scientist:吉田光昭
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ヒトのがんウイルスに挑む
氏名   吉田光昭
(東京大学大学院客員教授/東京大学名誉教授)
name Yoshida Mitsuaki
顔写真
顔写真
顔写真
(写真=大西成明)
1939年 富山県生まれ
1961年 富山大学薬学部卒業
1967年 東京大学大学院薬学系博士課程修了。薬学博士
東京大学薬学部助手
1969年 英国MRC分子生物学研究所客員研究員
1975年 癌研究会癌研究所ウィルス腫瘍部門研究員
1977年 同主任研究員
1983年 同部長
1989年 東京大学医科学研究所教授
1999年 萬有製薬つくば研究所所長
[ 受賞 ]
1984年 高松宮妃癌研究基金学術賞
1985年 武田医学賞
1987年 朝日賞
1999年 日本癌学会学術賞吉田富三賞
2000年 紫綬褒章
  1,辞表を出して核酸へ
 高校の時の科学クラブで、錯体化合物がさまざまに発色するのに惹かれました。田舎だったので村の演芸会があったのです。そこで、無色の溶液で文字を書いた紙に反応液を吹きかけて一瞬で字を浮き上がらせる芸を披露したら、みんな喜んでくれましたよ。薬学部での有機合成実験が非常に面白く、これで薬を作りたいと一度は製薬会社の研究所に就職したんです。でも根っからの実験好きの僕には、定時に始まって定時に終わる研究環境は居心地が悪かった。また、DNAやRNAなどの核酸が生命現象の鍵を握っているという話題が出始めた頃で、そちらに興味が移っていったのです。そこで入社3ヶ月で辞める決心をした。所長は当然怒って引き止めましたが最後には辞表を受け取り、「君は自分の好きなことをやるのが一番いいのだろう」と東京大学薬学部で核酸の研究をしている浮田忠之進先生を紹介してくれました。
兄と。
 兄と。
大学卒業後に上京。両親と箱根旅行。
 大学卒業後に上京。両親と箱根旅行。
大学院の時に結婚。長女が生まれた。
 大学院の時に結婚。長女が生まれた。
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  2,自然に起きていることをやれ
 大学院の最初のテーマは、核酸に似た分子を化学合成してその中から抗がん剤になるものを探すことでした。会社を辞めてまで飛び込んだ道ですから、とにかく必死で実験しましたよ。でもあるとき浮田先生に「人間が考える事は限界があるが、自然に起きている事には際限がない。君は自然に起きていることを研究しなさい」と言われました。生化学への転向です。DNAの配列がRNAに転写されてタンパク質に翻訳される、一連の過程ではたらく最も小さい核酸tRNAに注目しました。核酸の情報をタンパク質につなげるtRNAの機能にどの部分が重要か、特定の塩基を化学的に変化させる方法で調べました。同じ結論を大腸菌の遺伝学で示したイギリスのシドニー・ブレナー(2002年ノーベル生理学・医学賞)にわずかに先を越されたのですが、世界の最先端と肩をならべた成果に浮田先生も大喜びでしたね。
東京大学薬学部で。前列左から4人目が浮田先生。(後列右から2人目:本人)
 東京大学薬学部で。前列左から4人目が浮田先生。(後列右から2人目:本人)
癌研究所では井川洋二先生(後列右端:現東京医科歯科大学教授)の研究室に所属した。(前列左端:本人)
 癌研究所では井川洋二先生(後列右端:現東京医科歯科大学教授)の研究室に所属した。(前列左端:本人)
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  3,ニワトリからヒトへ
 RNA技術が身につき、当時よくわかっていなかったレトロウイルス(RNAウイルス)を研究したいと漠然と考えていたとき、浮田先生ががんで急逝されました。後任の教授から提案されたのがニワトリがんウイルスの研究です。大阪大学の豊島久真男先生(現東京大学名誉教授)との共同研究で、実験を習いに行き手本を見せてもらいました。がん化した培養細胞を顕微鏡で探すように言われたのですが、僕には見ているのが細胞なのか細胞と細胞のすき間なのかすらわからない。「吉田さん、これは大変ですね」と言われたのを覚えています。
 癌研究所に移り、日本産のニワトリウイルスから既知のがん遺伝子とよく似た遺伝子を発見し、がん遺伝子がファミリーを形成するという考え方のきっかけをつくりました。いよいよ面白くなってきたと思っていた頃、所長の菅野晴夫先生(現名誉所長)から、九州で見つかった成人T細胞白血病(ATL)にウイルスがいるらしいので調べてみないかと言われたのです。もちろん興味はありますが、これまでヒトのレトロウイルス探しに成功した研究者はいません。「今の仕事をやめるのも・・・」と迷ったら、先生が「吉田さんは失って怖いものを持っているんですか」とひと言。これで何もかもふっ切れて、ニワトリの研究データはすべて共同研究者に託し、ATLだけに取り組みました。
 ATL患者の細胞をもらって数ヶ月でウイルス感染の証拠を見つけたのは、ニワトリでの経験がそのまま使えたからです。ウイルスと発がんの関係を明らかにしたことは、感染予防の取り組みにつながり大きな意味があったと自負していますが、残念ながらまだ治療は難しいですね。

1982年、ATLウイルスの全構造を決定。短い配列の解読を繰り返し、ATGCを鉛筆書きした方眼紙をつなぎ合わせた「まきもの」。左から、当時手作業だったDNA配列決定の達人平山榕子さん(現癌研究所主任研究助手)、配列の共通部分を見つけてつなぐのが得意な服部成介さん(現東京大学医科学研究所客員教授)、医学部助手の内定を辞退して参加した清木元治さん(現東京大学医科学研究所所長)、本人。

培養細胞でがん化を観察できるのがウイルス研究の利点。
 培養細胞でがん化を観察できるのがウイルス研究の利点。
菅野先生(後列右端)の自宅で。前列右端はウイルス研究の先輩花房秀三郎先生(現大阪バイオサイエンス研究所名誉所長)。(後列中央:本人)
 菅野先生(後列右端)の自宅で。前列右端はウイルス研究の先輩花房秀三郎先生(現大阪バイオサイエンス研究所名誉所長)。(後列中央:本人)
花房秀三郎Scientist Library:
生命誌34号
『自分の頭で考える〜ウイルス研究からがん遺伝子の発見へ〜』
花房秀三郎
自らを増やすという生物の基本を、もっとも単純な形で見せてくれる...
東京大学医科学研究所の研究室仲間。(前列右端:本人)
 東京大学医科学研究所の研究室仲間。(前列右端:本人)
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  4,好きなだけではだめ
 有機化学から生化学へ、そして分子生物学へと進んだ僕の研究史は、好きで面白いからこそ続けられたことです。では研究は趣味と同じかというとそうではなく、社会の中で果たすべき仕事でもある。誰かの役に立ちたいというのはみんなが思うことでしょうし、自分の栄誉に結びつけたいという気持ちも時には大事です。自分一人だけで社会に役立つのは難しいと感じたら、そういう時こそ分野を越えた連携が必要です。これは「趣味」にこだわっていてはできないでしょう。
 好きなことをやるのは研究者の必要条件だと若い人には話しますが、研究者として経験を積んできた人には「好きなだけではだめですよ」と言うことにしています。その意識を持つことが、結局は好きな研究を続けていくために大事なことなのですから。

かつて所長を務めた東京大学医科学研究所。ATLウイルスの構造決定を一緒に進めた清木元治さん(左)は昨年から所長になった。

(文責 山岸敦)

*この記事はBRHカード掲載のダイジェスト版です。生命誌ジャーナル版は後日アップいたします*
がんウィルス研究ではタフな競争相手だったロバート・ギャロ博士(米国メリーランド大学教授)。
 がんウィルス研究ではタフな競争相手だったロバート・ギャロ博士(米国メリーランド大学教授)。
朝日賞の受賞式。
 朝日賞の受賞式。
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Scientist Libraryは、本人の話をもとに、編集部がまとめています。  
本記事は季刊「生命誌ジャーナル」57号に掲載したものです。  
科学者の所属などは、季刊「生命誌ジャーナル」掲載当時の情報となります。