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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2024.03.15

サピエンスの役割──多様性が生きものを生きものにしている

生きものの世界にサピエンスとして登場した人間の役割は、生きものの世界は面白いと思ってその本質を考えることであるということになりました。生命誌はまさにそのためにある知だとおもっていますので、人間の一人としてぽちぽち考えて行きます。最初に考えるのは「多様性」です。

生物多様性という言葉、本当によく聞くようになりました。人間が勝手な暮らし方をしたために多様性が失われているからでしょう。多様性は、「さまざまな生きものがいる方が楽しくていいよね」というレベルの話ではありません。生きものが続いていくには多様でなければならないのです。多様になったからこそ40億年もの間続いてきた。多様性は生きものの基本的性質です。

こんなことを考えていたら、もっと根っこのところでも多様性が大事なのだということに気づきました。生物多様性といいますが、数千万種とも言われる生きものたちは、すべて細胞でできているという共通点を持っています。細胞は生きものの単位であり、地球上に細胞が生まれた時に生きものが生まれたわけで、細胞を知ることは生きものを知る基本です。細胞って何だろう。考えることはたくさんありますが、まず「細胞は何でできているか」を考えました。皆様、この問いに何とお答えになりますか……私のここでの答えは「炭素化合物」です。細胞が生きることを支えるDNA、RNA、タンパク質(筋肉や酵素など)、膜を構成する脂質や糖、ホルモン、神経系物質などなど、どれをとっても炭素化合物です。人間が作る機械と比べて、なんとさまざまなものでできていることでしょう。

ここでちょっと調べましたら、私たちの身の回りにある化合物は、自然界のもの、人間が合成したものを合わせておよそ7000万種類あり、その80%が炭素化合物であるとありました。すごいぞ炭素化合物、いやすごいぞ炭素です。

周期律表は御存知ですね。名前を聞いただけで顔をしかめる方、「スイヘイリーベ〜魔法の呪文」という歌で憶えたことを思い出す方、いろいろおありでしょう。周期律表を見ると、そこにある100を越す元素の中で、炭素はとても特別な存在であり、多様な化合物を作れる唯一の元素であることがわかります。炭素があったからこそ生きものが生まれることができたと言えそうです。この時から多様性は不可欠だったのだ。それに気づきました。多様性は、生きものの代名詞と言ってもよいのではないかと思います。

これまで私たち人間が作ってきた文明は、面倒を避け、多様性を減らす方向を求めてきました。そもそも農耕文明は、食べものの種類を減らすことから始まりました。貯蔵しやすいコメ、ムギ、トウモロコシを主食とする社会は、今に続いています。多様性が生きものの本質だとしたら、多様性を生かした文明にしなければいけなかったわけで、農耕文明の所からの見直しが必要になりました。

サピエンスの役割は、「多様性の文明」への道を探ることであり、それは炭素を大切にすることです。最近「脱炭素」という言葉が流行っていますが、これはまずいです。CO2排出を減らすのは当然であり、脱CO2ではありますが、炭素は大事です。「炭素が生み出す多様性を上手に生かし、炭素循環による文明をつくろう」という方向に切り換えることが求められていると考えなければいけません。生命誌の描く世界への道であるとも言えます。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶