 |
| (中村) |
 |
21世紀の科学技術文明、そして資本主義は人間の限りない欲望と強く結びついており、環境を破壊し、仲間だけでなくほかの生物も次々と殺戮している。この現代文明は言葉を持ったホモ・サピエンスの当然の帰結なのでしょうか。40億年近い歴史を共有する約5000万種の生きものの一つであることを踏まえて、ほかの種とまったく違うこの生き方は一体何なのだろうと思って悩みます。遺伝子なのか、文化なのか。言葉というものは、人間の人間らしさ、5000万種の中の人間だけが持つ特徴であることはまぎれもない事実ですが、それが非常に辛い現代社会の問題点の原因だとすると、とても難しい課題を抱え込みますね。 |
 |
| (川田) |
 |
答えが出ない。それは種間倫理というものがあり得るか。あり得たとしても、人間がつくるものはやはり人間中心になるのではないかという問題です。もしも、生物の種の一つとしての人間ということをきちんと考えて遠慮した場合、人類はどんどん縮小して、場合によっては消滅したほうがよいのかもしれない・・・。 |
 |
| (中村) |
 |
20世紀後半にはじめて出てきたDNAというものの最大のメッセージは、地球上のあらゆる生きものがこれを共通に持っているというところにあります。そこを基本にして人間を考えるのが生命誌の立場ですが、それを踏まえた上で、種間の関係をどうするべきかという問いが改めて出せるのではないでしょうか。 |
 |
| (川田) |
 |
なるほどね。DNAが共通だということをもとにする。 |
 |
| (中村) |
 |
DNAをもとにすべてを考え人間もそこに位置づける。 |
 |
| (川田) |
 |
ただDNAというものが出なくても、だいぶ前から人間も生物の中の一つの存在だということはわかっていましたね。 |
|
 |
 |
 |
| (中村) |
 |
西欧でも古くまで戻れば、近代とは違った自然との結びつきを持つケルト※などの文明もあったと思いますが、現代科学を作り出した西欧の文明、少なくとも近代以降に西欧が作り出し、グローバル化した文明は、生きものが共通ということを基本にはしていない。現代文明はそこから生まれていますでしょう。そこで、現代文明の象徴のような科学から出てきたDNAが、また改めて、生物の一つということを明らかにしたところに意味があると思うのです。 |
 |
| (川田) |
 |
それは、僕が「創世記パラダイム」と呼んでいる世界観の問題で、その基本には、確信犯的ヒト中心主義がある。僕は、自然における人間のとらえ方についてまず三つのモデルを考えています。第一は、人間もほかの生物と平等の資格で生きているにすぎないとする自然史的な発想で、仏教の世界観に代表される。第二は、人間も生物の一部だけれども、その中でごく自然に人間中心に考える。人間のためにほかのものは利用してもよいとする、いわゆる唯物論の考え方で、常識的ヒト中心主義者ともいうべき多くの人々に共有される立場といえる。そして第三が「創世記パラダイム」の考え方で、唯一神である創造主がその姿に似せて人間をつくり、人間に役立つようにほかのものもおつくりになった。だから、家畜は何十万頭殺して食べてもよいという考え方です。
最後に、三つのモデルのどれでもないその他大勢の立場があって、それは当事者によっても、体系的な自覚も思想化もされていない漠然とした「アニミズム的世界観」というものがある。
一神教や仏教の文化を生きている人でも、日常的にはアニミズム的思考をしていることが多い。東京にいた頃、朝、近くのグラウンドで散歩していると、ジョギングしていたおばさんが、ちょうど向こう側を昇ってきたお日様に向って、足を止めて、かしわ手を打って拝んでいる。そういう自然との関わりが日本人の中にも残っている。また、自分たちが生きていくために他の生物を大量に虐殺せざるを得ない場合、たとえば、生業としてある鰹節の業者が何百万と鰹を殺している。けれども、「ごめんね」という気持で鰹塚を建てて供養する。そういう考え方は確信犯的な家畜の大量虐殺とは違うと思うのです。 |
|
ケルト
【Celt】 |
| 五世紀頃までアルプス以北のヨーロッパの大部分とバルカンまで広く居住した民族。妖精伝説や多くの民話・神話で知られる。 |
|
| |
 |
宮沢賢治※が未定稿の『ビヂテリアン大祭』という童話で語ろうとした問題は、現代では非常に重要だと思う。人間以外の生きものを、人間の生存のために犠牲にすることを否定する「菜食信者」の世界大会がカナダで開かれ、そこにシカゴの畜産業者の宣伝カーがのりこんで、人間が他の生きものを食べることの是非をめぐって、白熱の討論が展開されるというものです。僕がヒトと動物の関係学会※というおもしろい学会のシンポジウムに呼ばれて、その時のテーマがまさに「人は肉食をやめられるか」。そこでこの宮沢賢治の話を持ちだしたのですが、1930年代に賢治が提起した問題というのが、いまも新鮮で、議論の中心になってしまいました。賢治は仏教思想ですから、他の生命の犠牲によって生きるしかない人間のかなしい業というものを見据えた上で、人間も輪廻転生の中にあって動物に生まれ変わるかもしれないのだから、人間以外の生きものを食べるべきではないという立場です。結局、賢治も直接の解決を示してはいない。
|
 |
| (中村) |
 |
たぶん、これは解決のない話。けれど、考え続けることが大事であり、時代によって新しい知見が生まれますから、それを生かしてまた新しい考えを生んでいくということのくり返しかもしれません。 |
|
宮沢賢治
(1896-1933) |
| 詩人・童話作家。岩手県花巻生まれ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農業指導者として献身。詩「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」など。 |
| ヒトと動物の関係学会 |
| 平成7年発足。自然科学系の研究者のみならず、社会科学系、人文科学系の研究者も多数参加。 |
|
 |
| (川田) |
 |
そう思いますね。「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」。これは、フランスでの僕の恩師であるレヴィ=ストロース先生※の『悲しき熱帯』の終わり近くに出てくる僕の好きな言葉です。この本は僕が長い時間をかけて翻訳しました。人間というものは、自分の意思で存在しはじめたわけではないし、いつか必ず滅びる。人間は世界の王様でないし、威張る理由はどこにもない。人間なしに世界ははじまって、世界が終わるときすでに人間はいない。壮大なペシミズムだけれども、これはきわめて深い意味での「謙虚さ」を人間に要求している。僕はこのことが第一前提だと思います。
人間はかりそめの資格で地球上に存在しているにすぎない、だから地球に修復不可能な損害を与えることは許されない。そういう立場です。
|
 |
| (中村) |
 |
世界は人間なしにはじまって、そして人間なしに終わるということは、生命誌も語っていることです。長い間DNA研究をしていますとこの感覚が自ずと身につくので、なぜいまの社会はこれほど傲慢なのかと不思議に思っていたのですが、人間そのものを研究対象としている学問の中から「謙虚さ」が要求されるという表現を伺ってホッとしました。先生の著書やお話から、言葉による表現の適確さを感じて、これが私が言いたかったことなんだと思うことが多いのですが、これもその一つです。その認識を持たない人たちの行動が、破壊と殺戮に満ちた世の中を招いている。目の前のことを少し見つめればわかるのになぜ見ないのか、とてもはがゆい思いがしていましたので、先生のお話に勇気づけられて声を出すようにします。 |
 |
| (川田) |
 |
もう一つ、この世に絶対的な悪と絶対的な正義があるという現代のアメリカ大統領の思考に象徴される考え方。自分たちには絶対の正義があり、相手は絶対悪だという考えも、人間の謙虚さを忘れた傲慢から生れるのではないかと思います。 |
|
レヴィ=ストロース
【Claude L vi-Strauss】 |
| 1908年生まれ。フランスの文化人類学者。人類学に構造主義的方法を導入し、親族の研究や、神話の構造分析を行い、神話素を設定。著『悲しき熱帯』『野生の思考』など。 |
|