生命誌ジャーナル

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脳の性差をつくるしくみを探る
伊藤 弘樹 東北大学

 動物の脳の構造には性差があり、それがオスとメスの行動の違いを生み出しています。キイロショウジョウバエでは、オスのメスへの求愛行動が遺伝的に決められています。伊藤弘樹さんはオス特有の脳を生み出すfru遺伝子が作るFruタンパク質の有無によって性差が生じるmALニューロンに注目し、Fruのはたらきを調べました。分子から細胞、そして行動へと階層を貫くしくみを探る研究です。

1. 性行動を制御する脳の性差

註1:前視床下部間質核

自律神経系の中枢である視床下部の付近にある領域。

 ヒトを含む動物の脳の構造には性差がある。例えば、ヒトの脳では前視床下部間質核(註1)の第3神経核と呼ばれる細胞群のサイズは、男性の方が大きく細胞の数も多い。この細胞群を含む領域は、マウスからヒトにいたるまで、オスの性行動にとって重要な部位である。このような脳の性差がオスとメスの性行動の違いを生みだしているのだが、その背景にある遺伝子の制御機構はほとんど明らかになっていない。私はこの解明のために、遺伝学の代表的な実験動物であり、性行動を定量化できるキイロショウジョウバエに注目した。

2. キイロショウジョウバエの脳をオス化するFruタンパク質

図1:キイロショウジョウバエの性行動

註2:ニューロン

神経系を構成する細胞であり、その機能は情報処理と情報伝達に特化している。

註3:mALニューロン

野生型のオスの場合、タッピングの過程で肢にある味覚受容ニューロンからフェロモンの情報を受け取り、メスに近い側の翅を振わせる役割を果たすニューロン。また、mALニューロンを経由してオスの一連の性行動の開始を司令するニューロンへフェロモン情報が送られる。

*1:引用文献

Kimura et al. Nature (2005) 438, 229-233

 キイロショウジョウバエのオスは、メスに対して決まったパターンの性行動をとる(図1)。幼虫期から単独で飼育したオスでも、メスと出会えばその性行動を示す。つまり、キイロショウジョウバエの性行動パターンは遺伝的に決まっているのだ。
 このようなオスの性行動を制御する神経回路の主要部分は、fruitless (fru)遺伝子から発現するFruタンパク質のはたらきによって作られる(タンパク質は頭文字を大文字で表記する)。Fruは脳をオス化する因子であり、メスの脳では作られない。そして、fru遺伝子が発現しない変異体のオスは、オスに対して求愛をするようになる。

図2:mALニューロン群の性差

 オスの脳を作る約10万個のニューロン(註2)のうち、約2000個にfru遺伝子は発現している。2005年、北海道教育大学の木村らは、fru遺伝子発現ニューロンのうち、フェロモンの情報処理に関わるmALニューロン(註3)群に、以下の3つの特徴的な性差が見られることを報告した(図2) *1。1)細胞の数はオスが30個、メスは5個。2)オスでは細胞体と同じ脳半球に神経突起(同側の突起)を持つが、メスのニューロンには同側の突起を持つものはない。3)オスの神経突起は房状の短い分枝があるのに対し、メスでは逆Y字型にわかれている。なお、Fruが作られない変異体のオスではmALニューロンの細胞数も形も完全にメス型に変化していた。

3. 性行動の制御に関わる2つのFruタンパク質複合体

註4:クロマチン

ヒストンなどのタンパク質と核DNAの複合体であり、その凝集度によって遺伝子の活性化が制御されている。

註5:ヒストン脱アセチル化酵素

ヒストンの脱アセチル化を行う酵素であり、その結果ヒストンへのDNAの巻きつきが強固になる。

註6:ヘテロクロマチン化制御因子

クロマチン構造の凝集を制御するタンパク質。

 Fruは特定のDNA配列と結合するジンクフィンガーという部位を持つ。このようなタンパク質は、クロマチン(註4)構造を調節する因子と複合体を作り、標的となる遺伝子付近のクロマチン構造を凝集、またはほどくことによって発現調節をしていることが多い。そこで私はFruと複合体を作る因子を探し出し、それらが標的遺伝子の発現をどのように制御し、オスの性行動に関わる特異的な脳の構造を作り出しているかを明らかにしようと考えた。そして、Fruと複合体を作る因子として、転写共役因子Bonus (Bon) 、ヒストン脱アセチル化酵素(註5)HDAC1、ヘテロクロマチン化制御因子(註6)HP1aの3種類のタンパク質を見つけた。さらに、Fruの標的遺伝子上でBonを介して、Fru-Bon-HDAC1複合体、あるいはFru-Bon-HP1a複合体が形成されることがわかった。

図3:Fruと共役するタンパク質のはたらきを行動から調べる実験

 HDAC1、およびHP1aは実際のオスの性行動の制御にどのように関わっているのだろうか。そこで、任意の遺伝子型のオス1匹と野生型の処女メス1匹を小さな容器に入れ、オスが求愛行動に使う時間の割合(求愛指数)を調べた(図3)。野生型のオスは観察した5分間のうち約80%を求愛に使ったが、Fruをわずかしか作らない欠損型fru変異体のオスの求愛指数は37%と低かった。次に、欠損型fru変異体のオスにHDAC1変異を導入してHDAC1の発現も抑えたところ、求愛指数が11%にまで下がった。一方、同じ遺伝子型のオスにHP1a変異を導入すると、求愛指数は53%まで上昇した。この結果は、オスの性行動に対し、HDAC1タンパク質はFruタンパク質と同様に促進的にはたらき、HP1aタンパク質は抑制的にはたらくことを示している。

4. 細胞の性特異的構造を決める分子の役割分担

 分子と行動をつなぐには、その間にある細胞レベルで何が起こっているかを知る必要がある。そこで私は、オスでHDAC1またはHP1aの発現と、mALニューロン群全体およびそれを構成する個々のニューロンの変化との関係を調べた(図4)HDAC1の発現を抑えた場合、mALニューロン全体では細胞の数は30個から21個に減少し、反対側の突起にメスの特徴である逆Y字型の分岐が現われた。個々のニューロンを見ると、17%のニューロンがメス型に変化していた。次に、弱い欠損型fru変異体のmALニューロンを調べたところ、細胞の数は9個と大きく減少し、反対側の突起にもメスの逆Y字型の分岐が見られた。そして個々のニューロンでは、オス型とメス型のニューロンの割合が1対1になり、大きくメス型に変化していた。このオスでHP1aの発現をも抑えたところ、mALニューロンの数は16個に増加、個々のニューロンのオス型とメス型の割合は3対1になり、オス型の割合が増えていた。つまり、mALニューロン形成でもHDAC1タンパク質はオス化を促進し、HP1aタンパク質は抑制していた。興味深いことに、いずれの変異体の単一ニューロンでもオスとメスの中間のかたちをしたものは全く観察されなかった。つまり、HDAC1HP1aの発現を抑えて、Fru標的遺伝子の発現量を増減させると、単一ニューロンのレベルで性が切り替わり、それは全か無かに起こると考えられる。

図4:Fruと共役するタンパク質のはたらきを細胞レベルで調べる実験

5. 脳の性差をつくる巧妙なしくみの理解をめざして

註7:エクダイソン

昆虫の変態過程の制御において中心的な役割を果たすホルモン。蛹期においては、組織の再編成や細胞死などを制御しており、最終的には成虫への羽化のタイミングにも関わる。

図5:エクダイソンの濃度と連動した脳の性差形成の仮説

 なぜオスの脳でオス化を抑制するHP1aが発現するのだろうか。キイロショウジョウバエの成虫の脳は蛹期の早い時期にかたち作られる。この時に、mALニューロンは性特異的な構造をとるようになるが、その始まりと終わりのタイミングは、蛹期に分泌される変態ホルモンのエクダイソン(註7)が増える2つのピークと良く一致していた。私はここに注目して、エクダイソンの濃度に連動した制御機構を考えてみた(図5)。まず、最初のピーク時にFruの標的遺伝子へFru-Bon-HDAC1複合体が結合し、クロマチン構造を変換してオス化のスイッチを入れる。そして、mALニューロンがオス化した後に、2番目のピークが訪れ、Fru-Bon-HP1a複合体がそのスイッチを切るという仮説である。Fruの標的遺伝子はまだ明らかではないが、性差を示すニューロンのほとんどで細胞数や神経突起のかたちに性差がみられることから、細胞死や神経突起形成に関連する遺伝子がその候補であろうと予想している。蛹期にオスの脳に発現したFruは、そのような多数の標的遺伝子の発現をクロマチンレベルで巧みに調節し、オス特異的な脳の構造を作りあげているのではないかと考え、さらなる解析を行っている。

謝辞

 本研究をサポートしていただいた東北大学生命科学研究科 山元大輔教授、京都産業大学総合生命科学部生命システム学科 浜千尋教授に深く感謝いたします。

伊藤 弘樹(いとう・ひろき)
1992年 北海道大学大学院理学研究科 修了。博士(理学)。科学技術振興機構 ERATO研究員、同 CREST研究員、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター 研究員を経て、2007年より東北大学大学院生命科学研究科 研究員。

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