モンシロチョウとがん治療の夢
  なぜモンシロチョウ
  細胞を壊す分子の分離
  ADP-リボシル化される分子は?
  モンシロチョウにとってピエリシンとは何?
  ピエリシンとがん治療の夢
70年代になって、子供のころから大好きだったチョウの幼虫に、盛んに増殖するがん細胞をアポトーシス(ある種の自殺)に導く物質を見つけ、興奮している杉村先生。大型予算の中で動くプロジェクト研究の中で、生物研究の原点を見せてくれました。先生の笑顔を思い起こしながら、癌研究の歴史と重なる先生の研究史を楽しみ、科学とはなにか、自然とはなにかを考えてみてください。
なぜモンシロチョウ
 モンシロチョウ
 ベニシロチョウ
 平成9年に日本国際賞をいただいた。「がんの原因に関する基本概念の確立」で、友人のカリフォルニア大学バークレー校のブルース・エームス(Bruce Ames)教授との共同受賞だ。賞牌は日の丸を形どったものだった。友人が、祝賀会をと言ってくれたが、気恥ずかしいのでやめてもらった。そこで蝶マニアの元国立がんセンター室長 小山恒太郎君が、日本賞だから日の丸の蝶画を作ってくれると言う。白地は真っ白ではないけれど、モンシロチョウ(Pieris rapae)の羽で作り(図)、赤丸はマレーやフィリピン等に分布しているベニシロチョウ (Appias nero) の羽(図)を使うという。ブラジルの友人から以前頂いた蝶画は高価なものらしい(図)。WHOの友人からいただいた中央アフリカ産のものは、二人の女性が頭上に荷物を乗せている画で、味わい深い(図)。モンシロチョウはたくさん育てられるが、赤い羽のチョウは高価なので、日の丸の中心がだんだん小さくなり、日の丸の蝶画はだいぶ小さくなった(図)。そこで、飼育したモンシロチョウの幼虫が沢山余った。生きものを無駄に殺すのは後ろめたい。科学のために有効に使えないかと考えること数刻。完全変態をする蝶類は、幼虫末期ム蛹期の間に沢山の種類の細胞が置き換わるわけで、ある細胞が死に、別の細胞が現れるに違いない。幼虫末期から蛹期の体液に、その現象を促す物質があるはずだと思いついた。
 ブラジルの蝶画  アフリカの蝶画  日の丸の蝶画
 小山君は細胞培養が大好きで、国立がんセンター退職後もがん予防研究部長若林敬二博士の雅量で、居候的に研究を楽しんでいる。
培養胃がん細胞(TMK-1)に対するピエリシンのアポトーシス作用
 培養液にピエリシン(5ng/ml)を加えると6時間後位から始まり、9時間、24時間とアポトーシスが進む。
 蛹一匹から約0.1mlの緑っぽい液体が得られ、遠心沈殿で透明になる。それを希釈して培養した人間の培養胃がん細胞に加えたところ、約6時間後から細胞がアポトーシスを起こす(図)ことがわかった。体液0.1mlを10リットルに (105倍に相当)希釈しても効果がある(図)。DNAを電気泳動すると、アポトーシスに典型的な梯子状の分断DNAを示した(図)。1-4)
 胃がん細胞(TMK-1)のDNAのピエリシンによる切断
時間とともにDNAが分解し、電気泳動で速く移動する。
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細胞を壊す分子の分離
 夢想が現実になってきた。研究者というものは、一生新しいことに夢を持ち続けるものだ。しかし、小生も小山君も実験研究適齢期を過ぎている。ここで次の世代の人々と興味を分かち合い、討論を続けて、論文に仕上げるという、間接的研究を進める謙虚な立場を十分自覚することが大切になる。実際に実験を行ったのは若林部長と渡辺雅彦室長、高村岳樹博士等である。結果が面白く進めば、もちろん彼らの専門と特技を生かした研究へと発展させていく。小山君は、農林水産省研究者等と、シベリアから北海道や青森に侵入した外来種オオモンシロチョウ(Pieris brassicae)の個体を集め、それに関する情報も集め始めた。私は過去の経験から、いくばくかの連想(association)を生かしている。幸い有効蛋白質は純化が容易で、約100kDaの単一バンドになった。850個のアミノ酸に相当するDNA配列もわかった。N末にはADP-リボシル化反応を触媒する配列があり、C末はリシンの動物細胞膜受容体に反応する配列に似ている。このペプチドをモンシロチョウの学名にちなんでPierisinと名付けた。その受容体は、細胞膜の糖脂質Gb3およびGb4であった。これがない細胞はピエリシンに全く感受性がないが、エレクトロポレーションでピエリシンを細胞質内に取り込ませると、アポトーシスが起こる。またピエリシンのN末の ADP-リボシル化に関係する場所にあるグルタミン酸をグルタミンに変えると、アポトーシスを起こす活性を失う(図)。3)、5-7)
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ADP-リボシル化される分子は?
 これまでに知られているADP-リボシル化反応として、コレラ毒素A鎖の場合には、G蛋白質のアルギニン残基に起こる。ジフテリア毒素A鎖の場合は、蛋白質合成に働くEF−2の715番目にあるジフタミド(修飾ヒスチジン)というアミノ酸にADP-リボシル化を起こす。そこで当然ピエリシンも蛋白質をADP-リボシル化すると思ったのだが、驚いたことに、DNAがADP-リボシル化されたのだ。慎重に構造を決定した所、DNAのグアニンの2位のアミノ基にADP-リボシル化が起こっていた(図)。ピエリシンとDNAをNAD存在化に反応させると、1分子のピエリシンが、DNAのグアニン上に少なくとも数万個のADP-リボシル化を起こすこともわかった。8)
 ピエリシンによるDNAのADP=リボシル化の構造
DNAのグアニンのN2 アミノ基にADP-リボシル化が起っている。
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モンシロチョウにとってピエリシンとは何?
 モンシロチョウ(Pieris rapae)以外にもオオモンシロチョウ(Pieris brassicae)からもピエリシンがとれたのでそれぞれピエリシン-1、ピエリシン-2とした。二つのアミノ酸配列はよく似ており、わずかに数%しか違わない。アポトーシスはほとんどのチョウで起きているので、ピエリシン活性を持つ蛋白質とそのDNA配列は、どの蝶にも当然あると思ったが、アゲハ蝶科、タテハ蝶科など他の蝶には全く認められない。シロチョウ科でもスジグロシロチョウ(Pieris melete)、タイワンモンシロチョウ(Pieris conidia)、エゾスジグロシロチョウ(Pieris napi)にはあるが、ツマキチョウ(Anthocharis scolymus)、エゾヒメシロチョウ(Leptidia monsei)等にはない。進化の過程で、何時ピエリシンがDNAに入ったのだろう。よく似ているものに、Bacillus sphaericusが分泌し、蚊の幼虫を殺すmosquitocidal peptideがあるがこれとの関係も不明だ。9) シロチョウ科の中でピエリシンがモンシロチョウの変態や生活にどう役に立っているのかもまだ判らない。様々なことが想像され、寄生蜂が幼虫体内に入った時、防御するために作用したのかも知れないなどと考えてもいるが、証明はまだだ。わからないことばかりである。
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ピエリシンとがん治療の夢
 ピエリシンを、大腸菌に合成させると菌が死んでしまうし、Baculovirusと昆虫細胞でも、今のところうまく合成されない。幸いにウサギの網状細胞溶解系では生合成される。がん細胞の細胞表面のがん特異物質(抗原)が見つけられつつあるので、ピエリシンのC末に工夫を加えて、がん細胞表面特異物質と結合させれば、有効な抗がん物質になるかもしれないという夢も持っている。
 本研究は、若林部長の研究室の多くの諸君により遂行されつつある。新しい研究はいつもワクワクするが、特に、偶然からの研究の進展を知るのは楽しいことである。
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(すぎむら・たかし/国立がんセンター名誉総長)
1) Koyama, K., Wakabayashi, K., Masutani, M., Koiwai, K., Watanabe, M., Yamazaki, S., Kono, T., Miki, K. and Sugimura, T. Presence in Pieris rapae of cytotoxic activity against human carcinoma cells. Jpn J Cancer Res, 87, 1259-1262 (1996).
2) Kono, T., Watanabe, M., Koyama, K., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Anti-cancer substance in Pieris brassicae. Proc Jpn Acad, 73B, 192-194 (1997).
3) Watanabe, M., Kono, T., Koyama, K., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Purification of pierisin, an inducer of apoptosis in human gastric carcinoma cells, from cabbage butterfly, Pieris rapae. Jpn J Cancer Res, 89, 556-561 (1998).
4) Kono, T., Watanabe, M., Koyama, K., Kishimoto, T., Fukushima, S., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Cytotoxic activity of pierisin, from the cabbage butterfly, Pieris rapae, in various human cancer cell lines. Cancer Lett, 137, 75-81 (1999).
5) Watanabe, M., Kono, T., Matsushima-Hibiya, Y., Kanazawa, T., Nishisaka, N., Kishimoto, T., Koyama, K., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Molecular cloning of an apoptosis-inducing protein, pierisin, from cabbage butterfly: possible involvement of ADP-ribosylation in its activity. Proc Natl Acad Sci U S A, 96, 10608-10613 (1999).
6) Matsushima-Hibiya, Y., Watanabe, M., Kono, T., Kanazawa, T., Koyama, K., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Purification and cloning of pierisin-2, an apoptosis-inducing protein from the cabbage butterfly, Pieris brassicae. Eur J Biochem, 267, 5742-5750 (2000).
7) Kanazawa, T., Watanabe, M., Matsushima-Hibiya, Y., Kono, T., Tanaka, N., Koyama, K., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Distinct roles for the N- and C-terminal regions in the cytotoxicity of pierisin-1, a putative ADP-ribosylating toxin from cabbage butterfly, against mammalian cells. Proc Natl Acad Sci U S A, 98, 2226-2231. (2001).
8) Takamura-Enya, T., Watanabe, M., Totsuka, Y., Kanazawa, T., Matsushima-Hibiya, Y., Koyama, K., Sugimura, T. and Wakabayashi, K. Mono(ADP-ribosyl)ation of 2'-deoxyguanosine residue in DNA by an apoptosis-inducing protein, pierisin-1, from cabbage butterfly. Proc Natl Acad Sci U S A, 98, 12414-12419. (2001).
9) Thanabalu, T., Hindley, J., Jackson-Yap, J. and Berry, C. Cloning, sequencing, and expression of a gene encoding a 100-kilodalton mosquitocidal toxin from Bacillus sphaericus SSII-1. J Bacteriol, 173, 2776-2785 (1991).
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