97年の初めに哺乳類の最初の体細胞クローン、羊のドリーのニュースが入ってきました。その直後、『Science』は、次にクローンに成功するのは誰かと10グループ程リストに上げました。我々のグループは、胚や成体の体細胞を扱ったことはないので、もちろんそのリストには入っていませんでした。ドリーを成功させた当のロスリン研究所でさえ、追試できないので、本当に体細胞によるクローンなのか、多くの科学者が疑い始めていました。
97年の夏のある日、不妊精子の顕微受精の研究をしていた若山照彦君(現理化学研究所、発生・再生科学総合研究センター)が私の部屋に駆け込んできて、卵丘細胞でクローンができたと言いました。彼の実験室で実体顕微鏡を覗くと、心臓が動いている若い胎児が1匹見えたのです。
我々は、顕微受精のために、毎日卵子と精子を採集していますが、1個の卵子の周りに、5〜6千個の卵丘細胞がついています。これは成長する卵子に栄養を与える体細胞です。若山君は、ドリーの論文を読んで、乳腺細胞の代わりに、毎日とれている卵丘細胞の核を未受精卵に入れてみたのです。おそらく初めはなにも起こらなかったのでしょう。
実は私は、若山君が暇を見つけてクローンの試みをしているのを知りませんでした。これは私がチャン博士の研究指導方針を受け継いでいるためです。博士は「1週間のうち3日は私の与えたテーマの研究をする。これはお前のBread&Butter(研究費に対する見返りとして結果報告の義務あり)。あとの2日はお前の好きなことをしてよい」と言っていました。ハムスターの体外受精の仕事は、この2日を使っての実験でした。もちろん3日と2日をきっちり分けた訳ではありませんが、大切なのは指導者が自由を与えること。その自由から独創性が生まれる。皆が同じことをするなら研究なんていらないですよね。違うから価値がある。私は、若い研究者に、独創的でなければ意味がないと言っています。“Don't be afraid of asking creative questions”とね。変わった質問、とんでもない夢、魔法みたいなこと、そこから新しい発見が生まれる。例えば、100年前には、地球の反対側の人と話せるなんて、誰一人考えもしなかったわけでしょう。
指導者は自由を与え、研究者は重要な結果が出たら報告することです。これが自由を与えてくれた指導者に対する義務と礼儀です。今後、バイオテクノロジーや特許に関する研究が増えると思いますが、その場合のこのような関係は指導者と研究者両方の常識と良心にまかせるしかありません。若山君はその点ちゃんとやってくれました。マウスのクローンの論文は、掲載されるのに時間がかかり、『Nature』誌上に発表されたのは、98年7月でした。
クローンは、はなはだ能率の悪い生殖ですので、数回実験しただけではネガティブな結果しか得られません。よほど気長にしなければなりません。ロスリン研究所グループも、根気よくやった若山君もともに褒められるべきです。その後、ウシ、ヤギ、ブタ、ウサギ、ネコなどの体細胞クローンが続きましたが、体細胞クローンの成功でわかったことは、これまで不可逆的に分化したと思われてきた成体の細胞の核が卵子の細胞質中で「若返る」ということです。まだこの「若返り」とは何を意味するかわかりません。大抵のクローンは生まれる前に死んでしまいますから。これは「ジェネティック(遺伝的)エラー」でなく、「エピジェネティックエラー」のためです。遺伝子そのものより、遺伝子の発現機構の欠陥です。大抵のクローン胚では、遺伝子の発現が目茶苦茶になっているのです。生まれてきたクローンはむしろ例外というわけです。一見正常に見えるクローン動物でも、かなりの遺伝子発現のエラーが隠れている可能性が高いのです。少なくとも、クローン動物は、その親より健康ということはないと思います。最近ヒトのクローンに成功したとか、するとか。ヒトの親は誰も、自分の子供が自分より健康で、より幸せであることを望みます。クローンは決して優れた生殖方法ではありません。
ただし、クローンの技術や原理は、細胞や組織の再生に利用できる可能性があります。卵子または胚を使った治療クローンは、どうしても倫理的議論の対象になるので、クローンの動物実験でわかった原理を利用して、卵子や胚を使わない新しい方法の開発が望まれます。エピジェネティックエラーのあるクローンのオスとメスを普通に交配させて子供をつくると、その子供や孫は、全部正常です。遺伝子が卵子や精子を通るとエピジェネティックエラーがまったく直されてしまうのです。畜産では、望む形質の動物(例えば、ウシやブタ)がクローンで出来たら、それを早く交配して子孫を作るのがよいと思います。 |
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顕微受精
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体細胞クローンマウスを誕生させる方法を説明するのに博士が使っている図。
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