表現スタッフ日記

表現スタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

2019年8月1日

トマトの美味しい季節に

村田 英克

「ゆつくりと 風に光を まぜながら 岬の端に 風車はまはる という歌を読んで、風と光がまざるという感覚が自分のものになってきました。」と語る中村館長に「歌にはものの見方の多様さに気づかせてくれる力があって、一首知っているだけでも日常をとても豊かに感じることができます。」と応えたのは、短歌の作者、細胞生物学者・歌人の永田和宏先生でした(季刊「生命誌」70号TALK)。

話は変わって、私は、ある晩、食卓にのぼったプチトマトのスープ(写真)を目にした際、季刊「生命誌」89号の「トマトの実を育む細胞壁の変化(岩井宏暁)」と同時に、なぜか先述の対話を想起しました。その時、意識にのぼったのは、私たちの季刊「生命誌」の記事の一つ一つが、永田先生の言う「歌」として「日常を豊かに感じ」られるものであって欲しいという思いでした。

トマトの側では、熟した果実の中には発芽率の高い種子があり、鳥や動物に散布してもらいたい。だから実を美味しく、実をもぎ取りやすく、そうするために各所の細胞の性質を変えるという植物進化の知恵がトマトの中には詰まっている。もちろん、そんなトマトの側の事情を知らなくても、農家の方の力もあってトマトは美味しいわけですが、生命誌を知っていると「美味しい」という体験の深さや覚悟が変わってくると思うのですが、いかがでしょうか。

もう一つ、トマトで思うのは、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」に「トマト」や「キャベジ」がでてくること。BRH20周年記念に「生命誌版セロ弾きのゴーシュ」を舞台化しました。今年の夏休み、子どもたちと一緒にこの記録映像を楽しむ出前鑑賞会を行っていて、その時、話題にする一つですが、今、トマトもキャベツも比較的手に入りやすい食材の一つですね。ところが農作物としてトマトやキャベツが今のように普及したのは戦後のことのようですから、賢治の時代の人々の日常感覚として、トマトが普通にお野菜として受け止められたかどうかは疑問です。これは、仏法を拠り所にしながらも西洋の新しい科学や文化を取り入れ、農と物語とを通して「ほんとうの幸せ」を求めた賢治の先鋭的な試みが、彼の物語に突出している部分だと思えてなりません。

実は、昨日の上映会で子どもたちと一緒にスクリーンを見ていて初めて気づいたのですが、夜毎に訪ねてくる動物とゴーシュとの掛け合いには必ず「食べる」という主題がでてくるのです。動物と人間との対話は、最初の訪問者である猫が「これおみやです。食べてください」とトマトを提示するところから始まります。二日目の晩は、しつこいカッコウに腹を立てたゴーシュは「むしって朝飯に食ってしまうぞ。」と床を踏み。三日目の晩、「おまえは狸汁ということを知っているかっ。」と仔狸を威嚇。最後は「その腹の悪い子にやるからな」と、優しく野ねずみの子に戸棚のパンを分け与えます。生きるために「食べる」は切実な問題です。「よく生きる」ためにどのように「食べる」か。これも『フランドン農学校の豚』や『ビジテリアン大祭』に通じる賢治の主題ですが、生命誌を考える切り口の一つでもあると思います。

最後は「いただきます!」の紹介です。これは10月に開催する今年の「生命誌を考える映画鑑賞会」のテーマです。生命誌のドキュメンタリーのほか、このテーマを、映画を通して深く味わっていただけるようにと考えて番組編成をしました。今日、その予告ページを整えましたので、是非、ここをクリックしてご覧ください。

プチトマトスープ

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