中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子がその時思うことを書き込みます。月二回のペースで、1995年5月から更新を続けています。

2015年1月15日

大きな人はどこへ

中村桂子

「STAP細胞はなかった」ということで事件は一応終りました。細胞のことはまだわからないことだらけですのでこれからもさまざまな研究が行なわれ、思いがけない発見もあることでしょう。しかし、今回のドタバタ騒ぎは終りました。とんでもないことでしたが、とにかく終ったのにはホッとしました。

とは言え、関係するリーダーたちに、この問題の本質を見据えて、本来科学とは何か、科学者とはどういう存在なのかを考えるきっかけにしようとする様子が見えて来ないのがとても気になります。この問題を徹底的に追って報道した毎日新聞の須田桃子記者が、その間抱いていた科学者像として「あくなき好奇心と探究心、実験や観測データに対する謙虚さ、そして誠実さと科学者としての良心」をあげています。最低限の要素として。取材を通して、これは青臭いと言われてもしかたがないと思う一方、誠実さを期待されない科学者など寂し過ぎると思ったとも書いています(「捏造の科学者」(文藝春秋))。まったくその通りです。

若い研究者が、期待される誠実さを持って活動できる場をつくるのがリーダーの役割です。今年のテーマは「寛容」だとしましたが、どうしたら科学者社会がよくなるか、そして科学者が社会の中で価値ある存在になれるかを考えるという「公共」の精神を持つことも、寛容につながる大事な気持だと思うのです。そういう大きさを感じさせる研究者はどこへ行ってしまったのでしょう。昔を懐かしむのはあまり好きではありませんが、私の先生たちは皆んなそういう方だったなあと思い出しています。

みなさんからのご意見生命誌の広場より

寛容と公共

投稿日:2015.01.20 / 名前:足立隼

今年のテーマが「寛容」であることには同感です。日本の政治だけでなく、世界の問題の様々なところで、「寛容」があったなら争いにならなかったことが最近頻発しているように思います。トールキンの『ホビットの冒険』『指輪物語』では、古き善きイギリスの田舎人を表象するホビットの一人ビルボが、自分を殺そうとしたゴクリを哀れに思って殺さなかったことが、物語の終盤で主人公のフロドが結局一人ではなし得なかった指輪の破壊を結果的にサポートすることになります。「寛容」がなければ世界は滅びていたということだと思います。そもそもオークという種族もエルフの拷問という「非寛容」から生まれたものです。第二次大戦を経験したトールキンが戦争と平和への思いからこのような設定を差し挟んで行ったことが伺えます。私もイギリスに1年半ほど滞在していましたが、先生の仰るようにイギリスでもトールキンの理想は失われ行くようにも感じました。一方トールキンの世界でも終盤でサルマンがホビット庄に現れて自然を破壊し、内輪で暮していたホビットたちも中つ国の争いに巻き込まれて行く描写があります。科学者にも「公共」の精神が必要なことが、段々と傾き行く日本の国勢や世界の秩序を見るに付け思います。自分たちの考えを何らかの形ではっきりと発信したり、異なるコミュニティとの対話や社会活動を丁寧にして行くことも大切だと思っています。

語り合いの続きは「生命誌の広場」へ

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