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RESEARCH

淡水魚アロワナが
海を挟んで暮らしている理由

熊澤慶伯名古屋大学 大学院理学研究科 物質理学専攻

淡水魚アロワナは河口域にも出てこられないのにどうやって主要大陸に分散したのだろうか。分子進化学と地質学を重ね合わせることで明らかになった事実は意外ではあるが合理的なものであった。やはり、生きものの進化史はさまざまなアプローチを総合して考察することで豊かなものとなるのだろう。

1.進化の道筋を解き明かす

私が好んで用いる教科書に、R.D.M. PageとE.C. Holmesによる『Molecular Evolution. A Phylogenetic Approach.』(Blackwell, 1998)がある。著者らは、地球上のさまざまな生きものの進化史はそれぞれのゲノムの中に古文書のように書き込まれており、それをさまざまな手法を駆使して解読するのが分子進化学だと言っている。さらに、分子進化学をゲノム考古学と言い換えている。これは私が目指すことをうまく言い表しており、とても気に入っている。

20世紀前半までは、生物進化史の研究は古生物学者の独壇場であった。彼らは、堆積した時代が分かっている地層から化石を掘り出し、その形態をつぶさに観察し、現代の生きものや他の化石と比較してきた。こうして化石となった生きものの由来、それから生息していたころの環境や実際の暮らしを推定してきたのである。脊椎動物、軟体動物など化石として残りやすい生きものについては、この手法による長年の研究成果からの、進化体系をもとにした歴史像が作り上げられている。例えば、中生代末(約6500万年前)に絶滅した恐竜類のニッチを埋めるように、新生代に入ってから哺乳類や鳥類が一斉に適応放散したという説は大抵の進化学の教科書に事実として書かれている。

しかし20世紀末に急速に発展した分子進化学により、決して揺るがないとされてきた進化史にも挑戦を受ける例が出てきた。先ほどの適応放散の場合、分子解析の結果は、哺乳類や鳥類の多様化が中生代の後半を占める白亜紀に長い時間をかけて徐々に進行したであろうことを示している。化石記録による進化史には、限定された地域の、あるいは非常に少ない個体数で維持されていた生物種の歴史が抜け落ちやすいという欠点がある。私たちも、DNA解析により、頭骨の特徴(註1)から爬虫類の初期派生系統だろうと考えられてきたカメ類が、実は鳥類やワニ類に近縁なグループであることを突き止めた。

形態学と分子進化学のどちらが優れているかということではない。どんな方法にも長所と短所があるので、さまざまなアプローチを総合した考察をしたときに、最も豊かな進化史が構築されるということである。これから総合科学としての進化学が盛んになり、進化の物語が出来上がっていくのが楽しみだ。ここでは、アロワナという淡水魚について分子進化学と地質学を重ね合わせて明らかにしたことを記そう。
 

(註1)

爬虫類は頭骨側面の穴の有無によって分類される。この穴は側頭窓と呼ばれ、顎を動かす筋肉を収納している。カメにはこの側頭窓が見られないため、ハ虫類の中でも原始的な系統として分類されていた。

 

2.インド亜大陸に乗って運ばれたアロワナ

アロワナは、淡水魚類の中でも、とりわけ淡水要求性が強く、河の上流では姿を見かけても河口の汽水域に現れることはまずない。アロワナ科だけでなく、アロワナ目の現生種はすべてこのような絶対淡水要求性なので、その共通祖先が高度に淡水に適応していたのだろうと考えられる。真骨魚類という現代型魚類の中でも、比較的原始的な形態を多く残しているアロワナ科には7つの現生種があり、ユーラシア、オーストラリア、南米、アフリカといった主要大陸の水系に分散して生息している。形態的に最も似ているのは、東南アジアのアジアアロワナとオーストラリアに生息する2種のアロワナ(ノーザンバラムンディー、スポッテドバラムンディー)で、同じスクレロパゲス属に分類される。それにしても、河口域にもすめない魚がどのようにして別々の大陸に移り住むことができたのだろう。

とりわけ過去の生物地理学者の頭を悩ませたのは、両地域の間にはウォレス線と呼ばれる生物地理区境界線が走っていて、この境界線の東西をはさんで動物や植物の種構成が大きく異なっているという事実だ。生物の相互交流がほとんどなかったウォレス線を挟んで、塩水を嫌うはずのアロワナが海を泳いで移動したなどということがあるのだろうか。スクレロパゲス属に近縁と思われる化石の記録はほとんど見つかっておらず、古いものでもスマトラ島の始新世(約3500~5600万年前)以降の地層から報告があるくらいだ。これだけではスクレロパゲス属がどこで誕生し、どのようにして東南アジアとオーストラリアに分布域を広げたのかを説明することはできない。化石のデータだけから答えを出すのは難しい問題だ。

そこで、現生のアロワナのDNA塩基配列を解析し、その系統関係と分岐年代を推定した。分子系統樹では、アジアアロワナがオーストラリアの2種のアロワナと姉妹群を作っており、この点は両者の形態的な類似性による推定と一致した。しかし、両者の分岐した年代は1億数千万年前と見積もられた。普通、同属に分類される生きものは新生代(約6500万年前以降)に入ってから分岐したものと考えられているが、アロワナは予想を超えてはるか昔に種が分岐していることになる。つまり、アロワナはシーラカンスのように、長い間その形態を変化させずにきた古代魚と考えられるのだろう。

近年の地質学の発展により、主要大陸のプレートテクトニクスによる離合集散の歴史がかなり精度よく復元されるようになった。そこで、この地質学の土俵に分子の解析データを重ねてみた。

アジアアロワナの起源とその移動

2つのミトコンドリア遺伝子のアミノ酸配列から作成された分子系統樹

1億数千万年前の前期白亜紀は、既にパンゲア超大陸が北のローラシア超大陸と南のゴンドワナ超大陸に別れ、ゴンドワナ超大陸の中でインド・マダガスカル地塊が南極大陸から分離して北上を始めようとしていた時期に相当する。その後、この地塊はインド亜大陸とマダガスカル大陸に二分され、前者は北上を続けて始新世までにユーラシア大陸に衝突した。アジアアロワナの祖先が、このインド亜大陸に乗って東南アジアに運ばれたと考えると、大陸移動の地史、アロワナの分岐年代、スマトラの化石記録、アロワナの淡水要求性など全ての条件を矛盾なくとりいれて、その起源と移動の歴史を説明できる。白亜紀後期のインド亜大陸では火成活動がとても活発だったらしいので、アジアアロワナにとって快適な旅だったとは言えないかも知れないが・・・。

3.分子進化学の可能性

分子の解析データを用いると、アロワナの進化史が大陸移動とともに語れる豊かなものとなった。このような研究ができる可能性はさまざまな生きものにもあり、今後の展開が楽しみである。

ところで、アジアアロワナについてもう一つ気にとめていることがある。高級観賞魚として日本で珍重されてきたこの魚は乱獲、密輸の憂き目に会い、現在ではワシントン条約によってその国際取引が厳しく規制されている。日本人の加熱した趣味がアジアアロワナの生態的地位を脅かしている状況をみると、私たちは保全に貢献する責任があると思うのだ。保全生物学は、自然集団内や集団間について遺伝的多様性を調べることを基本とする。アジアアロワナには、ボルネオ島、スマトラ島、マレー半島等に、色彩パターンの異なる亜種が存在している。ワシントン条約の規制のためにサンプル入手が困難だが、私の研究室ではアジアアロワナの保全を目指した分子進化研究を始め、結果を公表していくことにした。

今回の研究で、ゲノム考古学の適用可能性を実感しており、若い学生さんには、ゲノムDNAの中の古文書を解き明かす分子進化学がDNAやタンパク質の世界だけでなく、さまざまな科学分野とつながっていることをぜひ知って欲しいと思っている。

熊澤慶伯(くまざわ・よしのり)

1989年東京大学工学系研究科博士課程修了。学振特別研究員、加大バークレー校分子細胞生物学科のポスドク、名古屋大学理学部助手を経て現名古屋大学理学研究科講師。

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