生命誌ジャーナル 2007年夏号
Talk ─ 対話を通して ─ :目次
Talk ─ 対話を通して ─
年間テーマ「生る」
理論と観測が明かす宇宙生成:佐藤勝彦×中村桂子
佐藤勝彦(東京大学大学院理学系研究科教授)
中村桂子(JT生命誌研究館館長)
[ 対談を終えて|佐藤勝彦 ]
 生命誌ファンの私は、研究館の設立準備室の時代から中村さんの主唱する勉強会に出席させて頂き、生命誌のおもしろさを学ぶことができました。今日は私の専門とする宇宙の創生から現在の暗黒物質、ダークエネルギー問題まで中村さんにお聞き頂き、たいへん幸せです。思えばその当時も宇宙創生論の話もさせて頂きましたが、裏付ける観測データもなくあくまでも理論物理学の描くシナリオでした。しかし今や宇宙論は観測の時代、生命科学と同じように膨大なデータが得られるようになり、状況はがらっと変わってしまいました。中村さんとの対話でもっとも感激したこと、それは中村さんの話された「動詞で考えよう」という言葉です。宇宙論も名詞ではなく「動詞」で考え、語ることによって、宇宙の進化のグランドシナリオ、「宇宙誌」が描けるのではないかと強く共感しました。
佐藤勝彦(さとう・かつひこ)
1945年香川県生まれ。京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。前ビックバン宇宙国際研究センター長、現在、東京大学大学院理学系研究科教授。前日本物理学会会長。宇宙論、宇宙物理学を専攻し、インフレーション理論を提唱した一人として世界的に活躍する。紫綬褒章受賞。著書に『宇宙96%の謎』『相対性理論』などがある。
1. 理論に基づく予言
2. 新たな謎が生まれる
3. すべては対称性の破れから
4. 宇宙のへその緒が切れる時
5. 真理には階層性がある
6. 屋根裏で観る多次元空間
7. 議論して考えるのが学問
1. 理論に基づく予言
(中村)
 「生命」は何かと名詞で問うても答えはなかなか見えてきません。それで日常具体的に、犬が生きている、ネコが生きている状態を見て行こうと思いました。日常感覚を失わずに、学問を進めるには、名詞でなく動詞を用いるのがよいと気づいたのです。
 そこで、まず「愛づる」から始めました。数字で表現しきれないことについては、「語る」ことをしてみよう、時間をかけて対象を「観る」こと、「関わる」ことなど、順にテーマとして来ましたが、今年は、「生る」がテーマなのです。「生れる」です。そこで、すべての始まりである宇宙がどのように「生まれ」たか。教えて頂きたいと思って参りました。
(佐藤)
 いつも季刊『生命誌』が送られてくるのを楽しみにしておりますし、今日は、中村さんに久しぶりにお会いできてとても嬉しく思います。
(中村)
 佐藤さんには、研究館の構想段階から支援していただき、頼もしい生命誌の応援団と勝手にきめています。
(佐藤)
 生物学に憧れもあったのですが、宇宙論の立場から、生命誌研究館の構想を検討する研究会に出席できたことは、文化の違いを実感できるよい機会でしたね。
(中村)
 生物学と物理学の学問としての文化という意味ですか。
(佐藤)
 何かの拍子に、私が「真理」という言葉を使ったら、「生物学に真理なんてない」と言われてびっくりした。確かに、実験による事実を基本に研究している生物の方からは、理論物理学は、まるで神学のように見えるかもしれません。
(中村)
 実は分子生物学は物理学的思考から始まった生物学なのですが、やはり物理学と生物学では考え方が違うことは確かですね。一つの数式ですべてを表現することなど考えられませんから。ただ、宇宙生成のお話は、生命誌とのつながりが見えます。宇宙が生まれ、地球が生まれ、生命体が生まれたからこそ、現在、私たちがここにいると考える時、佐藤さんの提唱されたインフレーション理論から見えてくる宇宙の姿は、とても魅力的です。専門的な数式がわからないけれど、宇宙の始まりから今までのダイナミックなイメージには、わくわくします。今日は、素人っぽい質問をしながらお話を伺いたいと思ってまいりました。
(佐藤)
 当時は、宇宙の始まりを扱える科学的方法は、理論物理学だけだったので、言わば「理論に基づく予言」と受け取られていました。でも、最近は技術が進み、観測によって事実の裏付けが得られるようになったのです。
 1905年のアインシュタインの特殊相対性理論から数えてほぼ100年で、宇宙の誕生から現在に至る進化の様相が見事に描き出せるようになったことは、私が日本物理学会の会長だったから言うわけではありませんが、現代物理学の偉大なる勝利だと思いますよ。今では、理論物理学によってでなく、むしろ観測によって導かれています。
(中村)
 どんな立派な理論も観測で実証されて初めて意味を持つことはわかりますが、始めから観測だけでは科学として成り立ちませんでしょう。やはり理論のあるところが物理のすごさだと思いますよ。
(佐藤)
 もちろん理論なしにシナリオは全く描けませんね。
(中村)
 私が生命誌を始め、宇宙論に関心を持ってからのこの20年は、理論と観測がとてもよく絡み合って、これぞ科学だなあと、見ていてうらやましく思う姿で研究が進みましたね。
(佐藤)
 確かに20年前までは、宇宙論は、定年退職した名誉教授のための分野というお話も・・・(笑)。
(中村)
 生命誌を始めた頃、生物学でも「進化」と言い始めたら、「あの人は、そろそろ・・・。」って。進化論は、分子生物学の中では、まさに名誉教授に、「ご自由にお考えください。」という分野だと思われていました。私は、ゲノムという切り口で捉えれば学問になると思ったのです。今では、進化学会もあり、若い人たちがどんどん仕事する分野になりました。
(佐藤)
 現在では、進化抜きで生物は語れないと誰もが思う。
(中村)
 生物にとって進化が基本だということはわかっていたのですが、進化「学」でなく「論」でしたから。
(佐藤)
 宇宙も「論」だった。
(中村)
 しかし、物理学では、考え抜かれた「論」が実際の観測と見事に一致しましたね。
(佐藤)
 この20数年は、人工衛星による観測とコンピュータによる解析が可能になり、現代物理学が扱う宇宙に関するデータは指数関数的に増大したんです。
(中村)
 その点は生物学も同じです。とくにゲノムプロジェクト以来データの増大はすごい。ただ理論がありません。生きものには、ひょっとしたら従来の物理の考え方では捉えられない論理があるかもしれないと、ボーアやハイゼンベルグが考えた時代がありましたね。ところが、そこから始まった分子生物学がDNAですべて説明がついたので、新しい論理はないとされてしまった。
 指数関数的に増大したデータから、生きものに固有の論理を本気で探し出さなくてはなりません。佐藤さんに、どうすれば、生物学の新しい論理が見い出せるか教えて欲しいというのが本音なのですが。
2. 新たな謎が生まれる
(中村)
 佐藤さんがインフレーション理論を提唱なさる前は、宇宙の誕生といえばビッグバンでしたね。
(佐藤)
 ビッグバン※註1というシナリオが理論的に予言されていたことは学問の進展に重要です。ビッグバンを巡る議論が活発に行なわれ、インフレーション理論をはじめ、次々と提唱される理論の検証への要求が高まったのです。その中で、大きく進展した技術が数々の観測結果をもたらし、これが議論当初の理論物理学が描いたシナリオと驚くほど一致することがわかってきたんです。宇宙誕生から38万年後に「宇宙の晴れ上がり」と称する時があることを示すマイクロ波観測衛星WMAP※註2のデータ解析の結果がまさにそうですね。でこぼこしたゆらぎをパワースペクトルで解析し、わずか4つか5つの数値を調整するだけで、観測結果と、理論に基づく計算とが不思議なほどに一致する。
(中村)
 理論と観測がそれほど一致すれば、まさに真理だと思えてくるという気持はわかります。理論物理学者としては気持がよいでしょうね。
(佐藤)
 しかし、宇宙の年齢が137億年だというように、具体的な数値が定まるのは、観測から得られた膨大なデータがあればこそです。理論だけでは、なかなかそこまで言えませんね。
(中村)
 なるほど。
(佐藤)
 さらにもう一つの進展の要因は、新たな謎が生まれてくることです。知れば知るほどわからないことがたくさんあるとわかってくる。
(中村)
 ぴたりと一致して終わりじゃない。そこから次が生まれてくる。それが自然の不思議であり、科学の面白さですね。
(佐藤)
 本当に不思議です。調べていくと、全体としてはよく一致するのに、同時に、大きな謎が浮かび上がることがあります。中村さんの悩みは、おそらく生物学の膨大なデータから個々の仕組みは詳しくわかってくるけど、どうも基本的な考え方に矛盾するような形では新しい謎が生まれてこないということはないでしょうか。
(中村)
 まさにご指摘の通りなのです。宇宙の場合、具体的に、どんな謎が生まれたのでしょうか。
註1:ビッグバン【big bang】
宇宙のはじめに起こったと考えられる大爆発。またそれによる宇宙開闢論。大爆発による高温・高密度の状態から膨張して今日の宇宙ができたとする。膨張宇宙、宇宙黒体放射、元素の存在比などが証拠とされる。G.ガモフの提唱。
註2:WMAP
【Wilkinson Microwave Anisotropy Probe】
ビッグバンの名残りの熱放射である宇宙マイクロ波背景放射を観測するため、2001年に米国NASAが打ち上げた宇宙探査機。
(佐藤)
 『宇宙「96%の謎」』※註3という題で本を書いたのですが、実は、この世界を構成しているもののうち、私たちの体を作る元素などの普通の物質は、全体のわずか4%にすぎず、それ以外は2つの妙なもの、暗黒物質※註4とダークエネルギー※註5からなるということです。
(中村)
 学校で一生懸命習ってきた水素や酸素、周期律表でたくさんの元素があることを知り、さらには素粒子まで行けば、すべてがわかると思っていたのに、それがこの宇宙のたった4%だなんて、私たちの知っていることってちっぽけなんですね。96%は何なのでしょう。どんな世界なのか知りたいですね。
 ご存知のように、生物学でのヒトゲノム解析も同じように、タンパク質を作る情報を出すところは、わずか1.5%です。4%とか1.5%とか、この小さな数字は何かを考えさせますね。
(佐藤)
 残りは、ジャンクという訳ですね。きっと生物でも、98.5%のわからないほうに、生命の歴史などが隠されているのでしょうね。
(中村)
 最初はジャンクと言ったのですが、そこには遺伝子のはたらきの調節をする部分や、ゲノムを歴史として読み解く上で意味のある部分などが含まれますから、ここを考えなければいけません。ただ今の生物学では、具体的な機能としてはわからないところばかりですし、全体を見通す論がないのです。
(佐藤)
 ゲノムに含まれる遺伝子のなごりから、過去にウイルスに感染したことなどが見えてくるのでしょうか。
(中村)
 そうです。生きものが持つ「生きものらしさ」を知るには、大多数のわからないほうを見なくてはいけませんね。宇宙物理では、暗黒物質やダークエネルギーという謎に、どのように取り組んでいるのですか。
(佐藤)
 実は以前から何かおかしいと思われてはいたんですよ。具体的には、宇宙にある物の重さを調べると説明できないことがある。重さを調べる方法は二つあります。一つは、引力。
 ある惑星が太陽などの中心星から一定の距離にある軌道を安定して回っていれば、中心星が惑星を引っ張る力と遠心力とがはたらいているはずですね。その力の強さは回転の速さでわかるので調べると、多くの惑星系で内側に重さが集中し、外側ほど周期が遅くなる。太陽系なら地球の公転は1年で1回、土星は30年ほどかかってようやく1回転ですね。
 ところが銀河の回転速度を見ると、遅くなるはずの外側ほど逆に速くなることがある。もう星のない縁のほうでもガスの動きで速さがわかります。この速さは見えない何かがそこにあると考えないと説明できないわけです。
(中村)
見えないけれど、重さはあるというわけですね。
註3:『宇宙「96%の謎」』
佐藤勝彦著。実業之日本社
註4:暗黒物質
【dark matter】
銀河内や銀河間に大量に存在しながら、光や電波を発していないのでその正体がまだわからない物質。天体に重力を及ぼしていることからその存在はわかっている。
註5:ダークエネルギー
【dark energy】
電磁波など現在の技術では観測できない。物質として引力を持つのではなく、斥力の効果を宇宙に及ぼしていると考えられるエネルギー。
(佐藤)
 この兆候に最初に気づいたのは、アメリカのベラ・ルービン※註6という女性研究者でした。質量についての議論は、当時の観測で知られる、光っている星の総和から推測された質量が、インフレーション理論によって必要だと予測された宇宙全体の質量の100分の1に過ぎないというところからも生まれました。それが暗黒物質といわれるものです。こう考えるとインフレーション理論はうまく説明できるのです。
 それですっきりするのはインフレーション理論だけではない。ガスや星などが描き出す美しい銀河の渦巻き模様は、そもそも不安定な構造なのになぜか安定しているんです。そこで、ハローと呼ばれる球状に集まった暗黒物質のようなものの重力により、渦巻き構造が安定するんだという理論も登場し、いろいろな流れが一つになって、普通の物質に暗黒物質を足せば100%になり、それで宇宙は平坦になると考えられるようになったのです。
 それはまさに、理論と観測とがハッと気づき合う新しい視座を獲得した瞬間だったのです。ところが観測が進むに従って・・・。
(中村)
 暗黒物質ではまだ説明できないんですね。
(佐藤)
 ええ。全体のほぼ30%しか。ですからインフレーション理論は否定されるのです。ところが1998年、私たちは「真空のエネルギー」と呼ぶダークエネルギーの存在が発見されたのです。これが宇宙の74%を満たしている。この発見によって、一旦、否定されたインフレーション理論がよみがえりました。それに暗黒物質22%、普通の物質4%を足すと、全部で100%というわけです。そして、この真空のエネルギーが宇宙の始まりを説明してくれます。
(中村)
 何もないのが真空だと思っていましたが、真空のエネルギーというものがあり、しかもそれが宇宙の始まりと関わる。面白いけれど、どう考えたらよいのか ・ ・ ・。
註6:ベラ・ルービン
【Vera Rubin】
1928年生まれ。米国の女性天文学者。暗黒物質の存在を指摘。P.モリソン、R.ファインマン、H.ベーテ、G.ガモフらの下で学ぶ。全米科学アカデミー会員。
3. すべては対称性の破れから
(中村)
 ダークエネルギーは「真空のエネルギー」であり、そこから宇宙が生まれたというお話でしたが。つまり宇宙は、今私たちが認識している世界観で言えば、何もないところに生まれたと考えてよいということでしょうか。
(佐藤) 
 実は、私たちの考えたインフレーション理論では、まず恐ろしく小さな量子論的な宇宙があるとします。
(中村)
 えっ。まず宇宙はあるんですか。
(佐藤)
 まず、「ある」とせよと。インフレーション理論は、創成そのものを議論しません。そして小さな宇宙には、真空のエネルギーがあるとします。
(中村)
 小さな宇宙と言っても、具体的にはどれくらいの大きさなんだろうと疑問が湧きますが。具体的な数値は、理論物理学としてあまり重要でないのでしょうか。
(佐藤)
 いいえ。具体的な数値については、現在の百数十億年という大きさの宇宙に対して、インフレーション前の宇宙は10−26cmと極端に小さなものだと考えられます。
(中村)
 そんな小さな中にこの宇宙の基本のすべてがあった。
(佐藤)
 小さな宇宙が一気に広がる時、そこにあった量子論的ゆらぎの凸凹は引き延ばされ、インフレーションが終わった瞬間には、微小なゆらぎから巨大なゆらぎまで、あらゆる凸凹が出揃い、これが現在の宇宙の構造のタネになったと考えられます。その状態から重力によって物質が固まり始め、多様な銀河団、銀河、中心星、惑星が生まれ、その中で地球も生まれ、生命体が生まれ、人間が生まれたと考えられます。
(中村)
 すべては小さな量子のゆらぎから生まれたということですか。
(佐藤)
 現在、宇宙の彼方に観測で捉えるガスの凸凹が、宇宙開闢時の量子ゆらぎが拡大したものだとインフレーション理論は予言していたのです。
 
(中村)
 つまり宇宙の歴史が、具体的にガスのゆらぎとして観測され、それが先ほどから佐藤さんが大事そうにしていらっしゃるボール(写真1)に描かれているのですね。
(佐藤)
 はい。この宇宙誕生から38万年後のガスのゆらぎを元に計算すると、グレート・ウォールと呼ばれる銀河の群れの存在などもコンピュータ・シミュレーションで描き出せます(写真2)。さすがに生命体のなりたちまでは描けませんが。
(中村)
 残念。生物の本質的な構造がとても知りたいのです。
(佐藤)
 生物の構造そのものは、体系的によくわかっているように思うのですが、なぜそうなったかがわからないということですか。
(中村)
 もちろん解剖学や分類学に始まり、生物学は生物の機械としての構造と機能はよく見てきました。私が構造と言っているのは、一つの細胞に入っているゲノムDNAという情報からできてくる生きものの体が、ある構造として存在する時のそれをつくり出す論理と言ったらよいかもしれません。
(佐藤)
 それは、個体発生の過程から生まれてくるものですね。
(中村)
 個体発生はもちろん、種にとっての進化、さらに多様な生きものが関わり合う生態系において、生物が存在するための基本的な構造と言ったらよいのでしょうか。生命現象としての基本構造を式で表すことは今のところできません。しかし、宇宙の構造は、小さなタネの中にあり、それを連立方程式で解くことができる。生物学には、そういうものがないのです。
(佐藤)
 その意味で、宇宙物理はむしろ簡単なのかもしれません。もちろん、そのタネの中に、後々、人間の遺伝子になる情報が予め入っているというわけではない。ある構造を単位に自己組織化が起こるきっかけがそこにあったというだけです。物質密度の凸凹さえあれば、十分に天体ができます。そして天体の中で重力によって酸素や炭素ができ、それらが結合して・・・。
(中村)
 そこに、生命体が生まれ、人間が生まれる基本がすでにあるわけですよね。
(佐藤)
 元素ができるとどうして生物ができるのかは、物理学の問題であり、生物学の問題でもある。同じ世界の自己組織化についてのそれぞれ違う階層における問題ですね。
(中村)
 生物学にとって、自己組織化という概念は重要です。宇宙物理で、その言葉がどのように用いられているのか、ちょっと教えて下さいませんか。
写真1
「宇宙の晴れ上がり」の様子を示すデータをマッピングしたビーチボール。マイクロ波観測衛星WMAPが、この宇宙誕生から38万年後の様子を捉えた記念に作られ、贈られた。
写真2. 20億光年に及ぶ宇宙の地図
グレート・ウォールや蜂の巣構造が描き出されている。(SDSSプロジェクト提供)
クリックすると拡大図が見られます。
(佐藤)
 物理学では、エントロピー増大則※註7に従って、宇宙全体の乱雑さは増大しているにもかかわらず、宇宙のなりたちを見ると、火の玉ガスの中から、惑星や銀河系をはじめ、いろいろな元素、多様な秩序を持った美しい構造が生まれてくる。最高傑作は人間だと思いますが、どうしてそんな構造が生まれてくるのか。  それは、まさに自己組織化が起きたからです。輝く星が光を外に出すと宇宙空間のエントロピーは増大します。しかし、地球が生まれる時、エントロピーを外に放り出した分だけ、地球自身のエントロピーは下がります。
(中村)
 私たち自身を含めて、宇宙全体の秩序を作っている共通性として自己組織化があることはわかります。
(佐藤)
 宇宙の構造の自己組織化は、やはり重力から考えます。単純ですがそれで十分とも言えます。重力で収縮したエネルギーを宇宙空間に放出し、エントロピーを外に捨て、天体という構造ができる。
(中村)
 エントロピーの低いものがどうやって作られたかを追って行くと、その最たるものが生きものですね。
註7:エントロピー増大則
熱平衡にある系で、不可逆変化が生じた場合、その系のエンロピーは必ず増大する(熱力学第二法則)。エントロピーが大きい状態は乱雑さの度合いが大きいことを示す。
(佐藤)
 これは、私の信念としていつも語ることですが、この世界は、しっかり貫く物理法則を縦糸に、カオス理論のアトラクター※註8などの数理的現象を横糸に渡して織り上がる美しい構造なのです。そのような自己組織化を通じて、この世界の多様な構造が生み出されてきたことが、まさに歴史そのものなのです。
(中村)
 その宇宙の歴史のどこかで生きものも生まれてきたというところまでは確か。
註8:アトラクター
【attractor】
「何かを引きつけるもの」という意味。
(佐藤)
 私たちは、世界の構造が、自発的な対称性の破れということを通じて作られていると思っています。おそらく、世界で最初に、私が「力の枝分かれ」という図を描いたと思っているのですが、それは、対称なカオス的初期状態からゲージ対称性※註9の破れによって起こるのです。
(中村)
 えっ。カオスって対称なんですか。
(佐藤)
 全部がでたらめに回っている状態は対称だと言えます。その中で、ある所に固まってしまったのがアトラクター団です。
(中村)
 なるほど。そうやって非対称が生まれる。
(佐藤)
 基本的には、混沌という状態は、完全にでたらめという秩序だと言えます。
(中村)
 完全にでたらめという秩序・・・。
(佐藤)
 ええ。秩序です。
(中村)
 その完全にでたらめという秩序ある状態は対称で、その対称性の破れが起きないと、新しいことは生まれない。
(佐藤)
 はい。新しい情報は生まれませんから構造も生まれてきませんね。
(中村)
 その対称な初期状態は、ゆらぎの状態でもあるのでしょうか。
(佐藤)
 そうですね。それを量子論的に「ゆらぎ」と言います。ただ、「ゆらぎはある」というのは背反的な表現になりますね。量子論的に言うゆらぎは、「一様」というけれど、決して「一様」ではなくなるというのが量子論の気持ちなのです。
(中村)
 なるほど。量子論的なゆらぎが、決して「一様」でない「一様」だからこそ、対称性の破れが生まれるという感じ、直感だけがわかります。
(佐藤)
 そうなのです。世の中のいろいろな現象で起こるランダムな変異などでも、ちょっとした初期値の違いが多様な結果に至りますよね。その構造ができてくる過程でカオスやアトラクターが効いていることも重要ですが、やはり私は、根本の違いとして、量子論的なゆらぎのタネにあったものがそのまま拡大されたことのほうが重要だろうと思っています。タネがあるから成長できるのですよ。
註9:ゲージ対称性
一定のルールで時空の各点ごとに測定の規準(物差し:ゲージ)の向きを変えても物理法則が変わらないような性質をいう。宇宙の4つの力のうち重力を除く、3つの力はゲージ理論で記述され、宇宙誕生時のような高エネルギー状態では対称性をもつが、現在のような低エネルギー状態では対称性は破れている。
4. 宇宙のへその緒が切れる時
(佐藤)
 私たちは、宇宙がインフレーションで大きくなる時に、実は、子供宇宙や孫宇宙が生まれることを予言したのです。
(中村)
 私たちの宇宙一つでも考えるのが大変なのに、たくさんの宇宙なんて。それはいったいどこでどうやって生まれるのでしょう?
(佐藤)
 私は、まずインフレーション理論が予言するところの「宇宙の多重発生―“ Multi Production of Universes”」という論文を書いたのです。
(中村)
 “ユニ”は「一」なのに、ユニバースが複数形になるのって面白い。矛盾でしょう。
(佐藤)
 だから最近は、ユニバースとは言わずマルチバースという言葉が生まれてきました。
 ミクロの宇宙が、指数関数的に一気に膨張した最終段階で、真空のエネルギーが相転移を起こして無くなり、物質エネルギーと熱エネルギーに変わるビックバンを経て、現在の宇宙になった。この基本的なシナリオを、私はコペンハーゲンで研究をしていた1979年に、ある国際会議で発表しました。
(中村)
 相転移というのは、身近な例で言えば、水が、氷になったり、水蒸気になったりする現象ですね。
(佐藤)
 ふつう相転移という現象が起こる時、必ずどこか局所的に始まるのです。
(中村)
 例えば、一気に全部の水が蒸発するわけではないということですね。
(佐藤)
 そうです。ましてや広大な宇宙の何の因果関係もないような所で、相転移が同時に起こる根拠はどこにもなかった。実は、それは当時、自分が抱えていた大きな悩みでしたが、そこは、ぐっと飲み込んで、「さあ、宇宙全体で、みんな一緒に相転移しますよ。はい。どこでも同時に熱になりましょう。」という前提つきでシナリオを発表したのです。
 水が局所的相転移によって沸騰する状況に見立て、まさに「バブル(泡)」と呼んだのですが。相転移して真空のエネルギーがない所と、まだ相転移が終わらず真空のエネルギーが残っている所が共存している状況から、宇宙全体に相転移の終わった所が広がって、ビッグバンの火の玉宇宙になるはずだということです。
 しかし、話はそう単純ではない。その過程を相対論で詳しく調べると不思議なことが出てきた。例えば、一つの風船のような領域だけに真空のエネルギーが残っている状況を考えると、もう相転移が終わって真空のエネルギーのない周囲の領域は膨張するので、計算では、真ん中の風船の表面積は、ほぼ光の速さで収縮して小さくなっているはずなんです。ところが真空のエネルギーを持つ真ん中の風船の中は、インフレーションの最中なので半径は大きくなっていくことになります。表面は光の速さで収縮すると同時に、中側が膨らんで巨大な宇宙になるなんてどう考えたっておかしいですよ。自分はどこかでとんでもないミスをしているに違いないと大変に悩みました。
 ところが、それで正しかったのです。実は、この時、相対論でいう「ワームホール」という構造ができているのです。それはまさに中国の小咄、「壷中の天」※註10の世界です。壷の中に入ると、そこには広大な世界が広がっていたというわけです。風船の中は広大な宇宙でいいんです。
註10:壷中の天
または「一壷天」。中国の故事(後漢書)による。費長房が薬売りの老翁とともに壷中に入って別世界の楽しみをしたことから一つの小天地をいう。
(中村)
 中に入ると、また別のインフレーションを起こしている宇宙だったというわけですか。
(佐藤)
 ええ。これを私たちは、子供の宇宙と呼んだのです。
(中村)
 その子供の宇宙は、一つではなくて・・・。
(佐藤)
 至る所に子供の宇宙はできます。それどころか、子供の宇宙ができると、その中でも同じようなインフレーションが起こって相転移が起こるので、孫の宇宙ができる。
(中村)
 インフレーションが起きている宇宙の中の子供の宇宙の中で、インフレーションが起きている・・・。
(佐藤)
 だから孫宇宙もできてくるし、さらにその子供宇宙と・・・。それで「ユニバーシーズ」が生まれてきてしまうわけです。
(中村)
 私はいったいどこにいるのでしょう。
(佐藤)
 その曾孫のやしゃ孫の、何とか孫の・・・。
(中村)
 この宇宙だけ考えても、広大過ぎて果てがあるのだろうかといろいろ考えてしまいますが、それどころでなくマルチバースですか。宇宙って、そういう発想で取り組むものなんですね。
 
(佐藤)
 なぜ複数の宇宙というかといえば、子供宇宙や孫宇宙との間の因果関係は完全に切れてしまうからです。因果関係を保てる間はひとつながりの宇宙の部分に過ぎませんね。(図1)
(中村)
 どのようにして因果関係が切れるのですか。
(佐藤)
 実は、ブラックホールと同じで、親と子の間に「事象の地平線」というものができるのです。最初あった「へその緒」が切れてしまうわけです。その発見にはいたく喜びまして・・・。
(中村)
 ちょっと待ってくださいよ。宇宙にへその緒があって、へその緒が切れるとおっしゃるわけ?
(佐藤)
 はい。ワームホールという構造のある部分が切れてしまうのです。
(中村)
 複雑でダイナミックなイメージで、頭の中がゴチャゴチャになりますね。でも、そうやって因果関係がなくなったら、ほかの宇宙は無関係、自分のいる宇宙のことしかわかりませんでしょう。
(佐藤)
 ですから、この理論には大きな弱点があります。それをいったいどうして証明するのかと・・・。
(中村)
 神様の眼で遠くから、「ああ、へその緒が切れるぞ」って見ないと駄目ですね。神様は科学の外ですね。
(佐藤)
 因果関係が切れているものをどうして「ある」と主張できるのか。これは科学になるのか。自分でも証明不可能な理論を提出しているわけです。この論文を書いた時に、これが果たして、科学雑誌の審査を通過するものだろうかと、本当にきわどいところだと思っていましたが、最終的には無事に掲載されました。
(中村)
 なるほど。それがインフレーション理論が描き出したユニバーシーズ、つまりマルチバースなのですね。
(佐藤)
 私は、最初に申し上げましたように、まず宇宙があることを仮定して、そこでインフレーションが起こるというように展開していますから、いろいろな方が、インフレーション前の宇宙はどうなっているのかと尋ねる。もう「その前は?」「その前は?」と言い出したら、落語と同じです。
(中村)
 本当にそう。でもみんなそこが知りたくなってあたりまえでしょう。
図1. 相転移による宇宙の多重発生
クリックすると拡大図が見られます。
(佐藤)
 そのような無限に続く質問を防ぐ考え方として、私の友人のアレキサンダー・ビレンケン※註11が、“Creation of Universes from Nothing”と題した論文で、宇宙は無から生まれたんだということを最初に言ったのです。
(中村)
 “from Nothing”。そのひと言で、もう質問は終わりですね。
(佐藤)
 「うーん、やられたな」というのが最初の感想でしたね。極めて優れたタイトルの論文ですよ。ただそういうお話は、昔から、宗教や神話の世界ではあるわけです。
(中村)
 それを物理学として論文にしたところがすごい。
註11:アレキサンダー・ビレンケン
【Alexander Vilenkin】
1949年生まれ。米国タフツ大学教授。宇宙物理学。1983年、無からの宇宙創成について物理学としての説明を試みた。
(佐藤)
 中身は単純なことですが、やはり物理の言葉で語ろうとした彼の試みは素晴らしいですね。宇宙の膨張を量子論的に議論する時、トンネル効果※註12を使うと、真空のエネルギーを持った宇宙が、有限の大きさでポッと生まれてくると説明できる。その宇宙はすぐにインフレーションを起こす。
(中村)
 それさえ生まれれば、後はもうしめたものなのですね。
(佐藤)
 量子論で言うトンネル効果は、生命現象の中でもいろいろな分子で起きていることですが、トンネル効果で出てきた有限の大きさの宇宙には、正の真空のエネルギーがありますが、エネルギー保存則が成り立つので、負のポテンシャルエネルギーを合わせたゼロ状態として宇宙は生まれくると考えるわけです。
(中村)
 なるほど。「真空のエネルギー」に対して、それと同じ負のエネルギーがあればnothingということになるという説明ですか。
註12:トンネル効果
【Tunneling】
量子力学においては、粒子のもつ全エネルギーよりも高いポテンシャルの壁をその粒子が通り抜ける確率がゼロではないことをいう。
5. 真理には階層性がある
(中村)
 今年は「生まれる」、つまり「始まり」を考えて行くのですが、私からさかのぼって辿り着く人類の誕生。そして生命の起源。さらに宇宙の始まり。それはインフレーションで始まるのだけれど、それには、真空のエネルギーが必要だというように次々考えて行きますと、問題は、究極、世界をどう考えるかということだと思うのです。物理学の中でもこれは次々と変わってきたわけでしょう。
(佐藤)
 私は、理論物理学の人間として、物理学の歴史を踏まえ、物理学の中で、とことん考えていくという立場ですね。
 最初のアインシュタイン方程式には、宇宙定数というものは入っていませんでした。ロシアのフリードマン※註13という研究者が、この方程式を素直に解くと、宇宙は変化しているという解が得られると発表したのが1922年でした。
註13:アレクサンドル・フリードマン
【Alexander A. Friedman】(1888-1925)
ロシアの宇宙物理学者・数学者。一般相対性理論の場の方程式に従う膨張宇宙のモデルをフリードマン方程式の解として定式化した。
(中村)
 アインシュタインは、宇宙を変わらないものとイメージしていたのでそれはあまり嬉しい話ではなかったと言われていますよね。
(佐藤)
 そのとおりです。神話や宗教では、宇宙に始まりがあると考えるかもしれないが、科学者アインシュタインは、宇宙は永遠不変であると考えるということです。この点はニュートンと同じなのです。ニュートン体系では、この宇宙では、いろいろな天体がバランスよく引き合って、永遠の時間が無限の空間に広がっていた。
 アインシュタイン方程式は、それまでのパラダイムを変える力を包含していたにもかかわらず、アインシュタイン自身は、旧来の信念を変えることができませんでした。フリードマンが、方程式から宇宙は変化するという解を導き出した論文をドイツの雑誌に投稿した時、実は、アインシュタインが審査に当たっており、「あなたの計算は間違っている。私が正しく計算すると、宇宙は永遠に不変だとの解が出た」と冷たい返事を送りました。後日、フリードマンの友人がアインシュタインを訪ね、あなたの審査報告は誤りだと直談判すると、ようやく自らの誤りに気づき、無事に論文は掲載されましたけれど。
(中村)
 でもアインシュタインは、それをまだ信じてはいない。
(佐藤)
 はい。ニュートンの万有引力の法則によると、例えば、地上から大砲の弾を発射しますね。力が尽きると地上に落下するし、引力圏を脱すると遥か彼方まで。結末がどちらかは初期条件で決まります。実は、宇宙が変化していると言ったフリードマンの計算が示しているのはこのことなのです。大砲を打ち上げるようにして宇宙は膨張を始め、そのまま膨張を続けるか、逆につぶれるかは、初期条件によるということを示したのですね。
(中村)
 アインシュタインはそれが気に入らなかったのですね。
(佐藤)
 アインシュタインの一般相対性理論の方程式は、ニュートンの万有引力の法則をより広く適応するよう拡張したものですから、そこに出てくる力は、「引力」だけで、「斥力」はありませんでした。そこで彼は、宇宙が永遠不変になるように、方程式に宇宙定数を加え、空間に斥力を持たせて吊り合いをとったわけです。
(中村)
 なるほど。
 
(佐藤)
 ところが1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブル※註14が、宇宙は本当に膨張していると実証したんです。そこで、アインシュタインは、宇宙定数の導入を後悔した。
(中村)
 「人生最大の失敗だった」と言ったとか。
(佐藤)
 ええ。そう言ったということになっている。ところがですよ。面白いことにまたひっくり返る。アインシュタインが「失敗だった」、「要らなかった」と言った宇宙定数が、本当にあるということになった。歴史の面白いところです。
 私がインフレーション理論を考えていたコペンハーゲン時代なんですが。大統一理論により真空のエネルギーの存在が予言される宇宙が、指数関数的に大きくなるモデルを考え、その理論とアインシュタインの理論を連立した微分方程式を解いたんです。そうしたら、アインシュタインが要らないと言った宇宙定数と、真空のエネルギーとが、数学的に同じになるんですよ。面白いでしょう。ピタリ同じなんですから。だから私は、宇宙定数は、宇宙の始まりにおいて復活したと言っているのです。
(中村)
 学問の面白さがヒシヒシと伝わってきますね。偉大なアインシュタインも人間であり、その時々で誤ることがある。そこに、哲学や神学とは違う、科学が持つ特徴があるわけでしょう。哲学や神学が求めている永遠不変の真理と違って、科学で大事なことは、それまでの知識を踏まえて論理的に考えることであり、きちんと考えられた発言が、真剣に議論された結果、正しいとされた真理であれば、後で、あれは間違っていたということがあっても決して悪くないわけですし、それが次の課題、次の答えとつながる。
(佐藤)
 まったくそのとおりですね。科学は、人間が作るものだということがよくわかりますね。
(中村)
 ところが「真理」という言葉を使うと、世の中では、絶対に間違ってはならないことだと思ってしまう人が多い。科学は、一生懸命考えて、間違えることによって、生まれるものではないかと、ちょっと極端に言えばそんな気もします。
(佐藤)
 真理には階層性があるんですよ。ニュートン力学は一つの完成した体系です。アインシュタインの相対論の立場から言うと、ニュートン力学はある意味では間違っていますが、実際上それで困ることは何もない。確かに、人工衛星の軌道を計算するには、相対論の効果も入れますが、現代であっても、地上での大砲の軌道を計算するにはニュートン力学で十分です。
(中村)
 本当ですよね。普段は全然、それで困らない。
(佐藤)
 つまりアインシュタインの相対論は、より深い真理なのであり、前段の真理は、間違っていると同時に依然として正しいのです。世の常として、正しいか間違いかだけで済まないところは、物理学も同じというわけですよ。
(中村)
 なるほど。階層性と考えれば、とてもすっきり整理されますね。探れば探るほど、何か新しい謎が出て、真理がより深まる。それが科学ですね。
(佐藤)
 少し話が戻りますが、物理学という学問が、19世紀と共に終わったと信じられたことがありまして。当時、ニュートン力学と熱力学の体系が美しい数学的な定式化によって究まり、森羅万象のすべてがこの二つで説明できるのだから、もう作るべき新しい法則はないだろうと言うわけです。
(中村)
 あとは、応用だけだというわけね。
註14:エドウィン・ハッブル
【Edwin P. Hubble】(1889-1953)
米国の天文学者。 たくさんの銀河が存在し、それらの銀河からの光が宇宙膨張に伴って赤方偏移していることを発見した。
(佐藤)
 ところが、ちょうど19世紀最後の年に、ケルビン卿※註15は、「しかし、現代物理学には、二つの暗雲が立ち込めている」と予言ともいうべき重要な発言をした。その言葉の意味する一つは、溶鉱炉から出てくる光の問題で、温度を上げた物質の発散する光の変化について、ニュートン力学と熱力学の範疇で矛盾が出てきたこと。これが量子論を生むきっかけになった。もう一つは、エーテルが見つからなかったマイケルソンとモーレーの実験※註16。後に相対論を生むことになりました。
(中村)
 量子論と相対論ってとても厳かですけど、溶鉱炉とエーテルがきっかけとは面白い。
(佐藤)
 当時も、革新的に技術が進むことから新しい謎が生まれているのです。そこから出てきた小さな矛盾を深刻に、「暗雲」と捉えるか。つまらない細部だと気に止めず見過ごすか。その差は決定的です。
(中村)
 小さな引っかかりによって全体を捉え直すところから新しい学問が生まれてくるのですね。
(佐藤)
 従来の真理を超える「新たな謎」が見えてくるのです。ニュートン力学に従い研究を進めて最先端まできた時、謎が見えた。それを課題として解決することで、量子論と相対論に基づく20世紀の現代物理学が花開いたというわけです。
(中村)
 生物学も今まさに謎にぶつかっているんです。つまり学問が非常に進んでいるように見える時って謎が生まれている時なんですよね。生物学も花開きたいですね。
註15:ケルビン卿
【Lord Kelvin】(1824-1907)
通称ケルビン卿の名で知られる英国の物理学者ウィリアム・トムソン(William Thomson)は、熱力学の開拓者の一人。絶対温度の導入や、クラウジウスと独立に熱力学第二法則を発見などの業績がある。
註16:マイケルソン・モーレーの実験
【Michelson-Morley experiment】
当時、光の媒質と想定されたエーテルを検出するために米国の物理学者アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーが行ったハーフミラーを用いた実験(1887年)。エーテルの検出には失敗したが、後に光速度不変の原理の発見につながる。マイケルソンは光学に関する研究によってノーベル物理学賞を受賞(1907年)。
6. 屋根裏で観る多次元空間
(中村)
 人間原理という言葉は、昔から聞いたことがあるのですが、少しいかがわしい話かしらと思っていましたら、最近、サスカインドが『宇宙のランドスケープ』※註17という著作で人間原理という話を熱心に語っているのでびっくりしました。今、理論と観測で、マルチバースというところまで解いた時点での人間原理について、聞かせてください。
(佐藤)
 私の場合は、理論物理学者ですから、やはり、この世界を規律している究極の法則を知りたい。重力、強い力、電磁気力、弱い力という4つの力を統一して1つの法則にまとめ上げたいと思うのです。
(中村)
 大統一理論は、物理学者の夢ですね。アインシュタインを始め、名だたる優れた物理学者がそれを夢見たけれど、いまだにつかめないのはよほど難しいのですね。素人として興味深いのは4つの力の中で一番身近な重力がどうにもならない扱いにくい相手だということです。
(佐藤)
 もう齢60を超してしまいましたから、それが夢なら夢で、その時はしかたないとあきらめようとも思いますが、それでもやはり物理学をやっている人間にとってみれば・・・。
(中村)
 そういう夢があるのは素晴らしいこと。でも、これまで優秀な人々が100年考えて解けないのだから、本当に解けないということはないのかな。なんて、全然わかっていない人が思ったりするわけですが。
(佐藤)
 私は、統一的な理論があると信じたいのですけどね。ただホーキングなどは、やっぱり複合的なものしかない可能性があるとは言っていますね。でも物理学の歴史をひもとけば、やはり力の統合の歴史でしたね。
(中村)
 大統一理論という意味では、ちょっと停滞気味なのでしょうか。
註17:『宇宙のランドスケープ』
レオナルド・サスカインド著、林田陽子訳。日経BP社
(佐藤)
 いやいや、最近だって少しは進んではいますよ。私がインフレーションを議論している時には、弱い力と電磁気力を統一するワインバーグ・サラムの理論※註18というのが出ましたね(図2)。ノーベル賞だからそれが本物だと主張するつもりはありませんが、少なくとも4つのうち2つの力を統一したわけです。最近の超ひも理論※註19が、すべてをすっきり説明することに成功しているとは言えませんが、いつか究極の極みに達する理論が出るだろうという信念が私にもあるわけです。
(中村)
 解けた。という喜びを共有したいですよ。
(佐藤)
 では、例えば、その究極の方程式ができたとしましょう。その微分方程式の中にある定数があるとしましょう。 そこで、なぜ、その定数の値はその数値なのかという疑問が出たとき、中村さんはどう答えを出しますか。
(中村)
 アハハ。私は教養学部の頃の高木貞治の『解析概論』で止まっている人ですから。そんなこと聞かれたって知りませんよ(笑)。
(佐藤)
 いや、究極の方程式が完成して自慢する理論物理学者がいたと仮定して、ですよ。「先生、でもどうしてそんな数値なんですか。」という質問を受けた時にどう答えるかという問題なのです。
 その答えの1つが、「宇宙はいくらでもあって、この数値はその宇宙ごとに違っていいんだよ。しかし、この数値でなければ、あなたは存在できなかったんですよ。」ということです。「この宇宙では、この数値であったがゆえに、こうした世界の構造が生まれ、生物が生まれ、知的生命体が生まれたわけで、ほかにもなんぼでも宇宙はありますが、世界を認識する主体が生まれるのは、あなたが知っているこの数値のこの宇宙だけなんですよ。」これが人間原理ですね。
(中村)
 なるほど。よくわかりました。
(佐藤)
 重力、強い力、電磁気力、弱い力と4つの力が本当にうまく調節されているから、原子や分子が生まれて、生命体も生まれてきた。ちょっとでも狂ったら生まれません。究極は、そのすべてを統一理論としてすっきりさせたいのです。ところが、確かに、ある数値が狂うと人間は生まれないとしても、あまり早い段階から人間原理を言うと、それで説明がつくなら、もう研究せんでもええやないかとなり、それは学問の放棄につながります。
 しかし、究極の方程式にそんな数値があると、それはもう、本当にほかに説明の手だてはないでしょう。だから、最終的に、人間原理を言うなら正しいと思います。
(中村)
 なるほど。人間原理は、究極の統一理論が出た時、初めて口にすべき言葉なんですね。
(佐藤)
 究極の統一理論が本当にあるのか、それはわかりません。
(中村)
 わからないけど、それが解けると信じて、その時まで口にしないというのが理論物理学の立場ですね。
(佐藤)
 私たちを含むこの世界は、神様が思いつきできめるようなことじゃなく、きれいな方程式で統一的に規律され、究極の法則によって動いているはずだということです。
(中村)
 そこまで行ったら本当に「真理」だと私も思います。
 もう一つ、サスカインドの超ひも理論のエピソードに触れてお聞きしたいのですが、彼は、屋根裏部屋に、ある期間こもりっきりで、食事時にも考え続けてろくすっぽ話もせずに、家族からも嫌われながら、考えに考え抜いていたところ、ある日突然、クォークがゴムひものような物として、つるつるつるっと動いているイメージが浮かんだ。次に、イメージを数式で表そうとがんばったと。私には、難しい数式のことはわかりませんが、彼が書いた言葉をその本で読んだ時に、私にも、そのイメージが浮かんだ瞬間がわかった気がしたのです。
 佐藤さんの場合は、やはり日常は、まずイメージを浮かべ、思い浮かんだものをホワイトボードやノートにいろいろ書いたりなさるのですか。マルチバースという発見なども、やはりイメージが大事なのですか。
(佐藤)
 理論物理学というと、即、計算という印象をお持ちかもしれませんが、まさにイメージを作り、イメージに基づいてモデルを考え、そして計算してみるわけです。
(中村)
 やはり計算するきっかけはイメージなのですね。
(佐藤)
 私はそう思います。イメージに基づいて計算をする。うまくいかなければ、モデルかイメージが間違っている。そのくり返しです。数学的な多次元空間は、日常の生活世界とは、何も関係ありませんが、間違った、正しかったと、訓練を重ねる過程で、そのような世界の直感がはたらくようになるものなのです。
(中村)
 ある意味で、多次元空間が見えるようになるのですね。それが見えていないところで計算しても駄目なのでしょうね。
(佐藤)
 やはりモデル化して単純にしないと方程式は解けません。単純化はイメージがあるからこそできるのだと思いますね。
(中村)
 イメージがどう湧くかが勝負でもある。
(佐藤)
 直感とは、神がかったものではなく、訓練の中からできてくるある種の技能なのです。
(中村)
 専門家であるがゆえに生まれる。悩みに悩んだからこそ生まれるイメージということですね。
(佐藤)
 ええ。常にそうですよ。悩み、間違える経験をしなければ、絶対に直感は生まれてこないですよ。
(中村)
 さっきから、時々愚痴っぽく言ってるのはそれなんです。生きものを考えるために、いま生物学の中に溜まってきた膨大なデータから、誰かが、生きものの理論のためのイメージを湧かせる仕事に専念する必要があると思うのです。生物学の場合、どうしても具体的な形ある生物が目の前にあるので、つい手を動かして充足してしまいがちですが、実は、非常に抽象的な生命体というイメージを皆で思い描かなくてはいけない時に来ていると思います。
 浮かんだイメージを計算し、もちろん間違いもあるでしょうが、だんだん生きものの基本が見えてくる。理論物理学に相当する生物を理論として究める学問分野があって然るべきだと思うのです。
註18:ワインバーグ・サラム理論
スティーブン・ワインバーグ、アブドゥス・サラム、シェルドン・グラショウが完成させた弱い相互作用の力と電磁相互作用の力を統一する理論。ノーベル物理学賞(1979年)。
図2. 力は4つに分かれた
クリックすると拡大図が見られます。
註19:超ひも理論
【Superstring theory】
物理学において粒子を、0次元の点でなく、1次元の弦として扱う弦理論(ひも理論)に、超対称性を導入した理論。
7. 議論して考えるのが学問
(中村)
 今日のお話を伺うと、やはり物理学はとてもすっきりしていますね。もちろん謎は深まっているのでしょうが、見えてくる宇宙の歴史も、階層ごとに深めながら考えていけるし、うらやましい。
(佐藤)
 10年前の混沌とした状況からすっきりさせた成果なのですよ。しかし、私たちも、どうしてこれほど理論と観測が一致するのか不思議だというのが素直な実感ですよ。
(中村)
 それを体験なさったことは、とても幸せですね。宇宙はいいなあ。生物にもグランドデザインが欲しい。それを誰か考えてくれないかしら。理論物理学者ってもともと考える以外にやることないじゃないですか。
(佐藤)
 アハハ。そうですね。
(中村)
 でしょ?
(佐藤)
 そうですそうです。
(中村)
 生物学者は、考えなくてもやることがある。
(佐藤)
 考えなくても、作業すればいくらでも論文が書けてしまうとは、よくないですね。
(中村)
 屋根裏にはこもらないにしても、理論物理学という職業があるから、毎日、考えていられるわけで、やはり生物学の1分野にも、必死で考えないと生きられない職業を作らないといけませんね。
 実際、生きもののなりたちだって、星と同じようにインフレーションから出てきた元素で出来ているわけで、物理法則の筋は通っているはずね。例えば、佐藤さんのような頭脳を持った物理学の人が、ちょっと生物のデータを考えようかと言ってくれたらいいのですが。なかなかそういう人がいない。
(佐藤)
 物理と生物の境界にいて、数理的なアプローチを持った生物系の研究者なら何か出せるかもしれませんね。
 しかし、どの領域にせよ、研究とは、何をおいてもまず人と議論すること。次に、自分で考えて計算して悩むこと。2つが不可欠です。
 屋根裏にこもったらイメージが出てきたサスカインドも、普段、周りの人と議論ができていたのですよ。
 私も、よく若い人に教えてやるつもりで議論を始めて、逆に学ぶことはなんぼでもあります。素朴な質問ほど怖いことはない。
(中村)
 科学は「議論」と「考える」の繰り返しです。
(佐藤)
 議論して考えることで、私らは飯を食っている。
(中村)
 プロフェッショナルな職業をもっと作らなくては。
 まさに分子生物学の始まりがそうでしたね。お金もなかったし。渡辺格先生の下で始めた時は、まさに「議論」と「考える」の毎日でした。この頃の生物学には、お金と機械ばかりがあって、科学がなくなってしまった。実は先日「コペンハーゲン」という劇を見ました。ボーア夫妻とハイゼンベルグの会話だけなんですが、まさに「考える」と「議論する」でしたね。
(佐藤)
 シーケンサーを100台も揃えれば、研究室というより生産工場みたいな感じですものね。
(中村)
 個人の頭で考えることのできる大きさと釣り合わない量のデータが出てくる。もう単純な話、次の1年は、一切、データは出さずに、今あるデータから皆で考えることに専念する決心をしたらどうだろうと、受け入れられないのは承知の上で、ある会議に提案したのです。象徴的にいえばそういうことが必要な時代なのですよ。
 先ほど、佐藤さんが信念としておっしゃった、縦糸と横糸と両方あって初めて世界が織り上がるという物理学の本質を語る言葉が深く心に響いたのですが、今の学問は、片一方の糸だけで考えていこうとしているところがある。生物の新しい論理学も、縦横から糸を通さないと見えてこないと思う。世の中でも、量子と心とか、遺伝子と愛とか、あまりにも単純に言い過ぎですよ。
 私は、佐藤さんがこの数十年の間に宇宙物理学でなさったようなことが、生物学で起きて欲しいと思うのです。私たちの学問は、今、行き詰まっています。
(佐藤)
 私たちが、真理の深い階層に達するには、何かの謎や行き詰まりが必要です。でも今の生物学は、見かけ上、矛盾に苦しんでいるような雰囲気がないですね。
(中村)
 それが困る。生物学だって、過去に、矛盾にぶつかって苦しみ、何度か乗り越えてきた。昔は、コミュニティが小さくみんなで悩めた。今は、悩みを共有できないほどコミュニティが広がり、組織編成や予算が大きく見える分、元気なように見えるだけです。
 考えている人にとっては、今は壁ですよ。でもそれは、突き抜けたら、絶対、面白いはずの壁なんですよ。
(佐藤)
 まさにそれが大問題というのはわかりますね。生物の膨大なデータから従来の概念と矛盾する何かが見えてくることが必要ですね。進化論を超えるような深い階層の真理を見つけるアプローチが必要だと思いますね。
(中村)
 ダーウィンの言った進化論は現象的で、物理学や宇宙論で言う「論」とは違いますね。宇宙論の「論」に相当する進化論は難しいんだろうな。とは言え、子供宇宙や孫宇宙なんてまるで生きものみたいですし、次を期待しています。
 生命誌ジャーナル 2007年夏号
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