生命誌ジャーナル

<2018年間テーマ>

容 いれる ゆるす
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TALK対話を通して

世界を変える音楽と科学の物語

森悠子長岡京室内アンサンブル 音楽監督 × 中村桂子JT生命誌研究館館長

1.問いを抱えて舞台に立つ

中村

毎年、言葉を一つ選んで、その切り口から生命誌を考えています。今年は寛容という時の「容」で、ゆるすと読みます。容器の時には、いれる。更に、形という意味にもなる。季刊「生命誌」の表紙の字はどうご覧になります?

人が笑っているように見えます(笑)。創立20周年を迎える私たち長岡京室内アンサンブルの基本を表わす言葉だと思いました。長い間一緒に練習を重ねる間に私が求めるものをわかってくれる若い演奏家たちが育ってきました。まさに「容」です。

中村

人が笑っている印象。そのようにデザインされているんです。「容」にはその力があると思って。若い方が育って嬉しい気持ちもそれですね。長岡京室内アンサンブルを初めて聴いた時の感激は忘れられません。チャイコフスキーの「弦楽のためのセレナーデ」とヴィヴァルディの「四季」、いずれも室内楽の定番で何度も聴いた曲なだけに音がより新鮮に響いてきました。まさにアンサンブルで誰がリードするわけでもない。舞台上にそれぞれの楽器を持って思い思いの位置に立つ人の集まりから、自然に、本当に自然に音が湧き出してくる。まさにその瞬間が魅力的ですね。

指揮者のいないアンサンブルは一人一人がお互いの気配を感じつつ弾き合います。練習はまず合奏の形づくり。先ほどの「容れる」でまず音を聴くこと。自分を、仲間を聴く。私は若い頃フランスで本当に音を聴くとはどういうことかを学びました。
練習は同じフレーズをゆっくり繰り返し弾いて内声を徹底的に調えます。粒々だったり滑らかだったりする音の個性が合わさり旋律の響きが一つに和するように。お互い呼吸が合って緩急の「間合い」をつかむようになると全体のゆとりも生まれます。響き合う音から形が生まれ、だんだんと仕上がって、本番は「さあ、好きなように弾きなさい」と言って容す(笑)。

中村

個性豊かな若い演奏家を迎えて新しいアンサンブルを生み出す過程で、まさに「容」から音楽が生まれてくる実感ですね。

弦楽合奏は、練習で音を合わせるものと思われますが、違うのです。

中村

音を合わせない合奏ってどういう意味ですか。

練習で合わせてしまったら本番は何の新鮮味もない。仕上がってしまえば後は坂を下りるだけ…だから練習は仕上がる直前で止めます。すると若い子は「もう一回、やらせてください」って言います。でも仕上がっちゃうからそれはダメ。

中村

森さんが「ここまで」という判断をなさるのね。

ええ。本番は最後の一歩は何か、皆がその問いを抱えて舞台に立つ。その緊張感は凄いですよ(笑)。専門家としてこれから世界に飛び立とうという若者たちに、失敗は許されませんからね。

中村

答えを持って堂々と舞台に上るのでない。本番こそ必死に一人一人が考えて全力で臨む。その緊張感が最高のアンサンブルを生み出すのですね。

弦楽アンサンブルは13人、15人の合奏団です。第1バイオリンだけで4人、それぞれ性格も違う4人が合わさり一つの音を響かせる。お互いを繊細に気遣う難しい職人技です。そこに第2バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスがはいって全体が一つに調和する。これって途方もない大仕事ですよ(笑)。
実は今20周年を経て、もう一度やり直そうという気持ちで5人新しく若手を入れました。音楽監督の私にとっては新たな音色を探るきっかけにもなり嬉しい話です。一人一人が音楽って何だろうと本質を問い続ける意欲的な若者ですが、残念ながら聴いて弾く、間合いを読み、息を合わせる合奏を経験していません。これは日本の音楽教育の問題。だから練習はいつも大変です。

中村

フランスで学ばれたという「徹底的に聴く」ことで全体が見えるというのは、生きものの世界を思わせます。生きている音楽を生み出そうとする森さんの原動力は何なのでしょう。

どういうわけでそれができるのか自分ではうまく言えません。ただ私はよく練習を建築現場に喩えます。カルテットは木造平家を建てる感じでよいけれど、アンサンブルは鉄筋コンクリート5階建てだから基礎が大事。セメントが緩くては崩れるし、柱も深く打ち込まないと倒れてしまいます。

中村

つくりあげていく楽しさ。科学も同じなのですが、今どうしてもプロセスより最終結果に眼が行くので、そこは守っていきたいですね。

2.弓でそんなに変わるもの?

今日、弓を三つ持ってきたので並べてみます。まずモーツァルト時代で1760年の弓(手前)。次はベートーベン時代で1790年頃の弓(中)。頭のつくりが大きく変わりました。三本目は現在使われている弓の中でも古い1860年代のもの(奥)。

中村

確かにモーツァルトとベートーベンの音楽は違いますけれど、作曲家の問題だけでなく、楽器、しかも弓が音をつくるということですか。

音色が違います。弾いてみましょう。まずモーツァルトの弓、次にベートーベンの弓で同じ曲を弾きます。

中村

本当だ、全く違いますねえ。

弾いているのは同じ森悠子(笑)。でも音色が違う、面白いでしょう。モーツァルト時代の弓でベートーベンを弾きますね。

中村

ベートーベンにしてはやわすぎます。

モーツァルト風になっちゃう。弓先の形を見てください。ベートーベン時代は金槌頭です。それまではスッと尖っていた。ベートーベンは力を込めて強く弾くスフォルツァンドの要求が多い。曲が奏法に工夫を求めています。このアクセントをそれまでの弓先で無理に弾くと弓が折れちゃう。それで演奏家はバイオリン職人と一緒に考えて金槌頭の弓を新しくつくった。

中村

芸術も技術に支えられているということ。

バイオリン奏者で作曲家だったビオッティ(註1)註1:ビオッティ【Giovanni・Battista・Viotti】[1755—1824]イタリアのバイオリン奏者、作曲家。ヨーロッパ各地を巡演。音楽監督、指揮者も務める。音色の力強さと技巧の的確さを誇る演奏スタイルは後のフランス-ベルギー派に影響を与えた。新しい運弓法を導入。と時計職人のフランソワ・トルテ(註2)註2:フランソワ・トルテ【François‐Xavier・Tourte】[1747—1835]パリの弦楽器職人の次男として生まれる。時計職人の修行経験から金属の扱いを家業の弓製作に導入、現代の弓の原型をつくった。が協力して完成させたものです。運弓がアップでもダウンでも強い音が出せる。トルテ自作の弓は、先日のオークションで一本6千万円の値がつきましたよ。

中村

弓が6千万円? すごい。

演奏家は、この曲をどんな風に弾いて欲しいかという作曲家の思いを譜面から読み取り、いかに表現できるかと技術を磨きます。

中村

作曲家と演奏家、更に楽器職人が一つになり新しい音楽の世界を生み出す。科学もそういう形で表現したいと思っているのです。科学が見出す新たな理解を、共感を得るものに表現する。新しい表現は更なる発見にもつながる。以前、DNAがどんな構造で、どんな風に働き、親から子へどう伝わるかを最新論文を調べて映像化したら、当時の理解の間違いが見えてきたこともあります。

DNAって生きものによってみんな違うんでしょ。

中村

DNAが変わることで多様な生きものが生まれてきた。でも生きものは皆、細胞からなり、細胞の中で働くDNAの基本的なしくみはバクテリアも桜もヒトもほぼ同じ。そこが面白いのです。

多様な表現が共通の基本から生まれる。

中村

最近は生きた細胞の中を観る技術が進んでいるので、DNAだけでなく細胞全体の働きを表現し、新しいことも見つけたいと挑戦しています。

すごいですね。音楽にとって大切なことを掘り下げて演奏活動を続けるというのは当り前のことに思えますが実はそう簡単ではありません。でも私たちはやっぱりそういう音楽をやりたい。

中村

科学も同じ。難しく考えることはありません。楽譜や論文に込められた世界を楽しく気持ちよく表現することですね。

譜面はドレミファを読むものではありません。ここに情景がある。イントネーションやニュアンス、音楽を生む風土や歴史が音符の並びや余白に詰まっている。細胞のミクロの世界の論文と同じかもしれませんね。そこに描かれた繊細で複雑な全体像を一つ一つの音からいかに表現できるかと研究していくのです。

中村

どれほど豊かな世界を楽譜から引き出すかですね。道具も含めて。

バイオリンが完成したのは15世紀。その後どこが変わるかといったら弓しかなかった。ヨーロッパ音楽を知るには古典を学ぶことが大切で、バイオリンはやはりバロック期です。

中村

楽器の歴史は本などでも読みましたが、弓による変化を実際に聴かせていただき、演奏の意味を実感しました。

本当の古楽器でなくとも、音を探求し、相応しい道具を見つけ出す研究は演奏家の義務です。演奏家の要求に応えようと、フランスでは職人が今もいろいろな時代の弓を復元してくれます。

中村

古い弓も今の技術でつくれるのですね。

でも日本にそういう職人はいません。技術がないわけじゃない。弓の大切さを知らないから研究してつくろうと思う職人もいない。パリではバイオリンと弓とそれぞれ専門のお店が普通にあるのに。

中村

日本の学校では弓の大切さを教えてくれないのですか。

残念ながら。そこで私たちが始めたのがプロペラ・プロジェクトです。音楽は子どもの頃に入れるのが一番です。まず子どもたちに音楽を聴かせて、思った言葉を黒板に書いてごらんって言うんです。一人で黒板の前に立つのは怖いから、皆で一斉に好きなところに書きなさいと言って、モーツァルトを聴いた子どもたちが書いてくれた言葉がこれです。

中村

感じること、考えることが皆違って楽しいですね。音楽が持つ懐の大きさを感じます。

小学生です。私はこの黒板に希望を持ちました。頭の中は「なぜ?」で一杯の時期にバイオリンを始めたらいい。左官屋さんも体で覚えるので大学を出てから弟子入りしても無理なんですって。バイオリンも10歳じゃ手遅れです。姫路城の漆喰壁見ました? 超一級の技術だそうです。手や身体が考える日本の美の技術はすごいですよ。小学校に上がる年齢で技術を身につける教育の場をもっとつくればいいのに。

中村

お能や歌舞伎もその家に生まれて、子どもの頃から自然に身についていきますね。

ヨーロッパでは中世から続くギルドの伝統の中で、バイオリン弾きの子がバイオリン弾きになりました。でも18世紀に、パン屋の子でも音楽家になれるようにとコンセルヴァトワール(音楽院)ができた。補完するという意味の言葉、コンセーヴがその名の由来です。日本にも技術を補完するという考え方の職人学校が必要で、そこに梃入れしないと未来がありません。

3.「音は言葉、音楽はお話なんだよ。」

中村

森さんが東京のコンサートの舞台挨拶で「長岡京ってどこ?と思っていらっしゃるでしょう」と笑いながらおっしゃるのを聞いた時、「高槻ってどこ?」と同じだなと思い一緒に笑ってしまいました。「皆さん平城京、平安京、東京と思っていらっしゃるでしょうが、平城京と平安京の間に長岡京があるんですよ。」という訴えを聞きながら、心の中で長岡京ガンバレと応援していました。森さんは、お生まれは高槻でしたね。

高槻幼稚園に通っていました(笑)。今の大阪医科大学で、「おぎゃあ」と産まれたようです。京都大学で教育哲学者だった父の仕事の関係で家族は高槻に暮らしていました。私がバイオリンを始めたのは6歳。いわゆる才能教育の教室が高槻にやってきて、母がその時、生まれつき身体が弱かった私に、何か楽しいものを与えたいと思って習わせたそうです。教室と言っても神社の境内に集まって青空の下でお稽古していた。その頃からバイオリンは自分の身体の一部という感じを持っていましたね。子どもの頃はただ嬉しくてあんまり考えずに何でも弾けちゃったんです。

中村

天才少女だったのね。

天才じゃないけど、どう弾けばよいか音楽がすっと身体に入ってきて自然に弾けちゃった。弾けちゃう病でした。17歳のある日、これでは自分は空っぽだと気づいたのです。

中村

スイスイ弾けるから、全部通り抜けちゃう気がしたわけね。

そう。技術として何も理解していなかった。本当に自分が真っ白だと気づいた途端、怖くなった。そこからです。一から奏法をつくり直そうと考えて自分の身体を強く意識するようになりました。自分の身体も楽器の一部だとすれば、足の構え一つで音の響きが変わるのも当り前ですね。自分の身体をよく知りそれを操らなければ、納得のいく演奏はできないわけです。ボウイング(註3)註3:ボウイング【bowing】バイオリンやチェロなど弓奏弦楽器の弓の技法。運弓法。だって、演奏家の数だけ自分の身体や呼吸に合うやり方があるはずでしょ。

中村

手先の技術ではなく身体全体、更には心も含めて自分の全体を意識することの大切さに気づいたということですね。

そのような意識を持つと、弓をどう弾くかで、その瞬間に鳴る弦の音に含まれるいろいろな成分がどう引き出されてくるかが立体的に変わるのです。音の粒子は、一粒一粒があっちこっち向いているから。

中村

音の粒子って面白いですね。音は粒々でできている?

私の耳にはそれが聴こえるの。普通のスピードで弾くとわかりにくいので、超スローモーションで音を拡大してみるとノイズのようにブツブツ聴こえます。印象派の絵と同じく旋律は点描で、一粒一粒の音は自分が飛んでいく方向を持っている。その粒子をよく聴いて音の方向を見つけて自分で操れるようにするわけ。そこに強弱や硬軟、緩急を緻密に計算して音を言葉のように組み立てると、響きに色合いや表情が生まれて、音楽が物語になるの。

中村

森さんは、子どもの頃からそんな風に聴こえていたの。

音を聴く大切さはフランスで初めて気づかされました。それに気づくと具体的に弓の動かし方が変わります。日本でこういう弓の技術は学べません。中学生の頃から音楽指導を受けていた齋藤秀雄先生(註4)註4:齋藤秀雄【さいとう・ひでお】[1902—1974]東京生まれ。音楽教育家、チェロ奏者、指揮者。1948年に創設した「子供のための音楽教室」を1955年に桐朋学園大学へと発展させ同大教授、学長を歴任。小沢征爾、堤剛ら多くの音楽家を育成した。1973年文化功労者。が、ある時私に「音は言葉、音楽っていうのはお話なんだよ」とおっしゃった。音楽は一つの物語のように、ある情景が浮かび上がるように表現するものだと教えてくださった。この言葉は忘れられません。音楽大学を出た後、教室のお手伝いもしていたのですが、やはり演奏家としてヨーロッパへ音楽留学したいという私の申し出を許してくださった。その時、先生と約束したのが、ヨーロッパで習得した弓の技術を日本の音楽教育の場で伝えることでした。

中村

齋藤先生のお弟子さんとして、日本のクラシック音楽の教育に貢献することを期待されてヨーロッパへ留学なさったわけね。

そうですね。それが長岡京室内アンサンブルを立ち上げることにつながりました。ただその背景には齋藤先生との約束もありましたが、実は日本の伝統芸能との出会いも大事なきっかけになりました。リヨン高等音楽院の助教授をしていた頃、オペラ座のオーケストラでも弾いていて、ある日、プッチーニの「トゥーランドット」の公演があったのです。舞台美術は勅使河原宏先生、振り付けは観世榮夫先生。竹の向こうから射す幻想的な光の中で、観世先生の振り付けで演ずるのはフランスのバレリーナですが、ピットから見たその舞台に衝撃を受けました。舞台の後で観世先生のワークショップがあり、ポール・クローデル(註5)註5:ポール・クローデル【Paul・Claudel】[1868—1955]フランスの詩人・劇作家・外交官。1921年から1927まで駐日フランス大使として在日。日本滞在中に数々の伝統芸能や絵画に接して記した見聞録は日本文化論集『朝日の中の黒い鳥』として編纂された。日仏文化の交流に貢献。著作に詩劇『女と影』『真昼に分かつ』『繻子の靴』ほか多数。の「女と影」を若いお弟子さんと面をつけずに舞われた。日本の能から生み出されたリズム感、伝統の美が持つ現代性に驚きました。そして、阿吽の呼吸で舞う「気」の要素をクラシック音楽にとり入れることが私の音楽表現ではないかと思ったのです。

中村

転機になる体験だったのですね。いけばなやお能には、古くからの型がありますが、勅使河原宏さん、観世榮夫さんは伝統の世界に身を置きつつ現代の手法で新しい表現に挑戦し続けた方ですね。型はとても大切だけれど変化が重要でしょう。実は生きものはまさにそれなのです。ですから型と変化の組み合わせは生き生きしたものを生み出すのだと思いますよ。

フランスにいなかったら私は日本文化に出会わなかった。歌舞伎も狂言も文楽もパリ時代に見て「気」や「間」の凄さに魅了されました。リヨンのオペラ座にはJ.P.ブロスマンというもののわかった支配人がいて、ケント・ナガノ指揮の「トゥーランドット」に観世さんと勅使河原さんを呼んだのです。竹は京都から運んだそうです。

中村

竹が持つ独特のしなやかさでないと表現できないものがあると勅使河原さんが思われたのでしょうね。勅使河原さんの愛弟子の一人である韓国のアーティスト崔在銀(註6)註6:崔在銀【チェ・ジェウン】 生命誌ジャーナル86号TALK「距離と尊重をもって自然に接する」崔在銀×中村桂子さんは、竹を生かした「空中庭園」で、朝鮮半島の38度線を跨ぐという壮大なプロジェクトに取り組んでいます。彼女は生命誌研究館の設立当初からの応援団の一人なので、私は今、彼女のプロジェクトを応援しています。

4.私たちはMade in 20世紀

私はMade in JapanでなくMade in 20世紀、20世紀の人間ですと言うのです。

中村

私も20世紀の人です。森さんがリヨンのオペラ座で新しい音楽について考えていらした1993年に生命誌研究館は生まれました。クラシック音楽も近代科学もヨーロッパで生まれて日本へ入ったもので、そこから日本人は多くを学びました。でも20世紀が終わる頃、私たちの中にこのまま進むのは少し違うという気持ちが生まれていたと思うの。でも現状を崩すのはいやだから、多くの人は気づかない顔をしていました。そこで具体的に動いた人々の中に森さんと私がいるのだと思うの。

おっしゃることよくわかります。

中村

私たち二人とも女性だから権力には関心がなく、今、本当に大切なことは何かが当り前のこととして見えてくるんですよね。

象徴的だったのはベルリンの壁が壊れたことです。

中村

1989年。権力者が現状に対応しようとした行為が完全な自由化と受け止められて人々が壁のまわりに集まり、結局、壁を越えて東から西へとぞろぞろ入って行くことになった光景は印象的でした。既にそれを押し留める体制は崩れていて、皆で壁を壊すところまで行きましたね。

プラハは人々が放送局を占領したことが解放につながりました。

中村

これらも含めて20世紀型の社会は終わっているはずなのですが、なぜか権力者はなんとかそれを残そうとしていますね。それがとても気になります。

私がMade in 20世紀と言うのは同じ思いからです。

中村

私たちは20世紀生まれですが次に向かって変わろうとしているということを言いたいのですね。20世紀の生物学は、モデル生物と言って例えば哺乳類はマウスを、昆虫はショジョウバエを代表と見立て、効率よく科学を進めようとした。でも生きものは多様ですからそれでわからないことはたくさんある。

科学でもわからないことってたくさんあるのですね。

中村

モデルでなく、自然にいるものをよく見たら何が見えてくるのかを知りたい。そう考えて生命誌研究館という容器をつくったのです。音楽も、決まった型で演奏するのでなく、一人一人が自由な発想で音を探っていくところから新しいものが見えてくるという長岡京室内アンサンブルの誕生と思いは同じです。

クラシック音楽も21世紀の容器に入れ替える時期に来ていて、新しいやり方で自分の技術を開拓していかなくてはいけません。

中村

新しく始めるからといってこれまでを否定する必要はないのですよね。今の思いに相応しい場をつくってそこで始めればいい。

私もそう思います。

中村

森さんはモーツァルトやドビュッシーを弾いていらっしゃる。私もこれまでの科学を否定しません。歴史を学び、今の時代に求められる表現を考えると、やはり変わらなくてはならないという答えになるんですよね。

よくわかります。

中村

せっかく生まれてきた一人一人の人間が、皆違ってそれぞれ思いがあるなら、すべての人が楽しくその人らしく生きられる、そういう社会であって欲しい。生命誌研究館はその基盤となるような生きものの科学をやりたいのです。

まさに私が音楽の上で望んでいることです。

中村

新しい時代に変わろうという時、私は日本の文化とその感性を育んだ豊かな自然に期待するのです。これほど豊かで変化に富んだ自然の中に暮らして来たからこそ、私たちはこの姿になり何千年も独特の文化を築いてきた。何事もとり入れ、その上で自分のものにするという「容」の文化です。20世紀型文明はやはりヨーロッパのものでした。そこに多様な文化や歴史をとり入れ新しい時代に移ろうとする時、「容」の文化こそ、それを上手にできるという気がします。森さんが観世さんと勅使河原さんの「トゥーランドット」との出会いから新しい合奏団を着想なさったというお話はとても象徴的です。21世紀の若い人に渡すのはこの考え方ですね。

5.神様はトータルで同じように

ヨーロッパ音楽では、フランス革命後の19世紀にその思想とともに楽器も随分と変わりました。ピアノがダブル・エスケープメント・アクション(註7)註7:ダブル・エスケープメント・アクション【double escapement action】フランスのピアノ製造技師エラール父子が発明したレペティション機構のこと。レペティションは反復の意。ピアノで鍵盤を押すとハンマーが弦を打つしくみをアクションと呼ぶ。従来のピアノは一度弦を打ったハンマーが元の位置に戻るまで同じ音を出すことができなかったが、レペティション機構の発明により連打が可能になった。になったのは1820年頃、その頃バイオリンもひょうたん型や四角い箱型が試されましたが今も昔からの形が主流です。クラシック音楽の演奏スタイルはほぼその時代にできた形で20世紀まで受け継がれ、今もその型から抜け出せない状況です。それはオーケストラの座り方を見るとわかります。

中村

確かに。でも自分の表現としては変えたいと思うのが当り前ではありませんか。芸術なんですから。

私はそう思います。でも音楽教育を見渡すと教える側も学ぶ側も古い型を打ち破れない。

中村

コンクールなどがいけないんじゃないかしら。

それは言ってはいけないと思って(笑)。コンクールはコンクールの弾き方をしないと通りません。でもどうにか変えられないかと考えた時、モーツァルトが6歳の頃に書いた「メヌエット ヘ長調 kv.5」を、ふと思った。ほぼ2音か3音からなるピアノ曲です。これを課題曲にして初見で弾かせたら面白い。

中村

技術でなくその人が見えてきそうですね。

その人の感性が出ます。技術の要求が強いほど感性の量が減ってくるのです。

中村

なるほど。トータルは同じということではないでしょうか。例えば眼の見えない方が他の感覚を生かして感じていらっしゃることをとても鋭いと思うことがよくあります。どこかがマイナスでも他がすごく伸びる。神様はトータルとしては同じになるようにしてくださっている気がするのです。

すごいなあ。なんか安心しました。

中村

私は、女の子が毎日を楽しむ感覚が大事だと思って、今そのことを本に書いています。上から目線でなく日常の中から考える。毎日のご飯を美味しくいただき、音楽を楽しみ、タンポポやダンゴ虫と遊ぶ。おままごとをしている時の当り前の気持ち。森さんはその女の子の感覚で音楽をやっていらっしゃるように見えるのですけれど。

私自身まだ子どものつもりです(笑)。音楽の上でも女の子と男の子は不思議と違って、女の子特有の柔らかさってありますね。実は私が20年間こだわっているのがアンサンブルは男女を同じ比率にすることです。13人は半々に割れませんが、演奏も、男の子はやはり縦線と横線をピシッと決める性格が多く、女の子はフワッと柔らかな色彩を感じさせる性格が多いので、両方をうまく織り込む。世の中、男と女しかいませんからね。

中村

なるほど、音楽を聴きながら、織物のように縦糸と横糸を織り上げる男の子と、そこに色彩や滲みを浮かび上がらせる女の子を思ってみると幸せな気持ちになれますね。

6.アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク

私たちは、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」で長岡京から世界を変えたらしいんですよ。たぶん緩急の展開が鍵なのです。この曲は譜面の冒頭にあるアレグロの指示から一様なテンポで演奏されることが多いのですが、それでは生き生きした音楽になりません。森流の奏法は、まず楽譜の全体を見渡して曲の鍵になるテンポを見つけ、そこから逆算して全体のテンポの変化をイメージします。モーツァルトは、その曲の臍になるテンポを全体のどこか一ヶ所に必ず定めているので、そこを楽譜から見抜くと、自ずと全体の変化が見えてくる。そのうえで冒頭のアレグロをどのような軽快さで奏でるか。例えば、最初の2小節で、ボールをポーンと相手に投げ、次の2小節でポーンと返って来るというイメージ。まず上に向かってのおしゃべり、それに応じて下からの返答というように問答の呼吸から自然なうたい出しを形づくる。数年前、私たちの録音が初めてラジオ・フランスで流れた時、ヨーロッパの古い友人が「君のアイネ・クライネが世界を変えたよ」と言って皆で喜んでくれて。21世紀のヨーロッパでは今や皆あの弾き方です。

中村

ヨーロッパ全土での流れをつくったとは素晴らしいですね。

今日はモーツァルト直筆の譜面を持って来ました。オーボエカルテットです。どこにも書き損じがなく素早くペンで一気に書き上げたことがわかります。

中村

綺麗ですね。こういうものを見るとモーツァルトの呼吸が感じられますね。

身体から溢れ出る音楽がそのままここに書き写されている。

中村

音楽が全体として流れ出てくる感じがします。

ベートーベンは譜面に書き損じがたくさんあって試行錯誤の過程がわかる。モーツァルトは消しゴムなし。

中村

天才なんですね。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトってサインしている字も綺麗。三百年という時間を感じます。

私はMade in 20世紀だからヨーロッパの19世紀、18世紀、17世紀を知らない。だから音楽の歴史を勉強したのです。二十代で初めて渡欧した時は本当に何にも知らず大海原にボチャンと入っちゃって、もう陸地も見えない。最初に教会でオルガンと一緒にバロック音楽を弾く仕事をいただきましたが、ドレミファからして日本で習った音じゃない、全部半音下がってて。それが最初の入り口で西洋の伝統的な音楽が渦巻く世界で30年間バロックをやりクラシックをやっていたら、必然的にものの考え方も音楽も変わるわけです。

中村

白紙だったからこそ、そのまま自分の中にとり入れることができたのかしら。

私にとっては何もかもが初めてでした。例えばハーモニーというと数学者がそれをきちんと分析していて数式がダーッと出てくる。数字が並んでいても音楽は聴こえない。でもそこにバッハがある。

中村

バッハの音楽はまさに数学の構造でできていますね。

「シャコンヌ」なんて完璧な建築。元はスペインの伝統的な舞曲で、日本でいえば田楽や猿楽のようなものですが、20世紀にはバルトークが素晴らしい「シャコンヌ」を書いて。私は21世紀にどんな「シャコンヌ」が可能かと、フランスの作曲家で古い友人のルノー・ ギャニュー(註8)註8:ルノー・ギャニュー【Renaud・Gagneux】[1947—2018]パリ生まれの作曲家。パリ国立高等音楽学校にてメシアンのもとで作曲を学びジョン・ケージらとも交流した。弦楽四重奏、チェロコンチェルト、オペラ、レクイエムなど多岐に渡る楽曲を手がけた。親日家として松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶などの俳句に捧げた楽曲を発表している。に依頼して長岡京のために曲を書いてもらいました。伝統的なリズムが息づいて、それを基調にバリエーションが展開していきます。彼の作品はミニマリズムで、蕪村の俳句をモチーフにした曲もありますよ。

中村

長岡京室内アンサンブルは選曲も多様でバロックから現代音楽、更に東洋もとり入れて、豊かな思いがけない音の響きを聴かせてくれるので、次は何が聴けるかといつも楽しみです。

若い子が留学する時、いつも私は、向こうには古くから続いている文化がある。そういうものをよく心に映しておいでと言うのです。私だってまだまだです。先日、リュリ(註9)註9:リュリ【Jean‐Baptiste・Lully】[1632—1687]イタリア生まれのフランスの作曲家。ルイ14世の宮廷楽団総監督。踊り手、器楽作曲家を経て、宮廷バレエの作曲家として活躍。フランス・バロック・オペラを創設した。というバロック音楽家の本を読んでいたら、面白い挿し絵に初めて気づいて、今日持ってきました。

中村

フランスの人ですか?

イタリア生まれで宮廷音楽家としてフランスで活躍した作曲家で、これはベルサイユ宮殿でオペラを演奏している絵です。よく見てください。指揮者なんかいません。私たちと同じで皆あっちこっち向いて弾いています。17世紀です。

中村

本当だ。20世紀になる前はこうだったの。

お客さんも楽しそうに一緒に踊りながら聴いています。今、時代がここに戻っているんですよ。ロンドンで毎年開催される「プロムス」というクラシック音楽の祭典をご存知ですか。私も何度かゲストで呼ばれましたが、本当に素敵で皆が一つになって踊りながら音楽を楽しんでいる。

中村

あのお祭りは毎年映像で見ています。とても楽しくて大好きです。でも日本でクラシック音楽と言ったらじっと聴いているもの。踊ったら周りのお客さんに叱られちゃう。

17世紀はもっと自由だったみたい。以前、「モネの庭」という合奏実験をやったことがあります。印象派の絵は近くで見る点描はバラバラですけれど離れると一つの景色が見えてきます。それをアンサンブルで試してみた。指揮者なしで80人のアマチュア奏者が皆外側を向いてマンダラ模様に座って合奏するのです。誰も「せーの」って言わない(笑)。頼れる人がいないとそれぞれ自分の世界でソリストのような気持ちになる。でも周りを聴いて弾いていくと80人の呼吸が揃い、フワーッと音の柱みたいなものがいつの間にか立ち上がって、スッとそれが降りてくるという印象で、不思議と全体の呼吸が合う。人間の集中力ってすごいですよ。

中村

息をすることは生きていることの基本ですから、呼吸が合うというのは生き生きした表現になるということですね。

アメーバや粘菌が集まるように。それには思いが一つであればいい。

中村

同じ思いを持つ人が集まっている。そこが大事なのですね。

いかによい音楽をつくれるか。一人一人の思いが一致した時に新しい技術も生まれる。私はそこを信じています。合奏団にいるのはそういう思いを持った人ばかり、ここはそれぞれが自分を磨く若手の道場です。才能というのはある年齢に達するまで出てきませんから、そこを見極めるのが本当の教育者だと思いますね。私の教育はいつも20年後を見てやっています。

中村

素晴らしい。そうやって長岡京でアンサンブルを経験した人たちは、森さんと同じような考えを持つようになる。そうやって次の世代が育っていく。まさに生きものです。次の演奏会が楽しみです。

写真:大西成明

対談を終えて

「made in 20世紀」という森さんの言葉は今の私の気持ちそのままだ。私たちを育てたのは音楽も科学も息せき切って坂を登る時代であり、ふと気がつくと、もっと自分を生かして、ふつうに生きることを楽しみたいという気持になっていた。「長岡京室内アンサンブル」と「生命誌研究館」はこの気持から生れたんだよねと頷き合うと幸せになる。いのちに向き合い、歴史に学びながらよく聴き、よく観ることによって本物を生み出そう。21世紀はこれですよね。悠子さん。(中村桂子)

「音の“いのち”はどこから」と問い続けて半世紀。今テレマンのファンタジーを弾くに当たって、出始めの1音の“いのち”を求めてもがく。空気? 水? 土? それとも自分の体の中から?…試行錯誤して見つかったようで見つからない、本番が来てしまった。今日、中村桂子先生との対談のために生命誌研究館へ伺って0.5ミクロンのミトコンドリアを見た。“いのち”の始まりは何万分の1ミリ…どのようにして見つけるのだろう? 音の“いのち”の始まりも果てしなく深い中にあるに違いない。(森悠子)

もり・ゆうこ

教育哲学者・森昭の次女として高槻市に生まれる。桐朋学園大学卒業後、渡欧。研鑽を積みつつ各地各団体で活動。リヨン高等音楽院助教授、ルーズベルト大学シカゴ芸術大学音楽院教授、くらしき作陽大学音楽学部教授を歴任。1990年京都フランス音楽アカデミー創設、音楽監督。1997年長岡京室内アンサンブル設立、音楽監督。演奏活動に加えてNPO法人「音楽への道CEM」を母体としてキャパシティ・ビルディング、プロペラ・プロジェクトなどの音楽家育成活動に精力的に取り組む。2003年フランス政府より芸術文化勲章「オフィシェ章」授与。2017年第34回京都府文化賞功労賞授与。著書に『ヴァイオリニスト 空に飛びたくて』。

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