生命誌ジャーナル 2008年 冬号

Talk ─ 対話を通して ─

年間テーマ「続く」
美しさを根っこに横へのつながりを:末盛千枝子×舟越桂×中村桂子

末盛千枝子(すえもりブックス代表)
舟越桂(彫刻家)
中村桂子(JT生命誌研究館館長)
すえもり・ちえこ
1941年東京生まれ。父は彫刻家の舟越保武。1988年株式会社すえもりブックス設立、代表となる。日本児童図書評議会副会長。M.ゴフスタインの作品の紹介や、まど・みちお氏の詩を美智子皇后が英訳された本など、国内外で独自の価値観による出版を続けている。

ふなこし・かつら
1951年岩手県生まれ。彫刻家。東京造形大学彫刻科卒業、東京芸術大学大学院彫刻専攻修了。ベネチア・ビエンナーレ、シドニー・ビエンナーレ他、国際的にも活躍する。一貫してクスノキを素材とした木彫の人物像の制作を続け、近年は両性具有の〈スフィンクス〉シリーズを展開。東京造形大学客員教授。

0. はじめに
(中村)
 研究館では動詞で考えることを続けていますが、今年のテーマは「続く」です。生物学で「続く」を考えるとすぐに遺伝子の話になってしまいますが、実は夏号では文楽の研究を取り上げて、芸能がどのようにして続いてきたのかを考えました。生物学に限定するのではなく、生きものとして、人間としての「続く」を色々な方とご一緒に考えたいと思っていて、ふと...。
(末盛)
 血迷われたんですね(笑)。
(中村)
 勝手なお願いをして申し訳ありません。生きものとして生きていることと、人間として生きることを重ね合わせた時、お二人を思い出しました。人間を深いところから見つめながら、末盛さんは絵本を、舟越さんは彫刻をていねいに作られています。ちょっとおかしくなっている社会に対して大声で異を唱えるのではなく、しっとりと大事なことをなさっているお二人をとても尊敬していて、以前からそれぞれのお仕事を別々に素敵だと思っていました。ある時ご姉弟ということを知り、彫刻家でいらしたお父様(註1)のお仕事やご家庭の中で共有された何かが今のお二人のお仕事につながっているのではないかと思ったのです。家族という形での人間の暮らしの中でのつながりが「続く」を考えるために大事なことです。ご姉弟ご一緒にお話をしていただくのはお気になさるかと思いながら、思い切ってお願いしました。
註1:舟越保武【ふなこし・やすたけ】
(1912-2002)
岩手県生まれ。彫刻家。1967年東京芸術大学教授に就任。1987年に脳血栓で倒れたのちは左手で制作を続ける。東京芸術大学名誉教授。現代日本の具象彫刻の第一人者。代表作に《長崎26殉教者記念像》《原の城》《ダミアン神父》ほか多数。
1. 価値観を共有する
(中村)
 先日、東京都の庭園美術館で舟越さんの個展(註2)を見せていただきました。好きな作品がいくつもあって楽しませていただきましたが、入ったところに展示されていたのが《戦争をみるスフィンクス》だったのにちょっと驚きました。最近作られている〈スフィンクス〉シリーズはこれまでの作品の楚々とした雰囲気とは少し違うものを感じます。
(舟越)
 どうもありがとうございます。スフィンクスを思いついたのは4年くらい前で、まずは理屈抜きにパッとスフィンクスのイメージが出てきて、人間を語ることもできるし、同時に人間を見つめるということも込められるいいモチーフじゃないかと思い、とてもわくわくしました。僕は初めてやることはかなり集中できて、一作目は滅多なことでは後から追い越せないような出来になることが多いのですが、スフィンクスも作っている途中から本当に気に入って、完成してから外に出す前に母と姉、それから妻に見に来てほしいと電話をしたんです。そのくらい自分では手応えがあって面白かったですね。
(中村)
 お父様が彫刻家でいらしたわけで、お家の中はそのために特別の雰囲気がおありになったのでしょうか。
(末盛)
 私たちは7人姉弟で、私は長女です。盛岡から東京に出てきて間もない頃、新しい家で妹たちや弟と留守番をしている時に、父の友人の写真家が撮ってくれた写真があるのですが、その時のたとえようもない暗さが出ていて、私はとても嫌でした。でも、誰かが「いい写真だな」と言ってくれて、そこには「留守番をする姉弟」というもののすべてが表れているのだなと思うようになりました。家族のみなが知っている写真で、私がだっこしているのが10歳下の桂なんです。
(中村)
 責任をもってお家を守っていらしたんですね。
(舟越)
 あれはいい写真だよ。
(末盛)
 でも、戦後の物のない大変な時代に、子だくさんでしかも彫刻だけで生活していこうとする家族は、子どもにとってはほとんど悲惨というような暮らしでしたよ。母は好きで父と結婚したからいいけど、私たちはたまったものじゃないと思っていました。ずいぶん長い間、芸術家と結婚するはめにだけはなりたくないと思っていましたから、弟たちが彫刻をやると言った時は晴天の霹靂であっけにとられました。でも今はそれで本当によかったと思っています。
 それから、父は物の見方というか価値観に非常に厳しくて、どのようなものを美しいと思うかをすべて家族に伝えないではいられない人でした。
(中村)
 美しいというのは具体的にどんなことでしょう。
註2:「舟越桂 夏の邸宅」
2008年7月19日〜9月23日、東京都庭園美術館にて開催。
(末盛)
 例えば父の作品の《ダミアン神父》(註3)にしても、ハンセン病になる前の青年神父の姿よりも、ハンセン病の人たちの世話をして、一緒に病気になった彼の姿の方が美しいというのです。反論の余地がないでしょう。こういうことを常に言っていました。とても大きな刷り込みだったと思います。私が長女だったせいもあるでしょうが、父はとても厳しかったです。
(中村)
 作品にどういう意味があるかをお話なさるのですか。
(末盛)
 意味がどうこうという説明はなしです。「病気になってからのダミアンの方が美しいんだ」とズバリ言い切るのです。今にして思うと、それほど自信に満ちた調子で言っていたのではなく、社会に対して背水の陣で彫刻だけで家族を支えていこうとした時に、誰か一人でも自分の意見に反対したら自分が立っていられないというほどの思いだったのではないかとわかるのですけれど。
(舟越)
 でも芸大に勤めるようになって、父は変わったんじゃないかな。姉が言ったことは僕の記憶にもありますが、それほど強烈には捉えていません。
(中村)
 10歳違えば世代が違いますものね。舟越さんはどう受け止めていらしたのですか。
(舟越)
 父の言葉は重いものとして受け止めてきましたが、時間が経つと自分の中で消化していますね。父の言うことは大事なことだけれど、それだけでは自分は彫刻をやっていけないことにだんだん気づいて、すべてを絶対的な判断基準として受け入れるわけにはいかなくなるんです。
(中村)
 末盛さんは彫刻ではなく絵本をお仕事になさいましたけれど、でも同じように重く受け止めていらっしゃいますね。
(末盛)
 そうですね。中学校や高校の頃は、どういうものを美しいと思えば父に認めてもらえるか、とても大きな壁があったと思います。高校生の時に父に非常にほめてもらったことが二つあります。一つは、フランスのストラスブールにあるカテドラルにシナゴーグという彫刻があって、目隠しをした女性でユダヤ教の教会を表現しているのですが、それを素晴らしいと思うと言ったら、父も「うん、あれはいい」と言ってくれたんです。もう一つが高村光太郎の「雨にうたるるカテドラル」という詩があって、友人たちは『智恵子抄』が好きというけれど、私はそれを素晴らしいと思うと言ったら、父も「うん、あれはいいな」と言いまして。この二つは私の中でとても嬉しい思い出になっています。
(舟越)
 父の言う美しさは、見た目ではなく、生き方の美のようなものですね。父は芸術家よりも職人であることに生き方の美があるということをよく口にしていましたが、父は芸術家だったと僕は思います。
(中村)
 お二人の根っこには、お父様の「美しいもの」があるのですね。最近、親から子どもに、価値観を与えきれていません。大事なものを家族で共有し、それが伝わっていくのは大事なことだと思うのですが。でも、最近「何でもあり」の状況になってきて、それが人間を壊しているようで気になっています。
(末盛)
 私たちは「何でもあり」のない家庭ですね。
註3:《ダミアン神父》
1975年制作のブロンズ像で、制作時のタイトルは《病醜のダミアン》。ダミアン神父(本名 Joseph de Veuster,1840-1889)はベルギー生まれのカトリック司祭。ハワイのモロカイ島に隔離されていたハンセン病患者の救済にあたり、自らもハンセン病に感染して亡くなる。
2. 家族の支え
(末盛)
 父の仕事でもう一つ思い出されるのは、母がとても協力的だったことです。母は強烈な個性を持った人で、自由律俳句の世界では結構知られた俳人でしたが、それを捨てて父と結婚したのだそうです。でも簡単に忘れられるわけはありませんよね。大変な葛藤があったと思います。制作が上手くいかずに父がイライラしていると、「私たちはお父さんの代わりに彫刻を作るわけにいかないのだから、お父さんがちゃんと仕事ができるように皆で協力しなさい」と私たちにものすごい勢いで言いました。恐いほどでしたが、今考えてみると、母は自分に対しても言い聞かせていたのかもしれません。
 父は定収入がない時も彫刻だけを作っていて、母はその父の仕事をとても大事にしていました。芸大の教授に招かれて、教授会のようなものが色々大変だったと思うんです。すると母が「それじゃ自分の仕事ができないから、芸大辞めたら」と言いまして。
(舟越)
 へえ、それは知らなかった。
(末盛)
 すごいなと思いました。芸大の前に美術学校に勤める話があった時も、「先生になるということも、一生懸命しなければつとまらないことなのだから、同じ一生懸命やるなら自分の作品をなさって」と言う母でした。その代わり私たちは運動靴がボロボロなのに買ってもらえなかったり、大変でしたけどね(笑)。母がいなければ父はあそこまでの仕事はできなかったと思います。
(舟越)
 僕の友人を見ていても、若い時にすごくいいものを作っていても、結婚をして家族の生活の安定を求めると、いつしか作品は作らなくなっていくことがほとんどです。それはそれで幸せだろうけど、母のような人はやはり珍しいですね。
(中村)
 でも、他所の家の者として勝手なことを申しますと、理解のあるお母様がいらして、お父様が無理に経済的な豊かさを求めることなく、素晴らしい作品を作られたというのは幸せなことですね。
(末盛)
 それでいいのだと思おうとしていましたし、実際に思っていたと思います。もう一度やりたくないですけどね(笑)。
(舟越)
 思えるように育てられたのかもしれないけど、幸せだったと思います。でも、戦後に子どもを6人も育てながら、デッサンを少し教えたことはあるかもしれないけど、アルバイトと言えるものをほとんどせずに、どうやって生き延びられたのか本当に不思議ですね。大理石の作品をリュックサックで背負って持ち込んで、たまに買ってもらえたことはあったそうですが、無謀ですよ。今は誰もそんなことしないし、できない社会になりましたね。
(中村)
 なにかお金に引かれ、お金を求める社会になり、それゆえに色々なものが壊れています。研究もお金を求めるものになり、変わってきました。
(末盛)
 キュリー夫人のようにはいきませんね。
(中村)
 ダーウィンもメンデルも皆自分の眼と手で研究していましたが、今はそうはいきません。研究するためにお金が必要なのはわかるのですが、お金の怖いのは、ある程度あるともっと欲しくなることです。私は幸せなことに、大きな欲望を持たずに自分の好きなことができる場所をいただいて、ありがたいと思っています。
(末盛)
 それが最高ですね。
(中村)
 はい。より多くのお金を求めると、人間にとってとても大事な芸術や学問が本物でなくなっていくような気がして怖いんです。そういう中で大事なことを続けていらっしゃるお二人のお小さい時のご苦労を伺い、私たちの世代は多かれ少なかれある意味の貧しさを体験していることに意味があると改めて感じました。
(舟越)
 僕の子どもの時の生活はある程度楽になっていましたが、姉はやっぱり大変だったみたいですね。
(中村)
 兄弟が多いと、両親が若い時と年を重ねた時とでの変化もありますでしょう。
(末盛)
 両親にとって、私は一種の戦友だったようですね。先ほどの「いい写真」の頃だったと思いますが、アルト歌手のマリアン・アンダーソン(註4)が東京公演した時、お金がないはずの両親が音楽会へ行ったんです。帰ってきて、2人がもう興奮してその様子を話しているんです。シューベルトの「魔王」(註5)だったそうです。実はその前、盛岡に疎開していた時、桂の上の最初に生まれた男の子が8ヶ月で亡くなりました。きっと両親にとってはそのことと「魔王」が重なったのでしょう。生活が貧しくて大変な時にも関わらず、自分たちにとってそれを聴くことはどうしても必要と思ったのだと思います。
(中村)
 すてきなお話ですね。何もおっしゃらなくても伝わってくるものがたくさんある。
(末盛)
 両親がマリアン・アンダーソンを聴きに行ったことは、私にとっては一生忘れられない出来事です。
註4:マリアン・アンダーソン
【Marian Anderson】
(1902-1993)
アメリカの黒人女性アルト歌手。1953年来日。
註5:「魔王」
ゲーテの詩をもとにシューベルトが作曲。1815年頃の作。概要は、嵐の夜に高熱を出した息子を馬で医者に連れていくが、その間に息子は魔王の幻聴におそわれ、自宅に到着すると亡くなっているというもの。息子と父と魔王の会話で構成される。
3. 根っこと枝分かれ
(中村)
 末盛さんが絵本の世界に進まれたのは、文学を志していらしたお母様の影響ですか。
(末盛)
 いえ、私たち姉弟はわりとバラバラに年齢が離れていて、私が大学を卒業する頃に、20歳離れた末の妹(註6)によく絵本をよんでやることがあったんです。父の所に出入りしていた出版社の方が見せて下さった外国の絵本が、絵も言葉もとても美しくて、この世にこんなに美しいものがあったのかと驚きました。私の家は家族が多いものですから、自分が話す必要がなかったからでしょうか。末の妹は話し始めるのがとても遅かったのですが、ある日突然、私が読んでやっていた絵本の言葉をしゃべりだしたんです。カイコが糸を吐き出すみたいに。それは「ある日お庭に小鳥が来てね、つっぴん、つっぴん鳴いてたよ」というとても綺麗な歌でした。
(中村)
 その時の様子を想像すると可愛らしいですね。絵本のすべてが入っていて、一度に外に出てきたんですね。
(末盛)
 その出来事が直接のきっかけではないかもしれません。その辺は記憶があいまいなのですが、その本を出していた至光社(註7)に勤めることになりました。大学生の頃に妹が生まれるというのは何とも具合の悪い気持ちでしたが、生まれてみたら動くお人形という感じでとても可愛くて。それをよいことに母は住み込みのベビーシッターのように私に妹を預けて出かけてたんですよ。だから予防注射に連れて行ったり、幼稚園の遠足にもついて行きました。
(舟越)
 えっ、千枝子姉さんがカンナを育てたの。
(中村)
 結婚しても予行演習充分というわけですね。今は年の離れた兄弟姉妹で家族を構成することはほとんどなくなりました。私も5人なので、兄弟は親とも違う友達とも違う特別な人間関係ですね。今では皆がたくさんの兄弟がいいというわけにはいきませんが。
(舟越)
 僕には息子と娘がいますが、男の子と女の子がひとりずつの兄弟は一人っ子と同じことだと言われたことがありますね。中国は今、ほとんどが一人っ子だけど、20年、30年後に何か精神的に困った現象が起きてこないだろうか心配です。
(末盛)
 皆が一人っ子になるということは、直系だけが残るわけで、彼らの次の世代には叔父さんや叔母さん、従兄弟というものがいないということになりますね。
(舟越)
 今気づいた。すごいな、どうしてそれがわかったの。
(末盛)
 中国に行った時、労働服を着た親たちが毎日ピアノの発表会のような恰好をした一人っ子の子どもを連れて歩いているのを見て、切実にそう思いました。
(中村)
 あたりまえのことなのに気がつきませんね。確かにおっしゃる通りです。従兄弟になるとちょっと違う生活感を持っていることもあるわけで、人としてのつながりが広がりますものね。叔父さんに可愛がってもらったとか、年上の従兄弟に遊んでもらったとか、親子とはちょっと違う人間関係が失われますね。
(末盛)
 私たちも従兄弟に教わったことは随分あります。小学校の時に年上の従兄弟が「サン=テグジュペリがいいよね」と言っていて、その時はまったく何のことかわからなかったけど、後になって「このことだったんだ」とわかったり。そうした関係が失われるのは残念なことですよね。おじいさん、おばあさんがいるだけでは。
(舟越)
 中国三千年の歴史が変わっちゃうのかな。
(中村)
 「続く」というと直系を考えがちですが、横の広がりも同じように大事だということに改めて気づきました。ちょっと話を広げて生きものとしての人間を考えると、他の生きものがいるからこそ、小鳥の「つっぴん、つっぴん」という声も楽しめるわけで、人間だけがいても面白くないし、生きていることの意味がわからない。それと同じで、人間も直系だけだと、本当の意味の人間関係ではないかもしれませんね。
(舟越)
 直系だけではないと言えば木の枝もそうで、千枝子姉さんに貰った本に木を木らしく描くための法則というのがあって、枝を二本づつ増やしていくだけでいいって書いてあったでしょ。僕は彫刻をやっているせいか風景はほとんど描かないので、そんな簡単なことでいいのかなと思って試したらまったくその通りで、枝をどんどん増やしていくと本当に木のように見えるのです。なるほどと思いました。
註6:舟越カンナ【ふなこし・かんな】
東京生まれ。『あさ・One Morning』でボローニャ国際児童図書展グランプリ受賞。
註7:至光社
1950年設立。国内外の絵本の出版を手がける。
(中村)
 ダーウィンの『種の起源』(註8)は厚い本ですが、たった一つだけ入っている図が系統樹なんです。19世紀のヨーロッパでは、あらゆる生きものは神様が創ったものと考えられていましたが、ダーウィンは観察によって生きものは自然選択によって進化していると考え、それを表現するために、時間を示す線の上に、種が分かれていく様子を描きました。木を描くつもりはなかったでしょうが、種が分岐を繰り返す様子が木の枝に見えるので、私たちはこの図を「系統樹」と呼んでいます。
(末盛)
 「tree of life」と言いますね。
(舟越)
 何か不思議だな。
(中村)
 他はすべて文章で書いてあるのですが、これだけはうまく言葉で言い切れなかったのでしょう。今日のお話で、「分かれる」ということは「続く」とつながるとても大事なことだということが、日常とつながった形でわかりました。ありがとうございました。
(舟越)
 中村先生も以前「ちゃんと続くためには多様性が欠かせない」とおっしゃっていましたね。
(中村)
 そうです。生きものは続こうとした時に、同じものをただ残すのではなく、個体としては死にながら、自分とはちょっと違うものを生んだからこそ続いてきたんです。多様化は生きものの生存戦略です。地球環境問題の中で生物多様性への関心が生まれ、私のところにも「多様性をどう守るか」というお話がよく来ますが、「守る」というのは変で、生きものは生き延びようとし、多様化していくものなのです。人間が守ろうという考え方はおこがましい。大事なのは、私たち人間も生きものであり、その多様性の中にいるということを認識することです。人間だけが外側にいる特別な存在であるかのような暮らし方をして多様性を壊しておいて、ちょっと後ろめたく思って「守りましょう」と言うのを聞くと、傲慢さを感じます。生きものにしたら「勝手に多様化するから放っておいてよ」というところでしょう。
(末盛)
 まさにそうですね。ちょっと納得します。
(中村)
 生きものは多様ですが、根っこは同じなので何でもありではありません。舟越家の場合、お父様の「美しい」が根っこになり、それぞれ絵本や彫刻を作られてそれぞれの生き方をなさっているわけでしょう。生きものを見ている目からするとそれは、非常に上手に生き生きと生きていらっしゃるので、魅力的なのです。
註8:『種の起源』
1859年出版。※生命誌ジャーナル25号「進化を絵にする作業─生物学の描く樹」参照。
4. 思考によって宇宙を包む
(中村)
 以前、舟越さんに「自分が一番見えないから自分を見ようとしている」と伺いましたが、舟越作品の人物たちはみな遠くを見つめながら自分自身を見ている眼ですね。最近は《戦争を見るスフィンクス》のようにはっとさせられる作品も作られていますが、スフィンクスは何を見ているのでしょう。
(舟越)
 僕の中ではほとんど同じですね。目の作り方自体もそんなに変えたわけではない。スフィンクスは自分自身を見ながら、人間を見続けている存在だと思っています。
(中村)
 ギリシャ神話でもスフィンクスは人間に問いをかけますね。
(舟越)
 ええ。問いかけたり、見続けたりするということは僕もしているわけだから、僕はスフィンクスであるし、スフィンクスに見られているものでもある。以前の作品とは形もかなり変わったので、違和感を覚える人もいるらしく、グロテスクと言われることもありますが、僕はそうは思いません。
(中村)
 これまでと雰囲気が違ったので最初はちょっとドキッとしましたが、何点か見るうちに、これまでのお仕事の流れの中にあるものだと思いました。
(末盛)
 次のステップに行ったのでしょうね。自分の中にあるいろいろなものを恐れずに表現できるようになってきたのだと、姉として思います。
(舟越)
 「人間は山のように大きい」というイメージから、胴体が山のような形の人物を作り始めたのが最初の変化で、そこから色々なたがが外れて、後頭部にもう一つの頭があったり、一つの胴に二つの首があったり、動物のイメージが出てきたりと、どんどん自由になっていって、スフィンクスになりました。
(中村)
 「人間は山のように大きい」というのはどういうイメージだったのですか。
(舟越)
 きっかけは学生の時の変な経験です。僕が通っていた造形大は高尾山の本当に目の前にあって、バスに乗り遅れた学生は数人でタクシーに乗って通学していました。ある冬の日にタクシーの助手席に座っていて、造形大が見えてきて山が近づいてきた時、何の前触れもなく「あの山は俺の中に入る」という思いが突然やって来たのです。「えっ、何だこれは」と思いましたが、少し落ち着くと、想像力によってあの山をその大きさのまま把握できるということは、頭の中に山が入っているということなんだと思いました。人間の想像力って宇宙を考えることができるくらいですからね。
 その頃は父の影響もあり古典的な作品にしか興味がなくて、それは不思議な体験としてずっと心の中に留まっていました。僕はあまり学者のように一生懸命に結論を出そうとはしないので、何かヒントになることが起きてから制作するまでに数年が経つことはよくあるんです。
(末盛)
 時間をかけて自分のものにして、出るべくして出てくるのでしょう。
アトリエに置かれた〈スフィンクス〉のデッサン
(舟越)
 でも、人生には限りがあるのに時間をかけすぎていますね(笑)。だから、自分の体験したことをうまく説明してくれる言葉に出会うと嬉しいですね。パスカル(註9)の「空間によって宇宙は私を包み、思考によって私は宇宙を包む」という言葉は3年ほど前に見つけました。
(中村)
 『パンセ』の中の「考える葦である」はよく知られていますが、その続きが今おっしゃった言葉ですね。「考える葦である」とだけ言われても、「ああ、そうですか」で終わってしまいますが、その先を読むと、「考える」ということは自分が宇宙の中にいるということがわかることであり、それが出来るのはこの宇宙の中で人間だけである、だから人間は宇宙を包み込めると言っている。この言葉は生命誌とも関わりがあり、とても好きですが、確かに舟越さんの作品にはそういう雰囲気がありますね。包み込まれながら包み込む。
(舟越)
 へえ、そう続く言葉だとは知らなかった。それは嬉しいな。
(末盛)
 桂の作品の変化を考えると、父の存在がとても大きかったと思います。どちらかというと父の方が桂をライバルとして見ていましたが、同じ仕事というのはかなり厳しい。父が脳梗塞になって作品をほとんど作れなくなってから、桂は自分の世界を切り開くことができたのだと思います。
(舟越)
 記者や評論家は父が亡くなってから僕は自由になったと言いますが、僕はそれよりちょっと前に自由になっていたので、それは自分を褒めてあげたい(笑)。父が亡くなったら、自分は糸の切れた凧のようになるんじゃないか、どうなってしまうのだろうとずっと不安を抱いていましたが、外せるだけの柵は外しておいたのでしょう。実際に父が亡くなって一年経った時に何も変わらない自分がいることが確認できました。ただ、スフィンクスを完成させて母や姉を呼んだ時に、やはり父にも見てもらいたかった。父はどう感じるのか聞きたかったです。
(末盛)
 母はとても許容範囲が広くて自由な人ですから、最初から素晴らしいと感じたでしょうが、父はスフィンクスを咀嚼するのに時間がかかったかもしれません。
註9:パスカル【Blaise Pascal】
(1623-1662)
フランスの哲学者・数学者・物理学者。大気圧・液体圧に関する業績や円錐曲線論で知られる。著書『パンセ』はキリスト教護教論のために書いた断片の集成で1670年に刊行。
(舟越)
 そうですね。父は考え方が硬いところがあって、いかにも芸術家気取りという作家は毛嫌いしていましたが、そういう人からもいいものは出てくる。父は岡本太郎さん(註10)を嫌そうにしていましたが、僕は大人になってから岡村太郎さんに素晴らしい作品があることを知りました。
(中村)
 私も岡本太郎さんが「芸術は爆発だ」と言っていた時は好きではありませんでしたが、岡本敏子さん(註11)が私にとても関心を持って下さって、「あなたと岡本太郎は言っていることや考えていることが同じで、太郎が生きている時にあなたと話させたかった」とおっしゃったんです。彼女とお話をし、太郎さんの目によって縄文土器の美しさが発見された経緯を伺ったり、お書きになった著作を読んだりして、それまでのイメージとはまったく違う岡本太郎を見出し、びっくりしました。
(舟越)
 土器の写真も素晴らしい。父のせいでそれに気づくまでずいぶん遠回りしましたけれど、それも決して悪くない。
(末盛)
 そういうことはたくさんありますね。
(舟越)
 父より母の方が、変わった物にもストレートに面白さを感じる人です。普段は芸術的なヌードを撮っているカメラマンから、ちょっと変わったボンテージの作品集をもらった時、たまたま近くにいた母に見せたら「あら、きれいねえ」と言うんですよ(笑)。やっぱり不思議な人だと思いました。作る人と作らない人で、許容範囲がとても違うのが面白い。
(中村)
 お父様はお作りになるからこそ、ご自身の価値基準をしっかり持たれたのでしょうね。
(末盛)
 実は父は「続ける」ということにとてもこだわっていたんですよ。若い時に自分のやりたいことを探して色々なことをやってみることってよくありますよね。でも、そういうことが嫌な人でした。
(中村)
 一つのことに打ち込まなくてはいけない。でも普通はそれがなかなか探せないんですよ。
註10:岡本太郎【おかもと・たろう】
(1911-1996)
洋画家。前衛芸術を推進し、1970年の大阪万博で「太陽の塔」を制作。独特の芸術論でも知られる。
註11:岡本敏子【おかもと・としこ】
(1926-2005)
岡本太郎の秘書。太郎の制作、取材、執筆を助ける。のちに養女。太郎没後は岡本太郎記念館を運営。
(末盛)
 今でも面白いなと思うのが、朝倉摂さん(註12)がずっと日本画を描いていらしたのに、ある時から舞台芸術に移られたことを父はとても不満に思っていました。
(中村)
 素人から見ると、それで朝倉さんのとても世界が広がったように思えますが。
(末盛)
 朝倉さんの中では、きっと何の問題もなくああいう世界になったのだと思いますが、日本画と舞台芸術がつながっていることが父の理解の範囲を超えていたのでしょう。朝倉さんと親しかったからこそ、父は不満だったのだと思います。
註12:朝倉摂【あさくら・せつ】
1922年生まれ。舞台美術家。彫刻家の朝倉文夫の長女。初め日本画を学び後に舞台美術を始める。古典から前衛芸術まで幅広く手がけ、国内外で活躍する。
5. 時間と空間を入れる彫刻
(中村)
 舟越さんはずっと木の彫刻を作っていらっしゃいますね。
(舟越)
 僕はずっとクスノキを彫っていますが、とても波長の合う素材で、初めて彫った木もクスノキなんです。大学院の時に聖母子像の制作を依頼されて、芸大の先生に相談したら大きさや彫りやすさからクスノキを勧められて、彫り始めて一ヶ月くらいで、この木なら何かができると思いました。クスノキってミディアムの柔らかさで、磨くと意外にカチンと見えるし、ちょうどいいんです。
(中村)
 柔らかさと硬さを合わせ持つって、また我田引水すると生きものがそうですね。反対の性質を合わせ持っているんです。教会の中にあるマリア様の像素敵ですが、先ほど一作目が一番の出来と伺った時に、今アトリエに置かれている像がそうなのかなと思いました。
 
(舟越)
 あれは等身大の半身像を作った最初の作品で、結婚した頃の妻の像なんです。《妻の肖像》としてこの作品をグループ展で発表した時、造形大の先輩が見に来てくれて、「近寄っていった時に動いたかと思った」と言ってくれました。自分では意図していなかったのですごく嬉しかったです。実は、首や胴の位置が解剖学的には結構ズレているんです。
(中村)
 それが不思議な動きを生み出しているのですね。でも同時に、動かずに静かに佇んでいる雰囲気もあり、それが舟越さんの作品の魅力ですよね。
(舟越)
 ズレは時間のズレです。ただまっすぐ立っているように見えても、実は隠し味に微妙なズレを入れている。彫刻の中にいくつもズレを入れることで、瞬間ではなく、長い時間を入れることができるのではないかと考えています。
(中村)
 なるほど。遠くを見ているということは、空間としての距離だけでなく時間としての違いも含まれているのですね。空間と時間は重なっていて、お星様を見るということは何百光年という距離とそれが届く時間を見ているわけですものね。それが一つの彫像の中に入っているから、ふしぎな広がりを感じるんだ。なるほど。
(舟越)
 何万年も前の姿を見ているわけですから。
《妻の肖像》1981
(中村)
 今は存在しない星を見ているのかもしれない。私の同級生の小平桂一さん(註13)は宇宙の始まり、つまり137億光年先を見るために「すばる」という望遠鏡を作りました。始まりを見るというのは不思議な気もしますが、ここにある光は137億年前からやってきた光なんですよね。彫刻の中に遠い空間と時間を入れられるわけで、芸術ってすごいですね。
(舟越)
 そんなスケールの大きい話と比べていただいても申し訳ないような気がします。137億年前は宇宙の始まりの時間だとおっしゃいましたが、その先に何があるのかが昔からずっと疑問なのです。天体がないことはわかりますが、空間は続いているのですよね。
(中村)
 今の物理学者の答えでは、その先は無だそうです(註14)。無をイメージすることはできませんが、多分何もないということとは違って、私たちが認識できる時間や空間という概念はない、ということだと思います。アレキサンダー・ビレンケンという物理学者は “Creation of Universes from Nothing”と題した論文を書いていて、137億年より前は「nothing」、つまり宇宙は無から生まれたと言っています。
(末盛)
 本当に創世記みたいですね。
(舟越)
 そうか、137億年より前にはただ物質のない空間があるだけだから考える必要はないと言われているのかと思っていたけど、僕たちが知りうるものがないということだったのですね。やっとわかりました。
 中学か高校の時に、数学か理科の先生が「たとえ四次元があったとしても、僕らには三次元としてしか理解ができないだろう」とおっしゃっていましたが、それと似ていますね。糸に対して垂直に平面を通過させても糸は平面を点としか把握できないし、紙の上に立体が落ちてきても紙は立体に触れる面でしかそれがわからないというように説明されて、すごく衝撃的でした。あっても分からないとうことがショックで、でも面白くて、そういうふうに説明してくれれば数学も分かるのに。
(末盛)
 そういう思いは私も随分ありました(笑)。
(中村)
 私たちも表現しないと知ったことにならないと考えて活動しているんです。科学者は表現能力が欠けているから、分かったことをどう表現していいのかわからずに来ましたけれど、それではいけないと。
(末盛)
 芸術家はまず感動をもって表現しますものね。
(舟越)
 アーティストは勘違いでも、感動すれば何かを作ってしまうことがあります(笑)。
(中村)
 科学でも勘違いが大発見につながることもありますから、勘違い悪くないかも...。
(舟越)
 美学の先生や批評家はたくさん知識があって、それに比べると僕たち作家は何も知らないけれど、でも彼らはものを作れなくて僕たちは作れるわけでしょ。何も知識だけがすべてを作る土台になるわけではないと思いますね。
(中村)
 そうですね。特に今の時代は情報をより多く集めることがよいことのようにされていますが、事実だけ並べてみてもそこからは何も分かりませんもの。
(末盛)
 説得力がないですよね。
(中村)
 自分の中で物語りを紡がなければならないと思っています。科学も芸術と同じように、自分で物語を紡いでいかなければいけない。事実を曲げずに、上手に物語りを紡いできたいと思い、生命誌でも一生懸命取り組んでいますが、難しいです。
(舟越)
 情報ばかりあっても大切なことを分かってくれない人は評論家の中にもいるんですよ。20年以上昔の話ですが、ある展覧会に作品を出品するために、作品を写したポジフィルムを何点か資料として用意したのです。《妻の肖像》もそこに入っていたのですが、展覧会を企画していた人がその写真を見た瞬間、「あっ、裸いらない」と言ったんです。
(中村・末盛
 アハハハ。
(舟越)
 裸の像はロダンの時代の作品というようにしか見てくれないわけで、ショックでした。物の見方に整理がついてしまって、物事を決まった引き出しにしか入れられない人もいて、そういう人には、見た目で古い材料で作った木彫で、裸の人物で、彩色してあるような作品は一蹴されてしまいます。
(中村)
 芸術作品に限らず、情報として決まり切った枠で整理すると、物事の豊かな意味が見えなくなってしまいますね。情報が溢れるほど意味は見えなくなるかもしれないと気になります。
註13:小平桂一【こだいら・けいいち】
1937年生まれ。天文学者。国立天文台長、総合研究大学院大学学長をつとめる。
生命誌ジャーナル41号「理解と価値をつなぐ」参照。
註14:宇宙は無から生まれた
関連記事 生命誌ジャーナル53号「理論と観測が明かす宇宙生成」参照。
6. 物作りは大事なものを伝えること
(中村)
 末盛さんのお作りになった『THE ANIMALS・どうぶつたち』(註15)という絵本、実は皇后様からいただいて私の宝物になっています。まど・みちおさんの詩も皇后様の英訳もとても素晴らしいでしょ。それを皆が読める、しかも美しい本にしてくださって、本当にありがとうございます。表紙の木の枝はどこまでも広がっていくイメージがありますね。
(舟越)
 この夏に版画を作るプロジェクトでマウイ島に2週間滞在したのですが、滞在先の一軒家にその本の表紙のようないい枝振りの木があって、何十年か振りに木登りをしました。空気が乾いてとても気持ちの良い場所で、朝から晩まで立ちっぱなしで版画を作って、とても満足感がありました。すみません、話がそれて。
註15:『THE ANIMALS・どうぶつたち』
詩:まど・みちお、選・訳:美智子、絵:安野光雅。すえもりブックス。
(中村)
 いえいえ。作品は作る場所によって変わるのですか。
(舟越)
 あまり変わらないと思いますが、版画は他の人との共同作業になりますから、僕はいつもとまったく違って勤勉になるんですよ(笑)。刷りをする人、工房を運営している人、それから版元になってくれる人。彼らに迷惑をかけてはいけないし、呼んでくれたことに応えるだけの成果を出すために一生懸命やります。時々、そうした版画の仕事をしていますが、その時だけは別人と言われます。
(末盛)
 ふふふ(笑)。その本は、私の大先輩にあたるアメリカの編集者の方が、まどさんの詩を皇后様が英訳されたのだから、せっかくだから日本語と英語の二カ国語で共同出版しないかと誘ってくれたのです。私のような小さな出版社から皇后様の本を出すのは大それたことですが、やらせていただきたいと思い、ドキドキしながら作りました。それがきっかけで、その後にニューデリーの国際児童図書評議会の講演(註16)を本にさせていただいたりしました。
註16:ニューデリーの国際児童図書評議会の講演
インド、ニューデリーで開催された第26回国際児童図書評議会世界大会における基調講演。ビデオを通しての講演は日本国内でもテレビ放映された。講演録は『橋をかける 子供時代の読書の思い出』として1998年にすえもりブックスより出版。
(中村)
 あの講演は素晴らしかったですね。たまたまつけたテレビでその講演が放送されていて、動けなくなりました。テレビに真正面に向き合ったことなどありませんでしたが、その時は。お小さい頃の本との関わりを話されていましたが、一言一言がとても素晴らしくて、私は同世代でまったく同じ体験をしていることもあり、大変印象的でした。
(末盛)
 もし、皇后様がご自身でニューデリーを訪問されていたら、その出来事が報道されただけでしょうが、いらっしゃれないためにビデオ講演を撮影されて、皆がそれを見ることができました。不思議な出来事ですが、それも美しいことに入ると思います。亡くなった主人がNHKにいたので編集から放送までを見守っていてくれると思っていました。
 
(中村)
 ご主人様は「夢であいましょう」(註17)を制作されてたんでしょ。私は「夢あい」が大好きで、今でも忘れられません。あんなにすてきなテレビ番組はなくて、今の番組もあのレベルになってほしいです。
(末盛)
 放映されていた時は、まだ末盛のことは知りませんでしたが、あの番組で教わったことは絵本作りにも役立っています。当時はテレビを持っている家がまだとても少なくて、テレビ番組も楽しんでくれる方が受け入れてくれればよいとされていたようです。
(中村)
 今のように視聴率優先の番組作りではなく、本当に作りたいものを作っていらしたんですね。すべて生放送だったのも緊張感を生んでいたのかも。
(末盛)
 楽しかったですね。渥美清さんを浅草のストリップ劇場の前座から連れてきて出演させたり、末盛は本当にいい仕事をした人だと思います。
(中村)
 渥美さんの電話の話、今も時々主人と思い出し笑いしてるんです。電話をすると小ちゃいお嬢ちゃんが出てきてお相手をさせられ、取り次いでもらえないおかしさ。目の細いおじちゃんなんですよね。舟越さんはご存知ないかしら。同世代じゃなきゃわかりません(笑)。「こんにちは赤ちゃん」や「上を向いて歩こう」もあの番組から生まれましたね。あの頃の歌は皆で一緒に歌える歌でした。
(舟越)
 最近のNHKを観ていても想像がつきませんね。
(末盛)
 社会全体が変わってきていますね。
(中村)
 ぜひ今テレビを作っている人たちに観てほしい。今はむやみに「感動しました」を連呼するけれど、感動はこちらがするもので、そういう番組を作って下さいと思います。
(末盛)
 本当の感動ですね。最近、クレオパトラの時代には既にアレクサンドリアに図書館があったということを知ったのです。それはアレキサンダー大王がアリストテレスに出会ったという奇跡的なことがきっかけだったと読んだ時、鳥肌が立つほど震えました。そういう事って、宇宙の昔の光を見るのと同じような感動がありますね。人はあまりそうしたことに感動しなくなっているようですが、クレオパトラの頃はパピルスの本の集まった図書館で、その前には粘土板の図書館で、後には写本の図書館がある。そういうことを色々な人に伝えるのは、とても楽しくて面白いと自分の中で勝手に思って、今は図書館に凝って調べています。楽しいですよ。
(舟越)
 本は、人類が作り出した最も素晴らしいシステムの一つだと思います。すべての情報をコンピュータで処理できるようになっても、本という形態は絶対になくならないだろうし、なくなってほしくないですね。
(末盛)
 情報を得るだけならコンピュータで済むかもしれませんが、本が持っているものはそれとまったく違うのではないでしょうか。私は本は、基本的に美しいものだと思っています。
(舟越)
 ページをめくるまで次が見えないという魅力がありますね。
(中村)
 開くとすべてがパッと見えてくる面もある。お父様の「美しい」が末盛さんの中で本になったことがよくわかりました。昔の本は革張りで厚くて、本棚に並んでるだけで美しいし、絵本は特に内容の美しさが記憶に残ります。最近はそうした考え方で本が作られなくなっているのが気になります。
(末盛)
 消耗品のような本は作りたくありません。それに「子どもの本だったらこの程度でいい」という考え方は子どもに対して本当に失礼です。自分たちのことを振り返っても、小学校3年生くらいの時に、今美しいと思ってるものと同じものを美しいと思っていましたよ。
(中村)
 生命誌研究館もよく、「お子様向きですか、中学生向きですか」と聞かれますが、私は「誰向きでもありません」と答えています。生命誌に関心を持ってくださった方が、よいと思ってくださるものを作っているのです。大学院生と三歳の子どもでは同じものを見ても違うことが見えるかもしれませんが、三歳の子のほうがよくわかることだってあるわけです。先日も幼稚園のお子さんを連れたお父様が、「ファンなんです」とおっしゃって下さって、私はお父様のことかと思ったら、お子さんだったのです。
(末盛)
 それは素晴らしいですね。
(中村)
 お父様と一緒に研究館によく来てくれるというのでお礼を言うと、その子が「だって面白いんだもん」と言ってくれて本当に嬉しく思いました。展示はもちろん三歳の子ども向けに作っていませんが、その子はその子なりに楽しんでくれている。子どもだからってばかにしてはいけない、本当に自分が大事と思うことを言わなければいけませんね。絵本も芸術も科学も、それを後世につなげていくことを考えると子どもの存在が大事です。そこでレベルを落としたら、本当に大事なものはつながっていきません。
(末盛)
 取り返しがつきませんよね。
(舟越)
 そのファンの子は学者になってもならなくても、生命誌が伝えようとした豊かなものをつなげていってくれるでしょうね。
註17:夢であいましょう
1961〜1966年にNHKテレビで放送。日本で最初の音楽バラエティ番組と言われる。
7. 柔らかな好奇心
(中村)
 お二人ともとてもいろいろな形でお仕事を残されていますが、次の世代に続いていってほしいもの、ずっと残っていてほしいものはありますか。
(末盛)
 私自身は、どのような困難があったとしても、人生は生きるに値すると思っていて、本が美しいものだということと、その二つを伝えていきたいと思っていますね。
(舟越)
 叔父さん叔母さんが大事ということ以外で何だろう(笑)。そうだな、例えば見慣れないものに出くわした時に、「これは何だろう」ときょとんと見てしまうような、柔らかな好奇心を失ってほしくない。今は子どもでさえ、普段とちょっと違うものに出会っても、それを見ようとしないことが結構あります。友人の代理でお絵かき教室の先生をやった時に、ショックだったのが、少し遅刻して部屋に入ってきたある姉弟が、パッと座るなりカバンからスケッチブックを取り出してパッと開いて目の前に置いてある静物をすぐさま描き始めたんです。まるで遅れて教室に入ってきて試験問題を解きはじめるのと同じように。もう少し見てから描いたらどうかなと思いました。
(中村)
 一刻も早く、一刻も早くって。
(舟越)
 かなり衝撃でしたね。これはテレビで見たのですが、東京駅の横断歩道で変わったパフォーマンスをする人がいて、信号を渡る人の目にはそれがはっきり見えているはずなのに、かなりの人が何も見えていないように通り過ぎていくのです。何なんだろう、そういうことがどんどん蔓延していくと困った世の中にならないかなと思った。
 何か面白いものや不思議なものがあった時、研究までしなくてもいいから、まずはそれに気づくこと、それから見ていくことはこれからも大事だし、生活の時間を豊かにしてくれる可能性があります。そんなことさえも言わなければいけない世の中はまずいですが、でも、絶対にそれは言えることだと思います。
(中村)
 昨日の朝、家から駅に向かう途中で、お散歩の途中なのに道に座り込んでいるワンちゃんがいたんです。何だろうと思って覗いたら、バッタを一生懸命見ているんです。バッタがぴょんっと飛んだら、一緒にそっちへ行く。
(末盛)
 なんだかすてきですね。
(中村)
 飼い主の方も「さっきからここをぜんぜん動かないんですよ」とニコニコしながら見守ってらっしゃって。動物だって、いつもと違う面白いものがいるとそうやって見ている。私も面白くてずっと見ていたかったけど、時間がないから駅に向かいましたが、今は物事をじっくり見ていられない社会ですね。
(末盛)
 結局それは、自分達のことも大切にしていないということですよね。
(中村)
 孫を見ていても、出来上がったおもちゃなは割合早く飽きてしまって、やはり生きものが一番関心をもちますね。日曜のお昼に遊びに行った新宿御苑の池で亀を見つけたら、その前で3、4時間動かなくなってしまったとか。亀のちょっとした動きが面白くて仕方なかったのでしょう。ワンちゃんも人間も同じですね。
(舟越)
 おもちゃもそうですが、人間の作ったものってどこかで理解ができるというか、答えが出てしまう。だけど自然はわからなくて、どのようにも解釈できてしまうし、それに対する意見も食い違ったりする。
(中村)
 そのわからなさゆえに、いつまでも見続けてしまうのでしょうね。科学でも芸術でも、それをよく観察して、自分の得意な形で表現できると素晴らしい。
(舟越)
 僕が学生の頃には、コンセプチュアルアートが流行りだして、「具象は終わった」と言う人たちが結構いたけれど、なんでそんなことが言えるのだろうと思いました。今、世界中で面白いと言われている芸術家の多くは、だいぶ形を変えながらも、人間の姿を作っていて、彼らのやっていることはある意味では具象です。
(中村)
 そうですね、具体があっての抽象です。ピカソでも、もとになる具象があり、それが変形しているのが分かるからこそ面白さを感じます。
(舟越)
 きっと人間の姿を使ったアートはいつまでも生れ続けるでしょう。人間の姿を表現することは打ち止めになることはない。
(中村)
 なるほど。舟越さんのスフィンクスはちょっと人間的ですね。
8. 仕事の醍醐味
(中村)
 舟越さんは今スフィンクスを一生懸命作ってらっしゃるけど、これから作っていきたいものはありますか。
(舟越)
 そうですね。あまり論理的に考える方ではないので、次のヒントが出てくるまで、先のことは言えないです。ただ、もう少し色を自由に使ってみたいと思って、最近の作品にはわざと濃い目の鮮やかな彩色をしたりしています。次のデッサン展も少し色を前面に出したものにしたいと思って、今四苦八苦しています。
(中村)
 庭園美術館の個展もとてもすてきでしたが、さりげない《輪ゴム》好きです。
(末盛)
 私もそれ好きですが、《立ったまま寝ないの!ピノッキオ!!》もとてもいい格好でよかったですね。今まで随分見てきたピノッキオの中で、あれが一番いい。ちょっと盗みたい感じがありました(笑)。
(中村)
 あの首の垂れ方が可愛くて、確かに側に置いておきたい。「眠っちゃだめよ、ピノッキオ、絶対ダメよ」と声をかけたくなりますね。
(舟越)
 あれはバネを首に使ったのが正解でした。紙で簡単に作ったピノッキオの顔の前の部分をセロテープで木の胴体にくっつけたら、何かの拍子に首だけがパタンと倒れて、「これはいいぞ」と思い、その運動を再現するために昔のエキスパンダーのバネを利用したのです。普通に真っ直ぐ立つこともできるし、倒すとコテンとなる仕掛けです。
(中村)
 あのコテンが、いかにも子どもが寝てしまう時の感じで可愛い。
(舟越)
 夜中にその仕掛けを発見して、その通りにうまく行った瞬間は嬉しかったですね。この喜びは誰にも取られない。次は中々見えてきませんけど、またそういう喜びを見つけたいです。千枝子姉さんは?
(末盛)
 その気持ち、物を作る人の醍醐味ね。私はそれほど具体的ではありませんが、桂の話と共通するところも多いのです。本の構成をあれこれ考えていると、それこそ夜中に「これをここに持ってきてこうすれば、一冊の本になるじゃない!」と思いつく瞬間があります。そういう時って、本当に楽しいというか嬉しい。どうすれば自分の納得する形になるかが分かった時の嬉しさを続けていきたいです。
 外国の本の版権を取ってきて日本で本を作る時、まるで内容を変えてしまう編集者もいますが、私は内容はもちろんその本のすべてを気に入って出版したいと思ったわけですから、なるべくもとの本に近い形で出そうと思います。最近は原稿をもらったらそれをデザイナーに、それこそ今の言葉で言えば「丸投げ」して、レイアウトしてもらう人が多いけれど、それでは楽しいところは全部人に取られてしまうと思います。
(中村)
 そうですね。絵本のよさは絵と文章の両方の組み合せですから、片方だけでは出せないものが出てくるのが面白いですね。
(末盛)
 それに印刷屋さんと一緒に作業することも楽しくて、最初は絶対だめだと思っていたものが本の形になった時はとても嬉しい。一冊の本を作って、次の本を出すお金ができればそれでいいと思って本作りをしています。
(中村)
 そういうのってやめられませんね。好きなことができる以上のお金があっても、どう使って良いのか分からないという気持ちは私も同じです。自分の好きなことをやらせていただける場所があるのは本当に幸せです。でも、お二人もお幸せですね。
(末盛)
 大変ではありますけどね。でも、これでよしと思っています。
(舟越)
 弟の直木(註18)や妹のカンナは作家としてがんばっていて、うまくいかずに苦しんでいるところもあるけれど、それはそれで幸せだと思います。自分のやりたいことを見つけなさいという自由な家庭の中で、それを見つけにくかった子は、それなりに苦しみがあるのかもしれませんが...。
(末盛)
 二人ともいい仕事をしていますが、作品になるまでの時間の積み重ねの中で四苦八苦しているのでしょう。私が損したなと思うのは、小さい時から父のデッサンや彫刻を見ていたせいで、自分が描いたものの下手さに耐えられなくて、絵を描こうとは思わなかったことです。大人になってスケッチをしたらこんなに楽しいことだったのかと驚きました。桂はそういうことなかった?
(舟越)
 僕は能天気でしたから。ある程度すごい人の側にいる以上は、楽観的な部分がないといられませんよね。僕は弟よりはかなり楽観的で、それは申し訳ないと思います。
(中村)
 お一人お一人それぞれ特徴があり、しかもお互いを認め合っていらっしゃる感じ、すてきですね。しかも、美しいものを求めるという点では、皆さん共通していらっしゃる。
(末盛)
 そうですね。性格は自分で選んで決めるわけではありませんけど、それぞれ父母を受け継いでいます。私も息子を二人育てて、どうしてこんな違うんだろうって思いました。
(中村)
 「続く」というテーマを大きく広げていただいて、どうもありがとうございました。とても楽しかったです。
註18:舟越直木【ふなこし なおき】
1953年東京生まれ。画家、彫刻家。
[ 鼎談を終えて|末盛千枝子 ]
 姉と弟といっても、ずいぶん違う人生を歩いていると思うのですが、さまざまな場面で家族が多いことの有り難さを思います。しかも、弟たちの場合には、父と同じ彫刻を仕事にしているので、長女の私の目にはなおさら貴重に思えるのです。そして、良い仕事をしているなあと思う時などは、本当に嬉しく思います。
 父が亡くなった日は父の代表作である長崎の26聖人殉教者が亡くなった日でした。お葬式のとき、家族を代表して桂がみなさまにご挨拶したのですが、そのとき彼は「26人の人たちが、父の仕事を気に入ってくれているということだと思う」と話したのです。私はその挨拶がとても好きでした。同じ彫刻家ならではの話だと思いました。私自身は、父の病室に26人の人たちが迎えにきているのだと思っていました。こうして、鼎談という形で、桂と家族の話をすることがあろうとは思ってもいませんでした。感無量でした。
[ 鼎談を終えて|舟越桂 ]
 中村先生と、私と姉との3人で「つづく」という言葉をテーマに鼎談し、当然、父や母の話が多く語られた日から10日程して、私は父の作品展のため、母に代わって長崎を訪れた。長崎県美術館で開催された展覧会には、最初期の石彫から脳梗塞で倒れたあとの最晩年のブロンズ像までそろい、私は久しぶりに父の仕事の全体像を意識した。
 父に伝えたかどうか、忘れてしまったが、私は「ゴルゴタ II」というキリストの頭部のブロンズに特別な思いがある。「これを作るために父は半身不随になったのかもしれない...」。私にとってはそう感じてしまう作品である。家族の記憶に残るだけでなく、物として父の考えや思いが残っていてくれるというもの作りの幸せを強く感じたのは、今回「つづく」というテーマでの鼎談を経験した後だったからだと思い、中村先生に感謝しています。
Talk

 生命誌ジャーナル 2008年 冬号

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