生命誌ジャーナル 2004年夏号
Research ─ 研究を通して ─ :目次>環境と文明の関係、そして近未来を語る年縞
「語る科学」
環境と文明の関係、そして近未来を語る年縞
国際日本文化研究センター教授 安田喜憲
<プロフィール>
安田喜憲(やすだ・よしのり)
1946年生まれ。東北大学大学院理学研究科退学、理学博士。広島大学総合科学部助手、国際日本文化センター助教授を経て現在同センター教授。麗澤大学客員教授、ドイツ・フンボルト大学客員教授、京都大学大学院理学研究科(併任)を歴任。
 10万年前の環境を知ることは10万年後の未来を予測する手がかりになる。しかし、数十年後を予測するには、さらに精度の高い年代測定法を用いて分析する必要がある。今、年縞分析という新たな手法を手に入れた私たちは、そこから得られる情報をもとに近未来を語りたいと思う。
  (1) 年縞の発見
(2) 年縞からみた歴史的事件と環境との関係
(3) 年縞に恵まれた日本
(4) 気候変動の地域差と時間差
(5) 過去から未来の手がかりを得る
(1) 年縞の発見
図1 日本各地の年縞所在地
 私たちは湖底に堆積した層がちょうど樹の年輪のように一年ごとの縞模様を描いている現象を、年縞(ねんこう)と名付けた。そして、年縞に含まれる物質を分析し、過去の環境史と文明の興亡史を年単位で結びつける研究を進めてきた。
 もともと年縞はヨーロッパの火山の火口湖から見つかっていたが、私たちは福井県水月湖に年縞を見いだし、これがアジアではじめての発見となった。他にも秋田県目潟や鳥取県東郷池などの日本海側の潟や湖沼の湖底から良好な年縞を発見している。
 こうした湖の底では、春先に繁殖するケイソウが白色の層となり、秋から冬にかけては粘土鉱物が堆積するために黒色の層ができる。これらの白層と黒層が一対となり、まるで年輪のような縞をつくるのである。年縞にはケイソウの他にも花粉・プランクトンなどの微化石や火山灰・黄砂にいたるまで過去の環境を知るためのヒントが多く含まれており、分析ターゲットが主に水である南極や北極の氷の年層に比べ多角的な検討ができるところが興味深い。また、年縞の形成は湖ならではの現象で、堆積速度の遅い海ではどんなに分解能をあげても千年単位の縞がやっとである。考古学でよく用いられる放射性炭素を用いた年代測定法でさえ百年ほどの誤差がでてしまう。やはり、一万年前の誤差がわずか数年という年縞は、環境と文明の関係を探るのにうってつけである。1年単位の環境変動を記憶したバーコード状の年縞は、まさに地球の歴史を刻んだ「ジェオ・ゲノム」と言えるだろう。他の方法によって長い歴史を知ると共に、年縞による近い過去の詳細な歴史を知ることから私たちの未来を考えるうえで重要なことは明らかである。
(2) 年縞からみた歴史的事件と環境との関係
 ここで、私たちの開発した年縞の分析技術によって明らかにした環境と歴史的事件との関係を渤海の盛衰を例にとってみてみよう。
   
図2
どちらが先?白頭山の噴火と渤海国の滅亡
 年縞を調べてみると白頭山の噴火が渤海国の滅亡よりも後であることが明らかになった。さらに渤海国の滅亡の3年前に気候が寒冷化したことがわかった。渤海国は急激な気候の変化に対応できずに滅びたのだろう。
 渤海は8世紀頃に中国東北部から朝鮮半島北部を中心に栄えた国である。15代続いたこの国は926年に滅びたのだが、その原因は中国と北朝鮮国境に位置する白頭山の大噴火ではないかと言われていた。ところが青森県小川原湖の年縞を調べたところ、白頭山の大噴火が937年に起きたことがわかった。渤海の滅亡以降のできごとだったのだ。さらに、年縞に含まれるケイソウの種類を分析したところ、渤海滅亡の3年前から気候が寒冷化していることがわかった。渤海は気候の寒冷化による冷害などで滅びたのだろう。年縞はこのような考えを支持する。
(3) 年縞に恵まれた日本
 ヨーロッパでの年縞は火口湖で発見されている。それに対し、日本には地殻変動によって湖盆が継続的に沈降し、海水が進入して湖底が無酸素状態になりやすい潟湖が多く、そこは四季の季節の変化が明白で、水温の変化もはっきりしているので年縞の形成にとても適している。その証拠に私たちは福井県水月湖から過去10万年間の連続した年縞を発見した。これは今までに発見された世界各地の年縞堆積物の最長記録である。潟湖は海と直結しているため、その年縞からは陸上だけでなく海洋環境の変化も年単位で復元できる。潟湖の周辺は古くから稲作漁労民が居住しており、人間の歴史も年縞のなかに記されているのだから、日本は年縞から過去の地球環境と文明の関係を研究する者にとって大変恵まれた環境である。年縞は日本の宝物なのである。
(4) 気候変動の地域差と時間差
 私たちは福井県水月湖の年縞から世界的な気候の変動を明らかにした。今から約1万5000年前、地球の気候は氷期から後氷期へと大きく変わった。年縞から当時の環境を年単位で復元したところ、驚いたことに、日本を含むモンスーンアジアの気温がヨーロッパや極地に比べ約500年も前に上昇したことがわかった。
図3 年縞が明らかにした気候変動の地域差
モンスーンアジアはヨーロッパや極地に比べ約500年も前に気温が上昇しました。
クリックすると拡大図が見られます。
 さらにその変化への生態系の応答にいたっては、モンスーンアジアが3000年も先駆けていることが明らかとなった。通常、『地球温暖化』は気温が地球上のあらゆる場所で均一に上昇するという印象がある。しかし、私たちの年縞研究からは気候変動に時間差と地域差が存在するという結果がでたのである。つまり、地球温暖化といっても日本とヨーロッパが同時に温暖化する訳ではないのだ。さまざまな地域でどのような気候変化があったか、その時生物、とくにヒトにはどのような影響があったかを知るには人間が生活していた場での地域差がわかる年縞は重要なデータを出してくれると信じて研究を続けている。
(5) 過去から未来の手がかりを得る
 今、私たちを取り巻く地球環境は急激な変化にさらされていて、一歩間違えれば近い将来に人類は破滅するかもしれないという危機感さえもつ。だからこそ私たちは年縞から過去の環境を読み解き、20年、50年先の予測に役立てる必要があると思っている。環境研究というと、自然として解明しやすい極地や海洋の研究が多いが、10万年先の未来がわかったとしても、そのころに人類が生存しているかどうかはわからないと思うと、近い未来を知るために、近い過去のわかる年縞の研究の重要性について声を大きくして唱えたい気持ちになる。
図4 近未来の予測に有効な年縞研究
誤差の少ない年縞の研究は近い未来の予測に適しています。
 年縞に恵まれた日本にいる私たちにしかできない研究で、ヒトが地球環境とうまく折り合いをつけていく方法を考えていくことは、科学者として興味深いことであると同時に地球に暮す一人の人間としての使命でもある。最近はこのような緊張感をもって研究と向き合っている。
INDEX
 
「野生の科学」の可能性−イヌイトの知識と近代科学:大村敬一
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