年度別活動報告

年度別活動報告書:2001年度

DNAから見たメキシコ産イチジクコバチの系統関係

蘇 智慧(研究員、代表者)

飯野 均(阪大院生)

中村桂子(副館長)

 

はじめに

 昆虫は地球上最も多様化している動物群で, 生物の多様化(進化)の要因解明するための格好の材料である。われわれはこれまで世界中のオサムシの多様化(進化)の道筋を DNA 系統解析によって探ってきた。「動」の進化、「静」の進化、平行放散進化、地史との関連など生物の進化を理解するうえ、極めて重要な知見が得られていると考える。これら膨大な研究成果を順次専門誌などに公表してきた。オサムシ進化の全体像をまとめた論文が昨年国際誌 Journal of Molecular Evolution に印刷され、また、この研究の集大成として和文研究書 「DNA でたどるオサムシの系統と進化」も完成した。一方、オサムシの研究で得られた、多くの興味深い現象をさらに究明していくためには、昆虫と関わる生態環境、つまり昆虫の多様化に対する環境の影響を理解する必要がある。言い換えれば生物の多様化を解明するには、時間軸にある多様化の歴史と空間軸にある相互関係両面から探らなければならない。昆虫の多くは植食性で、植物と密接に関係しながら生活しており、多様化の過程でも両者が互いに影響を与えている(共進化、coevolution)。中ではイチジク (genus Ficus) とイチジクコバチ (family Agaonidae) との関係は特に興味深い。熱帯域を中心に約 750 種類のイチジクが知られており、それらが実に巧妙な受粉システムを持っている。イチジクの花は「果実」のような器官(花嚢:花の集合体)の中に集まって隠れ、その花嚢の先端にある小さな穴を通して花粉を運んでいるのはイチジクコバチである。昆虫にとって「お墓」の花とも言われるイチジクの花嚢に入って花粉を運ぶ報酬としてイチジクから受精した胚珠の一部を餌としている。さらに興味深いのは1種類のイチジクに1種類のコバチのみが花粉を運んでいることである。このような安定したイチジクとイチジクコバチの共生関係がどのように築かれてきたかを両者の DNA 系統解析によって解明していきたい。これはオサムシの研究成果を生かした、われわれの新たな研究テーマである。今年度は主としてメキシコ産の 2 亜属のイチジクから採集されたイチジクコバチの解析を行った。

 

結果と考察

オサムシ研究書の作成

 1994 年に開始、約 7 年にわたるオサムシ研究プロジェクトの集大成として、その膨大な研究成果を纏めた和文研究書「DNA でたどるオサムシの系統と進化」は哲学書房から出版されることになった(2 月に出版予定)。夏頃から始めた本作成作業は、オサムシ研究グループのうち、大澤、蘇、井村 3 人で原稿作りを分担し(主として大澤)、大量の系統樹を含む図版などの作成は蘇が担当した。114 点の図版(うち大部分はカラー)を含む約250ページで構成されるこの本は、これまでのオサムシ研究成果のすべてを含み、オサムシ研究の道のり、材料の収集と採集記、分子系統樹、オサムシ亜科の系統と分布、オサムシ亜科の系統各論、分子系統からみたオサムシ亜科の分類再構成、日本列島のオサムシ相の成立、日本のオサムシ各論、オサムシの多様化のパターン、オサムシの系統と分類など10 章に分かれて分子系統の基礎知識からオサムシの分類、多様化のパターンまで広く論じている。昆虫の分野にとどまらず進化など生物学一般にも興味を持たれるように分かりやすく解説しており、その反響が期待される。

 

【図1】28S rRNA遺伝子によるイチジクコバチの系統樹 学名はイチジクの種名で、その前の番号は産地を示す。

 

 

イチジクコバチの分子系統解析に使用する遺伝子の探索

 オサムシの系統解析には、主としてミトコンドリア ND5と COI 遺伝子を用い、補助的に核rRNA遺伝子(28S rRNA, 18S rRNA, ITS)やトレハロースを分解する酵素遺伝子trehalaseなども使用した。イチジクコバチ類の系統解析にはこれらの遺伝子が使用できれば一番の近道だが、まずこれらの遺伝子の塩基配列を決め、コバチ類の間にどれくらいの差が出るかを調べなければならない。塩基配列間の違いが多すぎることも少なすぎることも信頼のある系統解析が出来ないからである。オサムシ系統解析に用いたプライマーでイチジクコバチの DNA を PCR 法により増幅させた結果、28S と18S rRNA 遺伝子はほぼ問題なくDNA断片が検出され、ITSも一部のサンプルでは増幅が確認された。しかし、ミトコンドリア遺伝子では ND5 もCOIも増幅が認められなかった。そこで遺伝子バンクからハチ類のミトコンドリアDNAの塩基配列を取り出してアライメントし、共通する部分の配列に基づいてプライマーを設計し直した。最終的に COI 遺伝子の一部(約1kb)を増幅できるプライマー作成に成功した。これらの遺伝子の塩基配列を調べた結果、28S rDNAは属間、mtCOIは種間の系統関係を解明するのにそれぞれ適切していることが判明した。

 

 

核 rRNA 遺伝子によるメキシコ産イチジクコバチの系統関係

 イチジク類は桑科 (Moraceae)、イチジク属 (Ficus) に分類される木本植物で、全世界の熱帯域を中心に約 750 種が知られている。イチジク属は雌雄同株或いは雌雄異株などの特徴から形態学的に 4 亜属 (Pharmacosycea, Urostigma, Ficus, Sycomorus) に分類され、またSycomorusを除いた他の3亜属はさらに複数の節 (Section) に分けられている。一方、イチジクコバチ類はイチジクコバチ科 (Agaonidae)として纏められ、幾つかの亜科に分けられている。そのうちのひとつはイチジクに花粉を運ぶコバチ(以下送紛コバチ)により構成されるイチジクコバチ亜科 (Agaoninae)だが、他の亜科に分類されるものはすべて送粉しないコバチ(以下寄生コバチ)である。1種類のイチジクには複数種類の寄生コバチは確認されているが、送粉コバチは1種類のみ、つまりイチジクと送粉コバチは1種対1種の関係である。従って、送粉コバチの種数はまだ完全には確認されていないが、イチジク類に相応した数にのぼると思われる。また送粉コバチは形態学的に複数の属に分類されている。今回はメキシコ産のPharamacosycea 亜属(4種)とUrostigma亜属(14種)の複数の地域のイチジクからコバチのサンプルを採集し、それらの系統関係を核rRNA遺伝子を用いて調べた。28SrRNA遺伝子の系統樹では、送粉コバチはまず寄生コバチと分かれ、1つ独立した単系統を形成し、更に2つのグループに分岐した。これら2つのグループはイチジクの2亜属 (Urostigmaと Pharmacosycea) とそれぞれ一致することが分かった。このことは送粉コバチの種分化はイチジクの亜属レベルでは植物と同歩的に起きており、共進化の結果であることを示唆した。一方、寄生バチの方は分岐が古く、イチジクの 2 亜属に一致した2系統の存在は認められなかった(図1)。

 

 

mtCOI 遺伝子によるメキシコ産イチジクコバチの系統関係

 28SrRNA遺伝子の系統樹をみると分かるように、送粉コバチと寄生コバチの関係と、イチジク亜属レベルでの送粉コバチの関係は明らかになったが、各イチジク亜属内の送粉コバチの系統関係(種間関係)は、塩基配列の差が少ないため必ずしも信頼のできるものが得られているとは限らない。したがって、核遺伝子より進化速度が速いミトコンドリア遺伝子を用いてこれらのコバチの系統関係を調べた。上にも述べたようにこれまで使用してきたND5やCOIなどのプライマーはコバチのDNAを増幅させることはできなかったが、種々なプライマーを設計し直したところ、約1kbのCOI 遺伝子断片を増幅できるプライマー作成に成功した。COI遺伝子を用いて作成した系統樹は図2に示している。その結果は核遺伝子から得られたものと基本的に同じで、送粉コバチは単系統であり、イチジクの2亜属に一致した2つのグループに分かれている。一方、寄生コバチは核遺伝子の系統樹では単系統として纏まっているが、mtCOI遺伝子の系統樹では必ずしも単系統ではないことが示されている。つまり送粉コバチは寄生コバチを含めたイチジクコバチの多数の系統の中の1つであり、寄生コバチと2分岐したのではないことが示唆されている。また種間レベルの送粉コバチの系統関係について2つ興味深いことが判明した。

 

(1) Urostigma イチジク亜属から採集した送粉コバチの一斉放散

 28SrRNA遺伝子の系統樹をみると分かるように、送粉コバチと寄生コバチの関係と、イチジク亜属レベルでの送粉コバチの関係は明らかになったが、各イチジク亜属内の送粉コバチの系統関係(種間関係)は、塩基配列の差が少ないため必ずしも信頼のできるものが得られているとは限らない。したがって、核遺伝子より進化速度が速いミトコンドリア遺伝子を用いてこれらのコバチの系統関係を調べた。上にも述べたようにこれまで使用してきたND5やCOIなどのプライマーはコバチのDNAを増幅させることはできなかったが、種々なプライマーを設計し直したところ、約1kbのCOI 遺伝子断片を増幅できるプライマー作成に成功した。COI遺伝子を用いて作成した系統樹は図2に示している。その結果は核遺伝子から得られたものと基本的に同じで、送粉コバチは単系統であり、イチジクの2亜属に一致した2つのグループに分かれている。一方、寄生コバチは核遺伝子の系統樹では単系統として纏まっているが、mtCOI遺伝子の系統樹では必ずしも単系統ではないことが示されている。つまり送粉コバチは寄生コバチを含めたイチジクコバチの多数の系統の中の1つであり、寄生コバチと2分岐したのではないことが示唆されている。また種間レベルの送粉コバチの系統関係について2つ興味深いことが判明した。

【図2】mtCOI遺伝子によるイチジクコバチの系統樹 UPGMAで作成。

学名はイチジクの種名で、その前の番号は採集産地を示す。

 

(2) イチジクと送粉コバチは互いにパートナーを換えることができるのか?

 上にも繰り返し述べてきたが、イチジクの花はほぼ閉鎖した花嚢の内面にあり、他の植物のような風による花粉媒介が行えない。その代わりにイチジク類は、昆虫による特殊な花粉媒介を発達させ、結果的にそれぞれのイチジク種類に特殊化したイチジクコバチによる1種対1種の受粉システムができあがっている。しかし、系統解析の結果からこの1種対1種の関係と一致しないことがいくつか示唆された。例を1つあげると、3地点の Ficus retusa イチジクから採集された送粉コバチは系統樹上1つの枝に纏まらずそれぞれ3本の枝に分かれた。その内の1本は独立した系統だが、他の2本はそれぞれ別のイチジク種から採集されたコバチに近縁だった(図3)。つまり、同じ種類のイチジクは産地によって起源の異なるコバチにより花粉を運んでもらっている。言い換えればイチジクとイチジクコバチが互いにパートナーを換えた可能性があることである。他の数種のイチジクにも同様な現象が見つかっている(図3)。

【図3】Urostigmaイチジク亜属の送粉コバチの系統樹 mtCOI遺伝子を用いてUPGMAで作成。学名はイチジクの種名で、その前の番号は産地を示す。

 

おわりに

 今年度はオサムシの研究成果を纏めながら、イチジクとイチジクコバチの共進化を解き明かす新たなステップに辿り着いた。研究はまだ始まったばかりだが、分類上での1種対1種のイチジクとそのコバチの関係に一石を投げ、興味深い結果が得られたと思う。この結果を前向きに解釈すればイチジクとイチジクコバチの共生関係は、長い進化過程で遂げてきた共進化による結果であるが、厳密な1種対1種の関係よりある程度の柔軟性を持つほうが互いにとって有利ではないかとも考えられる。勿論、これらの結果はまだ予報で、イチジクの系統関係と照合しなければならない。その結果が期待される。

 

 

一覧へ戻る