生命誌ジャーナル 2002年秋号
Research ─ 研究を通して ─ :目次>人間の条件‐脳と言語、そして音楽‐
人間の条件‐脳と言語、そして音楽‐
文部科学省中核的研究拠点・新潟大学統合脳機能研究センター長 中田 力
人間ってなに
  言語と音楽
  複雑系としての脳
<プロフィール>
中田 力(なかだ つとむ)
文部科学省中核的研究拠点・新潟大学統合脳機能研究センター長
1950年東京生まれ。学習院初等科、中等科、高等科を経て、1976年東京大学医学部医学科卒業。1978年渡米、カリフォルニア大学・スタンフォード大学にて臨床研修を受ける。1992年カリフォルニア大学脳神経学教授に就任。1996年帰国、「こころの科学的探求」を目指す文部科学省中核的研究拠点(COE)形成に取り組む。現在、脳神経学の専門医であると同時に物理工学の専門家として国内外で活躍中。ファンクショナルMRIの世界的権威として国際的に知られている。21世紀に活躍の期待される日本人の代表として、「人物 日本の国際競争力100人(文藝春秋2000年6月臨時増刊号)」、「21世紀を担う日本のリーダー この100人に投資せよ(文藝春秋2001年2月号)」などに選出されている。
人間ってなに
(図1)前頭前野
 1848年9月13日、米国ヴァーモント州キャベンディッシュ(Cavendish, Vermont)の郊外で脳科学の歴史を変える事件が起った。鉄道工事の現場監督がとんでもない事故に遭遇したのである。被害者の名はフィネアス・ゲイジ(Phineas Gage)、爆風に飛ばされた長さ30センチの鉄棒が、彼の前頭葉を貫通したのである。ゲイジは前頭葉の先端部分、前頭前野(prefrontal)(関連記事:生命誌25号「人が輝いて生きるとき - 脳の目的に合わせて脳を創る:松本 元」を殆ど失いながらも、一命を取り留めた(図1)。
 驚いたことに、生き残ったゲイジにはこれといった機能障害が見られなかった。麻痺も感覚障害もなく、普通の人と全く変わらない「正常な人間」だったのである。ただ、性格だけが一変した。責任感の強い優秀な働き手としてのゲイジはもはや存在せず、代わりに、卑猥で、自己中心的で、すぐに切れ、そのくせにいざとなるとうじうじと決断ができない、悪意に満ちた、どうしようもない人間が出来上がっていた。
 ヒトという種は、「傑出した前頭前野を獲得した哺乳類」とされるが、ゲイジの症例は、前頭前野の役割を教えてくれた。そこで教えられた「人間の条件」とは「理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、優しさを持った、責任感のある、決断力に富んだ、思考能力を持つ哺乳類」である。興味深いことに、ここに言葉を使うことは入っていない。前頭前野が失われても言語機能には何の影響もなかったのである。

言語と音楽
(解説「言語と音楽の機能画像:中田 力」 ,
関連記事:生命誌5号「脳をのぞく- MRIが開く新しい言葉の世界:河村 満」
 それでは言語とは何なのだろう?
音による情報伝達という能力は、かなりの動物に共通した機能である
(関連記事:生命誌12号「ゴリラたちの“おしゃべり”-類人猿の音声コミィニケーション:岡安直此」。その中で、人間の持つ言語機能の特殊性は、運動機能としての精密さと含まれる内容の豊かさにある。前者は運動を扱う脳機能の進化から、後者は情報を扱う脳機能の進化からもたらされたものである。長い進化の過程で、両者はどちらが先ということではなく並列的に生まれて来た。言い換えれば、高い知性が言語を生み出したのでもなければ、言語が高い知性を生み出したのでもない。たまたま、ヒトの脳は、言語運動機能の高度化が知性の高度化と一致した環境で進化したのである。
 鳥類は運動機能としての言語機能は高度化させたが、残念ながら、知性は高度化しなかった良い例である。その結果、歌を歌う能力と、オウム返しの言語能力は手にしたものの、空を飛ぶヒトの新種、鳥人は誕生しなかったという訳である。鳥には前頭前野が発達していないが、小脳は大きい。小脳の進化が、運動機能としての言語機能の進化にとって重要な役割を果たしたことには、疑いの余地がない。言語機能における小脳の重要性は、臨床的にも良く知られており
(関連記事:生命誌27号「未知に挑戦する私の脳:伊藤正男」、自閉症(autism)の中でも、とくに言葉を発しない子供達は共通して小脳が未成熟である。
 人類と鳥類とが共通して獲得した音楽機能にも、言語機能と全く同じことが言える。鳥類は高度な音楽機能をもつが、音楽に含まれた感性の高度化は人類にしか備わっていない。人類の音楽における高い感性の表現には、言語の高度化における知性と同じく、高い情報処理能力を持つ脳構造が必須なのである。これは、言語機能と音楽機能の同一性を保証するものでもある(図2)。
(図2)
「読む」機能画像(言語と音楽)
機能画像とは与えられた課題を処理する過程で使われる脳の部位(賦活部位と呼ばれる)を画像化する技法である。ここでは日本語、英語、楽譜を自由読みこなす被験者が「読む」という行為で用いた部位が示されている。「読む」と言う行為における脳の「使われ方」には驚くほど、共通性があることがわかる(Nakada T. et al. NeuroReport 9: 3853-3856, 1998)。臨床医学における慣例から、断層画像提示の左右が通常とは反対であることに注意。
複雑系としての脳
(図3)
「読む」機能画像(聴覚障害)
4歳から全く音に閉ざされてしまった聴覚障害者が日本語を読んでいるときの機能画像。音という物理量の存在を感知しない脳は言語機能そのものを全く違った形で構築する。それでも情報処理としての言語機能に異常はない。
 複雑系の代表である脳は、複雑系の基本原則に従いDNAに規定された初期条件と環境によって与えられる境界条件とに従って、自己形成するのだが、ヒトの脳機能構築は二つの自己形成で行われるというのが私の主張である。一つは、熱対流の基本法則(解説「形態の自己形成:中田 力」を利用しながら進む構造の自己形成、もう一つは、近傍殻(neighborhood kernel)の原則(解説「機能の自己形成:中田 力」を利用しながら進むネットワークの自己形成である。この二つが働くと、驚くほどの自由度をもつ高次脳機能統合能力が生まれて来る。脳機能構築過程が健在で、情報処理装置ができてさえすれば、言語機能を支える基本能力である聴力を全く持たなくても、「言語能力」が存在する。つまり、「脳の使われ方」と「脳が生み出す能力」とには、それほど強い相関が存在しないのである(図3)。
(図4)
論理的施行過程における前頭前野の賦活
 前頭前野はヒトという種が他の哺乳類と一線を画すために必須の機能をもつ。それは、情報処理装置としての脳機能の高度化を約束するものであり、単なる記憶と行動との短絡的実践には必要でない。言い換えれば、高い運動能力も、高い言語能力も、そして、高い計算能力ですら、前頭前野の機能なくして達成できるのである。前頭前野は論理的思考過程において初めて賦活され、そこから、機能素子として自己形成される(図4)。
 ヒトは正に、考える葦(un roseau pensant)なのである。
Further Readings
Von der Malsburg:Self-organization and the Brain. Arbib MA ed, The Handbook of Brain Theory and Neural Networks, MIT Press, Cambridge, 840-8431995.
Nakada T: Vortex Model of the Brain: The Missing Link in Brain Science? Nakada T ed, Integrated Human Brain Science, Elsevier, Amsterdam, 3-22, 2000.
中田 力:脳の方程式 いち・たす・いち. 紀伊国屋書店、2001.
KohonenT: Self-Organizing Maps. 3RD Edition. Springer, Berlin, 2001.
INDEX
  粘菌に知性はあるか?:上田哲男
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