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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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寒冷地への適応 I

2015年4月1日

前回は嗅覚受容体の話だったので、今回は味覚の話から始めよう。ゲノム上に、300〜1000種類以上存在する嗅覚受容体と比べると味覚受容体はかなりシンプルだ。まず味覚は、甘み、旨味、苦味、酸味、そして塩味(他にも脂肪は別の受容体が関わることが示唆されている)の4(5)種類の基本感覚が統合されて生まれる感覚で、これまでの研究でそれぞれの基本感覚は別々の味覚受容体が受け持っていることが知られている。図1に示したが、面白いことに甘みや旨味のような、好ましい感覚に関わる受容体はどんなに優秀なシェフでも、それぞれT1R1/T1R3とT1R2/T1R3(2種類のGタンパク共役型受容体が結合して働く)の1種類づつしか存在しない。


図1 旨味、甘味、苦味を感じる味覚受容体の分子構造
旨味、甘味に対しては1種類しか受容体は存在しない。一方、苦味を受け持つT2Rは30種類知られており、様々な物質に反応できる。これら受容体は同じ経路で細胞の興奮を誘導する。即ち、味覚受容体に結合しているGタンパクがPLCγ、IP3を介して細胞内カルシウム濃度を上昇させ、その結果TRPM5ナトリウムチャンネルと、Calhm1 ATPチャンネルを開けて細胞の興奮を誘導する。

一方、苦味はT1型とは分子構造が異なるT2R受容体が受け持つが、哺乳動物では複数個(<30)存在することが知られている。味覚物質に結合する受容体は異なっていても、この3種類の受容体が細胞の興奮を起こす仕組みはほぼ同一で、味覚受容体が活性化されるとPLCβ、IP3受容体を介して細胞質内カルシウムが上昇、これによりTRPM5チャンネルを通してのNaの流入、Calhm1チャンネルを通してATPが流出することで細胞の興奮がおこる。この入り口の単純さから考えると、優秀なシェフではおそらく細胞の興奮パターンが脳内で統合され、繊細な味の感覚を生み出しているのだろう。また、動物は美味しいものより、まず避けるべき食物を見つけることを重視して苦味の感覚を重点的に多様化させているようだ。これとは別に、酸味や塩味も独立に感じられるが、味覚細胞の興奮には全く異なるメカニズムが使われている。また同じシグナルは味認識以外にも受容されるため、ここでの議論から外した。

さて長々と味覚の分子機構について書いてきたが、なぜ優秀なシェフが繊細な料理を作れるかについて講釈するためではもちろんない。今年Current Biology2月号に掲載された(Current Biol, 25:R141-142, 2015)、ペンギンのゲノム上の味覚受容体遺伝子を比較した中国武漢大学からの論文を紹介するためだ。この研究は2種類のペンギンのゲノムを解析するうち、この2種類のペンギンに、甘み、旨味、苦味の全ての味覚受容体が欠損していることを発見したことに始まる。他のペンギンや鳥の状況を調べるため、27種類の鳥について調べたところ、調べた全ての鳥で甘みを感じるのに必要な機能的T1R2遺伝子が失われていることが明らかになった(図2)。


図2 様々な鳥類の味覚
上記の武漢大学の論文(Current Biol 25:R141, 2015)を参考にまとめたもの。全ての鳥でT1R2遺伝子が欠損している。しかし、T1R1,T1R3, 及び複数のT2R遺伝子は存在している。ところが調べた5種類のペンギンでは、全ての機能的味覚受容体を喪失していた。

一方、T1R1,T1R3はほとんどの鳥で存在することから旨味は感じることができる。もちろん、苦味を感じるためのT2Rはいずれの鳥も複数存在し、味により食物の選別を行っていることは確かだ。ところが、後から調べた3種のペンギンも合わせ、ペンギンには旨味を感じる受容体も、苦味を感じる受容体も機能的遺伝子が存在しないことがわかった。話はこれだけだが、この論文から、前回嗅覚遺伝子の話で紹介した結果と同様、味覚も環境に応じて簡単に失うことができる遺伝子であることがわかる。とはいえ、なぜ調べた全ての鳥は甘みを感じる受容体遺伝子を喪失したのか?これについては全く手がかりはなく、想像力に満ちた考えが生まれるのを期待するしかない。一方この論文では、なぜペンギンだけが全ての味覚を放棄したかについて、極地の低温がこの適応を生んだのではと考える一つの仮説を提供している。2005年、味覚3要素のシグナルに必須のナトリウムチャンネルTRPM5がなんと、摂氏10度になるとほとんど機能できないことを示した論文がNatureに掲載された。(Nature 438:1022, 2005)。逆に温度が35〜40度でこのチャンネルの感受性が最も高まる。従ってシェフにとっては、味は温めてから調整すべきという教訓になるが、逆に低温に住むペンギンにとっては、いくら味覚受容体があっても味の3要素を感じることができないことを意味している。今でこそペンギンは南極以外にも分布しているが、もともと南極大陸で進化した。これらを考え合わせると、味覚に関わるチャンネルの温度感受性のため3要素の味覚を失ったペンギンは、必要の無くなった味覚遺伝子を喪失したと考えられる。その後、暖かいところに分布しても結局失われた味覚を取り戻すことができていないようだ。しかし、味がわからなくなったからと言って、遺伝子まで捨てた方が有利である理由についてはまだわからない。いずれにせよ、低温は様々な分子の機能を大きく変える。この意味で、低温への適応は進化を考える上で格好のモデルになる。

失うことが種にとって有利になることが比較的はっきりしている過程が、やはり極地に住むアイスフィッシュ(Icefish、コオリウオ)に見ることができる。アイスフィッシュは、ノルウェーの南極基地で存在が噂されていた「血液のない魚」を、オスロ大学のジョアン・ルード(Johan T. Ruud)博士が実際に捕獲、血液を採取して赤血球がないことを確認し、Vertebrates without erythrocytes and blood pigment (赤血球と血液色素の欠損した脊椎動物)というセンセーショナルなタイトルでNatureに報告して世界に知られるようになった(Nature, 173:84, 1954)。その後の研究で、アイスフィッシュにはヘモグロビンも赤血球もないことがわかった。もともとスズキ科の魚で、決して小さくなく、ルード博士も60cm近くに成長できる魚であることを記載している(図3)。


図3 アイスフィッシュ(Wikimedia Commonsより)
右端は、私が葛西臨海水族園で撮影したもの。赤いヘモグロビンの色が全くない。

私も日本で飼育が行われている東京都葛西臨海水族園で実物を見たとき、この大きさの魚がヘモグロビンや赤血球なしに生きているのかと驚いた。しかし閉鎖血管系、赤血球、ヘモグロビンの進化は脊椎動物進化の最も重要な性質で、このおかげで大型の動物が進化できた。この論文でルード博士は、2~-1.7度という低温は最も酸素が水に溶けている温度で、酸素は皮膚や大きなエラから十分に取り込めるため、ヘモグロビンを運び屋として使う必要がなくなったのではと考察している。すなわち、味覚受容体の時と同じで、低温環境がヘモグロビンの機能を無用にし、その結果遺伝子を喪失したとするシナリオだ。その後の研究で、アイスフィッシュの仲間が南極に15種類存在することが明らかにされ、またゲノムに残る遺伝子喪失過程の解析も進んだ(次回紹介する)。この結果、現在ではアイスフィッシュ進化過程のシナリオを描くことが可能になっている。この過程には、新しい遺伝子の獲得もあれば、喪失もあり、低温環境への適応に何が必要だったかうかがい知ることができる。次にアイスフィッシュがヘモグロビン遺伝子を喪失するまでの過程を、これまで明らかになっている結果を元に、再構築してみよう(図4)。

低層の水温が一定しているとはいえ、極地では水温は-2度近くまで下がる。魚類のような変温動物だと、血液が凍る心配がある。従って、低温で生活するために必須の分子は、低温でも凍らないよう血液を守る機構だ。この機能の鍵となるのが不凍タンパク質(AFGP)で、アイスフィッシュは全種類、不凍タンパク質を持っている。ただ、AGFPの獲得自体は約4000万年前にスズキ目のノトテニア亜目の進化過程で起こっている。AGFPを獲得しても、その後1000万年以上、この亜目は種として栄えることはなく、またAFGPを獲得したからといってその種の比率が増えるということはなかった。


図4 アイスフィッシュの進化とその間に起こったと想像されている出来事

その後漸新世期に入ると、気温が下がったこと、および天敵がいなくなったことが重なって、温度が比較的一定で凍らない低層の海に適応した極地型の魚が繁栄し、多様化する。例えば、ノトテニア科の魚は浮き袋を捨て、代わりに皮下脂肪をつけることで、一定の浮力と防寒効果を一度に獲得しており、現在50種類が知られている。その後南極大陸の氷床が確立する中新世に入ってノトテニア科と別れた鱗を失った種の中に、最も低温に適応したと言えるアルテディドラコ科のアイスフィッシュが分かれてくる。このように、ヘモグロビンが失われるより先に、酸素濃度の高い低温海水から直接酸素を吸収するための皮膚呼吸の効率をあげるため鱗を喪失するなど様々な形質の変化が起こったと予想される。重要なことは、中新世後期にヘモグロビンを失ったアイスフィッシュの系統は、他の種と比べてもさらに個体数を増やし、多様化した点だ。すなわち、ヘモグロビンを失うこと自体が、温暖化が始まった南極でより積極的な有利な形質として働いた可能性を強く示唆する。次回は、ヘモグロビンや赤血球が失われることが、どう生存上有利に働いたのかを見ていこう。

[ 西川 伸一 ]

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