異なる情報が統合されるが、人に出会うセッティングでは、入力刺激の統合過程で形とや色が備わった顔のイメージが形成され、場合によっては音や匂いが統合される。こうしてできたイメージは、次にネットワークの自己を形成する様々なサブネットワークと結合することで、刺激の内容が特定されると同時に新しいイメージに発展する。このイメージに基づいて、挨拶を行うという選択が行われ「○○さんご無沙汰しています。××大学での実験はうまくいっていますか」と実際に挨拶することになる。

もちろん神経ネットワークの形成や活動は、ゲノムやエピゲノムの支配を受けているが、基本的には神経興奮という同じ原理を共有する神経細胞のネットワークに表象され、様々なネットワークを自由に重ねたり、連結することで、独自の情報を形成していくのが神経ネットワークの特徴だ。情報としての特徴を見ると、個体レベルで環境変化に対する反応を起こせるエピゲノム情報と比べても、外界の変化に対する反応は極めて早い。もちろん外界についての解釈を、他の個体と同時に共有することも可能だ。しかし、こうして生まれた回路パターンや活性は、まだその個体一回きりで、世代を超えて子孫に伝えることは難しい。

迅速に情報を処理できる神経ネットワークの進化へのインパクトは大きい。例えば急に襲ってきた様々な変化に対して、迅速に対応し、過去の記憶もたどりながら広い範囲を移動して新しい生存環境を探す可能性が生まれ、より広い環境の変化に集団で対応することが可能になった。


図2:環境が限られると、自然選択によって生物多様性は減じると考えられる(上段)。しかし、自分のゲノムにフィットする新しい環境を求めて移動できれば、当然個体の多様化に応じて種も多様化できる(下段)。

図2に示す様に、ダーウィン進化論では多様化した個体の中で、環境に最もフィットする個体が子孫を残すと考えるが、このままでは集団内の多様性は減少する(オレンジ色ばかりになる)。例えば中立説では、この問題を選ばれた個体のゲノムのほとんどは選択に貢献せず、そのまま多様性として維持されると考えることで、自然選択により多様性が増大することを説明していた。エピゲノム機構がこれに加わると、個体レベルでの適応が起こり、ゲノムに対して直接の選択圧が加わることを軽減することができるようになるが、結果的には中立説の考えの少し異なるバージョンといってもいいかもしれない。いずれにせよ、中立変異やエピゲノムの効果が合わさり、ゲノムの多様性を維持したまま個体数が維持され、集団内のゲノム多様性は自然選択で減少することはない。

この上に神経ネットワークが誕生すると(文字通りの動物の誕生)、ゲノムから独立した情報に基づいて個体自体が、自分にフィットした環境へと移動することで、種の多様性を増大させることができる様になった(図2下段)。このように、エピゲノムや、神経情報も統合された生命情報全体と環境との相互作用を考えることが進化を考える上でいかに重要かを再確認いただけただろうか。

しかし図1に示した様に、エピゲノムも神経情報も身体から独立していない、その個体一回限りの情報だ。このため、極めて稀な例を除いて、その情報が子孫に伝わることはない。この限界を初めて破った生物情報が言語だ。この情報の誕生が、進化にどれほどの影響を及ぼしたのかは、現在100億人を越す人間が、地球上の隅々に生きていることを見るだけで理解できると思う。すなわち、科学をはじめこの人間の発展を支えた人間にしか存在しない高次機能は全て言語誕生から始まっていると言っていい。情報としてみると、同時代の個体と同じ情報を共有し、さらに一部を子孫に伝えることができる点が大きな変化だったと言える。

この様に進化研究を知るためには、他の動物とは際立って異なる人間の進化を抜きに終わることはできない。したがって「進化研究を覗く」も、図1に示した様に、この人間特有の進化の原動力となった身体から独立した情報、言語・文字・バーチャルメディアにいたるまで、その誕生と、生物進化へのインパクトについて考えるつもりにしている。しかし、ゲノム誕生、エピゲノム誕生、神経ネットワーク誕生と比べると、この作業はさらに困難であることは書いている私にもよくわかる。

というのも、これまで見てきた新しい情報の誕生は、少なくともそれに対応する物理化学的過程を構想することができた。例えば、RNAワールドで、偶然塩基配列がインデックス情報となり、最後にアミノ酸と結びついてシンボル情報になるといった過程だ。もちろん全ての過程を完全に解明できているわけではないが、エピゲノムも、神経ネットワークもそれが生命情報に統合される過程をなんとか説明できた。


図3:言語情報の生物学的研究の困難

一方言語誕生は神経ネットワークの活動から生まれたもので、それに対応する物理学的過程自体も神経回路へとシンボル化しているため、物質的痕跡が全く存在しない。このことを図3に示した。繰り返すが、言語のコンテンツとなる様々な情報は、物理化学的に記述される現象に対応していても、言語として表現されるまでに、一度ニューラルネットに転換され表象されるため、シンボル化されている。この特定の内容が表象されたニューラルネットを複数の個体が共有することができると、今度はそれが再度シンボル化され、言語ができる。このように、シンボルの体系から新たなシンボルの体系が生まれることが言語の生物学的研究の最大の困難で、私自身も言語の起源について説得力のあるアイデアがあるわけではない。

結局思いつくまま、言語誕生に関わる様々な研究を紹介することになると思うが、今後も是非お付き合いいただきたい。

追記

言語もそうだが、生命誕生など、私が一方的に書いたことがわかりにくいという批判を聞くことがある。そこでまず、「無生物から生物誕生」について、希望者を募って夏休み1−2日集中講義をしながら、みなさんの疑問に答えてみたいと思っている。参加希望者の応募方法も含めて企画の詳細は、ホームページに掲載する予定なのでそれを参考にしてほしい。

[ 西川 伸一 ]

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