(藤枝)
最初は、インドのカレーの多様さに抵抗もありました。そのきっかけは、アメリカに留学していた時に出会ったある楽器でした。『響きの考古学』の表紙[写真1]にその写真も載せたのですが。その出会いがなければ、この本を著わすこともなかっただろうし、今でも平均律のピアノ曲を作っていたかもしれません。
(中村)
写真を拝見すると鍵盤楽器ですね。ピアノのようなものですか。
(藤枝)
オルガンです。でも、この鍵盤に割り当ててある音が違う。平均律では1オクターブが半音12個の音からなりますが、これは、もっと細分化されていて、1オクターブの中に、なんと43個の音がある。ハリー・パーチ※註11という作曲家が作ったんです。彼が1940年代頃から自作した風変わりな楽器は、僕が留学していた近くの大学に保管されていて、何度も見に行き、じっくり触ったりもしました。
パーチは、ピアノなどの近代西洋の楽器はいっさい拒否し、楽器もその調律法もすべて一人で作ってしまったのです。その背後にはバッハ※註12を初めとする抽象化した近代音楽への批判、平均律への抵抗がありました。パーチ独自の音律から生まれる響きは、とても現代の音楽とは思えないほど原始的で素朴な魅力に溢れているのです。そこには、概念的な聴き方を超えていくような感覚的な世界が広がっていますが、その響きを支えているのは、きわめて理論的な音律法なのです。このような独自の音楽を生み出した背景の一つに、アメリカのヒッピーカルチャー※註13があったと思うのですが。
(中村)
均一化への抵抗という気持ちはよくわかります。体で受けとめる音楽体験ですね。それが美しいと感じられたらしめたもの。
(藤枝)
まさに音は響きであり、振動ですから体で感じるものなのです。原始の祭祀では、音楽と舞踊が一体であったように、本来、人間が持っている根源的な躍動感は、近代的な平均律による音楽では表現できないと思います。
(中村)
おっしゃることよくわかるんです。しかも、確かに体で直接感じることの大切さもわかる。一方で、頭が美しいという音も欲しい。
(藤枝)
でも、お料理の材料やレシピを聞いてから頭で理解し、今、食べているものが美味しくなるわけではないですよね。音楽も、分析するだけではなく、感覚的に受け入れる中にほんとうの美しさがあると思うんです。
(中村)
音楽も、それぞれの風土や歴史と切り離せない固有の文化であり、その個別性を見て、多様さを持つ全体をわかっていくことが大事であることはおっしゃる通りだと思います。音楽をそういう全体としてつかんだ上で一つひとつを楽しむことが豊かさなのだということもよくわかります。でも実際には、パッと聴いた印象で拒否してしまうことがあるんです。音楽は時間を持っているがゆえに、多様性を理解していくのが難しいかもしれません。
(藤枝)
確かに、音楽の多様性を知る前に、感覚的に受けつけない場合もありますね。音楽が多様であるように聴くという感覚も多様なんだと思います。僕は、響きの多様さに包まれ、そして聴くという音響体験そのものが音楽なのだと思うのです。
(中村)
本当に、その通りと思います。普段私が生物について言っていることなので。 |