私たちは先に挙げたいくつもの糖転移酵素の遺伝子を同定しましたが、ノックアウトマウス(註8)をつくって酵素のはたらきを調べる研究は、残念ながらほとんど外国に先を越されてしまいました。Fut 8だけが手つかずに残っていたので、これだけはなんとか自分たちで解明したいと思って調べたところ、残り物に福があったんですよ。これが一番重要で面白い遺伝子だったのです。
Fut 8は糖鎖の根元にフコースという糖を付加してコアフコースという枝分かれ構造をつくります。コアフコースのある糖蛋白質は普遍的にみられますから、Fut 8にはたくさんの標的蛋白質があるはずです。Fut 8のノックアウトマウスは、三日目で七割が死に、残ったものも成長障害や肺気腫を発症し、三週間ほどで死んでしまいました。肺気腫はヘビースモーカーの約二割がかかる病気です。日本でも潜在的な患者が520万人いるといわれ、原因究明と根本的な治療法が求められています。
肺気腫では、肺の細胞外マトリックスが分解され、肺胞壁が壊れることで肺胞がふくらんだ状態になり、酸素と二酸化炭素のガス交換がうまくいかなくなります。肺胞の細胞外マトリックスの合成と分解のバランスが崩れることが原因です。Fut 8のノックアウトマウスでは、細胞外マトリックスの分解酵素の発現が高まっていました。この分解酵素の発現は正常な肺胞では、TGF-βを介した細胞内シグナルによって抑えられています。実験の結果、Fut 8がTGF-β受容体の糖鎖にフコースをつけ、コアフコース構造をつくることが分かりました。つまり、Fut 8のノックアウトマウスでは、TGF-β受容体の糖鎖にフコースが一つないだけで、受容体が二量体になれず、TGF-βのシグナルを細胞内に伝えられなくなるのです。糖鎖遺伝子のノックアウトマウスを用いた研究はたくさん行われてきましたが、表現型の違いが見られないことが多く、これが遺伝学的な手法で糖鎖遺子の標的蛋白質を同定した初めての報告となり、世界の注目を浴びました(図3)。 |
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ノックアウトマウス
特定の遺伝子がはたらかないように遺伝子操作されたマウスのこと。遺伝子破壊マウス。
図3:Fut 8のノックアウトマウスの肺気腫発症機構
正常な肺ではTGF-β受容体の糖鎖にコアフコースがあることで、受容体が二量体を形成し、TGF-βと結合して細胞内の蛋白質(Smad2)をリン酸化(P)し、細胞外マトリックス分解酵素(MMP)の発現を抑える。その結果、細胞外マトリックスの合成と分解のバランスが保たれる。Fut-8のノックアウトマウスでは、コアフコースがないために細胞外マトリックス分解酵素の発現が高まり、肺胞壁が壊れて細胞が膨らんだ状態になることで肺気腫を発症する。
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