生命誌ジャーナル

2015年間テーマうつる

距離と尊重をもって自然に接する

崔 在銀(造形作家)× 中村桂子(JT生命誌研究館館長)

崔さんから朝鮮半島の三八度線をまたぐ「空中庭園」の構想を聞き、ちょっと驚いた後すぐにすばらしいと思いました。三八度線の南北2キロ、計4キロある非武装地帯は62年もの間誰も入っていないために地球上で最も美しい自然を誇る場となっています。なんとも皮肉です。このみごとな自然を楽しみながら朝鮮半島の人々はもちろん世界中の人が空中庭園を散策する様子を思い浮べると心が踊ります。このような発想こそ生命誌の求めていることです。鎮魂のうえに、美しい世界をつくる約束です。戦争をしている暇はありません。(中村桂子)

西洋では、光と影、肉体と精神、そして生と死というように、よく二つを分けて考えますが、東洋の思想の中では、生と死は一つの輪につながっています。生きものは死の世界を含むからこそ、新しい命の世界が生まれてくると語る中村先生の生命誌の表現は、西洋、東洋を問わず、人々の心に深く響くものです。人間も自然の一部として地球をまるごと抱える生命誌の考え方には、たくさんの魅力が詰まっています。死をも含む生命の循環が紡ぎ出す、魂を宿した生命誌の作品づくりにこれからも期待します。(崔 在銀)

崔 在銀(チェ・ジェウン)

1953年ソウル生まれ。76年より東京に在住し、草月流で華道を学ぶ。84年から3年間、草月流三代目家元、勅使河原宏のアシスタントとなる。95年には、日本代表の1人として第46回ヴェネチアビエンナーレに出品するなど、国際展への参加多数。2001年には、映画「On The Way」を発表した。2000年からはべルリン在住。

目次

  1. 1.朝鮮半島をつなぐ「空中庭園」を
  2. 2.自然に境界は存在しない
  3. 3.生態系を通して平和を維持する
  4. 4.生と死の循環が作品を紡ぎ出す

1.朝鮮半島をつなぐ「空中庭園」を

中村

崔さんから、朝鮮半島の38度線をまたぐ「空中庭園」の構想を伺って、少し驚きましたが、素晴らしいと思いました。

最近、朝鮮半島の非武装地帯の生態系に向き合うということを始めてから、人間と、自然や生きものとの距離感にとても敏感になっているのです。それで、第三の空間として「空中庭園」を考えたのです。

中村

なるほど。生きものや自然に向き合う時に、どのような距離をとるかということはとても大事ですものね。ただ入りこめばよいというものではない。

物理的にも、精神的にも適当な距離をとることが必要と強く感じています。非武装地帯という場所には、豊かな生態系があるけれど、実はそこは朝鮮戦争で大勢の兵士が亡くなった歴史があるところです。非常に複雑な思いを抱えてどのようにアプローチしたらよいか悩みましたが、やはり直接そこに触れない方がよい。人間がそこに入って、何かを移動するとなると…。

中村

人間は触ると必ず壊すから、触らないという選択をするということですね。本来、人間は、ヒトという生きものでありながら、もう一方でそれと離れた文明を作ってしまった。

文明は文明でいいんですけれど。

中村

文明を持つことは人間として当然ですけれど、文明を持った人間は、ちょっと距離を持って自然と接したほうがよいということね。

これほど大きな文明を作り上げてしまったことで、お互いの存在を尊重し合うことが、より強く求められている時代だと思います。野にある一輪の草でも、よく見て、尊重しなければならない。そのおおもとにあるものは愛情です。繊細に距離感を持ち互いを尊重し合う。それが理想的な共存だと思います。

中村

崔さんは、子どもの頃から朝鮮半島の自然に触れて育ち、その美しさを見て美しい作品を作る努力をしてきたわけね。そして今、38度線の非武装地帯を見つめた時に、深く感じるものがあるわけでしょうね。

非武装地帯という場所は、朝鮮戦争の時は、日毎に北になり南になりした激戦地でした。それから約六十年の間、誰も足を踏み入れず農地も湿地に返り、多様な生物たちの力で場を作り上げているのです。つまり、そこで命を落した大勢の兵士も、草一本も、皆一体となっている。とても重く感じます。

生態系の調査でここに入ったある生物の先生の話では、とても静かな場所だそうです。聴こえるのは、鳥や動物の声、風にそよぐ葉の音。後はシンとするほど静かだって。

中村

私たちは当時の現場を知らないけれど、政治に、戦争に翻弄され、自然も人間も壊されて、亡くなった人もそこに埋まっている。その後たかだか60年で、そこへ入ってみたらこれ以上に自然が深いところはないという場所になっていたというのですから感慨深いですよね。何と言ったらよいのでしょう。皮肉というか、不思議というか。非武装地帯の自然は、原始の自然に近くなっているけれど、それとは違う意味を持っていますね。

そう。そこで私にとって、ここでの ”distance”というのは ”respect”とつながります。

中村

どんな小さな生きものでも、アリ一匹だって文明は作れない。だから自然を尊重することが一番基本にあるわけね。

中村先生がおっしゃる38億年の生命の世界、自然というものは、どの国にも属さない共通の財産ですね。そのように自然との関わりを考えることが、今の地球に必要なことだと思います。戦争はいらない。

中村

そう。グローバルと言う時のグローブという言葉の意味は地球でしょう。今、文明社会では、地球上のあらゆる場所の情報が入ってくる。その意味では、すべての人のことがわかっているし、仲間であることもわかっているわけよ。

わかっているのにできない。

中村

本当の意味のわかるになっていないのでしょうね。でも、こんなこと今までになかったわけです。人間は、国を作り、町を作り、つまり境界を作っているけれど、自然に境界はありません。それをよく知らなければならない。一方で、境界のない自然の中に私はいるのだけれど、同時に、今、日本の東京都世田谷区という区分の中にいることも確かであり、それは日常生活で意味を持つことです。その両方が必要でしょう。ものごとは一つには決まらない。いつも、両面あるという考え方をしないと駄目で、どちらか一方の考えに偏ってはいけないんですよね。

そうですね。非武装地帯も南北の人が一緒に調査するらしいです。だからその時は平和なわけ。私はそういう動きを踏まえて「空中庭園」を作りたいと思ったのです。非武装地帯に咲く一本のお花を共有する感性って素晴らしいでしょう。

中村

その感覚は北の人も南の人も同じでしょう。とくに同じ民族ですもの。もともと境界線はありませんでしたからね。

2.自然に境界は存在しない

今一つ、「空中庭園」で考えていることがあって、あまりにも素朴すぎる考えだという声もありますが、近くに生えている植物の種を集めて、それを風に持っていかせるというしくみです。

中村

風に種を蒔いてもらうのね。

地雷が残されたままなので地面には降りられません。風に種を運んでもらって、何十年か後にできる庭を想像すると楽しい。

中村

そういうことを言うと、政治的な立場から現実的になりなさいと言われるけれど、むしろ草が生えるということこそ、現実じゃないですか。政治的以前に、自然があるということに気づかなければいけませんね。

現実だからこそ、すごく面白い、わくわくしますね。

中村

奇麗な花が咲いたらいいなとか、普通に考えることが一番大事ね。

いいですね。普通で。

中村

私も板門店へ行く前には、38度線の境界ってどういうものだろうと思っていました。実際には、こんなに低いコンクリートの敷石を並べた線でしょう。そこを私の眼の前でアリが越えていくのを見て、これが自然だと思いました。彼らに境界はないのです。

タンポポも咲いていますし。

中村

タンポポの種が向こうから飛んできたら、こちらで咲くわけですよね。

自然に境界は存在しないという思いは、2000年に作った映画 ”on the way” (註1)からずっと変わりません。「空中庭園」の構想を韓国政府に出した時に、「先生、時間がだいぶかかりますよ」と言われました。私は時間をかけるのは好きなので、「大丈夫ですよ」と答えました。実現までどれくらい時間がかかるかわからないけれど、辛抱強く、丁寧に付き合っていきたいと思います。

中村

政府の人が、駄目と言うのでなく、時間がかかりますよと言ったというのはいいですね。具体的に考えていきましょうという意味ですからね。

非武装地帯はどちらの国の人も入ってはいけない場所ですけれど、調査団の人達は一緒に楽しく研究しているっておっしゃったでしょ。科学って、本来そういう力を持っているはずです。でも今は、国力のために科学をやりなさいとなってしまう。

それは資本主義に毒されているから。

中村

そう。さらに、成果を出す研究にだけ予算をつけて競わせる。兵器を作ったりもする。でも本来、生物学は政治とは無関係で、平和に研究できる分野なのだから、本当に、この地球の素晴らしさをみんなで共有する方向を向いているものなのです。それが研究者のやるべきことだと思うの。生命誌はそれをやりたいと思って始めたことです。

ああ、素晴らしいですね。そういう瞬間って最高ですね。

中村

だから生命誌は、崔さんの「空中庭園」ともつながるわけ。例えば、種を飛ばす時、どの種がよいかは、その生態系をよく理解しないと決められないでしょう。それを考え、実行するのが本当の科学だと思うのです。

素敵ですね。芸術もそうですけれど、資本主義に毒されない何かを持ちたい、それがないともう生きていけない。

中村

資本主義がすべて悪いかどうかはよくわかりませんが、少なくとも、現実を見ずに金融で動く今の経済は、生きものとは合わないといつも思っています。

合わないし、何の面白さもない。破壊するだけ。

中村

面白くないこと、楽しくないこと、美しくないこと。私、それはいやなのね。

“most agree”だな。そうですよね。

中村

正しいとか正しくないとかという感覚ではなく、面白い、楽しい、美しいで動く。経済はよくわかりませんけれども、毎日ニュースを聞いていても、今の社会は生きものらしくないなって思いますね。

私はもう、テレビは持ちたくない。そこに消費する時間と精神がもったいないですよ。

中村

この頃のニュースは見る気がしないことばかりですね。だからといって地球の一員なんだから、私は関係ありませんというわけにはいかない。知らなければいけないと思うけれど、それなら、ああ、楽しいなって感じながら考えられるようなことが世の中で起こっていて欲しいと思いますね。

そうですね。だからやっぱり生命誌よ、先生。生命誌を通すと平和になります。本当ですよ、それが一番の平和ですよ。

中村

ありがとうございます。それは一番嬉しい言葉。何が正しいとか正しくないという判断ではなく、生命誌として考えると、戦争もね、そんなことをやっている暇ないという答えになるわけです。例えば、異常気象も何が原因だかよくわからないけれど、私たちが大量にエネルギーを使っていることが関わり合っているはずだとは思うのです。今、人間が環境のことを考えながら暮らさなければいけないのは当たり前ですよね。世界中の子どもたちのことを考えると、食べもののない子ども、戦争にかり出されている子どもと、とんでもないことがいっぱい起きている。これをなんとかしようと今、大事なこと、まさに当たり前のことを一生懸命やっていたら戦争なんかやっている暇はないはずよね。

そういうことをみんな共有してわかって欲しい。そこで大事なのは教育ですね。デイヴィッド・ナッシュ(註2)という木の彫刻家がいらっしゃって、彼はイギリスの田舎に、子どもたちが自然と触れ合いながら美術を学ぶ小さな学校を作ったんです。80年代に、彼を勅使河原宏(註3)先生が草月へお招きした時も「今から何十年後に子どもたちが本当のリンゴの味を知っているだろうか」というテーマでお話をなさった。今、とても大事な考え方だと思います。

中村

子どもはもう自然と一体ですものね。初めて森の中で怖い目にあったりして自然を知り、そうして大人になった時に崔さんの言う距離感がわかるようになるんだと思うのね。

註1:映画「オン・ザ・ウェイ」【on the way】
崔在銀初監督作品。脚本は中村桂子、崔在銀。日本では2002年に劇場公開。東西の壁が崩壊したベルリンや朝鮮半島の非武装地帯の映像と、「開いた境界」を生きる生物界の作り出す美しい自然の情景を対比させながら、「地球上の閉じた境界はいつか開く、その道半ばである」という気持ちを表したドキュメンタリー・ドラマ。
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註2:デイヴィッド・ナッシュ【David Nash】[1945−]
イギリスの彫刻家。自然との関わりを深く保ちながら制作を続けている現代美術作家の1人。
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註3:勅使河原宏【てしがはら・ひろし】[1927−2001]
華道家、映画監督。勅使河原蒼風の長男。1980年に草月流3代目家元を継承。前衛的な生け花作品で知られる。安部公房の原作、脚本による映画作品を多く手がけた。
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3.生態系を通して平和を維持する

中村先生、今、地球の温度はだいぶ上がっているんですか。

中村

上がっています。困ったことに、人間は、原因がわからないとその状況にどう対処するか決心がつかない。しかし、温度が上がっている原因は今の科学では正確にはわからない。でも、この複雑な世界は科学ですべて説明できるものではない。

生産と消費を減らさないと。

中村

そう。科学者って困ったもので、1対1の因果関係があって、それが数字で表せない限り解決できません。病気もそうですね。原因がわかれば一生懸命お医者さんが直す方法を探してくれるけれど、何となくおかしいでは対処できません。そこが今の科学の弱さ。でも今、誰だって、気候がおかしいと思っていますよね。その原因に人間があまりにもエネルギーを使い過ぎていることが関わってないはずはないということは、感覚的にはわかる。しかし、数字でそうだとは誰にも言えない。

以前、中村先生にお話を伺った時に、人間は基本的に人口が多すぎるとおっしゃったことを思い出します。今もそれは変わりませんね。

中村

今地球上にある生態系のバランスを維持しながら生きようとしたら、生きものとしての個体数がちょっと多すぎることは確かですね。

人間は、生きているだけでたくさん食べるし、悪いこともするし…。

中村

自然界の生きものよりはそうですね。人間というのは困った存在。でも、だから面白いのかもしれない。あんまり賢くて偉かったら面白くないかもしれないと思ったりもするのです。とんでもないことをやるから、考えることもあるわけで。宮沢賢治が「ほんとうの賢さ」と「ほんとうの幸せ」という言葉をよく使うけれど、今、私たちが考えなければならないことですよね。

そうですね。「空中庭園」の実現には、まず非武装地帯のオーナーである南と北と国連軍の三者の承認が必要ですが、ゆくゆくは世界中の人々にこの生態系を共有する考え方を持って欲しいと私は思っています。そのメッセージを世界中に発信したい。我々はここにある生態系を通して平和を維持しようとしているということを。

中村

素晴らしいと思います。それは生命誌と重なる考え方です。

考え方はそうですが、実現にどれくらいの時間がかかるかなと思うと。でも私は、事は時間が解決すると思っているので待ちます。

中村

現状を見ているとだいぶかかると思えるけれど。でもベルリンの壁のように、ある時、一気に変わるかもしれないじゃありませんか。

それを願っています。一つの希望ですね。そして夢が現実になる場合もあります。だからその時を信じて、今から着々とメッセージを発信し続けてゆきたいと考えています。

中村

38度線の非武装地帯を一つの象徴として、あらゆる場所で生態系の維持を通してみんなが仲良くする地球にしていけばいい、それがこれからの生き方かもしれないと思いますね。

今、シードバンクが発達して、世界中を網羅して情報を交換していますね。紙幣や数字を扱うバンクよりもこちらのほうがはるかに現実的ですよ。だって地球が危機に瀕した時、直接、役に立つもの。

中村

そうね。絶滅した種なども残していますしね。

イギリスは、それが一番発達していますね。ノルウェーの島の中には、ノアのシードバンクもあります。彼らと互いに交流して、ちょうど38度線で地球中を一回りしたいと考えています。

4.生と死の循環が作品を紡ぎ出す

私は、草月で勉強したのですが、あまりいわゆる生け花はしません。なぜかというと、美しく生けた時に、それが生け花なわけですが、私にとっては花そのものがすでにできすぎています。それを崩したくないという気持ちが強いのです。それで私は、草月へ行ってもちょっと違った形で作品を出す。すると勅使河原宏先生が、面白いとおっしゃった。だから私は、美しいお花を再構成しようという風には思っていないのです。

それがこの前のプラハの展覧会では、久しぶりに花に触れました。北ヨーロッパは、冬の光がとても奇麗です。フェルメールの世界ですね。アトリエから光が射す場所に花瓶を置いて、花を生けたら、そこで枯れて死んでいく。そうしたら、そこにもう一本新しい花を入れる。2ヶ月半くらい、それを同じ時間帯に、同じシャッタースピードで撮影して一枚の画面に多重に露光させる。小さい器の中で死と生を同時に生かすという作品にしました。枯れた花に新しい花をどんどん重ねていったのです。

中村

たくさんの死んだ花の中に一本は必ず生きている花がいるわけね。

はい。そのタイトルは、“somebody’s there - nobody’s there”としました。誰かいながら誰もいない。実は、私は、時間だけが作り上げるものにしか興味がないのです。

中村

人間が意図的に何かやるのでなく、時間が作っていくわけね。生きものがそうですものね。

いつも、私がある設定はしますが、後は時間に任せるのです。“only time can make it”、時間以外には作ることができないということが私の作品のコンセプトです。花の作品を飾った展覧会場は、ボヘミアン時代のアネズカという聖人の修道院だった古い建物で、その建物自体が持っている意味がとても強かった。

中村

その中にすでに時間があるのね。

展覧会のタイトルは、 ”The House That Continuously Circulate” としました。あの場所のあの家で、循環がずっと続いているのです。

私は、自分の仕事として、一貫して、死と生、そして時間がそこに持たせる意味をずっと考えてきました。とくにプラハの展覧会の花のシリーズは、正面から死と生を一緒に生かす作業でした。生命誌では生と死はつながったものですね。

中村

生命誌の死は、いつも生と絡み合っている死ですね。一番有名なのが、個体発生で、お腹の中にいる赤ちゃんの手ができあがってくる時に、最初はまるい塊。後で一部の細胞が死んでいくことで、指ができあがっていく。ここに細胞の死があることで、手ができあがるわけね。

死は終わりじゃない。生のための死ですよね。

中村

そうなんですよ。大昔、最初に地球に誕生した細胞は、死ななかったわけ。死なずにどんどん分裂して同じものが増える生き方。それが、雄と雌ができて、子どもが生まれたら親は死ぬようになったわけです。自分という個体は死ぬけれど、次の世代が歴史を受け継いで行くから種としては生きているわけよね。このような生き方を選んだということが面白いといえば面白い。

西洋的な考え方では、光と影、肉体と精神、そして生と死というように二つを分けるけれど、東洋の思想の中では、生と死はひとつの輪につながっています。生命誌でも二つはいつも結びついていますね。

中村

そのとおり。

それを、私はすごく美しく感じます。そういう意味でも、やはり生命誌は、これから、深くて、面白い領域だと思います。

中村

そう言っていただくと身が引き締まります。応援してくださいね。

私は、プラハのお花の作品で、そこへ深く踏み込もうとしたわけです。“somebody’s there - nobody’s there”という題も、そこには時間と空気しか存在しないということ。しかし、そこにはつねに生と死が繰り返しているということを表現しました。それこそが生命誌であるという風に、今も強く思っています。

中村

なるほど。よくわかります。

最近、よく中川幸夫(註4)先生のことを思います。とても素晴らしい世界をもっていらっしゃいました。作品に死が入らなければならないということを徹底なさいましたね。哲学的にも、生け花の流派をはるかに超えた考え方を出されました。最近ようやくそういうことが面白いと思うようになりました。

中村

確かに、中川さんが求めていらした世界と通じるものがあるかもしれませんね。

プラハの展覧会では、もう一つ、私がドイツでたくさん集めた古い紙を使った作品を飾りました。

中村

和紙もいいけれど、ヨーロッパの紙も奇麗ね。写真で見せて頂きました。あなたの色と形の配置がみごとで美しい。

その紙を買い揃えるのに小遣いは全部使ったかな。それを3000枚くらい自分で設置しました。

中村

さまざまな国の文化として紙があり、みな素晴らしいですね。

ええ。そこに、さまざまな時間が急速に集まって一体化したという感じでした。

中村

紙って、元は自然のものだけれど、そこに人間の美意識が関わり合ってできるから、時代ごとの特徴が見えてくるのね。だからとても面白い。

生きていますね。

中村

そうね。崔さんは、紙を地面に埋めてバクテリアのはたらきによる変化を見たものも面白かった。その他、竹を生やした作品など、確かに時間と生きものがテーマになっていますね。

世の中に、作られたものがあまりにも多すぎます。だからせめて私は作りたくない。ただし時間が作り出す事はすごく素敵です。

中村

向こうに任せるのがよいということ。” only time can make it”

”ya ya yah ”

中村

作っていくのも時間だけれど、壊していくのも時間でしょう。

時間が作り上げた散らかせ方が作品にできれば最高ですね。実は昨日、原美術館のサイ・トゥオンブリー(註5)の展覧会に行きました。人間はあそこまで自由になれるんだろうかというほどに、あれは、子どもが形を描こうとする、その直前の絵ですよ。

中村

子どもが形を描こうとする直前の絵という表現、面白いですね。

形がない。それくらい自由なわけです。それというのはやっぱり八十何歳まで生きた人が、世間から受けた影響もいっさい入れずに素の自分が持っている美しさの中からでき上がってくるものですね。あれはプロでしょう。もう何を描いても、彼の作品の隣に置いたら必ず負けますよ。偉大な方です。素晴らしい作品が飾ってありました。中村先生も行って観てください。

中村

原美術館ですね。行ってみます。

註4:中川幸夫【なかがわ・ゆきお】[1918−2012]
香川県生まれ。華道家、芸術家。1951年に池坊を脱退し、流派を持たないいけ花作家として作品を発表し続ける。書や写真などの作品も多く発表している。
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註5:サイ・トゥオンブリー【Cy Twombly】[1928−2011]
アメリカ抽象表現主義の流れを汲む20世紀を代表する画家、彫刻家の1人。晩年(1996年)には、高松宮殿下記念世界文化賞、ヴェネチア・ビエンナーレ 金獅子賞(2001年)などを受賞。
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写真:大西成明