赤ひげ

「人間とは何か」が、若いころからの私のテーマだったように思う。人間が頭で考えて純粋に突き詰めていくと、それが自然の法則に合致する。なぜなのだろう。その理由を追い求め続けて、いつのまにか50年以上がたってしまった。医系の大学を選んだのは安定な職につけるということもあったが、人間とは何かを探求できると考えたからだった。今から考えると、前者は両親に対する言い訳で、本心は後者だったような気がする。

インターンが終わると、四国の過疎地の診療所で先輩の手伝いをした。当時は珍しかったオートバイを乗り回し、山を越え、吊橋を渡って往診に行く。まさしく赤ひげか裸足の医者の生活だった。1ヵ月半の約束だったが、非常に気に入られて正式に来てくれと言われた。人々の役に立つ、というのは本当にすばらしいことだと思った。客観的な適性は、そのような医者だったかもしれない。しかし、いったん大学に戻って研究会に出てみると、まったく違う振幅で心が大きく揺れた。研究が自分の天職なのだ・・・。そう強く思い、田中秋三教授の門をたたいた。病理学は病気の成り立ちを理論的に調べていく学問なのだが、そのためには何が人間の正常状態なのかを深く知っていなければならない。つまり、人間とは何か?という私のテーマに深くつながるのだ。教室ではまもなく先輩が留学し、教授の手足となって動けるのは私一人となった。診断から解剖まで、日曜日も正月もなく働き、実際にさまざまな症例に触れることができた。

学生時代。臨床医学に興味を抱き、同時に哲学書を読み耽った。写真は戦災で焼失した自宅跡。家族は簡単な家を建てて住んでいた。着物も譲り受けたもの。家ではほとんど着物で通した。

京都府立医科大学病理学教室助手時代

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バーデュー大学滞在時。前列中央が藤田博士。博士から右へ3人目の後ろは、ショウジョウバエの神経の研究で知られるシーモア・ベンザー教授。矢印は2人の研究室のテクニシャンだったマリー・ルー・バーデュー。彼女は現在MIT教授、細胞内の遺伝子が発現しているかどうかを調べる技術(in situ hybridization)を世界に先駆けて開発したことで知られる。

細胞のエレベーター運動

病理学教室に入って遭遇した解剖のなかに、2歳6ヶ月の子供の脳腫瘍があった。脳腫瘍は脳外に浸潤することはないはずなのに、その子の場合は常識を破って、骨に深く浸潤している。すぐ、これは大変不思議な脳腫瘍だということが分かった。脳を細かく切り、断片を組み合わせて三次元に詳しく見ていった。非常に珍しい症例として1926年にベイリーとクッシングによって理論的に予言されていた「髄上皮腫」という腫瘍そっくりである。

脊椎動物の発生の初期には、チューブ状の「神経管」が現れ、細胞分裂を繰り返すことで脳を形成する。その上皮組織には丸い細胞と細長い細胞が区別できるので、ニューロンとグリアを作るべく運命づけられた別々の細胞だと、そのころまで考えられていた。「髄上皮腫」と名づけるためには、その全部が1種類の細胞のシートであると考えなければならず、常識に反するとして、その後こうした腫瘍の存在は否定されていた。しかし、私が見ている腫瘍はどう見てもそれとしか思えない。定説に異を唱えることになるが、正常な神経系の発生を原点に返って詳しく見ることにした。

人間の胎児で調べると、分裂している細胞と伸びている細胞の間に中間のゾーンがあるのがはっきり見てとれた。ひょっとして下の細胞が上がってきて、上の細胞になり、分裂して娘細胞になって降りていくのではないだろうか――と天から降ってきたように思いついた。つまり、丸型と細長型の2種類あるように見える細胞は、じつはエレベーターのような運動をする1種類の細胞の形の変化にすぎないのではないか――そう考えたのだ。尊敬していた京都大学の天野重安先生に話すと、否定はされなかったが「泥の中から出てきて息をするドジョウみたいなものだな」と言われた。後に、発生学の大家であるポール・ワイスやハンバーガー(ともにアメリカ)に会って話したときも、「細胞はそんなアクロバティックスをするものではない」とにべもなく否定されたほど、常識破りの考えだった。しかし、私はなんと言われようと、宇宙の原則にかなっていると思い続けていた。

1958年、日本人の論文はほとんど載ったことがなかった『ネイチャー』に書き送った。イギリスからの返信はすべて船便。ようやく論文はアクセプトされたが、当時日本からの送金はできない時代である。万国切手兌換券を送ったものの、金額が足りないとまた船便で送り返されてくる。現地の人に頼んで送金してもらい、ようやく掲載されたときには2年が経過していた。

ニワトリ胚の発生初期の神経管(走査電子顕微鏡写真)。放射状に並んで神経管の壁を作っているのがマトリックス細胞。

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藤田説によるマトリックス細胞のエレベーター運動の模式図。
マトリックス細胞の細胞体(突起を除いた核を含む本体の部分)は、DNAを合成しているとき(S期)には神経管の外側近くにいるが、細胞分裂をするとき(M期)には内側に移動する。分裂が終わるとまた外側に移動し、再びDNAを合成する。藤田博士は、この周期的な動きをエレベーター運動と呼んだ(楕円形が細胞体。糸状部分が突起。G1=DNA合成準備期。G2=分裂準備期)。

マトリックス細胞と名づける

予想どおり、と言うべきか、この考えは「ありえない」と大変な反発を受けた。しかし、幸運なことにこのころ、細胞内におけるDNAの複製を確認するトリチウムチミジンがアメリカで初めて合成された。さっそくアメリカ留学中の教室の竹岡成講師(当時)に頼んで送ってもらい、ニワトリ胚で神経系が形成されるころにこれを投与し、オートラジオグラフをとってみた。細胞の核が下にあるときに核内DNAが合成され、それが上に上がって分裂するという、頭に描いていた図式が、顕微鏡下でまさに予想どおりに現れた。トリチウムチミジンの黒い点が、時間ごとにきれいに層をなして上がっていくのが観察されたのである。すべての細胞でDNAが合成されていることがわかり、細胞の種類は1種類であることも証明することができた。この細胞に、ニューロンにもグリアにも分化する母細胞という意味でマトリックス細胞と名づけた。のちにエレベーター運動は神経系だけでなく、子宮内膜など体のすべての単層円柱上皮細胞に共通であることもわかった。

この研究をきっかけに、私の興味は脳の発生そのものに移り、神経系細胞がどう分化していくかをずっと追うことになる。38年にわたる研究の過程で、ニューロンは、いったん分化すればDNAを合成しないこと、ニューロンの産生に引き続いてマトリックス細胞はグリオブラストというグリア系の幹細胞に分化してしまうこと、このグリオブラストは、まずアストロサイト、次いでオリゴデンドロイサイトを分化し、最後にミクログリアに分化することなどの結果を報告したが、そのつど、とくにアメリカで、ものすごいクリティシズムにさらされた。学説の問題点を指摘されたときがチャンス――というものだ。どちらが正しいか冷静に調べて、自説が不備なら思い切って補正する。一見、正しく見える反駁でもよく調べてみると、じつはそちらのほうのデータが間違っているということがよくある。吟味することで科学が進歩する。それが実践を通して得た教訓だった。

(a)トリチウムチミジン注入後30分
(b)6時間後。すべての細胞が真っ黒になった。

マトリックス細胞が神経管の外側部分(下)でDNAを合成し、内側(上)に上がって分裂して増えていくことを、オートラジオグラフィーを使って見たもの。黒く見えるのがトリチウムチミジンを取り込んだ合成中のDNA。

ベンザー教授との出会い

1964年にアシスタント・プロフェッサーとして、アメリカのパーデュー大学の生命科学教室・分子生物学部門に行くことになった。そこでシーモア・ベンザー教授に神経の話をしたところ、彼は非常におもしろがって、それまでやっていた大腸菌をやめて神経の研究に切り換えると言い出した。どういうふうに勉強したらいいのか、と聞くので、神経というのはとにかく雑学が必要である。たとえば脳の解剖から伝達物質、神経細胞とグリア細胞の形の違いやふるまいに至るまで、いろんなことを知っていなければならない。非常に幅がいるという話をした。彼は著名な分子生物学者で、パーデュー大学に2人いるノーベル賞候補の一人と言われ、毎年新聞を賑わしていた人なのに、「それなら、これから新入生と同じように勉強する」と言って、ハーバード大学に基礎医学を勉強に行った。学生と一緒になって解剖学など、すごい勢いで勉強したようだが、これが後にショウジョウバエの行動変異の遺伝学的研究で成功するもとになったと思う。

飴細工の脳

先輩の佐野豊先生(元京都府立医大学長)はなんでも比較解剖学の立場から見るとよくわかる、と主張しておられた。今日的な表現で言うと、進化の筋道で考えるべきだという主義ということになる。私は少なからずその影響を受けていた。脳の発生を進化の筋道に置いてみると、どうしても5億年前に誕生したホヤに行き着く。ホヤにも、幼生期だけだがマトリックス細胞があって神経管を構成している。ホヤから出発したマトリックス細胞が、個体発生を繰り返すなかで、増殖と分化のパターンを少しずつ変化させながら、さまざまな脊椎動物を経てスパイラル的に連続してヒトまで至っているように見える。マトリックス細胞に着目すると、脳の進化を単純な一つの流れとしてとらえることができるのである

神経管は、各領域のマトリックス細胞の増殖の程度によって、一部が突出したり、曲がったりしながら膨らんでいくと考えられる。コンピュータ・グラフィックスに夢中だった私は、領域ごとに1つずつ成長方程式を設定して描かせてみた。神経管は「飴細工」のように膨らみ、本当の脳と見間違える人がいるほどだった。脳の形は非常に単純な成長方程式のセットで表されるのだ。この方程式のパラメータを少しだけ変えることで、人間と猿、猿とネズミ、ネズミとホヤの脳の違いを示すこともできた。コンピュータ上のホヤの神経管は18~19回の細胞分裂の追加で、ヒトの脳の大きさと形に進化させられたのである。

ヒトの脳の成長をコンピュータ・シミュレーションで見る。領域ごとの成長をわかりやすくするため色分けしている。
(a)妊娠27日目相当
(b)同37日目
(c)同57日目
(d)同77日目
(e)同107日目

ホヤの心

脳の進化を見ていくなかで、私は「心」がどのように進化してきたかに関心を抱くようになった。若いころから、東西の哲学書を読むことが私の密かな楽しみだったことも無関係ではないと思う。人間の心の成り立ちを原点から問う伝統がとくに西洋哲学のなかにはあった。そこでは人間の精神は神からの所与だとする考え方が根強く、自然科学もその流れのなかにあり、ノーベル賞受賞の生理学者エックルスでさえ、人間の心は神によって創造され、胎児の脳の中に移入されるものだとしていた。その一方で、欧米の伝統は、身体を徹底した機械論でとらえていた。人間の神経機能も、末梢神経が発達して中枢神経のかたまりができる、つまり「まず感覚と運動の反射弓ありき」で、これが集積して後に中枢ができ、動物の行動が生まれるとされた。

しかし、人間の脳の原形であるホヤの脳に目をつけると、ホヤには末梢神経はない。中枢しかないホヤの幼生が卵の中で遊泳しているのは、反射ではなく自発的な動きのはずである。それは前へ進もうとする「意志」と言ってもよい。最初に脳を作り出したホヤにすでに「心」が備わっていたと考えられるのである。「心」もマトリックス細胞の作り出す神経組織の機能だととらえ、ホヤから人間まで一貫したものだと考えるのが私の立場である。

脳のはたらきは、宇宙法則の凸凹に粘土を押しつけて造った鋳型に喩えることができるだろう。自然の複雑な現象や法則をより正確に写し取った脳は、生存により有利な判断ができる。そのような脳をもった動物が生き残り、さらに進化し、もっとも正確で広範なレプリカを獲得したのが人間なのだろう。ニューロンの数が増加することで、脳が質的にも変化をとげ、脳の中に造り出した概念の中で外の世界と同様な処理ができるようにもなった。それが結局、人間の「心」だろう。心の発生を進化の中でとらえれば、人間が自然を美しいと感じたり、正しい判断をしたり、良いことをしようとするのは、宇宙の因果律を写し取って人間が頭の中にもっているからだという考え方も、ごく自然になりたつのである。

かつて、研究を一生の仕事にしようと決心したのは、人間の頭が一番底で宇宙の真理とつながっていることは、何と不思議ですばらしいことだろうと思ったからだった。脳の発生の研究を経て、今「人間とは何か」という哲学の大テーマを物質的に理解することに少しだけ近づいたかもしれないと思う。

ホヤの幼生も考える?
(a)中心を脊椎が走り(ずらっと並んでいる正方形の細胞)その背側に神経管がある。目玉のように見えるのは平衡器と眼点。
(b)ホヤの幼生の頭部の断面。細胞の中に1個の細胞でできた平衡器がある。眼点は8個の細胞からなり、脳胞腔に面している。

人類の知的財産を原書で読むことは博士の何よりの楽しみ。書棚にはアラビアやギリシャをはじめ世界中の哲学書が並ぶ。

11世紀アヴィセンナによって著された『医学典範』のラテン語訳本の扉絵。ヨーロッパの医学、哲学の骨格をなしたプラトン、アヴィセンナ、トマス・アクイナスなどの思想家が描かれている。(藤田蔵)。