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(港)
これは生きもののいちばん不思議なところでもあります。何か欠陥があっても、別のものでそれを補完して克服できるということですね。なぜ補完できるのかといえば、ひとことで言えば「全体」があるからでしょう。

(中村)
ある環境や集団の中でうまく生きるのに不都合が生じる場合にそれは欠陥と見做されます。でも例えば同じ種のゲノム同士を比べると、そこには欠陥とはいえない小さな“違い”は無数にあるし、欠陥であっても別のものでうまく克服されて気づかないことも多いのです。本当に補いきれない欠陥の場合は、死によって、そのことを他に伝える。一方、種の中の個体、個体の中の細胞というように、全体の中の個を観れば、個の死によって、全体の“生”が生かされることも多いのです。生きているということの複雑さを感じます。

(港)
先ほどのゲノム・インプリンティングもそうですが、ある過程というものは、常に全体の中で起きるということですね。過程を捉えるには、全体の中で観ていくことが非常に大事なのだと思います。

(中村)
 全体というと掴みどころのないイメージがありますが、科学で「全体」というときには実体としての手ごたえが欲しい。ゲノムはDNAという物質であり、遺伝子の集まりでもあります。その塩基の違いを読み取って、ヒトゲノムなら32億個の配列として示したものを一応「全体」だといえる。ただ、ここに含まれる情報の間にどんな関係があるか? 構造としてどう機能しているか? などなどゲノムと複雑な生命現象の関わりの解明はこれからの課題ですが、少なくとも今私たちは、その手掛かりとなるゲノムという有限の実体を手にしているというのが興味深いところです。この「全体」から出発できることは、これまでにない新しい出発ではないか。それが、私がゲノムで捉えたいというときに基盤にしていることなのです。

(港)
有限の集団を対象にしたときの覚悟を感じて、その気持ちがとてもよくわかります。興奮が伝わってきますね。人間の意識の中でも「有限の要素で考えなさい」という命題は、科学的な思考の根幹にあたることかもしれませんね。

(中村)
私が科学の世界にいるから大事に思うことかもしれません。科学的思考でなければ、生きていることを考えるときに“有限のもの”を持ち出さなくて済むかもしれない。

(港)
いや、それは科学だけでなく、広く“創造性”ということに関わります。“創造する”には、有限の要素から出発しながら、一方で「開かれている」ことが必要です。素材を組み合わせ、場所を替え・・・、いろいろな試みから常に新しいものを探っていく。

(中村)
今までになかった感じがすることが大事ですね。

(港)
“新規性”ということですね。もう一方で、例えば古代のギリシアや中国では、何かを理解するときには有限個の要素に還元して、そこからある整合性を見つけ出す。文字通り「元素」によって世界を理解しようとする思考ですが、それが求めるのはやはり美しい体系ですね。もうこれしかないという美しい体系だけが“モデル”と呼ばれます。
人間の心の働きは、片方では「見たことがない」ものを求める。もう一方で「これしかない」ものを求める。常にこの二つがあります。

(中村)
生命誌を考えるときに、切り口として多様と普遍という言葉を用い、それで整理してしまっているのですが、今のような言葉で表現して頂くと、とても刺激的ですね。
物理学では自然を理解するために対象をどんどん細かくして、最後に素粒子で捉えれば一つの要素ですべてがわかると思った。ところがそこにも幾つもあって、物理学の方は納得できず、もっと統一的な解を求めている。

(港)
マトリョーシカ人形ですね。開けても、開けても、どんどん小さなものが出てくる(笑)。

(中村)
物理学は「これで世界がわかったぞ」と言える統一理論を求めている。生物学には、たぶん統一理論のようなものはないのですが、科学としては「これしかない」ところでわかりたい気持ちも強い。もちろん「見たことがない」ものを知りたいのですが、普遍を重んじるところに自分自身の価値を見出そうとするのが科学者の常ですね。

(港)
「これしかない」ものと「見たことがない」もの、普遍性と多様性は矛盾するものではありません。
“創造”とは、新規性を生み出すことですが、まったくの無からの創造ということはあり得ない。  僕は、創造力とは記憶とほぼ同義と考えてよいと思っています。既にあるものを再発見すること、再認することでしか創造は生まれない。普遍性とは、常に再発見を期待されているものですが、それには違う見方やいろいろな考え方、言い換えれば多様性が前提となるわけです。
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