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図1:海馬と電子回路
海馬は記憶と学習に深く関与する脳部位である。電子回路では、例えば図に示したような論理演算子が使われている。海馬にも電子回路の演算子のような性質がそなわっていることが予想される。
註1:大脳辺縁系
解剖学的には、大脳皮質の内側にあり、脳幹の上部に位置する。海馬を含めた、扁桃体や帯状回などがこれにあたる。
図2:fMCI法を用いたラットの海馬の観察
(a) 歯状回のAとB2カ所から刺激を与え、CA1野の錐体細胞の活動を観察した。動画は、機能的多ニューロンカルシウム画像法を用いて、多数の細胞の発火パターンを高速撮影したもの。
Kimura, R. et al., J Neurosci, 31(37), 13168-13179 (2011) より改変
(b) 背面照射型の電子増倍冷却CCDカメラ、高開口数の対物レンズ、ニポウディスクを用いることによって、数百の神経細胞の発火を一斉に高速撮影することが可能となった。加えて、細胞に対する光毒性とカルシウム蛍光指示薬の光退色を軽減できた。
註2:錐体細胞
大脳皮質と海馬にある興奮性の神経細胞(ニューロン)のこと。海馬のCA1およびCA3領域の主要な神経細胞である。
単独刺激AとB、同時刺激A&Bという3種類の刺激を与えると、図3に見られるような発火パターンを示した。これをもとに、歯状回からCA1野につながる回路演算子が、AとBの入力情報をどのように統合、あるいは分解しているのかを解析するのである。
図3:神経細胞の発火応答とその空間分布
左には、特定の刺激(単独刺激A、単独刺激B、同時刺激A&B)を与えた場合の、183個の神経細胞の発火応答を示した。実験では同じ刺激を10回ずつ与え、細胞ごとの平均発火確率を求めた。
右には、細胞ごとの平均発火確率を、CA1野の神経細胞の空間分布に重ねて示した。
Kimura, R. et al., J Neurosci, 31(37), 13168-13179 (2011) より改変
図4:見いだされた論理演算子とそれに対応する神経細胞の割合
神経細胞の発火応答を演算子の種類にしたがって分類した。それに対応する神経細胞の割合を示し、下段には演算子のふるまいを示した。
Kimura, R. et al., J Neurosci, 31(37), 13168-13179 (2011) より改変
次に、シナプス可塑性を誘導することによる演算子の変化を検討した。シナプス可塑性は、特定の刺激によってシナプス結合の強さが強まったり弱まったりする現象であり、記憶と学習の基礎過程とされている。AとBの刺激を同時に、あるいは10msの時間差で連続(1Hz、20回)して与えることによってシナプス可塑性を誘導したところ、これらの連続刺激によって演算子が空間的に再編成されることがわかった。発火パターンを細胞ごとに見ると劇的ともいえる多様な変化を示したが、それはランダムな変化ではなく、集団として特定の傾向をもっているのである。
図5aを見てほしい。全体的な傾向としては、同時刺激A&Bにしか反応しなかった神経細胞が、同時刺激によるシナプス可塑性の誘導によって、単独刺激AとBのいずれにも反応するようになった(赤点線の囲み)。これは、入力差分よりも小さな差分として出力する演算ユニットが出現し、情報の統合が行われるようになったことを示す。一方、10msの時間差刺激においては(図5b)、単独刺激AにもBにも反応するようになる場合と(赤点線の囲み)、単独刺激AかBのどちらかのみに反応する場合があった(青点線の囲み)。これは、入力差分よりも小さな差分として、また大きな差分として出力する演算ユニットが出現し、情報の統合と分解が同時になされるようになったことを示す。
図5:シナプス可塑性による論理演算子の変化
2種類(同時と時間差)の刺激後における、単独刺激AとBに対する発火確率の変化を示した。矢印の向きと長さは、2種類の刺激後における発火確率の変化の方向と度合いを示している。図中の疑似色は変化した神経細胞の相対的な個数を表し、暖色系の領域では応答する神経細胞が増えたことを示している。
Kimura, R. et al., J Neurosci, 31(37), 13168-13179 (2011) より改変
以上の結果から、同時入力が繰り返されると、情報を統合する方向に演算子が変更され、時間差のある入力が繰り返されると、情報をより分解する方向に演算子が変化することがわかった。日常に引きつけると、例えば姿と声を同時に体験することが繰り返されると(同時入力)、声だけでその人を思い出すことができ、互いを交互に見比べることを繰り返すと(時間差入力)、双子の差がわかるようになるということになる。
池谷裕二 (いけがや・ゆうじ)
1998 年東京大学大学院薬学系研究科にて博士号を取得。コロンビア大学客員研究員、JSTさきがけ研究員などを経て、東京大学大学院薬学系研究科准教授。同大学総合文化研究科連携准教授。