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Music

無門斎コンサート

都一中

私には名前が4つあります。本名は藤堂誠一郎。常磐津(ときわづ)節の三味線弾きとして、常磐津文字蔵(もじぞう)。一中(いっちゅう)節の家元として、十二世都(みやこ)一中。そして、無門斎・・・。


私は1年ほど前から一般の方々を相手にした「無門斎コンサート」を始めました。三味線になじみのない方々にも、邦楽の楽しさを味わっていただこうという試みです。演奏を始める前に、邦楽の響きや、節回し、音階、あるいは演奏とともに語られる物語の内容について、お話をすることにしています。

たとえば、「西洋の音階と邦楽の音階と、どこが違うか知っていますか」と会場の皆さんに聞いたりします。洋楽はドレミファソラシドの七音音階。邦楽は五音音階ですが、レとラを抜いた沖縄音階や、ミとシを抜いた雅楽の律音階など4種類もあるのです。日本の歌謡曲には、こうした伝統音楽の音階運びが巧みに使われています。

ちびまるこちゃんのテーマ『踊るポンポコリン』と『君が代』のさわりを三味線で演奏してみましょう。この2つはどちらも、雅楽と同じ音階を使っています。実際に弾いてみると、その類似性に皆びっくりします。美空ひばりの『悲しい酒』は、下げて落ち着かせるところを、無理に高い音につないでやるせない感じをだしている。これは、江戸時代に始まった義太夫などに使われている音階操作なんですね。

このように、邦楽は日本人の体にしみついているのですが、皆さんそのことに気づいていません。こんな話をすると効果があるのか、聞き手のノリが違ってくるようです。昨年の秋のコンサートでは、一中節の『道成寺』を弾き語りました。

『道成寺』は能をはじめさまざまな芸能に取り入れられていますが、一中節の『道成寺』は明治時代に作曲されたもので、幽玄の味わいが濃い重厚な作品です。安珍に恋するあまり蛇体となった清姫の怨念。その恋心の化身である白拍子のあやしげな舞。浄瑠璃の節回しと三味線の響きが、物語とからんで展開していきます。

わずか40~50人程度しか入らない小さな会場ですので、お客様の表情や息づかいが手にとるようにわかります。私の語りにのって、皆さんが本当に白拍子の踊りを見ているかのように、その緊張が伝わってきます。そして、白拍子が幻影であるとわかる瞬間、会場の人たちからもほ一っと力が抜けるのです。もし私が事前に『道成寺』のお話をしていなかったら、三味線の音も単なる音としてしか伝わらなかったのではないでしょうか。

もともと音楽に解説は不要なものですし、芸に理屈は禁物、などと言われております。しかし、字幕もなしに外国映画を見ても、言葉がわからなければおもしろくありません。同じように、三味線の音楽も、その響きやまつわる物語の意味がわからなければ、楽しく聴けないと思うのは邪道でしょうか。

一中節の特長は、きわめて上品で穏やかな曲調にあります。厳格に撤密に構築された楽曲ですが、その調べはふっくりとした快い響きを命としております。主音とされる核音(ドとファ)に対して、その半音上からの下行導音的進行が節目ごとに多く用いられることが大きな特長で、音の進行が悟りの境地にいざなうように感じられます。

昨年の春、即興による演奏もしてみました。横浜・本牧(ほんもく)の三渓園にある旧燈明寺本堂で、笛や鈴、笙と三味線をあわせました。一応リハーサルをしたのですが、本番では、まったく別の音の世界が出来上がりました。本堂の雰囲気やお客様の心と演奏者の私たちが唱和して、まるで親しい人と楽しいおしゃべりをしているようなものになったのです。

無門斎という名前は、一昨年の8月に大病を機に得度した際、大徳寺昭輝(てるあき)氏から禅の大道無門 (大きな道には門がない) にちなんで頂いたものです。そのとき、「型にこだわらずに三味線を弾きなさい」と言われたような気がしました。無門斎として、これからも自由な楽想で作曲や演奏、語りに積極的に取り組んでいきたいと思っています。

都一中(みやこ・いっちゅう)

1952年生まれ。一中節は、今から約300年ほど前に京都で生まれた浄瑠璃の一流派。流祖の都太夫一中は、京都・御池堺町、明福寺の次男で、音楽の道に特別な才能を示し、さまざまな流派の浄瑠璃節を統一して一中節を起こしたといわれる

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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