土着民

生まれ育った愛知県の刈谷市は、東に行くと岡崎市、北に行くとすぐ名古屋です。大学は名古屋大学、最初の勤め先が岡崎国立共同研究機構で、そしてまた大学に戻ったわけですから、僕の生活圏は出身地から半径30キロメートルの円におさまっちゃう。こんなに動いていない研究者も珍しいでしょう。研究室の若い人に、「先生は土着民ですね」って言われたことがありますよ。
目立たない、大人しい子どもでした。ソフトボールをやれば飛んでくる球がこわい、ドッジボールをやれば人に球をぶつけるなんてとてもできず、逃げるのが精一杯。でも虫を捕まえるテクニックには自信がありました。例えばセミを素手で捕まえる方法。20センチから30センチくらいのところまでごくゆっくり近づく。あとはえいと手を伸ばすだけでほぼ確実に捕まえられる。セミが動きを感じ、逃げるまでのタイミングを考えて編み出した技です。勉強でも、数学や理科など自分なりに考える教科は好きだったですね。鶴亀算の計算を自分で考えてついに解いた時は、それはうれしかったのを覚えています。

中学から高校にかけて、ラジオ作りと昆虫採集に熱中しました。町の部品屋さんに足しげく通って、中学最後の春休みには不眠不休で短波ラジオを作りました。遠い外国の放送も聞ける、当時としてはかなり本格的なものだったのですが、最後の調整に必要な測定器がなかったので、残念ながら最高の性能は出せませんでした。それで一段落し、熱は冷めましたが、このとき鍛えたハンダ付けの技は研究者となって実験装置をつくる時に役に立ちましたよ。また、細胞の中での分子のふるまいを電気回路のモデルで考える発想が、生物時計の仕組みを理解する上で重要な役割をしました。

高校では生物クラブに入って、蛾の夜間採集に精を出しました。白い布を垂らしてアセチレンランプを灯すと、あっという間に虫で真っ黒になるのです。愛知教育大学の昆虫学の研究室に出入りして、将来は昆虫学者になろうと思っていましたが、大学に入る頃には虫採りも止めてしまいました。この前久しぶりに夜間採集にでかけましたが、山林の様子はあまり変わっていないのに、数時間待ってもぽつぽつとしか飛んでこない。やっぱり環境は変わってしまったのだなと実感しましたね。

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中学生の時に作った真空管ラジオ。

小学生の時。父と。

人並みにソフトボールは好きだけど、球が来るのは恐い。

岡崎高校の仲間たち。岡崎市は自然が豊かで、昆虫採集に熱中した。(本人:右下)

電車に乗って昆虫採集へ。

若気の至り

ラジオと昆虫は大成しないまま趣味に終わり、僕の興味は、DNAと物理学に移りました。名古屋大学の理学部は入学の時に学科を決めなくていいので、教養部の2年間は両方を真剣に勉強しましたよ。ワトソンワトソンジェームズ・ワトソン。アメリカの分子生物学者。フランシス・クリックと共同してDNAの二重らせん構造を提唱。1962年ノーベル生理学・医学賞受賞。の『Molecular Biology of the Gene』の原書の初版が出た頃ですし、ジャコブの書いた『細菌の性と遺伝』はようやく翻訳が登場したのです。この2冊は僕のバイブルになりました。当時の理学部には、分子生物学に岡崎令治さん(元教授・故人)、生物物理に大沢文夫さん(現名誉教授)、量子力学に坂田昌一さん(元学部長・故人)、天文学に早川幸男さん(元学長・故人)と、生物学にも物理学にも魅力的な先生がおられ、専門を決める時はずいぶん悩みました。決心のきっかけとなったのは、臨海実習での体験です。海産無脊椎動物の多様性に目を見張り、ウニの発生を観察してやはり生物の見せる現象こそ面白い、これをDNAで解きたいと思ったのです。生物学科の講義はもちろんDNAが中心でした。僕が先に挙げた2冊のバイブルで勉強したことと同じ話ばかり出てくるのがおかしかったですけどね。

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DNAのことを学んだ2冊の本。

ところが4年生になって、DNAへの熱が冷めてしまったのです。1960年代の終わり頃、まだ組換えDNA技術はなく、原核生物の研究で足踏みしていた時代です。確かにジャコブとモノーの話は面白いけれど、それ以上のことをやるのは技術的に不可能でした。DNAは生きものの基本だけれど研究の使い物にはならないと思い込んだのは、僕なりに考えた末の結論ですが、今思うとまさに若気の至りでしたね。

Scientist Library:
生命誌49号
『物理で探る生きものらしさの源』
大沢文夫

大学4年の電気生理学の実験風景。高い木に登って電極を挿し、芽が吹く時の電圧変化を調べた。このとき習った微小な電圧変化を増幅する装置の設計原理が、生物時計のモデルを考えるのに役立った。(本人:中央)

生物時計と出会う

大学院の願書を出す直前、植物生理学の講義で生物時計の話を聞きました。植物には日長の変化が開花の引き金となるものがありますが、「日の長さ」を感じるためには長さの基準となる物差しを生物自身が持っていなければなりません。これがすなわち「体内時計」であり、この時計にしたがって生物が自律的に活動するのが概日リズム(サーカディアン・リズム)です。

そもそも、「体内時計」の存在という仮説の検証は、ハエのサナギに光を当てて羽化する時刻がどう変わるかを見るという、古典的な実験で行われていました。しかし、時計をブラックボックスとして扱い、光刺激というインプットと、アウトプットとしての生物現象からモデルの確からしさを検証するという考え方が気に入って、生物時計をテーマにしたいと思ったのです。

当時の僕は、DNA研究は壁に当たり、かといって細胞をすりつぶして何万種類もあるタンパク質一つ一つを調べても僕が生きている間に果たして何がわかるかと思うと気が遠くなると思っていたのです。生物時計の研究は生物学よりもむしろ物理学の方法論に近く、これこそ「考える生物学」だと思いました。そこで、大学院は、植物生理学の講義をされた太田行人先生の研究室に決めました。

生物時計に惹かれたもう一つの理由に、大学紛争がありました。医学部が象牙の塔でいいのかという問題提起から始まった運動ですが、それは理学部にも無関係ではない。研究者になって面白い研究をしたいとは思っていたけれど、研究室に閉じこもっていていいのかという気持ちが生まれ、科学が社会の中でどういう意味を持つのかという問いを考えざるを得ませんでした。よい答えは出せなかったけれど、学位を取って出世して教授を目指すとか、科学者として名声を得ることには興味がないことは、その時はっきり自覚しました。生物時計の存在については、生物学者でさえ懐疑的だった時でしたけれど、自分が本当に面白いと思ったのはこれなのだからたとえ学位が取れなくても構わないという気持ちでした。

生物時計に魅かれて太田行人先生の研究室に進学。

名古屋でも激しい大学紛争が起きた。学生と対峙する機動隊。(本人撮影)

登山と研究

太田さんは、「植物の一生で面白いのは、芽生えと花が咲く時と死ぬ時の3つだ。自分はこの順番に研究する」と言っておられました。宣言通り芽生えの研究をされたあと、アサガオの花ができる時に葉で特定のmRNAが合成されるという成果を発表され、名古屋の分子生物学の立役者の一人となった方です。しかしその後また生理学に戻られ、日長に反応して花が咲く現象に着目し、生物時計に取り組まれたのです。この履歴にも、共感を覚えたのかもしれません。

研究材料のウキクサは、日長が長くなるのを感じて花を咲かせます。水に浮かんだ4枚の葉の間に花の原基があるので、光条件や温度条件を変えた時に花の数がどうなるかを顕微鏡下で解剖して数えました。

まず、ウキクサを昼に培養液から蒸留水に移すとその後の開花が抑制されるのに、夜に同じ事をやっても開花への影響がないことを見つけました。つまり、環境変化への対応が1日のリズムで異なるわけです。ここで、サイクリックAMP(cAMP:cAMP環状ヌクレオチドの1つで、ATPから合成される。ホルモンなどの作用を受けた細胞内で合成され、これが細胞応答の引き金となることから、細胞外のシグナルに対するセカンドメッセンジャーと呼ばれることもある。)という分子を投与すると、開花の抑制現象が見られなくなることを発見しました。動物ではcAMPが、外からの刺激を伝える際に細胞内ではたらく分子として注目されていたので、植物で調べてみたのです。

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最初に取り組んだ生物時計のモデル生物ウキクサ。右に浮かんだ葉(正確には茎が変化したもの)の間から、小さな白い花が上を向いて出ている。

修士の研究はこれでスムーズに進んだのですが、昼と夜でウキクサが合成するcAMPの量に違いがあるか否かの測定を始めたら全くうまくいきません。いろいろな不純物の混ざった細胞抽出液で測定するとそれらしい値が出るのですが、精製したcAMPの場合はきちんとしたデータが出ないことに気づいたのです。他の研究者が出している論文は、精度の低いデータで書かれたものだったのです。そんなものを出すわけにはいかないと自分に言い聞かせました。そもそも学位がとれるかどうかにはそれほど関心がありませんでした。大学院に入ってから登山を始め、研究室にいる時は研究に集中するけど、自然相手に体を動かすことも大変おもしろいものだとあせらず過ごしていました。

大学院は研究と登山に打ち込んだ。最後の年は、「ちょっとヒマラヤに」と太田先生に一言。

ちょっとヒマラヤまで

とはいえ、博士課程の3年間の結果がすべてネガティブデータに終わった時には、さすがに別のことを考えなければならないと思いましたね。そこで、最初に見つけた「蒸留水に移すと花が咲かなくなる」という現象を違った視点で見直しました。改めて蒸留水を調べると、ウキクサから放出される電解質の量に昼と夜で変動がありました。大事なのはcAMPではなく実はカリウムイオンだったのです。カリウムイオンの放出と吸収に1日の周期があるのではないかと考え、一定の速度でカリウム溶液がゆっくり流れる培養装置にウキクサを入れ、上流と下流でカリウムイオン濃度を測定する装置を自作しました。カリウムイオンの吸収量にきれいな概日リズムがあるのを確認した時はほっとしました。このときのアイデアは、細胞をこわさずに観察できるシンプルな現象で概日リズムが見られるものを探し、それを24時間自動で測定するというもので、そのための装置を作ったのです。この後ずっとこの方法論を基本に、生物時計というブラックボックスに取り組むことになりました。

学位取得後、オーバードクターとして研究室に残っていた1977年の暮れ、太田先生から、岡崎にできたばかりの基礎生物学研究所に移るので助手として手伝って欲しいと言われました。突然の提案に驚きましたが、逆に「その前に3ヶ月留守にしてヒマラヤに行ってきてもいいですか」と尋ねたんです。今度は先生の方がきょとんとされていましたが、ヒマラヤ行きは登山の目標として以前から計画していたものだったのです。準備万端でカラコルムに出かけ、成功して帰ってきた時は充実感もありましたが、その時には僕にとって一番楽しいのは研究だとも思いました。そこで登山はこれで一区切り、後は研究に没頭する生活となりました。

岡崎市の基礎生物学研究所にて。左端は太田行人先生、右隣は本人。

基礎生物学研究所での実験風景。

もう一度DNA

基礎生物学研究所では、太田先生が退官されたあともウキクサのカリウムイオン吸収のリズムを追い続け、論文もたくさん書きました。しかしウキクサではブラックボックスにこれ以上近づくことはできないこともわかってきました。

当時、リズムを示す生命現象の記述は幾つかありましたが、その現象がリズムを生み出す原因なのか結果なのかが問題です。実は、今振り返ってみるとほとんどが結果にすぎなかったのです。つまり時計の針の動きを見ているだけで、時計がどうして動くのかに迫れていないのです。僕が見つけたカリウム吸収のリズムも、残念ながらすでに存在するリズムの下流の現象でした。

この行き詰まりを打破できるのは、生理学ではなく遺伝学だということははっきりしていました。これぞ生物時計の変異体だと思われるものがアカパンカビとショウジョウバエで見つかっていました。それらは、概日リズムが消えるだけではなく、その周期が長くなるなど明らかに時計を動かす仕組みに異常があったのです。原因遺伝子の同定作業はなかなか進まなかったのですが、ついに1984年、ショウジョウバエの概日リズムの変異体periodの遺伝子がクローニングされ、perと名付けられました。

当時は、僕のような遺伝子操作の素人からみれば多細胞生物の遺伝子クローニングは神業のようなインパクトがありました。「時計遺伝子の配列を見たら時計の絵が描いてあるんじゃないか」とその絵を思い浮かべ、これで生物時計の謎が解けるんじゃないかと思っていましたね。実際には時計遺伝子がつくるタンパク質のアミノ酸配列がわかっただけで、謎解きはこれからだったのですが、この発表には焦りましたね。生物時計の研究を続けるには、アカパンカビやショウジョウバエに対抗できる新しいモデル生物を見つけて、昔あきらめたDNAにもう一度目を向けなければならないと決心しました。

概日リズムは真核生物で成立したというのが当時のドグマだったので、その中で遺伝的解析が可能な生物を探し、まず取り組んだのが単細胞藻類のクラミドモナスです。古くからリズムの変異体が存在することが報告されていたのですが、誰も手を着けていない。そこで挑戦したのですが、モデル生物とするには技術的に困難なことが多く、遺伝子にたどり着くのは非常に難しいことがわかり、数年であきらめました。ただこのとき海外の多くの生物時計研究者と知り合う機会があり、これが次の進展につながりました。

クラミドモナスの共同研究のために訪れたハーバード大学のヘイスティングス博士は、渦べん毛藻の発光にリズムがあることを報告していました。発光を測定するだけでリズムがわかるというシンプルな実験系です。またアメリカの学会で、ルシフェラーゼ遺伝子ルシフェラーゼ遺伝子ホタルやウミホタルなどが示す生物発光の化学反応を触媒する酵素の総称。基質である発光物質はルシフェリンと呼ばれる。を組換えDNA技術を用いて植物に導入し、本来発光しない生物を光らせることに成功したという話を聞いたのもこの頃です。発光レポーター遺伝子の導入というアイデアです。生きたままリズムをはかるのには、発光現象がもっともふさわしいと思いました。

助手仲間の飲み会。(本人:右端)

生物発光のアイデアをもらったハーバード大学のヘイスティングス博士(左端)。(本人:右端)

シアノバクテリアを飼いならす

岡崎に帰り、遺伝子クローニング技術で新しいテーマを探していた同僚の石浦正寛さん(現名古屋大学教授)にこの話をすると、彼も興味を持ってくれました。最初のターゲットは酵母。真核生物で遺伝子も扱いやすいのですが、リズムは見られませんでした。いちおう大腸菌もためしましたがやはりだめ。時間を無駄にしたなと思っていたとき、シアノバクテリアの光合成を調べていた研究者たちが偶然、代謝反応にリズムがあることを見つけたという報告を聞きました。

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シアノバクテリアを用いた生物時計の研究。単細胞の原核生物であるシアノバクテリアは、液体で培養することも固形培地上でコロニーを形成させることもできる(左)。シアノバクテリアゲノムに発光バクテリア由来の発光酵素遺伝子(luxA:luxB )を組み込み、概日リズムを細胞の発光として観察できる実験系を開発した(右)。

生物時計は真核生物にしか存在しないという思い込みが強かったので、始めは誰も注目していませんでしたが、精密に測定された結果を見ると確かにリズムを持っているのです。幸いシアノバクテリアの研究者スーザン・ゴールデン博士から発光遺伝子を組み込んだ株をもらうことができたので、発光を測定する装置を半年かけて自作するなど、着々と実験環境を整えました。本当にうまくいくかどうかはわからないのですが、こういうときはとにかく信じて準備するしかありません。最初はなかなかはっきりしたリズムを示さず、培養条件を工夫するなど試行錯誤が続きました。

このとき思い出したのは、大学院生の時にウキクサの実験がうまくいかなかった時に太田先生から言われた「君はまだまだウキクサのかわいがり方が足りないね」という言葉です。興味のある生理現象を引き出すには、生きものを飼いならす必要があるという意味で、生きものの身になって考えどんな環境がいいのか、栄養条件や光の当て方を一つひとつ吟味していくと、いつかは応えてくれるものです。

生物時計の研究は24時間周期の変動を見なければならないので、徹夜することが多いのですが、不眠不休の実験では疲れ果てて他に何もできなくなります。リズム測定を自動化する装置の開発を早くから考えていたのはそのためですが、自動化によって同じ個体のリズムを何度も測定して実験精度を上げたいというねらいもありました。とにかく苦労が実って発光レポーター遺伝子を組み込んだシアノバクテリアで明確なリズムを確認できたときは、ついに見つけたと思いました。この時ばかりは夜通し見ていました。これが僕が徹夜で実験した最後の機会でしたね。

自作のシアノバクテリアコロニー発光自動測定装置。記録ソフトも自分で組んだ。

時計遺伝子kai

まず液体培養でのシアノバクテリアの発光リズムの観察に成功し、次に寒天培地上で生やした一つひとつのコロニーの発光を測定できる装置を工夫しました。1細胞に由来するコロニーの発光が見えれば、周期がおかしくなった変異体を簡単に集められるからです。1枚の寒天培地で1000個ほどのコロニーが生えますから、10枚を同時に観察すれば1万個体のリズムが見れます。自動記録のためのコンピュータプログラムも自作しました。こうして、変異原に曝した細胞を培地に蒔き、この中から他の個体とはリズムの周期が異なる変異体を見つけていったのです。数ヶ月のうちに50ほどの変異体を集めることができ、いよいよ生物時計のブラックボックスを開くことができると興奮しました。

変異体の表現系にはいくつかのパターンがありました。周期が短くなるもの、長くなるもの、無くなるもの、周期の山の形が異なるものなどです。たくさんの変異体の中には、同じ遺伝子に変異が入ったものも当然あるでしょうが、それでも10個くらいは時計の中のそれぞれ違う遺伝子が含まれているのではないかと想像しました。

ところが意外や意外、すべての変異はゲノムの1つの領域だけで起きていたのです。多くの時計遺伝子が得られるだろうという予測は見事に外れ、重要な遺伝子は1つだけだということです。石浦さんを中心に海外の研究者とも協力してDNA配列を調べたところ、結局1つのオペロンオペロン原核生物における、遺伝子発現の調節を受ける単位。機能的に関連する複数の遺伝子がゲノム上で隣接して存在し、1つのオペロンを構成する場合が多い。が見つかり、ここに3つの遺伝子がありました。そこで、回転の「kai 」をとってkaiAkaiBkaiC と名付けました。名前を発表したときは「kondo and ishiura か?」と言う人もいましたけどね。kaiC遺伝子がつくるタンパク質がもっとも大きく、さまざまな変異もそこに集中しており、これが時計が回るのに中心的な役割を持つようでした。

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変異体の解析で明らかになったkai 遺伝子群の構造。kaiA 、kaiB 、kaiC 遺伝子は1つのオペロンを形成しており、kaiC のつくるタンパク質が最も大きく、変異もここに集中していた。

kai 遺伝子の解明に協力した仲間達。左から、石浦正寛博士、スーザン・ゴールデン博士(米国Texas A&M大学)、カール・ジョンソン博士(米国Vanderbilt大学)、本人。

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シアノバクテリアのさまざまな生物時計変異の特徴。発光リズムの周期が短くなるもの、長くなるもの、無くなるものなど多数の変異体が得られた。

試験管でリズムを見せる

ショウジョウバエの概日リズム変異体研究から、リズムは転写制御のネガティブフィードバック・ループネガティブフィードバック・ループ電気回路や生体などの反応系において、出力(結果)が再び入力(原因)に作用することをフィードバックループという。出力の増加がさらなる入力を促進する場合がポジティブフィードバック、逆に出力の増加が入力を抑制する場合がネガティブフィードバックである。によって生じるというモデルが出されていました。ショウジョウバエの時計遺伝子per は転写因子ではありませんが、per が発現して生じたタンパク質が機能し始めると、それが間接的にper 自身の転写を抑制します。perタンパク質が次第に分解されて量が減ると転写抑制が効かなくなり、また発現が上昇します。これがくり返されるわけです。転写因子はそれほどたくさんつくられる分子ではなく、この転写と翻訳を介したフィードバックによってperタンパク質の量は大きく変動し、それがスイッチのようにはたらいて細胞のリズムを生む。これがショウジョウバエでの説明です。

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Kaiタンパク質がリズムをつくるモデル。日中(図の左半分)はKaiCタンパク質は単独で存在しているが、夜間(図の右半分)はKaiA、KaiBタンパク質が結合し、KaiCのリン酸化(P)の程度を制御している。

ところが私たちの発見したKaiCタンパク質は、どう見ても転写因子ではありません。しかも少ない時でも細胞内に1万個くらい存在するようなので、その数の変化でリズムを生むとは考えられません。転写翻訳モデルとは異なる仕組みを探さなければならなくなりました。もう一つ、従来のモデルの問題は、どのようにして周期が24時間となるのか、さらにその周期がなぜ温度の影響を受けないのかが説明できないことです。単にリズムがあれば良いのではなく、この2つの性質があってはじめて生物は時間を測ることが可能なのです。kaiC の変異で周期が大きく変わるわけですから、Kaiタンパク質の機能を知り、新しいモデルを考える必要があります。

そこで調べてみると、夜間にはKaiCはKaiA、KaiBと大きな複合体を形成しており、KaiAとKaiBがKaiCタンパク質のリン酸化タンパク質のリン酸化タンパク質を構成するアミノ酸のうち、セリン、スレオニン、チロシンの水酸基(-OH)がリン酸基に置換すること。細胞内シグナル伝系では、リン酸化を受けたタンパク質は活性化(もしくは抑制化)し、そのシグナルを他のタンパク質に伝える。を制御し、KaiCに結合するリン酸の量がリズミカルに変動していることを大学院生の岩崎秀雄さん(現早稲田大学准教授)が見つけました。さらに大学院生の冨田淳さん(現日本学術振興会特別研究員)が、転写や翻訳が全く起こらない暗黒条件下でもリン酸化リズムが見られることを発見したのです。転写翻訳モデルを根本から覆す結果で驚きましたね。この論文を出し、暗黒下の細胞で何が起こっているか調べようかと考えていた時に、ポスドクの中嶋正人さん(現理化学研究所発生・再生科学総合研究センター研究員)と西脇妙子さん(現名古屋大学研究員)が、KaiA、KaiB、KaiCタンパク質だけを試験管に入れてもリズムが生まれるようだというさらに驚く結果を持ってきました。世界で初めて、細胞を離れて概日リズムを再現することに成功したのです。

これらの結果は生物時計の分野でもちろん高く評価されましたが、化学者もタンパク質の新しい機能として注目してくれました。この一連の研究では、人生驚きの連続だなと思ったものです。

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世界で初めて試験管内で概日リズムを再現した実験。3つのKaiタンパク質とリン酸基の素となるATPを混ぜ、2時間おきに溶液の一部を回収する作業を3日間続けた。集めた試料を電気泳動法で分析すると、KaiCのリン酸化と脱リン酸化が24時間周期に起きていることがわかった。

時計遺伝子の講義風景。結果が原因に影響を与える「フィードバック」の概念を説明するには、電気回路のモデルが都合が良い。

生物時計から細胞と進化の理解へ

誰もが複雑な仕組みを持っていると思っていた概日リズムが、3つのタンパク質の作用によるものだという証明はできました。しかしこの3つのタンパク質が細胞全体としての概日リズムをどう実現しているか、まだまだわからないことがたくさんあります。

概日リズムの特徴は、温度変化によってリズムの周期が変動しないことにあります。試験管の中と違ってさまざまな分子がひしめき合う細胞の中で安定したリズムを保つ仕組みを知るには、細胞をシステムとして解明することが必要です。また生物時計は自律的な現象といいながら、光などの適切な刺激で時計をリセットできます。たとえば、人間の生物時計は正確には24時間よりも短いのですが、朝の光を浴びることで自律的なリズムと地球の自転が合うわけです。このリセットという現象も根本的にはわかっていません。いまはまだ、Kaiタンパク質という部品を組み合わせて時計を作っただけで、部品がそもそも何をしているのかすらわかりませんし、ましてや部品が動く原理もまったくわかっていないのです。

僕は本当は、生物時計のシステムを理解したあとに、生物が地球上で生きていく上でなぜ時計を必要としたのか、生物時計がどのように機能を獲得していったのかという進化の問題に取り組むつもりでした。でもこの調子でいくと定年まで生物時計の仕組みのことだけで精いっぱいだと思いますね。まあやれることを楽しんでいこうと思います。

生物時計研究の先駆者を記念して創設されたアショフ・本間賞を受賞。アショフが使っていた「モノサシ」は生物時計の研究者間でリレーされるならわし。

初心忘るべからず

生物に時計があるということすら信じてもらえない時代からこの問題に取り組み続けてここまできました。大学の入学式で学部長だった坂田先生が言われた「初心忘るべからず」という言葉を思い出します。その時は大科学者が何てありふれたことを言うんだろうと思いましたが、好きな気持ちを持ち続けることの大切さを言われたのだと、今はよくわかります。

研究には、もちろん苦しい時や方向転換せざるを得ない時があります。若い人には、この世界でやっていくのに必要な「好きさ加減」は決して生やさしいものではないのですよ、でもそれを持ち続けて行って欲しい、それが研究だと伝えたいですね。

(文責 山岸敦)
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生物時計研究を支えるオリジナル装置。すべて自分で組み立てたか、自分で設計したか、自分でプログラムを組んだもの。

毎年自宅で研究室の忘年会を行う。お手製のパエリアとけんちん汁を夫婦で配膳。

中日文化賞・朝日賞などの受賞を記念し、研究室OBも駆けつけお祝い会。