都市を生命現象になぞらえて構想することは古くから行われていたと思うが、磯崎新の近著によると1960年代「メタボリズム」グループは、器官(機能)や形態(静的構造)に手がかりを求めた前の世代に対して、細胞の動き(動的構造)に視点を移した社会の姿を提案したとのことだ。たとえば動物の脊椎になぞらえた長期に存続する巨大機構としての基本部分が、取り替え可能で大量生産される住居ユニットのような新陳代謝する短期更新システムに乗った構造を提案したという。建築家とは建築物の永続性に価値を置くとの先入観を持っていた私にとって、建築物自体の新陳代謝を最初から組み込んだこの提案は新鮮だった。よく考えてみると、実際は建築物にとどまらず、都市ですら新陳代謝している。もちろん何の制約もなく新陳代謝が行われれば都市はカオスへ進むだろうが、実際には道路などの基幹構造に従いつつ、建築物が新陳代謝するのを私たちは知っており、景観保存法のようなさらに強い構造制約が課せられると、新陳代謝が進んでも都市形態は維持される。
もう一つの驚きは、私たちの身体で言えば細胞に対応するユニットを、大量生産可能なものとして構想している事で、建築家の構想が、我々が研究している幹細胞システムの構築に極めて近いことである。多分この構想は、どのようにすれば都市は風化することなくダイナミックな生命を継続できるかと言う問いに対する回答であろう。残念ながらこれを現実化した例はないわけだが、幹細胞システムの研究も全く同じ問いを共有しており、しかもこちらはまさにメタボリズムを実現している。それが生きものの面白さだ。生命の根底には、物質とエネルギーの不断の代謝が存在しており、その意味で今日の身体は、昨日の身体と全く異なっているといってよい。しかしこれはあくまでも物質レベルの話で、では細胞の新陳代謝は多細胞生物にとって必要かと問われると、約1,000個の細胞からなる線虫についての研究は、細胞の新陳代謝がなくても多細胞生物が一定の期間であれば成立できることを示している。しかし、物質の新陳代謝が維持できても、残酷な時間作用としての個体の風化は進む。これに対する抵抗の一つが、細胞レベルでの新陳代謝、すなわち幹細胞システムである。 |
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