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Essay

ダーウィンのミミズ研究とアフォーダンス

細田直哉

「ミミズの心理学」なんて想像できるだろうか?

いまから120年前にそれを書いた男がいる。その名は、チャールズ・ダーウィン。進化論で有名なあのダーウィンだ。しかし、ダーウィンがなぜ「ミミズの心理学」なんて書いたのか?そもそもどうやって書いたのか?それを想像するのにぼくらが困難を感じるとしたら、それは「こころ」というものについてのぼくらのイメージがダーウィンのものとはかけ離れているからだ。ダーウィンが見たミミズの「こころ」とはどんなものだろう?彼のミミズ研究のなかにそれを探ってみることにしよう。

「ミミズの心理学」の正式な題名は『ミミズの行為による肥沃土の形成とミミズの習性の観察』。題名からわかるように、この本には二つの柱がある。第一の柱は、ミミズが地球の表面に肥沃な土をつくっていることの証明。これは個体群としてのミミズの行為の研究である。第二の柱は、ミミズの習性の観察・実験をとおした知的能力の解明。これは個体としてのミミズの行為の研究である。「ミミズの心理学」はここにある。

ミミズの「こころ」を知るためにダーウィンは、ミミズの身体ではなく、環境にメスをいれる。ここには、「こころ」というものを身体に幽閉された何かではなく、環境と一体になって実現されるシステムとみるダーウィンの考えがあらわれている。彼が注目したのはミミズの穴ふさぎである。ヨーロッパのミミズは、自分が掘った穴の入口を落ち葉などでふさぐ習性がある。身体が乾燥すると死んでしまうミミズは、この行動をつうじて外気の吹き込みを遮断し、身体の乾燥を防ぐ。ダーウィンはミミズが穴ふさぎに使うものをさまざまに変えたり、湿度や気温を変えることによって、ミミズの穴ふさぎがデタラメではなく、しっかり調整されていることを明らかにした(ミミズは多様な形の葉や紙を穴ふさぎにふさわしいやりかたで使ったのである)。しかも、それを調整しているのは「試行錯誤」でも「本能」でもなかった。ミミズは環境から「穴ふさぎにふさわしい性質」を見つけだし、行為を調整していたのである。ミミズは同じ状況におかれた人間とほとんど同じようにふるまったのである。その能力をダーウィンは「知性」と呼んだ。分化した感覚器官も脳と呼べるようなはっきりした臓器さえもないミミズが、同じ状況におかれた人間と同じようにふるまったのはなぜだろうか?それは人間とミミズが世界に同じものを知覚したからであろう。感覚器官の区切りを越えて知覚される世界のリアリティがあるのだ。

アメリカの心理学者ジェームズ・ギブソンは、そのリアリティに「アフォーダンス」という名前をつけた。「アフォーダンス」とは、動詞 afford(あたえる、可能にする)からのギブソン自身がつくった造語であり、「環境が動物にあたえる行為の可能性」を意味する。動物のどんな行為も、環境のアフォーダンスの実現である。ミミズは「穴ふさぎのアフォーダンス」を実現したわけである。環境は無限のアフォーダンスの海であり、動物はそのなかで進化してきた。アフォーダンスをベースにすれば、ミミズの行動も、人間を理解するのと同じ方法や概念で分析できる。それはミミズを擬人化したり、人間を擬ミミズ化することではない。人間もミミズも同じ惑星上で進化してきた動物であるということをみとめ、そこから心理学をはじめるということである。人間を他の動物から区別するのはその生き方の特殊性(つまり、「ニッチ」の特殊性)だが、ミミズも同じようにその生き方の特殊性によって他の動物から区別される。各動物種を区別するこの「ニッチ」は、それぞれの動物種が環境に発見・利用しているアフォーダンスの集合である。なぜなら、動物が生きるとは、その環境のアフォーダンスを実現し、環境と一体になったシステムを形成することにほかならないからだ(関連記事:「岩窟の中の進化─ 溝堀り型のアリジゴク考:松良俊明」「魚の利き手:堀 道雄」「花のゆりかごと空飛ぶ花粉 ─ イチジクとイチジクコバチの共進化:横山 潤+蘇 智慧」)。

ダーウィンがミミズ研究で明らかにしたことは、ミミズの身体をいくら細かく分析しても見つからなかったことである。ミミズとは何か?という問いに答えるためには、ミミズの内部だけでなく、ミミズと環境との出会いかたを見なければならない。ミミズがそこに発見し、利用しているアフォーダンスの集合がミミズとは何かを教えてくれる。同じように、人間とは何か?という問いに答えるためには、人間の内部だけでなく、人間と環境との出会いかたを見なければならない。人間がそこに発見し、利用しているアフォーダンスの集合はミミズのものとはかなりことなるだろうが、それが人間とは何かを教えてくれるだろう。そして、環境に潜在するアフォーダンスが無限であることを考えるなら、人間とは何か?という問いへの答えもまた、無限の可能性の海に向けて開かれているはずだ。

細田直哉(ほそだ・なおや)

1971年生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。主な共著書、訳書に『アフォーダンスの心理学』(新曜社)、『アフォーダンスの構想』(東京大学出版会)などがある。

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