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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【わたくしはそのとほり書いたまでです】

2006.4.3 

中村桂子館長
 生命誌で考えていると、さまざまな分野の人、さまざまな時代の人と重なるところが多く、そこから学ぶことがたくさんあるのに驚くことがしばしばです。
 宮沢賢治もその一人で、共感したり、教えられたり、悩みがひしひしと伝わってきたり・・・さまざまなことを考えさせられます。とくに今回は、遠藤啄郎さんの演出、横浜ボートシアターのメンバーの舞台上での工夫によって、本で読んでいた宮沢賢治が、十倍も時には百倍も広がって見えるという体験をしました。
 今では宮沢賢治を知らない人はないでしょうし、作品のいくつかを読んだという方も多いと思いますが、生前出版されたのは“注文の多い料理店”だけだったのですね。私も今回初めてそれを知りました。今回の公演は、そのたった一冊の本につけられた“序文”の語りかけから始まりました。


 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
 わたくしは、さういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

大正十二年十二月二十日 宮沢 賢治


 劇場が暗くなり、少し明るくなった舞台で静かに語られるこの言葉を聞いているうちにジーンときました。ここ数回にわたって、やや理屈っぽく書いてきた私の気持は、まさにこれだったんだと思えたからです。本当に大切なものはなにかということがはっきり見えてきます。
 “ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです”
 わたくしの中からどうしようもなく出るものを語るのであって、アカウンタビリティのためのコミュニケーションなどというものではないということをこんなに素直に表現できるなんてすごいなと思います。こうなりたいと思います。
 “・・・わたくしにもまた、わけがわからないのです。けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんたうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。”
 本当にその通りと思います。すきとおった風、桃いろの朝の日光、かしはばやしの青い夕方。それらを思い、そこから生れる物語りをすきとおった食べものにする毎日を送りたいと思いませんか。

 
 
 【中村桂子】


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