| (中村) |
借りることが言葉の始まりということですね。幻聴でわけのわからない音が聞こえている状況は、まだ言葉を持たない赤ちゃんの状況なのでしょうか。 |
| (新宮) |
それに非常に近いと僕は思っているのです。人間の頭脳の録音能力というものを想定すると、勝手にテープレコーダーのスイッチが入ってしまうような状態が考えられます。だから子供の時に入ってきて意味は別に理解されないで登録されていることがあってもいい。勝手にスイッチが入ると脳の中で鳴り出すわけです。これは音楽では、日常的に経験されることでしょう。 |
| (中村) |
頭の中で音が鳴るということってありますね。 |
| (新宮) |
音楽ってそういうものですね、本質的に。ですから、それとのアナロジーで、言葉にもそういうことがあり得ると考えているのです。
音楽と幻聴の大きな差異はそこです。言葉によって幼少期の頭の中に溝がいっぱい彫られているとします。昔のLPレコードみたいにね。そのLPレコードの溝を再生した時、言葉も一緒に再生されるとしたら幻聴になるけれども、一般には、それを再生すると、リズムと音の高低だけ出てくる。そういうLPを考えてみたらどうかと思うのです。リズムと高低だけあればあとは音色を考えたり自分の好きなものをつくれますよね。 |
| (中村) |
それが音楽。 |
| (新宮) |
ええ。ところが同じLPで、そこから意味だけ取るようなプロセスがあるのではないかと思うのです。 |
| (中村) |
音の録音という意味では同じLPの中に入っているのだけれど、音の高低だけを引っ張り出すと音楽になり、意味を引っ張り出すと言葉になる。音楽と言葉というのはそういう関係だと考えればいいということですね。なるほど。脳の問題を取り上げた時、新潟大学の中田力さんが言葉と音楽の類似性を脳のはたらきから説明して下さったのを思い出します。一方、音楽とただの雑音とは違うわけですね? |
| (新宮) |
違います。 |
| (中村) |
音楽には、確かに言葉的な意味はないけれど、全体としては意味を感じているわけですよね。例えば、これを聞くと悲しいとか、元気が出るとか。つまり、単なる雑音と違って、全体としてはある意味をもっている。 |
| (新宮) |
もとはやはり声ですね。現実的な言葉にはなっていませんけれども、声のラインだけは頭の中に彫り込むということができます。子供はまだ言葉を理解しませんから、意味がわからないままに、声のラインだけをLPのように頭に彫り込んでいると考えたらどうかと思っているのです。 |
| (中村) |
それをやっているうちに、そこから自然に意味が出てくる。子供が言葉を覚える時にはそれをやっているのでしょうか。榊原陽さんという方が赤ちゃんは誰でも言葉を覚えられるのだから、大人も赤ちゃんと同じようにすれば外国語をそれほど苦労せずに身につけられるはずだとおっしゃるのです。その場合、言葉を大きな波として捉えるとおっしゃるのですが、それを思い出しました。子供にも正しい声のところだけを引っ張り出すという能力はあり、その後で意味のほうをとれるようになってくるということですね。 |
| (新宮) |
いつかそれができてくると思うのですよ。 |
| (中村) |
その中から言葉が生まれてくる…。 |
| (新宮) |
ええ。声というのは、意味と音のレベルとが分離していませんよね。多分、それを分離する能力が、人間にはいつかできるのではないかと想像しているのです。何も実証的な裏づけはありません。しかし、そう考えれば、音楽が非常に幻聴に近いのにそれを聞いても健康なままでいられることが説明できます。患者さんの幻聴は意味がついていて、それを聞くことで、だんだん病気の中に深入りしていって、生理的な機能が変わってくる。 |
| (中村) |
音楽の一つ一つの音に、もし言葉のような意味があったら大変なことになるわけですね。 |
| (新宮) |
そう思うのです。患者さんの場合は分離しないまま登録されていて、分離する機構が働かない。 |
| (中村) |
LPの例に戻れば、音と意味の溝が共通なわけですね。子供は最初は2つが共通だけれど、それがだんだん分かれていく。 |
| (新宮) |
そう考えているのですが、実証研究はありません。その2つが分かれ、登録されて、幼児期健忘で無意識になる。 |
| (中村) |
言葉のトラックと、音楽のトラックとが分かれて、普通の人は忘れてしまう。それが引っ張り出されると幻聴になる。納得させられますね。そうするとそういう方は音楽を聞いても、意味のあるものに聞こえたりするのですか。 |
| (新宮) |
音楽については実験はないのですが、音について言葉が聞こえてくる人はたくさんいます。機能性幻覚というのですが、要素的な音の関数として言葉が出てしまうのです。患者さんがよくおっしゃるのは 、台所の食器を洗ったり料理をしたりしていると、言葉が聞こえたりする。 |
| (中村) |
そういうところから、言葉の始まりや言葉って何だろうという問いに答が出てくると思われますか? |
| (新宮) |
今、申し上げた説明の仕方は、非常に受け身的です。人間を機械のように見ているわけです。外からの観察ですね。でも、どこかの時点で言葉を発しているのは自分だという意識ができます。この意識がどうやってできるかということは大きい問題と同時に、言葉を使うとは何かという問題ですね。つまり、ここで自己言及の問題が出てくるのです。 |
| (中村) |
人間のことを考えると、必ず自己言及にいってしまいますね。 |
| (新宮) |
能動的に自分は言葉を発しているのだということにした場合、その発した言葉が自分のことであるということになったら、一体誰がその真理性を保証するのかということが出てきますでしょう?
ここで初めてさっき言ったような、歴史的起源がつくられたものか、支えられたものかという重大な問題が発生しますね。それ以前は、その問題は出ないので、病理的に問題にはならないのですが、病気として重大になってくる理由は、そこの部分に何があるかということで生活史が変わるからです。 |