トークイベント

映画「水と風と生きものと 中村桂子・生命誌を紡ぐ」
公開記念トークイベントご報告

トーク 山本茂行(富山市ファミリーパーク園長)× 中村桂子(JT生命誌研究館館長)

フォルツァ総曲輪 2016年3月19日(土)上映後

司会映画「水と風と生きものと」初日のトークでは、生命誌研究館館長の中村桂子先生にお越しいただきました。光栄に思っております。中村先生にお話を伺うにあたり、同じ目線をお持ちの方と思い富山市ファミリーパークの山本茂行園長にリード役をお願いします。お二人ともぶっつけ本番がよいとのことで打ち合わせなしですが、お仕事の重なりから広がりのあるお話をしていただけるものと思います。どうぞよろしくお願いします。

山本私も動物園で生きものを扱っていますが、映画で、いちばん印象に残ったのは、中村さんとの対話で関野吉晴さんが仰った「縦糸と横糸を編む」という言葉です。縦糸は、生きものが持っている38億年の歴史で、横糸は生きもの同士のつながりですね。

中村「生きものって何?」と聞かれたら、それは、時間を紡いでいるもの。時間をかけないと「生きている」ことになりません。今の社会では、例えば、自動車を作るなら、お隣の工場より短い時間で作ったほうが勝ちと、何事も時間が短ければ短いほうがよいと云われます。

山本そうですね。

中村でも農業は、春に稲を植えたら収穫は秋です。日本列島では縄文時代から稲作をしていたことがわかっていますが、昔の人も、やはり春に植えて秋に収穫していたことでしょう。だから農業は遅れており自動車産業は素晴らしいと云って、製品の輸出で儲けたお金で海外から食料を調達すればよいという風潮になってしまいました。現代社会は、時間がかかるという生きものの本質を、否定的に見てきました。でも、生きるということは、時間を紡いでいく、そのプロセスが生きるということなのです。3才、5才、10才の子が、それぞれ今どう生きるかが大事なのであり、速く育っても意味はない。そこが機械とは全く異なる大事なところです。映画の中では、関野さんもそう考えてお話をして下さった。山本さんも同じ思いだということですね。

山本ええ。実は今、私たちの動物園を変えようと思っています。富山市ファミリーパークには、富山の自然に縁の深い身近な動物がたくさんいますが、ここに来れば、人間も生きものなんだということが感じられる場にしたいのです。

中村いいですね。

山本映画の中で、中村先生は「普通の生きもの」という言葉を使っていらっしゃいました。

中村私は何でも普通が大好きなのです。

山本生命38億年の歴史で、人間だけは特別な生きものだと、皆これまで思って来ましたね。実はそうではない。「普通」だよと仰ることがとても大事なことだと思うのです。

中村ええ。ただ、普通というのは、特徴がないことではありません。例えば、「アリとライオンを比べてどっちがすごい?」と云っても仕方ない。ライオンは百獣の王と云われますが、アリは自分の体重の10倍程のものも運びます。すると、アリって素晴らしいと思うじゃありませんか。地球上に何千万種類といる生きものどれもが、それぞれの生き方で思いっきり生きている。それが、私にとっての普通です。異なる仲間があってこその普通であって、人間もその仲間、どこにも特別なものはいません。でも動物園をつくるなどということをするのは人間だけですけれど。

山本それはそうですね(笑)。

中村自分も動物だということをよく知るために、子どもたちが動物たちと触れ合う場をつくる。それは、人間だけができる大事なことです。アリはアリらしく、ライオンはライオンらしく、人間は人間らしく生きる、その中に動物園があるわけですね。

山本実は、動物園という名前を作ったのは福沢諭吉ですが、どの動物園も130年の歴史を持っています。

中村福沢諭吉ですか。初めて知りました。

山本日本は文明開化で、西欧に追いつき追い越すにはどうするかと、当時多くの人が渡欧しましたね。福沢諭吉も向こうであらゆる「都市の装置」を学び、知識を持ち帰って再現して日本の近代化を急いだ一人です。動物園もその一つだったのです。

中村なるほど。大学も、動物園も西欧から入れて近代化しようとしたのですね。

山本ええ。動物園の発祥ってどんなものかと云いますと、当初、西欧で動物園は王侯貴族のものでした。大航海時代に、国家が世界中から奪って集めた金銀宝石を価値付けするために、分類学、そして博物館が広まりましたが、それらを楽しめたのは王侯貴族だけでした。市民革命でそれが人々にひらかれていきましたが、日本の動物園は今もそうした歴史を引きずっていると思います。
私は、その流れを断ち切って、本来、生きものとは、空気を吸い、水を飲み、ものを食べて生きる仲間なんだと感じられる場に動物園を変えたいと思案しているのです。それで、中村先生の「普通の生きもの」という言葉が深くこころに響いた。

中村生きものが仲間だという言葉は、情緒的に云っているのではありません。科学として、様々な生きものが持つDNAを読み解き、遺伝子のはたらきを比べると、バクテリアからヒトまで同じです。調べれば調べるほど、何千万種もいる生きものの祖先は一つだと考えられるのです。私は、半世紀近く生物学に携わってその感覚が身に染みているのですが、皆さんも生きものですから、一人でも多くの方とこの感覚を共有したいという思いで生命誌を続けています。
よく「地球に優しく」という言葉を使う方がありますが、それは人間だけが特別で、他に優しくしてあげるという感じがします。そうでなく、自分も他の生きものたちの中にいるという感覚。これが、科学が示す事実なのです。ここから出発すれば、自ずと、みな一緒に生きていきましょうという考えになります。そんな動物園があるとよいですね。

山本そう感じられる動物園にしたいと思います。現在は、私たちホモ・サピエンス1種が繁栄している状況ですが、今まで生物の進化の歴史を振り返っても他に例はありませんね。このまま行けばどこかで滅びてしまうかもしれない。そうならないために、これからの生き方を考える鍵は、ヒトと自然や生きものがどう共存していくか。その価値観として、中村先生の「普通の生きもの観」がとても重要だと思います。

中村生きものは多様ですけれど、実は根っこは一つだということ。同じと云えるような共通の特徴をそれぞれが持ちながらも、みんな違うわけです。違うけど同じ。更にヒトという1種の中でも一人ひとりみな違う。この、違うけど同じ、同じなのに違うって、金子みすずさんみたいですけど。
生物学の面白さは、このような矛盾を抱えているところにあります。でも矛盾って面倒くさいものですから、つい解決しようと思ってしまいますが、結局、生きているということが矛盾だらけなのです。その全部を抱え込むような考え方が大切です。
耐えるという言葉がありますね。それは、何でも我慢しましょうということではなくて、矛盾があること、まだわからないこと、よく考えなくてはいけないことに向き合って生きるということです。すぐに答えが出ないからと云って諦めるのでなく、何だかわからないところもあるけれど、これも生きるということなんだと、皆で考え続ける。そういうことが今とても大事だと思います。偉そうな言葉を使えば「寛容」ということ。
私は戦争が理屈抜きで大嫌い。争いの基本には、違いを認めないということがあります。でも互いの違いを認めた上で、元を辿れば人間は皆、昔アフリカで生まれた仲間だよと。それぞれに違う文化があって楽しいし、わかり合えないはずないじゃないですかと、そういう風に考える素材として生物学を使っていただけると嬉しいです。

山本いや、本当にそうですね。違うということと同じであるということ。両方をいつも考えて生きていくには、やはり身の周りの自然や生きものとかかわることが一番の基本だと思いますが、今そんな時間も場もだんだん少なくなってきていますね。

中村そう。やっぱり自然。富山は、豊かな自然に囲まれてとても羨ましい場所ですね。都会で高層ビルに住んで、子ども達もあまり土に触れずに育ってしまうと、その感覚を養う事もなかなか難しい。でも私はそういう時にも、道端にいるダンゴムシでいいんですよって云うんです。

山本ダンゴムシ、子ども達は大好きですね。

中村東京の舗装された道端でもダンゴムシは必ずいるんです。でも、お母さんが「今日は塾ですから」と云って、お子さんを車に乗せてスーっと行ってしまっては駄目で、お子さんと手をつないで道を歩きさえすれば、子どもは必ず、自分から生きものを見つけますね。とくにダンゴムシは、私も、孫で実体験済みです(笑)。
それほど素晴らしい自然でなくとも、近所の空き地や道路の隅っこでよいので、日常でお母さんが気をつけて子どもと一緒に手をつないで歩く。それが一番だと思います。それから動物園も行ってください(笑)。

山本ありがとうございます。私たちの動物園は富山の自然そのものです。中村先生は、富山は自然が豊かだと云ってくださいましたが、富山の子ども達も自然に接する機会が少なくなりました。ところで中村先生は、富山へは何回か来ていらっしゃいますね。どんな所だと思われますか。

中村それほど富山をよく知るわけではありません。ただ、私は、富山県でお作りになった、日本列島の地図がありますでしょ。

山本逆さ地図ですね。

中村ええ。研究館の館長室の壁にあの地図を張って毎日見ています。いいですよね。

山本私も園長室に張ってあります(笑)。

中村お客さまがいらっしゃると必ず目にとめて「これ面白いですね」とおっしゃいます。確かに、ああいう風に見ると、中国やロシアが日本を邪魔だと思う気持ちがよくわかります。向こうの人々が太平洋へ出たいと思っても、日本列島が蓋をしているわけで、いろいろ云いたくなる気持ちもわかるじゃありませんか。でもそこで喧嘩しては駄目で、日本海を囲んでみんな一緒にある所という風に考えたいですね。太平洋の向こう側のアメリカは遠い国ですよ、改めて近くにいる隣同士で仲良くしましょうと思わせてくれます。21世紀の生き方を考える時にとてもよい見方だと思いますね。富山は、あの地図では真ん中にあってすごい所だなと。

山本今まであった地図を逆さまに見ることで、新しい世界が見えてくるというように、他にも自分が当り前だと思っていた価値観をひっくり返してみることは、発見につながりますね。

中村私たちが学校で習った地図は、日本が真ん中にありましたが、西欧の人々が使っている地図では日本は一番端っこです。ものの見方一つで本当にいろいろ変わるので、自分の知っていることだけを常識だと思わず、柔軟に多様な見方を試すことが大切ですね。

山本そうですね。そろそろ時間ですが、最後に一つ、私からお伺いします。中村先生のお書きになった本や、生命誌研究館でつくっているものはどれも大変きれいですね。人間は、やはり美しいものを追い求める気持ちを持っていると思います。多様な生きものの姿形にもやはり美を感じるものです。このように人間が持っている、美に関する関心の高さというものは、生命38億年の進化の中で、一体どのようにして生まれてきたのでしょうか。

中村それがわかったら面白いと思いますけれど、その答えはまだわからないのではないでしょうか。ただ、私は、今の社会にとって大事なこととして、美しいと思えることを大切にしたいと思います。今、山本さんは、生きものって美しいとおっしゃったけれど、同時に、生きものには美しいとは思えない部分もありますね。

山本確かに、ありますね。

中村うん。その部分も含めた上で美しいということを大事にする。シェイクスピアに、「きれいが汚い、汚いがきれい」という言葉があります。生物の世界は割り切れません。その全部を自分の中に引き受けた上で、やっぱり美しいものを大事にしようという気持ちを持っていこうと私は思っています。汚いものは見ないというのではなく、それも含めて自分の美しさを求めていこうと考えるのが生きているということなのかなと思います。

山本なるほど。例えば、結晶を美しいと感じるように、奇麗だと感じる植物や昆虫もありますが、そうではないものもいるし、そうでない部分もあると。だから、そういう部分も含めての普通の生きものとしての存在に、美を感じることができるような、我々はそこを目指していかなくてはいけませんね。どうもありがとうございました。

トーク 関野吉晴(探検家・医師)× 中村桂子(JT生命誌研究館館長)

第3回 3.11映画祭(3331 Arts Chiyoda) 2016年3月13日上映後

中村人間も生きものであり自然の一部だと考える一人として、東日本大震災は本当に衝撃を受けました。現場で役立つことはなかなかできません。そして、私にできることは、生命誌として「生きていること」を考え続けることだと改めて思いました。あの時、多くの方が、少しでも自分の生き方を変えようと思った。けれども5年たった今、残念ながら社会全体は変わらず、更におかしくなった気もします。関野さんはどう感じていらっしゃいますか。

関野戦後、奇跡的な経済成長を続けた日本の社会が抱えていた様々なひずみが、あの時、表に出たんだと思います。そう感じた皆さんは、これからの社会に必要なのは自然やいのちを大切にする生き方だと考え始めたはずなのに。

中村現状は、その時の思いとは違います。映画の中で、関野さんがご自身のグレートジャーニーについて「一番大事だったのは寄り道なんです」と仰いました。復興を考える時にとても大切なことだと思います。

関野南米から、アラスカ、シベリア、アフリカまで一本の道筋を自分の腕力と脚力でつなぐグレートジャーニーという旅で、僕は、いつも布を織る気持ちで旅をします。布を織るには縦糸と、もう一つ横糸が必要で、それが寄り道なのです。旅の途中で、私たちとは違う伝統的な生き方に出会います。その暮らしの中に入って、世界を違う見方で見ている人たちと過ごす時間が横糸になるのです。自分が世界を見るものの見方や考え方が旅を通して変わってくる。そのようなものの見方が震災復興に取り組む時にも大切だと思います。震災を体験した現地の若者の中にも新しい価値観を持った人たちがたくさんいます。例えば、そんな中から本当に大切なものが出てくるんじゃないか。

中村私も、若い人たちに期待します。
先日、いわきの海岸に行きましたら、海が全く見えず潮の香りもしません。巨大な防潮堤が建てられたからです。一方で、離れた高台に宅地を開発しようとしていて、その防潮堤は一体どこを守るのといったら、誰もいない土地。それまでその土地に暮らしてきた方々は、「毎日のことなのに、海の様子が全くわからなくなってしまった」と嘆いていらっしゃいました。そういうことをしてはいけないと思います。これまでの生活をすべて切り捨てて、ゼロから新しく暮らしをたて直すなんて誰にもできないでしょう。ひとり一人に、更に人々が住む土地ごとに独自の生活があるわけです。それを外側から見て対策を考えても駄目で、中から見て、そこの暮らしが求める支援ができて初めて何かがよい方向へ変るのだと思います。東北では、東北の方たちの暮らしをよく見直した上でこの方たちが一歩でも前へ進めるようにと考えなければなりません。

関野中村さんがよくご著書に書かれることですが、生きものって機械ではありませんよね。生き方も場所ごとに違う、一つひとつ違う。それなのに、役人が現場を見ず机上でただ機械的に進めるから、本来、例えば仮設住宅を作ったら、その地域の人に移ってもらえばよいのに、なぜか散り散りになってしまうということが起きる。

中村ひとり一人の人間を見て、そこから出発して欲しいと強く思いますね。

関野東北は、東京とは違って、人と人のつながりを最も大事にする土地なのです。孤立しては生きられないから。つながりには良い面もあるけれど、縛るという面もある。つまり「どこそこの次男は、またあんなことをして」などと云われるので、若い人はそれが嫌で都会へ逃げ出す。けれども今度は都会で孤立して寂しい思いをしてUターンする。そんな実情も含めて難しい面があるわけです。

中村確かにつながることは、良い面ばかりではありませんね。

関野中村さんがよく仰る、いのちに基づく新しい神話、あるいは世界観が必要ですね。共同体の新しいかたちをつくっていかなくてはならないと思います。

中村震災の後、特に原発の事故で、科学技術立国と云う日本なのだから、人間が入れない事故現場へも、例えば先端ロボットが入って何らかの対処をすると期待していましたが、本当に何にもできませんでした。政治家も経済学者もただオロオロしていたわけです。ところが、東北の漁師さんや農家の方は、大変な出来事に直面してご家族やご近所で亡くなられた方もあるのに、現実を受け止めてしっかりと発言をなさっていましたね。自然の豊かさもそして恐さもよくご存じだから、長い目で見て考えて、これから生きていくには、やはり漁で海に出ていく、あるいは祖先から受け継いだ土地を耕していくんだとわかっていらっしゃる。私は、あの時、東北の方々に本当に教えられました。そして、生き方を変えようというあの時の思いは、自然の一部として生きる人たちから学ぶということだったと私は思うのです。5年たった今も、やはり私は、東北の人から学ぶという気持ちでいます。

関野意見を云うこと、主張することは大事だけれど、それは誰かを変えるためでなく、自分自身を変えるために云うのだというガンジーの言葉を思います。人を助けるとか、人に協力する、支援するということで、一番大切なのは、それによって自分が変わっていくことだと思います。

中村自分が変われば、社会が変わっていくという順序で考えると、今自分にできる小さなことをまず一つやりましょう、それなら、私にもできると思う。何かを変えるのでなく、まずは自分を変えていくというところが一番大事。とても平凡なことだけれど本当にそう思います。

トーク 藤原道夫(本作監督)× 村田英克(本作企画・生命誌研究館)

第七藝術劇場 2015年11月28日上映後

村田今、映画でご覧頂いた生命誌研究館には、生きものを研究する部門と研究を表現する部門があります。研究と表現の両輪でまわっているところが館の特徴であると中村館長はいつも云っており、私は、研究館で10年以上、生きものについての新しい知見をどうやって皆さんの日常の中で感じて頂けるものにできるだろうかと、いろいろな表現に取り組んできました。本や展示やホームページそれぞれに工夫して、生きているという実感と知識とを重ねて伝えようとしていますが、どうしても抜け落ちてしまうものがあるように感じられて。どうにかして、生きているという丸ごとを伝えるために、生命誌を映画にしたいと思いました。それが、研究館が設立20周年を迎える前年のことでした。
でもいったいどうやって? と悩んでいたある日、3年前ですが、この第七藝術劇場で映画を観て、大変こころをうたれました。「Elegance 自尊を弦の響きにのせて 96歳のチェリスト青木十良」というドキュメンタリー映画でした。人生で初めて、バッハの無伴奏チェロ組曲の録音に取り組む一人の演奏家の6年間を追いかけて、そこに関わる人々の生き生きとした姿を、美しい旋律と共に一つの物語に織り上げた見事な映画だと思ったのです。これだ! この方にお願いしようと思った。その作品をつくられた方が、今ここにいらっしゃる藤原道夫監督です。

藤原私も若い頃は、劇映画を志向して、フリーランスで映像の仕事を始めました。その後、大きな組織には属さず、映画もテレビも含めてドキュメンタリーひと筋でやってきました。この世界へ入っていろんな作品をつくってきましたけれど、あまり科学を正面からは扱いませんでしたね。そんなある日、突然、映画を撮って欲しいんですと、彼が大阪からやってきまして。勿論、メディアで取り上げられる中村桂子さんについてはよく存じ上げてはいましたが、その時点で生命誌研究館についての知識は一切ありませんでした。どういう映画ですかと聞くと、生命科学を研究しているところで、その20周年の歩みをつくって欲しいと云うわけです。私は、子供の頃から写真に惹かれ、自分で現像して遊んでという形で化学的な現象への関心も持ってはいました。どちらかと云えば理科が好きな子供で、植物を育てたり顕微鏡で小さな虫を覗いたりすることは今でも好きで、そんな所からお話にちょっと魅力を感じまして、まあ、考えてみますかねえと。そこから映画に入って行くことになったわけです。最初の年にまとめたあの短編は何分でしたかね?

村田はい。36分49秒です。

藤原で、仕上がりまして。今、生命誌研究館でご覧頂けますが、そちらは館の20年の歩みを綴った作品です。それがこの映画にまで発展してきたわけです。前作が仕上がった時、彼が、もう一本大きな映画を作りたいと云ったのですが、世に送り出す映画として、生命誌の宣伝を作る気はまったくないよと云いました。しかし、生命誌研究館というところ、中村桂子さんという人物が、非常に面白い要素を持っているとは思いましたから、ひょっとすると、今までの日本映画史にもなかった映画が生まれるかな、という予感は持っていました。ただ、それは非常に難しい。皆さん今日ご覧頂いてどう感じられたか。まあ、難しい映画ですよねえ。だが幸い、宮沢賢治さんという方が映画の主題として上がっていました。また、大変不幸な出来事ではありましたが、東日本大震災が、現在も様々な問いを私たちに突きつけた状況であるということ。カメラが写し撮るために向かう直接の対象でなく、世の中の状況や時代背景などの様々な条件が組み合わさり、何と云うか、とても珍しい映画ができるのではないかと。所謂、「地球環境を大切に」という言葉だけの環境論を超えた、ほんとうに大切な世界を表現できる映画になるかもしれない、という予感と不安の中でつくりあげました。

村田第一段階として、科学映画的な短編をつくるという形で藤原監督に作品に入って頂いてよかったと思っています。研究の現場に入って、顕微鏡で覗く世界や、研究者の語る思いをカメラに納めて頂きました。あの一年は、まずは生命誌研究館の人間が何を考えて日々を送っているのかを監督に受け止めて頂くために必要な時間だったと思います。
でも私は、生命誌研究館という場の出来事、中村桂子さんという人物の魅力を、劇場で皆さんに鑑賞していただける映画という形にしたくて、しつこく監督を口説き続けました。それでもう一つのエピソードとして、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」舞台化の様子をドキュメントして頂くことになりました。国際的に活躍する人形劇師の沢則行さんらと生命誌研究館との共作です。そのお芝居を作り上げていく過程で、「人間も生きものであり、自然の一部である。」という生命誌のメッセージと宮沢賢治の世界観との重なりを描き出すためにも、中村館長が東北に旅をするところも追いかけることになりました。あの時点で、監督の中で、今、出来上がった構成はどこまでイメージなさっていたのでしょうか?

藤原私は、これまでにいろんな仕事もしてきたので、歳相応に引き出しも沢山あります。ただ、とにかく飽きないで観てもらえるものにしなくてはいけないと、ずっとそのことは考えてきましたね。大作映画のように宣伝費を使えるわけではありません。それでも劇場で観て頂くということは、まずは観た方に、「あの映画は面白かったよ」と他の誰かに言ってもらえるものにするということです。それが独立系映画の核心だと思います。だから村田さんや生命誌研究館が考えていることとは別なところで映画の組み立てを考えていましたね。この映画では、一体どうやってつないだらよいのか、普通の接着剤ではくっ着かないような実に様々な要素がつながっているわけです。たぶん皆さんから観て、必ずしも自然につながっていると見えるものばかりではないと思います。その接着剤は何か。それは、映画が進行する中で、皆さんの心の中に湧いてくる「いのち」という価値です。いのちを見つめる眼差し、それさえつながっていれば、難しい研究だろうが、人形劇のお芝居だろうが、突然、何が出てこようと大丈夫。勿論、中村桂子さんという「お団子の串」があるわけですから、最後にまたそこへ戻って行ける。かなり大胆な構成をとらざるを得なかったし、またそうしたことによっていろいろと化学反応を起こしていますね。だから「変わった映画を観たよ」と云って頂けたら嬉しいです。ご覧頂きながら、皆さんの毎日の暮らしの中でほんとうに大切なものは何なのかと、それを真剣に考えなくては、自分たちの幸せな未来は描けないのではないかということを感じて頂いて、劇場を出た時に、それが確信に変わっていれば、この映画は成功です。私にとってもかなり実験的なつくりでした。

村田藤原監督の前作「青木十良」は、人物の表情や人々の関係、そして情景の美しさによって、演奏は勿論、人間やその内面の葛藤までをエレガンスに描き出した作品だと感じました。今回の作品で監督にお願いしたことは、科学じゃなくて、人間を描いて欲しいということです。あたりまえに聞こえるかも知れませんが。実は、生命誌研究館で、日常いちばん大事にしているものが言葉と人なのです。新しい研究を紹介する時、その成果だけでなく、研究している人の思いや、その対象である生きものの暮らしぶりも含めて伝わることで、初めて生物学の知見について共感が得られると考えるわけです。だから、言葉や語り、人柄などが美しく描かれる作品であって欲しいと。映画の中で、中村館長がいろいろな方と対話を重ねて行きます。風のミュージアムへ新宮晋さんを訪ねたり、建築家の伊東豊雄さん、東北学の赤坂憲雄さんと語り合ったり…。科学技術を持った人間が生きものらしく暮らしやすい社会を営むにはどうするべきかという3.11以降の問題に真摯に向き合っておられる方々です。この対話の場面でご覧頂いたように、中村館長って、よく笑うし、快活だし、驚き上手。ああいうお人柄で人と人の関係を開いて行く、その様子。「新たな文明を考えよう」とか、「社会に新しい提案を」と云うと大層なことになってしまいますが、いちばん大事なことは、明るく、楽しく、でも真剣に毎日を過ごすことだという。実は、生命誌研究館で働いていると、日々、そのことを思い知らされる気がしまして、そんな空気みたいなことをいちばん描きたいと思っていました。中村桂子さんという方は、勿論、科学者であるわけですが、同時にゴーシュのお芝居をする表現者でもある。そして、何かを表現するということの基本として、言葉を大切になさる方です。そういう、実はいちばん難しい、いちばんあたりまえのこと。それを監督は作品に描いて下さったように思っていて、とても感謝しています。

藤原何しろ硬くなりそうな映画なので、とにかく面白く観てもらえるようにしようと、そればかりをずっと考えていました。今日ご覧頂いて、まあまあ面白かったなと思って頂けましたら成功だと思っています。そうでありましたら、是非、周りの方々にも、珍しい映画だよ。観に行って損はないよと、お伝え頂けると嬉しいなと思います。

トーク 中川学(僧侶・イラストレータ)× 上野かおる(装丁家)× 村田英克(本作企画・生命誌研究館)

立誠シネマ 2015年11月28日上映後

村田今日。京都では初めてこの映画を上映しました。立誠シネマという旧小学校校舎を活用した暖かみのある場で上映して頂きありがとうございます。私は、今映画に出てきた生命誌研究館で、いろいろとものづくりをしています。「表現を通して生きものを考える」という仕事の中味がそのまま部門の名前にもなっています。研究館では、身近な生きものを扱った研究を行っていますが、生命科学と聞くと、皆さん何か難しいことだと思われます。でも、自分自身が生きものだし、ふだん何気なく行なっている、食べて、寝て、という暮らしと同じようにして最先端の生物学の知見を感じて頂きたいという気持ちで、展示や本や映画をつくっています。今日はこれから、生命誌のものづくりでお世話になっている、京都のお二方をゲストにお迎えしてお話しをさせて頂きます。お一方は、僧侶でありイラストレータである中川学さん。もうお一方は、装丁家の上野かおるさんです。どうぞよろしくお願いします。中川さんはお寺さんで…。

中川はい。瑞泉寺です。

村田この近くの瑞泉寺というお寺のご住職であり、世界的に活躍するイラストレータでも、立誠小学校のOBでもある。

中川はい。卒業生です。

村田中川さんは、映画に象徴的に出てきた「生命誌マンダラ」を大変な苦労をして描いて下さいました。上野さんは、三条高倉の…。

上野はい。京都の文化博物館のお隣にあります鷺草デザイン事務所で、本のデザインをしています。

村田素敵な本をたくさんつくっていらっしゃいます。上野さんには、言葉で、生命誌を伝える大切な本づくりの装丁を毎年お願いしています。今日は、生命誌でいつも我儘を云ってご苦労頂いているあたりお聞かせ下さい。
まずはお二人から、どんな風に映画をご覧になったかお聞かせ下さい。

中川ご覧頂いたように、僕も撮影されていたんですけれど、いったいどういう映画になるのか知らず、でき上がりを先入観なしに観ました。生命誌って、科学なんだけれども科学じゃない。科学も、詩や文学と同じものなんだなあということを思いました。中村先生がいろんな方たちとお話していく様子からだんだんとそれが伝わってくる。僕自身、理系でなかったものですから、多少、難しいかなと身構える気持ちもありましたが、そんな必要はない、とてもいい映画でした。唯一、唐突に僕が出てくるところが、コレ要るのかなって(笑)。

村田中川さんには沢山、撮影にご協力頂いたのに、映画を2時間に収めるために少ししか使えずもったいないと思っています。上野さんは、今日ご覧頂いたのは2回目でしたね。

上野残念ながら私は映画に出てきませんけれど(笑)。今日ここに、できたてほやほやの本を持って参りました、昨日できあがりました。季刊生命誌の一年分を収めた年刊号です。この本を6年間つくらせて頂いて、毎年、『編む』、『ひらく』など動詞がテーマなんです。今年の本『うつる』には、映画の伊東豊雄先生らのお話が、中村先生との対談として入っています。この映画を観るのは今日で2回目ですが、本で読むのと、映像で観るのとでは違いますし、やはり映画では、中村先生の何かを伝えたいという思いや、生命誌研究館が今の世の中に伝えたいメッセージ、考えているニュアンスが、よりよくわかるのではないかと思いました。

村田実は、今回、生命誌を映画にした言い出しっぺは僕です。生命誌で10年以上いろんなものをつくりながらいつも思っていたことを、今、上野さんが少し云って下さいました。ここで敢えて「中村館長」でなく、「中村さん」と呼ばせて頂きますが、映画で伝えたかったのは、その「中村桂子さん」です。もちろん非常に有名な方で新聞などでは科学者として伝えられます。けれども映画に「セロ弾きのゴーシュ」のお芝居が出てきました。あの場面で、中村さんは表現者ですよね。もちろん科学者ですけれども、同時に、表現するということを日常とても大切になさっている。そして仕事でも何に対しても、いつもおかあさんのような感覚で向かう。例えば、何か発注すると云うと「もったいないじゃない。あるものを組み合わせても新しくできるじゃない」と。でも同時に、「何かやりたいことがあるなら、あなた本気でやりなさい」と云う厳しさもある。映画にもありましたが、いろいろな分野の第一人者の方と中村館長が対話する場面に、僕は編集者として以前から立ち会って参りましたが、いつも生き生きと、楽しそうにお話ししていますよね。そのニュアンスは活字では伝えきれない。僕は生命誌研究館の中にいて、その感じを伝えたいとずっと思って、それで今回、藤原監督にお願いして映画にして頂きました。
この映画には、顕微鏡からお芝居まで、本当にいろいろな場面が出てきますが、どこから撮り始めようかと藤原監督と相談をして、「生命誌マンダラ」をどういう風に描くかという会議に中川さんがいらっしゃる場面からクランク・インすることになったのです。

中川あれ、そうだったんですか。

村田マンダラというものは仏教の世界観を表すものですけれど、研究館20周年の記念に、科学に基づく生命誌の世界観をマンダラに表そうと、それを描くために、鷺草さんにご紹介頂き中川さんを研究館にお招きしたのです。

中川とにかく皆さん、高槻の生命誌研究館へ是非一度行って下さい。生命の歴史を誰でも楽しめる展示がいろいろあってとても立派な建物です。そこへ呼ばれてマンダラを描いて下さいと云われまして。でもマンダラって宗教的なものですね。そのマンダラと科学との接点がいったいどこにあるのだろうかというところからスタートしました。けれども研究館の方からお話をいろいろ伺って、中村先生のイメージが少しずつわかるようになっていきました。最初の頃に描いたマンダラは四角でした。それも時間をかけてあの形へ徐々に整えていきました。仏教のマンダラにもいろいろありますが、僕らのお寺にあるマンダラも、自然科学のマンダラも、そこに表そうとしているヴィジョンはひょっとすると同じことなのかもしれない。大変意義深いことだと思いながら描きました。

村田映画の中で、中村館長が仰っていたことですが、すべての生きものが細胞の中に持つDNAに基づきながら、それぞれが多様に生きている。それらを俯瞰する生命観を一枚の図に表そうという時、「魂は細部に宿る」と…。

中川うん。

村田たくさんの生きものがマンダラに描かれています。その全部を、細かいところまで、その生きものが暮らしている様子も含めて臨場感のある画を描いて欲しいと無理をお願いして。「生命誌マンダラ」は、最終的に織物にして頂きました。この織物も京都の…。

上野そうですね。住江織物さん。

村田画は中川さん、デザインは鷺草さんに協力して頂いて。

中川今日は、是非、皆さんにもこの織物を観て頂きたいです。

上野この会場を出たロビーの天井に飾ってありますので是非。これも生命誌研究館の特徴だと思いますが、何をつくるにしてもチャレンジ精神旺盛で、最初、中川さんの描いた「生命誌マンダラ」を研究館に飾りたいというご相談を受けて、それをどんな風に形にしようかと話し合った時に、中村先生や研究館の担当の方は、是非、織物にしたいと仰いました。実は、私は西陣小学校出身なので、早速、友達に織物にしたいんやけどと相談しました。すると、こんなもん一本ずつ糸染めるだけでも大変やし、この大きさは手織りでは織れないし、どんだけ日程とお金がかかると思うてんの(笑)と云われまして、ほぼ諦めかけていました。そんな時に、偶然、京都の住江織物さんという専門の方にお会いする事ができて、たて糸が7,200本、よこ糸が1,8000本。使っている糸は6本だけですがコンピュータを使った新しいジャガード織りで素晴らしい織物ができました。

村田細部を描き込むことで全体観を表現する。その織物の技術も最先端のものでやって頂きました。是非ご覧下さい。上野さんからご紹介いただいた生命誌の『うつる』には「生命誌版セロ弾きのゴーシュ」のミニ絵本も付いています。

中川一つ一つが凝ったつくりで信じられないほど仕掛けが詰まっていて、絶対にお得ですよ。

村田生命誌研究館はお隣の高槻ですので、どうぞ足を運んで頂けましたら幸いです。本日はどうもありがとうございました。

中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)舞台挨拶

ポレポレ東中野 2015年9月21日13時の回上映後

こんなに大勢来て頂いてほんとにありがとうございます。3年間、藤原監督がとにかく生命誌の仕事を追いかけるから、自然にやっててくださいとおっしゃって下さって、撮って頂いたんですけども、映画って私こんなに大きくうつるなんて気がつかなかったんで、もっとお化粧とかしておけばよかったと思って、(会場笑い)。
人間も生きもので、自然の一部であるということずっと考えているんですけれど、とくに東日本大震災の後、もうちょうど4年半経ちますけど、ほんとに、そういうことを考えなきゃいけない。社会がちょっとそういう風になったかなって思った時期もあったんですけど、なかなかそうなっていかない。

いのちが大事って云うことは皆さんわかってらっしゃってて、例えば、政治家の方なんか「生命尊重」って仰るんですけど、現実にはそうじゃないことをなさる。で、映画の題は「水と風と生きものと」にしました。「生命」とはしなかったんです。「生きもの」の具体を考えていただくことで意味がでる。私たちは、今日観て頂いたようにチョウやクモ、カエルやハチなどちいちゃな生きものを毎日毎日見つめています。そうするとほんとに生きてるっていうことがすごいなあってわかるんですね。私たちは仕事上DNAとかやりますけど、別に、ちいちゃなお子さんがダンゴムシ見るのでも充分で、ちいちゃい生きものを見つめることをやっていただくと、東京の真ん中でもいくらでもちいちゃい生きものがいますので、皆さんがそういうことをやって頂くと嬉しいな。ほんとに「生命」って、抽象的に云わないで、具体的に行動していただきたいなと思ってそれで「水と風と生きものと」としました。

私は仲間たちに、いつも動詞で考えようねって云っているんです。「食べる」とか「眠る」とか、そういう風に考えると具体的に考えが広がっていく。例えば、「食べる」ということで私は最近のニュースでとても悲しかったのは、日本の子供たちの6人に1人が、ちゃんとご飯が食べられていないという報道がありました。給食だけはちゃんと栄養バランスを考えたご飯が食べられるんだけど、夏休みの間、ちゃんと食べられてなかったという子が、6人に1人。アフリカなどではもっと食べられない境遇の子供がいるけれど、この国で6人に1人なんですよ。そういう例えば、食べるということをきちんと考えたいという風に思っています。

「水と風と生きものと」は、ほんとにいろんな方に出て頂きましたけど、新宮晋さんの風の彫刻すばらしいと思うんですが、新宮さんは今、風の力だけで生きられる村を実現しようと一生懸命考えていらっしゃるんです。ブリージング・アースというプロジェクトです。そういうことを云っても日本ではなかなかみんなが認めてくれない。イタリアのある村の村長さんがやろうと云って下さって、「僕、イタリアでやるんだよ」って仰ってますけど。そんなことがいろんなところで動いて行くとよいなと思います。

今日見て頂いた人形劇「セロ弾きのゴーシュ」は、私、3.11 の後に、どうしても宮沢賢治が読みたくて。主人公のゴーシュがしかられているのは、渇いた社会。彼はおうちへ帰って、水をゴクゴク飲んで、自然の世界の中へ入っていろんな生きものたちに、バカにされたりいろんなことをしながら、「いのちの音」をもらって、最後には、ゴーシュの「いのちの音」がみんなを動かして、アンコールとなるわけですね。で、私も実は、生命誌研究館という小さなところですけども、ゴーシュのように「いのちの音」で、少しでも、社会が動かせたら。と思っております。

今日、映画を見て頂いた皆さんが、そういう風に、生きもののことを考えて下さるお仲間だと思っておりますので、ちいちゃなちいちゃな活動ですけども、これからもどうぞよろしくお願い致します。

トーク 藤原道夫(本作監督)× 池谷薫(映画監督)

ポレポレ東中野 2015年9月23日13時の回上映後

藤原監督の藤原道夫です。今日は長時間のご鑑賞ありがとうございました。38億年の物語をいろいろな形で楽しんで頂けるようにつくったつもりでしたが、皆さんどんな風に受け止めていただけましたでしょうか。では紹介します。私が非常に尊敬しています…。

池谷何を言っているんですか(笑)。

藤原私の後輩にあたります、次々に名作を放っていらっしゃる、今もこの劇場で私の作品と交互に上映している「ルンタ」という名作を監督しました池谷薫さんです。

池谷池谷です。藤原さん、そんな遠く離れないでくださいよ。

藤原池谷さんは、ご覧いただいていかがでしたか。

池谷僕、今、聞いたばかりなんですが、皆さん、中村さんって、おいくつだと思います? 80歳だって。びっくりするよねえ。驚きで。ただ者じゃないですね、中村さん。

藤原ただ者じゃありません。もう一つ。去年かな、頭の中を初めてMRIで 診断してもらったところ、「脳にシミが一つもないの」と軽く仰ってましたね。

池谷そうですか。なんか僕、映画を観ていて、偉い先生達がみんな手玉に取られてくというか…どんどん巻き込まれていくところが、すごいなあって思った。中村先生の発言で、非常に印象に残っているのは、「科学を物語する」っていう言葉です。一寸の虫にも五分の魂と云いますが、どんな小さな虫だって懸命に生きていて、そこにはドラマがある。そのことを感じ取っていくことが、おそらく科学になっていくと思う。現代の殺伐とした世の中で、ある種の慈愛の心として科学も求められていると思いましたね。

藤原ほんとうに撮影中、映画の中でも外でも、中村館長はいろいろなことを話してくれましたが、数ある言葉の中でも、「38億年いのちがつながって、今、あなたも私も虫たちもここにいるのよ、38億年が無かったら、どのいのちも存在していないのよ。」という風に話してくれたことがいちばん深く印象に残っています。そのことをほんとうによくわかると、いわゆる感情や感傷で云う「いのちを大切に」という言葉をもう一つ越えた、ほんとうのいのちの重さがわかるんじゃないか、と思いましたね。この映画の中でいろいろなものを扱っていますが、中でもこのことを皆さんにうっすらとでも感じていただければ、映画をつくったかいがあったと思っています。

池谷それから、中村さんはアドベンチャーですね。冒険者っていう感じ。いつも、わくわく、わくわくしているんでしょうねえ。

藤原自分がいちばん楽しんでいますね。

池谷すばらしいなあ。

藤原アドベンチャーでありクリエイターですね。

池谷藤原さん、撮影で、ああいう人とお付き合いするのは大変だったでしょう。

藤原でも「映画のことだけはわからないから、とにかく云われるままで結構です。」と仰って、そういう意味では苦労したことは何もなかったです。

池谷そうですか。そもそもこの映画は、どんなふうに起ち上がったのですか?

藤原この映画のそもそもの始まりは、三年前に、一人の男が私を訪ねてきたのです。それが後でわかると、中村館長の研究館で、生命誌の制作や広報を担当している男だったんですね。

池谷今、あそこで、カメラ構えている人ね。

藤原ええ。あの人から、ある日、いきなり電話があって、大阪から出て来て「実は、あなたに撮って欲しいものがある」と。僕は一回も会ったことも無い人だったんですが、彼に「私は大阪であなたの映画を観ました。それで、この人にお願いしようと決めました」と云われて。僕は、小さいときから理科や虫や顕微鏡なんかがとても好きなので「じゃあ」と云って引き受けたのが、この映画にまで拡大していったわけです。

池谷へええ。僕は、今日、この映画で楽しみにしていたことがあって、それは、今やっている、「ルンタ」という、チベット人の非暴力の抵抗を描いた映画のキャンペーンで、先日、盛岡へ行ったときのことです。会場で「ルンタ」を観ながら宮沢賢治のことを考えてたっていう人が二人もいたの。

藤原なるほど。なるほど。

池谷その後、この映画にも出てくる賢治の故郷の花巻へ行ったので、彼をよく知る人に、「宮沢賢治の精神って、一言で言うと何ですか?」って聞いたの。そしたら、「生きとし生けるものの幸せがない限り、個人の幸せはあり得ない」ということだって。まさに、チベット人の考え方なんです。その同じ精神が、この映画の中にずっと流れていますね。
僕、一つ、藤原さんに注文をつけるとすればね、中村さんと仏教者を対談させたら面白かったな。

藤原あああ。

池谷心の世界ですね。ダライ・ラマでもよかったかもしれない。

藤原確かに観てみたいですね。

池谷そんなことを考えるくらい、中村さんは、科学者なんだけれども、まさに哲学者であり、人生の求道者っていうかなあ、そんな感じがしましたねえ。

藤原そう。宮沢賢治という人は「ほんとうの幸せ」ということを、いつも自分に「問い」として立てていました。だからこの映画の中では、「ほんとうの幸せってどういうことだろう?」ということを、多方面から追求している人たちを隠し味として扱っているのです。

池谷映画は、「セロ弾きのゴーシュ」で終わるじゃないですか。あれはもう最初から決まっていたのですか?

藤原最初から構成が決まっていたわけではありません。しかし、この劇を構想していることはわかっていたので、私も頭の中で、途中で、何度か組んではバラし、組んではバラし、と試行錯誤して、そして最終的にこういう形に落ち着いたんですね。

池谷「セロ弾きのゴーシュ」は面白かったですねえ。これこそ、中村さんの仰る「物語」だなあって。ああ、映画が終盤でうまく物語になってきたなあっていう感じがして、それが、なかなかよかったですねえ。劇のメイキングで、中村さんの脇を固めている方々、チェロを弾いている方、皆さん素晴らしかった。

藤原人間も含めて、地球上に生まれたさまざまないのちの基盤は、水と風だと思います。この映画は、どんなところから入ってご覧頂いてもよいわけですが、これまでの環境論を一つ越えて、もっと深いところで38億年続いた新しい生命観を持って帰って頂けたら嬉しいです。そして、この映画を観て「悪くないじゃないか」と思って頂けましたら、是非、一人でも多くの方に広めていただければと思います。それでは、私の後輩でありますけれど、次々と話題作、名作を発表している池谷薫監督をゲストにお迎えしての今日のお話はこれで終しまいです。どうもありがとうございました。

トーク 中村桂子 × 伊東豊雄(建築家・本作出演)

ポレポレ東中野 2015年9月23日18時の回上映後

中村私は、ただ、「人間は生きものであり、自然の一部である」ということだけを言い続けています。伊東豊雄先生は、それを理解して下さって、それを具現化したすばらしい建物を建てていらっしゃる建築家で、とても尊敬しています。今、ご覧頂いた映画にもご出演頂きましたし、今日は、こんな夜遅くに来て下さって、どうもありがとうございます。

伊東ちょっと、もう一杯入ってまして(会場笑い)、そういうときのほうが本音が云えるかもしれませんのでお許しください。

中村人間は生きものだと云うときに、まず、食べていくところ、住むところというのは、どんな生きものでも必要ですよね。その意味で、人間も生きものとしての住処が必要だと思いますが、この頃、東京の街を歩いていると、これがほんとうに、生きものが住むところを求めたときの建物なのかしら? と疑問に思うことが多いのです。

伊東そうですね。僕は、田舎で育って、中学3年の時に東京に出てきました。

中村お生まれは長野県でいらっしゃいますね。

伊東はい。人生の大半を東京で過ごしていますが、子供のころからずっと東京に憧れ、建築を始めてからも、東京にすべての魅力があると思ってきました。ところが最近の東京を見ていると、どこも同じように再開発されて、一回、海外出張して戻ると、一つ高層ビルが建っているという印象ですね。中村さんが、今、おっしゃった、動物としての人間の感覚とはおよそ縁遠い、動物的感受性をすべて失っていくような均質な建築ばかりで、最近の東京に、かなり失望しています。やはり動物的感受性を失ったらもう人間じゃないですね。ですから、今日、皆様ご覧になられた映画に出てくる『科学者が人間であること』という、あの本のタイトルはまさしく「建築家も人間であること」という言葉にそっくり置き換えられるという気がして、「人間って何だろう?」そこからもう一回考え直さなければいけないという気がします。

中村私たちは住処が必要だけれど、自分で家を建てるわけにはいかないので、建築家に建てて頂いたところへ入るわけです。建築家の皆さんが伊東さんのように考えて下さったらよいのですが、建築界の大きな流れは、まだ大きな建物を沢山建てるというところにありませんか。私のささやかな願いとして、研究館は小さな組織ですけれど、仲間たちと「人間も自然の一部である」ということを解き明かす研究を一生懸命やって、なんとかこれで社会を変えたいという思いがあるのです。私たちだけで社会を動かせるとは思っていませんけれども、今回、藤原監督がつくって下さったこの映画を通して、少しでも変わって下さる方がいらしたらありがたいと思っています。

伊東僕は、せんだいメディアテークという建物を十数年前に完成させたときに、実は、中村さんに館長をお願いしたんですよ。そしたら今、大阪で研究館をなさっているので…。

中村ええ、両方はちょっとできない。

伊東と断わられてしまって、非常に残念だったんですけれど。だから中村さんのことは以前から尊敬をしております。今日の映画でも皆さんご覧になられて、まさしく『科学者が人間であること』というその言葉が、そのまんま画面に出ていましたよね。なんと云うか、普通のおばさん、お母さんじゃないか(笑)と思いませんか。酔った勢いに任せて言わせて頂きます(笑)。ご自宅のお庭で、ああいう風に草花を手入れなさったり、田舎の小学生と畑を耕されたりしている姿を拝見して、改めて、尊敬し直しました。

中村いや。もう、おばあさんですけれども。私は、この頃「普通の女の子の感覚」がとても大切だと思っているのです。

伊東映画に出てくる衣装がどれも可愛らしい。

中村いやいや。この頃、社会で、女性の活躍ということがよく云われます。でも、安倍首相の「活躍しなさい」は、権力を持ちなさい、地位を持ちなさい、それが活躍です。と云うように聞こえます。そうではなく、とくに女の人は、権力なんか、お金なんか無くてもいい。ほんとうに「生きる」ということはちゃんとできる社会であって欲しい。と、これは切実に願っていると思うのです。それが普通の女の子の願い。小さな女の子がおままごとをやっているときの気持ちが、この社会にとってほんとうに大事なのではないかと、とくにこのごろ強く思うようになったのです。だから今、伊東さんの仰った「普通」という形容詞は、私にとっては最高に嬉しい。普通がいちばんだと思っています。

伊東僕は、今回の映画で二つ感激したことがあります。一つは、先程少し申し上げたことで、可愛らしい女の子がそのまま大きくなったような中村桂子さんが、りっぱな科学者でありながらごくごく普通の人、一主婦なんですというメッセージ。もう一つは、38億年前に地球上に生物が生まれて以来、人間も、昆虫も鳥も魚も、ずっと関係を持ちながら暮らしてきたんだよ、ということ。そのことから自分の建築を照らしてみると、自分はなんて小さなことを考えているのだろうと。例えば、僕は、今、モダニズムの建築をどうやってのり越えて行けるだろうかと一生懸命考えています。でも、モダニズムって、建築の世界では、たかだか100年、広く考えても300年程のことですよ。38億年の中の300年って何だ? って思ったら(笑)、すごく気楽になれます。

中村そうなんです。気楽になれるんです。根っこができるという感じがするのです。私は、身の周りの生きものを見ても、どうしても38億年前に戻らないではいられない。そこに根っこを置いて考えることが、何をやるときにもいちばんの基本になると思います。

伊東人間も、自然の中で生きている小さな存在にすぎないということを考えると、いろんなことが自由に思われてくると云うか、自分のやっていることは、こんなに小さなことじゃないかという風に思えたときに、ああ素晴らしいなと思いました。

中村いちばん本質的なところを云って頂いて、どうもありがとうございます。

伊東酔っぱらっていると、結構、いいこと云うんですよ(笑)。動物ということで、僕は、家に柴犬を飼ってるんです。見ていると一晩に5カ所くらい寝場所を変えるんですよ。

中村なるほど。

伊東夏の暑い晩には、いちばん涼しいいところを探してね。でも人間は、とくにモダニズムの建築の中では、あなたはここに寝なさい、ここで食べて、ここでテレビを見なさいということが、機能という概念に従って決められているので、みんな年がら年中おんなじ所で食べたり、寝たりしている。そういう人間に比べて、犬の暮らしはすばらしいな、はるかに自由だなと羨ましく思います。

中村実は私ね、犬に近いんですよ。今年の夏とても暑かったわけですけれど、家に準備はしているクーラーはもっぱらお客様用で、日常家族は使ったことがありません。夏場は、窓を全部あけておくんですね。すると日によっていろいろな風の道ができます。その風の道に座って、本を読んだりするの。だからワンちゃんと同じでしょ。

伊東なるほど。そうやって人間が動物であるということをもう一回、どうやって取り戻せるかということがこれからの建築の大きなテーマなんです。

中村省エネのためとか、我慢してということではなくて、それで気持ちよく過ごせるのです。ワンちゃんは、それを知っているわけですね。

伊東人間も、動物に戻りさえすればそれが可能なんですよね。

中村そうそう。建築の方が皆さんそう考えた家を建てて欲しいのです。今、全部閉じる方向ですね。

伊東モダニズムの建築は、ヨーロッパから来た概念なので、自然との間をできるだけ切り離すことで断熱性能をあげて、省エネを計ろうとする。現代建築は基本的にその考え方で動いているわけです。でも僕は違うと思う。やはり、自然エネルギーをいかにうまく取り込むかによって省エネを計ると考えるほうが、日本人にとってはしっくり来ると思います。

中村気持ちがいいですよね。

伊東省エネルギーであるということと、生活の楽しさ、居心地のよさが同時に実現されなかったら継続するはずがないんですよね。

中村我慢して暮らすつもりはなくて、なるべく楽しく暮らしたいのですけれど、自然の風ってほんとうに気持ちがいい。

伊東その風をどうやって感じるかというね、まあこれは言うはやすくして、なかなかむずかしいことなんですけれど。

中村伊東さんは、映画の中でもいくつか出てきましたけれど、さまざまなチャレンジをしていらっしゃいますよね。

伊東はい。そうです。岐阜のメディアコスモスという建築は、7月にオープンしてちょうど今2ヶ月で、たくさんの人が利用してくださっています。岐阜は東京より暑いのですが、外気が40度近いときでも、館内はあまり強く空調をかけないで室温は30度近くあります。けれども非常に居心地がよいというコメントを頂いていて、とても喜んでいます。やや除湿をした空気が流れているのです。人々がそれに気づいたときに心地よいと感じる。やはりこれからの建築は、人間と自然とのつながりの中で、20世紀の科学が追求してこなかったようなことを考えていきたいですね。

中村ほんとうに仰る通りで、そういうものをどんどんつくってください。みんなが住み心地のよい場所がどんどん増えるように。へんな新国立競技場みたいな…(笑)。

伊東そうですよね、でもその話は今日は勘弁して下さい(笑)。

中村はいはい。

伊東新聞などで、ご覧になってるかも知れないんですが。

中村建築家のお一人として、あれは是非考えていただきたいと思っていますので。

伊東はい、頑張ります。

中村よろしくお願いします。よけいなことまで申しましたが、今日はほんとにどうもありがとうございました。


トークの後、出張生命誌展示の会場で来場者と語り合いました。