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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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ネアンデルタール人の性質を探る

2014年10月15日

いま日本は遺伝子検査元年を迎えている。主にSNPアレーを用いて個人のゲノムを解析し、病気になり易さなどを予想しようと言うわけだ。ヤフーやDeNAなど名だたるネット企業が参入して競争が始まった。このビジネスの背景には、ゲノム情報を正しく処理すれば原理的にその個体の性質を正確に言い当てる事が出来ると言う期待がある。勿論私の様に60年以上様々な環境の中で生きた後だと、ゲノムから予想できる状態から間違いなく大きく変化している。実際最初はそっくりな一卵性双生児の顔も、60歳で比べるとずいぶん違ってくる。とは言え、核移植によりクローンが出来ると言う事は、個体が発生するための情報として必要なのはゲノム情報だけである事を示している。こう考えると、いつの日か、ゲノムから大まかな体型、顔かたち、あるいは他の性質を予測できる様になると期待してもまんざら間違いではないだろう。現代人でわかる事は古代人でも同じだ。ネアンデルタール人の全ゲノムも同じように解読されており、いつかはそのゲノム情報から、ネアンデルタール人の顔かたちを含めて様々な性質を予測できるようになるだろう。勿論顔かたちとなると今は無理だが、例えば色が黒いか白いか等はゲノム情報から推定できる。皮膚の色素を調節しているメラノコルチン受容体の遺伝子配列をネアンデルタール人で調べてみると、現代人にも見られないアミノ酸配列の変異を持っているゲノムが見つかる。この遺伝子を配列から復元して現代人の分子の活性と比べると、この分子の活性は弱く、おそらく皮膚や毛は現代ヨーロッパ人と同じように色素の少ない皮膚の色をしていたと推定できる(Lalueza-Fox et al, Science 318, 1453, 2007)。従って、皮膚や毛の色は私たちとそんなに違っていなかったと思われる。最近の研究結果を受けてだろう、それまで何となく色黒く描かれていたネアンデルタール人も最近では色白に描かれるようになっている。

図1 ネアンデルタール人の少年。ポーランドのWikipediaは白人の子供としてネアンデルタール人を描いて掲載している。

勿論日照時間の長い地域に分布したネアンデルタール人は当然色黒だったはずだ。この問題について研究している中国のグループは、日本人を含む黄色人種にだけに維持されているネアンデルタール遺伝子を見つけている(Ding et al, Molecular Biology Evolution, 31, 683, 2013)。

さて16話で紹介したように、ネアンデルタール人のゲノムと私たちのゲノムを比較すると、交雑が行なわれた後の3−8万年の間でネアンデルタール人の遺伝子の多くはバラバラになって現代人に散らばってはいるが、確かに存在している。この中国の研究結果からわかるように、ネアンデルタール人の遺伝子は一様に現代人に分布しているのではなく、民族や環境に応じて特定の遺伝子が選択され維持されている。現代人のゲノムの中にネアンデルタール人のどの遺伝子がどう散らばって分布しているのかを調べる事は、私たち自身の歴史を知る意味でも面白いテーマで、現在最もホットな研究領域だ。例えば第15話で紹介した様に、デニソーバ人のゲノムの小さな断片がチベット族の8割に維持されている事を示した論文は、チベット族が高地順応する過程の時間的経過についてのヒントを提供している。このように、もし現代人の多くが共通に持つネアンデルタール遺伝子があれば、それは生存優位性に貢献している可能性が高い。幸い、サハラ以南のアフリカ人にはネアンデルタール人の遺伝子が流入していない事が明らかになり、またネアンデルタール人ゲノムの解読精度がさらに上昇したおかげで、ネアンデルタール人ゲノムがどのように現代人に分布しているのかを正確に決める事が出来るようになった。そして、ついに今年3月、ネアンデルタール人遺伝子が私たちにどう分布し、またどう役立ってそうかを調べたハーバード大学とペーボさんたちのグループの共同研究が発表された
(Sankararaman et al, Nature, 507, 354, 2014)。

図2:現代人ゲノム領域の中のネアンデルタールゲノム分布についての略図。
Sankararaman等の論文に掲載されている図を参考に作成している。縦軸をネアンデルタール度と書き換えてある。理解のための略図にすぎない。

この研究では、アジア人、ヨーロッパ人、アフリカ人と分けて現代人のゲノムをネアンデルタール人ゲノムと比較している。図2に示すように、ある遺伝子領域について、ネアンデルタール由来である可能性を「ネアンデルタール度」としてプロットすると、アジア人、ヨーロッパ人ゲノムの1-1.5%がネアンデルタール由来である事がわかる。一方、アフリカ人では0.1%以下だ。また、民族同士、あるいは個人同士で比べると、ネアンデルタールから流入して来た部分は人によってまちまちだ。そんな遺伝子の中には、6割以上の現代人が維持しているネアンデルタール人遺伝子領域が存在する。一方、調べられる限りの現代人のゲノムを調べても、ネアンデルタール人のゲノムの全く見つからない比較的長い遺伝子領域も見つかってくる。それぞれの領域に実際どのような遺伝子が存在しているのかがこの論文で調べられた。先ずほとんどの現代人から失われたネアンデルタール遺伝子を調べてみると、アジア人でも、ヨーロッパ人でもX染色体上にあって精巣で強く発現している遺伝子がトップに来る事がわかる。ここからは推測の域を出ないが、おそらくネアンデルタール人の遺伝子の中には現代人の男性の生殖能力を抑制する遺伝子領域があり、交雑の結果男性は不妊になるため、この遺伝子領域からネアンデルタール人の遺伝子が完全に失われたと考えられる。一方、アジア、ヨーロッパ人を問わず6割以上の現代人が維持し続けている遺伝子の中で最も目立つのがケラチンフィラメント遺伝子だ。おそらくこの遺伝子は、私たちの先祖が、ヨーロッパや北アジアの環境に適した皮膚や体毛を持ったネアンデルタール人から受けた贈り物と言っていいかもしれない。病気に関係する遺伝子もネアンデルタール人から受け継いでいるようだ。SLEやクローン病に関係することがわかっているヨーロッパ人に多い一塩基多型がネアンデルタール人由来である事、あるいはアジア人の2型糖尿病に関係すると知られていた一塩基多型の一部がネアンデルタール由来である事もわかった。皮膚発生に関わるケラチン遺伝子が選択される事については理解可能だが、ネアンデルタール人から受け継いだ病気に関係する遺伝子が選択維持されている理由はまだ良くわからない。いずれにせよ、ネアンデルタール人は我々の祖先と交雑したおかげで、そのゲノムを現代に残している。今後このネアンデルタール遺伝子を古代へと遡る事が出来れば、歴史についての新しい発見があるかもしれない。

このようにゲノム研究は今や歴史研究の欠かせない一部になっている。次回はゲノム解読を通した歴史研究を紹介しよう。

[ 西川 伸一 ]

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