いくら悩んでも、自分がやれることはそんなにないんだからと開き直るしかありません。結局、安定同位体の生物地球化学ならできると思いますと宣言して、質量分析計を買うことから始めました。高価な機器ですが独占してもしょうがないので誰でも使えるようにしたのがよかったんですね。いろいろな大学から質量分析計を使って仕事をしたい人間がやってくるようになり、同位体研究の中心になっていきました。
食物連鎖と同位体の関係をはっきりさせたのは、研究員の南川雅男さん(現北海道大学教授)です。珪藻などいろいろな微生物を培養し、窒素を取り込んだ生物が15Nをどの程度体内に濃縮しているかを厳密に測定したのです。その結果、食うものは食われるものに対して、重い窒素同位体比が3.3上昇することを発見しました(註4)。実際に環境中で測定したデータも、植物プランクトンよりも動物プランクトンが、動物プランクトンよりもそれを食べる魚がという具合に、同じ割合で「重く」なっていることを示しました。つまり、多様な種が入り乱れている生物群集でも、窒素同位体の含有率を測定すれば、その生物が食物連鎖の何段目にいるかを推定できることがわかったのです。
炭素の安定同位体でも面白いことがわかりました。空気中の二酸化炭素を固定して炭水化物をつくるのは植物の役目ですが、光合成に使われる酵素の違いからC3植物とC4植物に分かれます。この違いは同位体効果の差としても現れ、C4植物はC3植物よりも重い炭素同位体をたくさん含んでいます。穀物で言えば、イネとコムギはC3植物で、トウモロコシはC4植物ですから、トウモロコシ食文化圏の人の方が稲作文化圏の人よりも重い炭素をたくさん含んでいることになります。
安定同位体を使った生物地球化学の特色が見えてきました。本来は野外調査で生きものを見たり捕まえたりして関係を調べることでしか得られなかった「その生物の体は何を食べた結果か」という生元素の履歴の情報を、生物を見なくても議論できるようにしたことです。同位体効果は生体反応の酵素が同じなら同じようにはたらきますから、多様な種が入り乱れている生物群集でも、一つ一つの種間相互作用を気にすることなく、物質循環の流れを追うことができます。安定同位体は、多様性を持った群集構造を統一的に見ることのできる切り口とわかり、ひとまず生物地球化学の基礎をつくることができたとほっとしました。 |
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窒素の同位体比を表す場合、大気中の窒素ガスにおける15Nの存在比を標準として、調べた試料中の15Nの存在比がそれよりどれくらい変化しているかの差で示すことが多い。これをδN値とすると、食物連鎖における動物の摂食過程では、以下の式が成り立つ。
δ15N (動物) = 3.3 (TL‐1) +δ15N (植物)
TL(Trophic Level)は栄養段階をさし、植物のTLを1とし、植物を食べる動物は2となる。
 個々人の安定同位体比を厳密に測定すると、何を食べているかによって変化がみられる。トウモロコシはイネより 13Cの含有率が高いので、トウモロコシ食文化圏の同位体人間は米食文化圏より重い。
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