ポーランドの古都クラクフで公演の打ち合わせ。
隣は故郡司正勝氏。

現在の生物学者に「ミトゲン線って何?」と間うても、知っている人は誰一人いないだろう。Die mitogene-tische Strahling、つまり、有糸細胞分裂mitosisを誘導するような働きをもつ不可視的紫外線のことである。1923年にタマネギの根冠の細胞分裂の観察から、この幻想的な光線の存在を提唱したのが、当時ウクライナにあったグルヴィッチであった。1920~30年代で、この光線は、いわば当時の細胞研究の寵児として騒がれた。そして、やがて誰一人としてその存在を確認し得ず、人の口にまったく上らなくなって消えた。

ミトゲン線は消えてしまったが、彼の名は生物学に「場」の概念を初めて提唱したパイオニアとして今も残る。グルヴィッチは、よほど頭の鋭い、理論的概念的指向の強い人物であったらしい。

それより前、ドリーシュはウニの初期胚の割球の一つ一つが、正しく胚をつくり得ることを示したが、彼自身はこの、いわば部分が全体をつくり得るという実験結果を、超物質的な「エンテレヒー」によること、と解釈したのは有名な話である。

グルヴィッチは、この全体的調和への調整を、生気論としてみるのを退け、胚発生の調整を観察するために、別のアプローチをとった。たとえばウニの嚢胚とか、タマネギの根冠とかのような、幾何学的に正確なパターンがつくりだされる過程における細胞の分裂に同時性があるかどうかを調べ、統計的に処理した(1910年のこと)。その結果、見かけ上はシンメトリーをなす構造であっても、個々の細胞分裂はランダムに起こっており、最終の結果のシンメトリーに至るには、超細胞の秩序づけのための因子があるとした。

ここまでは、ドリーシュ的全体主義と類似しているが、グルヴィッチは生気論を退け、こうした発生過程の性格を統計力学的(stochastic)なモデルによって描いてみせた。超細胞的秩序は、個々の要素の集積ではなく、「場」の存在(明らかに電磁場の概念の影響を受けている)によるとした(1912年)。

発生における「場」の概念は、遺伝学における遺伝子のそれと対立しつつ、その後数十年にわたって生物学の本流的論議の中心の一つとなっていた。「場」の意義は、結局は遺伝子の前にはひれ伏すことになるが、概念としては生き続ける。発生と進化が統合的な学問として論じられるようになった今日、「場」の概念は、両者をつなぐ接点であるとする考えもある。

グルヴィッチは、ロシアの革命を共感をもって迎えたようである。彼は自らの生物学観から、モルガンらの遺伝子説の、粒子的性格には強く反対していた。1948年、かのルイセンコが登場するに及んで、グルヴィッチのかねてのモルガンヘの反対論を知っていた友人たちは、この際彼の立場が強化されることを強く望んだ。しかし、政治的介入をきらった彼は、ルイセンコとの妥協をよしとしなかった。

1941年にナチス・ドイツに包囲されたレニングラードから、運よくもカザン(現タタールスタン共和国)へ脱出、1954年にモスコーで逝去。

(おかだ・ときんど/JT生命誌研究館館長)