細胞融合の発見を阪大の英文の医学雑誌に発表したのが57年。世界で最初の報告だった。62年には「エクスメータル・セル・リサーチ」というスウェーデンの科学雑誌にまとまった形で発表した。外国では、細胞培養が一般化して新しい実験技術が待ち望まれていた、ちょうどそういう時期だった。論文はずいぶん外国の人に読まれ、センダイウィルスによる細胞融合を利用した研究が次々と発表された。なかでも65年に、イギリスのハリスとワトキンスが発表した異種動物由来の細胞融合は大いに話題になり、それを契機にして、細胞融合は欧米で爆発的な流行になり、体細胞遺伝学が確立していくのである。見返してやろうにも、日本では細胞培養の歴史が浅く、変異細胞のストックがないので、細胞融合ができても、それを利用した実験を行なうのは容易ではなかった。しかも周りはあまり面白がってくれず、「微生物病研究所で細胞融合などやっていても生きていけないぞ」などと言われる始末だった。結局、臨床へ行く計画を変更したのは、自分で見つけてしまった細胞融合をほったらかすわけにいかなくなったからである。正直言って苦しい時代だった。しかし、細胞培養の方法を一から勉強し、変異細胞も自分でつくり、この野郎めと意地をはって融合をやったことが、その後、日本でも体細胞遺伝学、さらに細胞工学という新しい分野が生まれる元になったのだと思う。
67年、ようやく、細胞が融合するときに細胞周期の異なる細胞を融合させると、核の周期の同調が起きるという結果を発表し、溜飲を下げた。その直後、カーネギー生物研究所を訪れた時、所長のジェームズ・エバート博士が、外国で次々と新しい仕事が生まれることについて「細胞融合の発見者のあなたにとって、大切に育てた愛娘を嫁にやったような心境でしょう」とねぎらってくださった。
細胞融合は、2つの遺伝的に異なる細胞を1つに融合させ、遺伝的性質が混ざり合った雑種細胞を生み出す。自然界では雑種をつくれるのは生殖細胞だけであり、しかもそれは同種のものだけだ。ところが体細胞どうしの融合は異種でも起こるので、たとえばヒトとネズミの遺伝的性質を受け継いだ新しい細胞をつくることもできる。
雑種細胞をつくることで、お互いの細胞に新しい現象が起こり、それを解析することでさまざまな問題に対する答えや新しいアプローチが見えてくる。それが体細胞遺伝学の真髄であり、その影響はじつに広い範囲に及んだ。細胞の分化制御や遺伝病の研究や染色体地図作成も進み、さらに遺伝子操作を含む分子遺伝学からの方法論が加わって、80年代からバイオサイエンスの巨大な学問領域に展開していくのである。
私は、ヒトの実験遺伝学ができたらいいと早くから思っていたので、細胞融合で遺伝病の研究ができるのは非常にうれしかった。同じ遺伝病でも遺伝子の変異が違う場所で起こっていることがあるので、2つの家系から採ってきた細胞を融合させると、それぞれの遺伝子が補い合って正常になる場合がある(相補性)。昔から西洋でよく知られていた「色素性乾皮症」という遺伝病は、太陽光線にあたると皮膚に強い炎症が起こり皮膚ガンに移行する難病だが、74年以来、オランダ、アメリカ、日本などの細胞融合を使ったテストの結果、お互いに補い合う変異が9つ見つかった。私たちの研究室でも、当時助教授だった田中亀代次君(現細胞工学センター教授)の努力で、そのうちでももっとも症状の強い色素性乾皮症を起こす変異の遺伝子を明らかにできた。
もともとは、細胞培養ができない状況で始めたウィルスの研究だったが、それが細胞融合の発見につながり、やがて大きな分野へと広がった。自然科学では偶然がブレークスルーのきっかけを与えてくれる面白さがある。細胞融合はその典型的な例だった。 |
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細胞を融合を捉えた 連続写真 |
| 紫外線で不活性化処理をしたセンダイウィルスを使って、エ−ルリッヒ腹水ガン細胞を融合させ、培養を続けたもの。融合した細胞がさらに分裂していく様子が見られる。 |
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融合直前の細胞。 |
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HJVを加えると細胞が融合、 |
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4nとなる。培養を続けると細胞が分裂。( → → → ) |
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融合しなかった細胞(2n)も分裂した。 |
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やがて、どの細胞も分裂を繰り返し、 |
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コロニーができていく。
右上部の大型の細胞群が2核融合細胞からの雑種コロニー。左下部の小型の細胞群は融合していない細胞からのコロニー。 |
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融合した核の周期が同調する。黒いのは、DNA複製のS期に同調した2核細胞。白いのは、複製間期に同調した2核細胞。
(写真=岡田善雄) |
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