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TALK

生態学から地球に生きる知恵を

湯本貴和京都大学教授
中村桂子JT生命誌研究館館長

 

1.熱帯雨林で拓く新しい生態学

中村

生態学は生命誌の大事な一分野として関心を持ってきました。とくに熱帯雨林のお話はずっと伺いたいと思っていながら伺えずにきました。理由は井上民二さん(註1)。

湯本

ああ、なるほど。

中村

井上さんがマレーシアのランビルで始められた林冠調査が、生命誌を始めたばかりの私にとって魅力的で。この欄への登場をお願いしたら快く引き受けてくださったんです。「ただ、これからランビルに行かなくてはならないので。」そのランビル行きで飛行機事故に遭われた。

あれから20年近く経ちますが、今お話を伺うとしたら湯本さんにと思っていました。湯本さんは若手として井上さんを支えていらしたのはもちろんですが、そのまま彼の中に収まらず、ご自分らしく展開していらっしゃる。

湯本

そういうところはありますね。

中村

学問とは、いま最も大事なことは何かと問い続けることであり、これが大事だと思ったら今までの専門にこだわらず展開していくのが本来の姿だと思うんです。湯本さんは大学という枠組みの中で見事にそれをなさっていて、学問に対する姿勢が興味深い。

湯本

ええ、私はこだわりがなさ過ぎるとよく言われます(笑)。

中村

最近まで総合地球環境学研究所で、日本列島の自然と歴史を調査する大プロジェクトを遂行されて。さあこれからという時にヒョイと霊長類研究所に移り、原点へ戻ってしまわれたではありませんか。いま一番やりたいと思っていることは何ですか?

湯本

熱帯雨林に帰ったのは、もう一度ジットリした暑さを感じながら、ゴリラや昆虫などの生物を追いかけたいと強く思ったからです。かつて井上さんとランビルの樹の上で猛烈に感じたことですが、「いま目の前で起こっている現象は、私たちが世界で最初に見ているものなんだ」とゾクゾクするような仕事を、もう一度だけやってみたかった。

中村

なるほど。どこでどんな研究を始められたのですか?

湯本

アフリカに生息する3種の類人猿、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ全てのサイトに行っています。最近行ったのはコンゴ民主共和国にあるボノボのサイトですが、そこは陸の孤島で、世界で最も行きにくい場所の一つです。

中村

どうやって行くのですか?

湯本

まずキンシャサでセスナ機をチャーターして3時間。ボエンデという基地に寄ってさらに5時間飛び、バイクの背中に乗って7時間。そこにボノボがいるんです。加納隆至先生が拓いた、アフリカにおける日本の霊長類学の拠点の一つです。

中村

一つに限らずに三つの類人猿を研究しようと思われた理由は何ですか?

湯本

三者を比べ、お互いの違う点を明らかにしようとしています。霊長類そのものを見る研究者は現場に貼り付いて観察するので、他のサイトに行くのは難しい。その点私の植物生態学という立場は、霊長類の「住みかと食べ物」が対象なので動きやすいのです。

中村

霊長類そのものではなく、霊長類の住みかである森や、食べ物である木の実を見る。面白い視点ですね。

湯本

霊長類研究所のテーマである「ヒトはどこから来てどこへ行くのか」という問いに、住みかと食べ物から迫ってみようと。例えば人間は何でも食べるし、チンパンジーとボノボもそれに近い。一方、昔に共通祖先から分化したゴリラは、若葉や草を食べています。

中村

何か新しい方法をお考えなのですか?

湯本

思いきりテクノロジーを活用したいですね。先ほど「もう一度この目で見てゾクゾクしたい」とは言いましたが、やはり若い時ほど時間がない。カメラトラップ(註2)などの自動化が必要なんです。それに、今までやってきた鉛筆と双眼鏡だけの古典的な観察手法には限界がある。植物生態学で大プロジェクトとされる調査区は50ヘクタール程度ですが、霊長類から見れば1日の遊動域にすら足りません。広域を把握するために、衛星情報や最近話題のドローンを取り入れようと考えています。

中村

全体を見渡しての比較、面白そうですね。

湯本

「遺伝資源」にも注目しています。動物の糞から餌を知るのは古典的な調査法ですが、そこにDNA解析を加えれば、餌はもちろん持ち主の個体まで識別可能です。腸内細菌叢も今一番ホットなテーマ。バイオインフォマティクスをうまく利用して、糞一個からできるだけ多くの情報を得ることに挑戦したいですね。

京大のサル学の研究者は誇り高く伝統を重んじる人々なので、なかなかそういうことはしないんですよ。山極寿一(註3)さんなんか、未だにGPSすら持たないと思います。

中村

GPS以上の感覚を持っているという誇りがあるのでしょう。それは認めるとしても、テクノロジーを利用した新展開も、今大事ですよね。

 

(註1) 井上民二【いのうえ・たみじ】[1947−1997]

熱帯生態学者。地上40mに及ぶ熱帯雨林の林冠調査サイトを立ち上げ、そこに生息するさまざまな生物の生態を明らかにした。1997年、フィールドへ向かう小型飛行機の墜落事故のため急逝した。

(註2) カメラトラップ

野生動物調査の手法の一つ。赤外線などに反応して自動的に撮影を行うカメラを野外に設置し、カメラの前を横切った動物を撮影する。設置点を通る動物の種類や数を知ることができる。
 

(註3) 山極寿一【やまぎわ・じゅいち】[1952-]

人類学・霊長類学者。アフリカでおよそ30年に渡って野生のゴリラを調査し続け、その社会構造や生活史を明らかにした。現在、京都大学総長。
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2.多様性の源は生きものの関係性

湯本

アフリカとは別に、今一番よく行っているのはブラジルです。ランビルのように本格的な林冠観察をアマゾンでも始めたいと思って、サイトの建設に取り組んでいます。

中村

林冠観察の方法は確立しているのですか?

湯本

今、一番簡単なのはクレーンですね。

中村

ランビルでは梯子で30m、クレーンで70mの体験をしましたが、クレーンから見る森の全体像は眼に残っています。

湯本

私たちの若いころはロープを使って登っていましたが、やはり危険が伴います。私の知る限りでも3人は亡くなり、4人は後遺症が残るほどの怪我をしていますからね。私も屋久島で木から落ちた事があるんですよ。

中村

えっ、どのぐらいの高さから落ちたの?

湯本

15メートルです。たまたま下は落ち葉が積もっていて、大きな岩もない場所でした。「あっ」と思ったら気を失って、目が覚めたらなんと、次の日だったんですよ(笑)。

中村

危ない。周りに誰もいなかったの?

湯本

その時は一人でしたね。今、研究室の院生に同じことは絶対させられません。自分はしていたのにね。

中村

アマゾンの観察の目的は何ですか?

湯本

アマゾンはランビル同様、非常に生物多様性が高い「メガダイバーシティ」を擁する地域なんです。ここで注目しているのは例えばハチドリですね。

中村

飛び方に特徴のある、小さくてかわいい鳥ですよね。

湯本

ハチドリは中南米にしか生息しないのですが非常に種分化していて、地球上にいる約1万種の鳥類のうちの約500種を占めています。彼らが林冠の花に来て花粉を媒介する様子を観察したいと思っています。

中村

中南米だけで500種も。ハチドリが花粉を媒介するのはどんな花ですか?

湯本

彼らは色には敏感ですが嗅覚はあまり発達していないので、赤くて匂いのしない花が典型です。鳥は寿命が長く学習能力もありますから、昆虫の来る花とはちょっと違う点があると考えています。それを樹の上で調べている研究者はいないんですよ。

中村

熱帯林にとってハチドリは大事な役割を果たしているのでしょうね。何だかやることたくさんあり、ですね。

湯本

たくさんありますが、あれもこれも自動化して、なるべくさぼろうとしてます(笑)。

中村

さぼりたいというよりは、自動化して全部やってみたいということでしょう。動物と植物の関わり合いが湯本さんの基本テーマですが、やはり生態系の基本はそこにありとお考えなのですか?

湯本

いや、生態系のメインストリームは何と言っても食物連鎖、食う・食われるの関係だと思いますよ。でも色も匂いもこんなに豊かな世界は、それだけでは説明できないでしょう。私が注目しているのは本流を外れた「サービス」と呼ばれる関係なんです。葉は光合成をしますから薄っぺらくて緑色と決まっているけれど、花は色も匂いもそれぞれ違うでしょう。昆虫や鳥を引き寄せて花粉を運ばせ、一方で好ましくない来訪者を排除する。その駆け引きが、被子植物と昆虫類、哺乳類や鳥類の多様性の源だと思っているんです。

中村

よく分かります。私達が多様性と呼ぶものの大半を作っているのは、食う・食われるを超えた関係性。より複雑なシステムとしての多様化は、植物と動物の関わり合いの中から生まれてきたものだということ、その通りだと思います。

3.日本列島に見る地域の人と自然

湯本

私は日本の高山植物から研究の世界に入りました。学生のころ、まず手つかずの生態系を見ようとしたのです。日本の自然は人間が手を加えたものが大半でしたから。

中村

日本で人と関わりのない自然を見ようとすると、高い山しかありませんものね。

湯本

人間がいかに自然を変えてきたのかということに、その時とても興味が湧きました。その後しばらくは、熱帯雨林など人の影響が少ない生態系を見ていたんですが、最初に抱いた興味が自分の中に残っていたんです。

中村

日本で暮らす私達にとって本当に身近な自然は、人と関わり合っている自然ですから、そこを考えたくなりますよね。学問としての生態学は人間を排除して考えがちですが、人の関わりを抜きにした生態系だけを見るのでは不足。ただ、人間は他の生きものとは違う関わり方をしますから、同じようには扱えないでしょう。

湯本

ええ、かなり特殊な関わり方をしています。だから色々な分野の人と一緒に取り組まなければできない。そう考えて立ち上げたのが地球研のプロジェクトです。

中村

人間の特殊性を踏まえて、生態学者だけではなく歴史学者や民俗学者も巻き込んだ点が面白いですね。湯本さんが引っ張ったからこそできたと思いますよ。

湯本

地球研という場所柄もありますし、日高敏隆先生が応援してくださったんです。元々あった生態学的な問いに加え、研究者として「熱帯雨林を守る運動」に関わるようになって新たな視点も生まれました。ところが自分の足元を顧みたとき、日本の自然は辺野古に象徴されるように、人間の活動が深く絡んでいて、多くの問題を抱えていることを見過ごせなくなったのです。

中村

よく分かります。ただ構想があっても、実現するのは大変でしょう。どんなふうに始めたのか、教えてください。

湯本

日本列島には、ヒトは数万年前からいますが、それ以前からいた生きものもいるし、それ以降にヒトが持ち込んだ生きものもいる。人も生きものも含めた歴史学的なアプローチを入れようとまず思いました。そこで生物史学的なアプローチとして花粉分析のチームを作り、その上に氷河時代や旧石器時代を起点として人類史を重ねていくことにしたんです。ところが人間の歴史を扱う三つの学問、歴史学、考古学、民俗学は、まあ仲が悪いんですよ(笑)。

中村

大変そう(笑)

湯本

しかし一つの分野だけでは限界があります。物に残らないこともあるし、古文書に書かれていないこともあるし、口伝には具体的な時間軸がないという弱点がある。お互いが補い合って取り組むために、皆で共有できる大きな問いが必要でした。そこで日本に住んでいた人達がどのように資源を使っていて、今の言葉で言う「持続的な利用」に対する知恵や工夫がどれだけ残っているのか、という問いを立て、100人の研究者でそれを共有したんです。

中村

共通のゴールへ向けてさまざまなアプローチをしようというわけですね。

湯本

次に、どこまでの地域を研究対象にするかも問題でした。そもそも「日本」という存在が近代の産物なのでね。結局サハリンから北海道、本州、四国、九州、琉球諸島、加えて台湾の一部を対象範囲としました。人の歴史は地域性を加味しないとできないと思ったので地域班にわけ、それぞれの地域の特徴を一番よく反映している資源の問題を考えることにしたんです。

中村

具体的には?

湯本

例えば中部地域班では山村問題にフォーカスしました。「燃料革命」と「材料革命」、つまり薪炭材が石油・石炭になったことや、日用品がプラスチックになったことで廃れてしまったんですが、それ以前の世界ではずっと山村が重要な地位を占めていた。山村では大きな木材を採る森と、短期間に切って薪炭材にする森と、竹や笹などの特殊な材料を採る森をちゃんと使い分けていたんです。

中村

歴史の時間から見れば、ついこの間までそういう生活をしていたわけですね。日本の両端にはどのような問題が?

湯本

沖縄と北海道は海産資源の問題です。ニシンやコンブが典型的ですが、加工のためには燃料として大量の木が必要です。特に江戸時代は本土の人によって略奪的に木が切られ、持続的な利用はなされていなかった。植民地的な扱いだったんです。

中村

中部地方の山村は持続的だったのに対し、沖縄や北海道にはその感覚がなかった。日本が見えてきますね。震災で大きな課題を抱えることになった東北地方はどうですか。

湯本

東北班は獣害をターゲットに調べました。今、東北でシカとイノシシが分布を広げていることが問題になっていて、気候変動で積雪が減ったためだと言われています。ところが江戸時代以前は、東北にシカもイノシシもたくさんいたんですよ。岩手県なんかは、イノシシ害がひどくて飢饉になったという記録まである。歴史学の世界では常識なんだそうです。

中村

本当に? 一般にはあまり知られていませんね。

湯本

単に雪が深いか浅いかという話ではなく、人間の狩猟圧も重要だというのが、私たちの結論です。江戸時代の後半から明治・大正にかけて、日本は北の国と戦争をしていましたから、防寒具として大量の毛皮の需要があり、東北地方で獲り尽くしが起こったんです。

中村

そう言えば昔の兵隊さんは毛皮をつけていますね。

湯本

今シカやイノシシが増えているのは、積雪が減っただけでなくハンターがいなくなったことが大きい。それで元の分布に戻っているんです。実際に絶滅したのは、平原に住むニホンオオカミとニホンジカとイノシシで、岩山に登るカモシカとサルとクマは生き残っているんです。

中村

人間が関わることで、動物の分布が劇的に変わったことに気付かされますね。現代の資源問題や環境問題に対して、この研究からメッセージを提示することはできそうですか?

湯本

抽象度の具合が難しいですね。この場合、地域性を無視して一般化してしまうと、全く当たり前のメッセージになってしまいますから。

中村

抽象的に「地球に優しく」なんて言われてもムズムズするだけですよね。個別で言わないと意味がない。

湯本

それでも言えることは、地域の資源管理のキーパーソンはいつも「地の人」だということです。つまり、その地域に住み続けてる人。消極的に見るとそこから動けない人ですが、積極的に見るとその場所を選び取った人です。例えばいま福島の一部の地域に、明確な意思を持った方が住んでいらっしゃる。

中村

ここに住もうと決めた人。その場所が好きな人ですね。

湯本

地元の人のつながりと自然を大事にして、持続的に生きていこうという人の意思が最も大事なんです。その逆は「食い逃げ」。略奪してなくなったら次に行く。熱帯雨林でも同じことが起こっています。

中村

最大限の速さで使い尽くして次に行く。短期間の経済を考えるとそれが効率的なんでしょうね。

湯本

次に行くところが無限にあればそれでいいかもしれませんが、問題は、地球規模で見れば必ず有限であるということです。

中村

そうですね。今や全ての問題は地球規模ですから、「地球の地の人」という感覚が必要になってくるでしょう。

湯本

おっしゃるとおりなんです。CO2の問題にしても何にしても、みんな地球から逃げられないのでね。

中村

全員が地球人としての感覚を持ちながら、それぞれの地域に合わせて生き方を考えれば、ある種の答えは出てくるわけですね。そういったメッセージを提示し続けるのが学問の役割だと思うんです。

4.進化の時間と空間を追いかけて

中村

生命誌研究館では、動物と植物の関わり合いから生まれる共進化をDNAから調べていますが、フィールド研究で共進化はどのように捉えられますか?

湯本

共進化をいま起こっている現象として捉えるのは難しいですね。例えばサルが果物を食べて種子を運ぶというのはよく知られている現象ですが、実際にその植物にとってサルがどれくらい重要かというのは、なかなか見えてこない。以前、サルが生息する屋久島と、サルが絶滅したお隣の種子島で、サルの大好きなヤマモモの遺伝子流動を比べたことがあるんですが、あまり違わなかったんですよ。

中村

屋久島のサルは何頭ぐらいいるの?

湯本

3万頭ぐらいです。

中村

それほどいるのに違いが見えてこない。進化の時間は、我々が見続けることができる時間と全然違いますから、ヒョイと答えが出てこないわけですね。

湯本

屋久杉なんて、本当に低い確率でしか生き残りませんからね。常に花粉も種子もいっぱい飛んでいるのに、この中で千年も生き残るものがあるのかなと疑ってしまいます。非常にレアな現象をどうやって検出するかが課題だと思っています。

中村

科学は共通性・一般性を探ってきましたけれど、そういった出来事を捕まえるには、個別の事象をきちんと見ていかなくてはいけない。新しい方法論も必要だし、科学の考え方そのものも変えていかなくてはならないのかもしれませんね。

湯本

森林の場合は、時間に加えて規模の問題をクリアする必要があります。1万本の木を全部モニターしても再現できる範囲はごくわずかで、それを単純に代表値としていいのかが問題になる。

中村

苦労して1万本調べても、そこをモデルにできないくらい広さと多様さがあるという、生態学の難しさですね。

湯本

霊長類学はもっと難しいですよ。彼らは個性がありますから。人間で盛んに行なわれている性格研究が、ボノボやチンパンジーにもあるくらいです。

中村

そうなんですか。それは面白そう。

湯本

群れの中にも個性がありますし、さらに、ボノボは優しくチンパンジーは凶暴であると言われるように、種によっても個性がある。見ているものが1頭の個性なのか、家系の個性なのか、あるいは種としての個性なのかは難しいところです。

中村

ボノボにも凶暴なのがいて、チンパンジーにも優しいのがいたりする。

湯本

ええ。世界に三つしかないボノボの研究サイトを比べると、微妙に違うんですよ。それは環境による違いなのか。

中村

たまたまそこにいた個体の個性なのか。

湯本

そう、生態学的にいうと、環境決定論でいけるのか、そうじゃないのかという、古くて新しい問題に至るわけです。

中村

なるほど。生きものを見ていたら、いけないと言われても、自分たちに引き付けて考えてしまいますね。

湯本

それが必ずしも間違っているとは限りませんよ。

中村

これまで、あまりにも「客観性」と言い過ぎたような気がして。思いを込めて研究したっていいんじゃないかと思うのです。

湯本

霊長類学は元々そういうところがありますよ。

中村

名前を付けたりしてね。松沢哲郎(註4)さんを見ていると、アイちゃん一家に、お友達を超えた思いがあるような…。

湯本

とっくに超えていますよ。もうアイちゃんのお父さんです。

中村

よいお父さんね(笑)。霊長類だけでなく生きもの全般にそういう接し方があってもいいんじゃないかなと思います。

 

(註4) 松沢哲郎【まつざわ・てつろう】[1950-]

比較認知科学・霊長類学者。チンパンジーの「アイ」を対象として、彼らの言語・記憶能力を実証するなど、人間の心の起源を明らかにするための実験研究と野外研究を行なっている。
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5.学問で文化と自然の橋渡し

中村

この絵は、大学の講義で生命誌の世界観を紹介するために作ったものです(註5)。ここに生命の起源があり、それが進化してやがてお猿さんが生まれ、ヒトが生まれた。

湯本

なるほど。

中村

ヒトだけがヒョイと立ち上がり二足歩行を始めて、文明や文化を築いた。私たちは普段その中だけで暮らしていると思っていますが、実は生きものの一つであり生態系の構成員でもあるわけです。自分の中に、ヒトであり人間であるという二重の存在意義を持っている。

湯本

確かに二重性はありますね。

中村

人間の文化や文明だけを学問するのが人文科学。ヒトの人間としての側面を排除し、生物だけの世界を学問するのが自然科学でしょう。そのどちらも重ねた全体像を見るべきだというのが、生命誌で考えていることです。

湯本

おっしゃる通りです。

中村

今まで生命誌で登場していただいた先生方の専門分野をこの世界観の上に重ねてみたのですが、生態系と文化・文明の橋渡しをするこのあたりが抜けている。ここを埋めてくださることを、湯本さんに期待しているんです。

湯本

それは恐れ多い。今、大学でさかんに言っている「文理融合」や「学際」っていう言葉がありますが…。

中村

私、「文理融合」っていう言葉は嫌いなんです。掛け声だけかけたって何も起こりませんよ。一人の心の中で、その気持ちが生まれないと。湯本さんという熱帯雨林の履歴を持った方が日本を振り返ったとき、ヒトの歴史も考えなくては駄目だということを心から実感された。だからこそ、色々な分野の方に「やろうよ」と働きかけられたのでしょう。

湯本

それなりに苦労もしましたよ。まず分野によって言葉が違うんです。そもそも「文化」という言葉がもう…恐ろしい言葉ですね。(笑)

中村

分野によって「文化」と言った時のイメージが全然違うのね。「文化包丁」なんてものまでありますもの(笑)。

湯本

文化を一番簡単に考えているのは私たち生物学者です。つまり、「DNAにコードされていないこと全部」。でも他の分野の方に納得してもらうのは大変でした。

中村

いろんな分野の「文化」を並べてみたら面白いかもしれませんね。さまざまご苦労はあると思いますが、心ある若い方が出て来てくれることを期待しているんです。

湯本

そうですね。理想を言えば、ジャレド・ダイアモンド(註6)のような人が。彼はもともと生物学者です。

中村

昔からバードウォッチングが好きで、生理学から始まって歴史まで研究してしまった。

湯本

科学は共通性を追究するものだとおっしゃいましたが、歴史学者は史実を一般化しようという気持ちはないんです。ジャレドは文明の栄枯盛衰の中に一般性を求めた。それはとても生態学的なアプローチだったと思います。

中村

一般原理を探したところが魅力的ですよね。我々にはとても分かりやすいです。

湯本

けれど人文社会系の人からは総スカンですよ。ヨーロッパでもアメリカでも、彼に対する批判的な本がたくさん出ていて、面白いくらい反応が違うんです。

中村

そうなの?世界的に評価されていると思っていました。そういえば彼の昔の著作の邦訳が、最近出ましたね?

湯本

『第三のチンパンジー』。ジャレドの最初の著作を、若い人向けに新しく書き直したものですね。高槻の駅前の本屋に平積みしてありましたよ。

中村

いま手元にあって、楽しみにしているんです。日本でも若い人の中から、彼のような人が出てきてほしいですね。

 

(註5) 生命誌が生んだ世界観

本文にあるように、「私は社会の一員であると同時にヒトという自然の一部である」という生命誌の考え方を表している。左半分は多様な生きものの世界、右半分は人間が作った社会。
詳しい解説へ

(註6) ジャレド・ダイアモンド[1937−]

アメリカの生理学者・進化生物学者・ノンフィクション作家。生理学者として研究を行なう傍ら、ニューギニア島でフィールドワークを続け、鳥類学や進化生物学へと研究領域を広げた。さらに現地の人々との交流の経験から人類生態学、地理学へとテーマを展開し、『銃・病原菌・鉄』、『文明崩壊』など多数の著書を出版。



6.地域で知恵を共有する精神を育む

中村

広い視野の研究者といえば、湯本さんから見た井上さんは?

湯本

井上さんは本当の意味での共同研究ができた、フィールドの分野では最初の人でした。それはみんなで共有できる大きな絵を描くことができたからです。井上さんが率いた熱帯雨林の一斉開花のプロジェクトはその典型です。

中村

植物の研究者だけではなく、昆虫や哺乳類の研究者も入れましたね。

湯本

いろいろな立場から、一つの問いに取り組むという本当の共同研究でしたね。サルの世界では、山極さんがそれをできた人です。日本列島のプロジェクトは、井上さんや山極さんのやり方を勉強させてもらって実行したんです。

中村

もう一つ思うのは、井上さんの人間性です。研究は略奪的な面があるでしょう。現地の資源を使って自分たちの研究だけして帰っていくような。けれど井上さんは現地の人のことまで考えてランビルの調査を計画された。

湯本

なるほど。半分はそうですが、もう半分は当たってませんね。

中村

半分とは?

湯本

実は井上さんたちのチームは、現地出身の人をあの研究で博士にしていない。それは今でもサラワクの人に指摘されています。

中村

そういう問題があったのね。でも、時間が足りなかったのではありませんか?

湯本

それもあります。むしろ残された宿題として、後を引き継いだ私たちが何とかしようと思っています。3年前に地球研から霊長研に移ったとき、真っ先にサラワクへ行き、現地の人から博士を育てるつもりだという話をしてきました。

 

中村

それは井上さんも喜ぶでしょう。やはりフィールド研究は、現地の人との関わりがとても大切。「学際」云々と言われなくても、世界中の人間の関係を考える学問ですからね。

湯本

その通りです。フィールドワークをやっていると、何でも屋にならざるを得ないんですよ。

中村

けれどそれがまた面白いでしょう。

湯本

面白いですよね!まあそれを面白いと思うか、面倒だと思うかで違うのでしょうが。

中村

さまざまな人との関係を面白がることができれば、学問も広がるわけですね。

湯本

じつは新しく「屋久島学ソサエティ」という学会を始めたんです。屋久島は若い頃から行っていたのですが、地元の人には「たくさん研究者が来るけれど、何をやっているのかさっぱり分からない」と言われていて。何とかしたいと思っていたところに、山極さんからも頼まれたんです。「将来私たちがいなくなれば、地元の人と知識を共有しようというスピリッツ自体が失われるかもしれないから、今のうちに何かやって欲しい」と。

中村

山極さんもちょうど同じことを考えていらっしゃったのね。

湯本

日本列島プロジェクトの経験が生きました。地球研では、地域の人に私たちが調べたことを報告する会を必ずやることにしていたんです。歴史学や考古学は、正直言ってよく分かっていなかったものですから、報告を聞いていて私自身が一番勉強になったんです。そうだ、知識を共有するのは皆にとって大切なことなんだとそこで気付いて。

中村

なるほど。一般の方にも理解できる言葉で話してくれるから分かりやすかったのね。

湯本

最近「文理融合」に加えて「地域還元」という、研究者にはちょっと居心地の悪い言葉があるでしょ。でも「還元」なんて大げさなことじゃなくても、学んだ事を地域にお返しすることはある意味当然のことでしょう。

中村

その通りです。生命誌はもっとすなおに考えています。研究したこと、考えていることを最もよく表現すれば誰にもわかる。それをやっています。「地域還元」、偉そうで悪い言葉です(笑)。

湯本

屋久島で年に一回、研究者と地域の方がテーマを決めてシンポジウムやワークショップをする、学会形式の集会を始めました。おかげで研究者が50人、地元の方が50人の計100名の会員が集まってくれています。地域が好きで、地域のことを考えている「地の人」を、研究者がちゃんと支える構造が必要だと思ってやっているんです。

中村

食い逃げしない人を育てるのは大切なことですね。向こうの50人というのはどのような方たちなのですか?例えば年齢構成は?

湯本

本当に色々ですよ。民宿のおっちゃんが、賛助会員の10万円の会費を出してくださったりもしています。

中村

10万円?すごいですね。

湯本

数として最も多いのは職業ガイドの方ですね。ガイドはもともと島の外の人が多かったのですが、今は2世、3世の代になって、地元の若い人が主体になっています。

中村

若い人が関心を持ってくれるのは嬉しいことですね。反対に、屋久島にはオーバーユースのような問題はあるんですか?

湯本

最近は山のトイレの問題がありました。山の上のトイレの屎尿の重量を減らすのに、環境省が蒸発機能を備えたトイレを設置したんですが、設計ミスで機能しなくなったんですよ。一億円ほどかかったのに。

中村

一億円!?信じられない(笑)。

湯本

で、人手を割いてチェックしないと稼働できないから廃棄すると環境省が言ったんです。

中村

トイレに公の監視員が必要というのね?(笑)

湯本

ええ。でも去年の屋久島学ソサエティで、それには何かいい方法があるはずだということになった。ガイドの人たちが交代で監視しようという話になって、トイレがまた持ち直したんですよ。そういう協力体制を作る場にもなっています。

あとは、屋久島の屋久杉はなんで長生きなのかを、研究者からシンポジウムでお話したりもしています。

中村

どうして長生きなんですか?興味があります。

湯本

実はまだ分かってないんですよ。でも分かっていない事を、分かっていないと言うのは実は難しいでしょ。屋久島の自然を紹介するガイドの人に自信を持って「分かっていない」と言ってもらえるようにね。

中村

なるほど。

湯本

あとは理系のお勉強だけでは退屈なので、屋久島に古くから伝わる「まつばんだ」という民謡の講演会も企画しました。沖縄から伝わったと言われる民謡なんですが、屋久島の人は「まつばんだ」の意味も知らないんです。

中村

面白い名前ですね。

湯本

三線でまつばんだを謡う研究者を沖縄から呼んできて、元々どういう歌だったかなどを解題していただきました。今年の大会ではそれが大人気で、まつばんだを復活させようという若い人がどっと増え、毎年まつばんだの民謡大会をしようという話も出てるんです。

中村

のど自慢大会ね(笑)。人と人のつながりから思いがけないところへ展開する。フィールドワークって、そこが面白い。とても楽しかったです。生命誌としても学ぶことがたくさんありました。どうもありがとうございました。

 

写真:大西成明

 

対談を終えて

中村桂子

地球研から霊長研へと移り、新しい学問づくりに燃えている気持が伝わってきました。熱帯林でフィールドワークの基本を身につけた後、そこに止まらず日本の自然の特徴である人との関わりに注目してさまざまな分野を統合したプロジェクトをまとめられた経緯に新しい研究者の姿を見ます。植物生態学者という基本を守りながら専門に閉じ込もらずに自由に拓いていく研究姿勢は、生命誌が求めているものと重なります。与えられた環境を生かし、自然体で挑戦する姿、いいなと思います。

湯本貴和

「鉛筆・ノートと双眼鏡だけ」でスタートした霊長類のフィールドワークは、今西錦司以来70年の歴史を背負った誇り高き学風をもつ。そこに植物生態学者として、いかに新しいアプローチとテクノロジーを導入していくのかが、目下、わたしの課題である。そのアプローチのなかには当然、ゲノム科学も含まれる。中村桂子さんとの対話は、ここに至るまでの自らの遍歴を振り返って将来を考える、またとない機会となった。このような場を与えてくださったことに感謝したい。

湯本貴和(ゆもと たかかず)

1959年徳島県生まれ。京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理学博士。神戸大学教養部助手、京都大学生態学研究センター助教授、総合地球環境学研究所教授を経て、現在、京都大学霊長類研究所教授。著書に『屋久島―巨木の森と水の島の生態学』(講談社ブルーバックス)、『熱帯雨林』(岩波新書)ほか。


 

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