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ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
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【「かたち」について】

橋本主税

私が扱っている研究の対象は「かたち」である。

一般に「かたち(構造)」とは構成要素の関係性であると表現される。だから、ひとつひとつの要素を単独でいくら研究しても大元の「かたち」にはたどり着かない。

こう書くとなにやら訳の分からない文章であるが、日常的にこの概念は広く使われている。囲碁の世界で二つの石が「前に二歩、横に一歩」に離れた位置にある場合、「桂馬のかたち」と呼ぶ。この「かたち」はそれぞれの石が単独で作り上げられるものではない。また、機械の歯車のように、ひとつひとつの石が特別な意味を持つのでもない。前の石があって初めて次の石は桂馬の形を作ることが出来る。ただそれだけのことである。まさに「二つの関係性」イコール「かたち」なのである。

「かたち」が成立すればそこに「意味」が成立するという考え方は分かりやすい。逆にいえば、意味づけをしなければ「かたち」は成立しない。単なる二つの石の並びに意味づけをして「桂馬のかたち」が成立している。

こう考えていけば、「かたち」は何も目に見えるものばかりでなくても良いことが分かる。互いの関係性に意味づけがなされればそこに「かたち」が成立すると考えても何も問題はない。これはアプリオリにそうだと主張するのではない。「かたち」をこのように定義することも出来るという程度のことである。

言語が「かたち」として認識できることはもうご理解いただけるだろう。「互いの関係性によって意味が成立する」と定義して真っ先に頭に浮かぶものは言語であるのだから。歴史的に見て、「かたち」を「関係性」と認識する考え方(構造論といいます)は、実は比較言語学の研究から初めて提唱された。構造論は、必然的に記号論へと発展する。

「かたち」に対応するもう一つの概念は「はたらき」である。異なる側面を見ているだけで、両者は本質的に同じ事であろう。「構造(かたち)無き機能(はたらき)は幽霊、機能無き構造は死体」とは養老孟司の言葉であるが言い得て妙である。

さて、言語は「脳の働き」として捉えることも出来る。神経細胞の複雑な回路からなる脳に特定の信号が特定の道順で流れた時に「意味」が生じる。この「意味」をひとつの体系に組み上げた「かたち」が言語であると言える。「言語がなければ思考はない」といわれるのもこのためであろう。脳の中で生じた「意味」が言語体系によって複雑に意味づけされる。この時に採用される言語の体系は必ずしも全く同じでなくても構わない。どのような言語体系を用いても、その体系によって単独の意味を高次の意味(意識)に形づくられればそれで構わない。したがってヒトは多数の言語を持つ。そして、言語はそれぞれが互いに直接的に翻訳出来るものではない。日本語に全く存在しない概念は日本人には感情的に理解できない。思考や感情がアプリオリに存在するのではないし、意味の体系化は用いる言語によって異なり、したがって思考や感情は用いる言語体系によってことなるのである。科学は客観的な証拠から新しい論理を作り上げていくので、誰でも同じ結果に至ると思いがちであるが、論理を作り上げる(思考する)過程が使用言語によって異なる。言語体系の確立には宗教観も大きく影響する。したがって日本人の思考には、望むと望まないとに関わらず、必然として仏教の影響を受けるのである。

先日、失読症についての興味深い話が新聞に載っていた。失読症とは、会話などに全く問題がないにもかかわらず、文字で書かれた意味を全く理解できない症例のことで、脳梗塞などにより特定の領域のはたらきが無くなると起こる。したがって当然の事ながら、健常者が読書をしている時には脳のこの領域が活発に活動している。失読症の研究は、実は欧米を中心にして盛んに行なわれており、実際に失読症患者では脳のどの領域に欠損があるのか分かっているらしい。今回、シンガポールの研究者が同じ研究をしたところ、今までいわれていたのとは全く異なる領域が読書に必須であるとの結論に至った。この結果の違いは何に起因するのであろうか?実は言語の違いであった。アルファベットによる表音文字により表現される文章と、漢字のような表意文字により表現される文章の違いである。読書という単純な行為ですら、欧文で書かれた本を読む時と、その邦訳を読む時で脳の働きが異なるのである。

さて、脳の成り立ちは欧米人と日本人で違いは生物学的な意味では無いであろう。したがってそれぞれの脳の領域が産み出す意味自体は等しい。では言語体系とはいったいどう考えればよいのであろうか?もしかしたら、それぞれの情報を処理する過程で、脳の各領域をどの順番で通らせるか、その順番が各言語の持つ「かたち」に相当するのかも知れない。その場合、ドイツ語でしか存在し得ない潜在的な規則が脳の中に書かれている事となり、日本語の体系を用いる時には日本語特有の順番で情報は脳の回路を走るのだろう。こう考えると、外国語の上手な人は、各言語の体系に合わせて回路の順番を変えられる人であり、苦手な人は、日本語の回路網で外国語の情報処理を無理にしているのかも知れない。

では、欧米人の失読症患者は訓練によって中国語を読むことは出来るようになるのかな?



[脳の形はどうやってできるのかラボ 研究員 橋本主税]

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